2-17.社交界
「『豚も磨けば
なんとなく、意味は伝わる。
「今の貴方は、まさにそれですわね、カケル?」
籠められた侮辱も、その小馬鹿にした笑みから、存分に受け取った翔だった。
「ようくお似合いですわよ?」
「てめえも良い深窓の麗嬢っぷりだな?その口を閉じてれば、引く手数多間違いなしだ」
上品気取って口元を隠し、忍ばせた棘で刺してくるマリアに、彼もまた皮肉で応戦する。
彼は今、いつものフード付きパーカーを羽織っていない。
それどころか、黒布の至る所に金糸を使い、宝石らしき半透明な固体も散りばめ、使用人の服装と言えど、完全な式典用の礼服姿。
マリアの屋敷に来て初日に、厳重な身体検査を受けたのだが、それは採寸も兼ねていたようで、いつの間にやら一張羅が出来ていた。
とは言え、見栄え以外の意味は無く、重く暑苦しいだけの服。風通しはむしろ悪くなり、快適さで言えば平常時の方が上。おまけに迂闊に汚せないとくれば、落ち着きようがない翔だった。
そうやってギクシャクする彼を観賞し、物笑いの種とするマリアはと言うと、悔しいが間違いなく着こなしていた。
ワンピース型のイブニングドレスに似た形状。上半身は身体のラインを浮き出し、腰から下はカーテンの向こう。材質はサテンに近い何かで、色は夜空のように深い藍色。
肌色を帯びた肩・真っ直ぐな背中・膨らみかけの胸の上側が、シースルールックとなっているタイプで、スカートは踝まで伸びている。手には白レースのオペラグローブ、首には無色半透明の宝石で作られたネックレス。靴はシルバーのハイヒール。
いつもより鮮やかな朱を唇に差して、髪も纏めて左肩から流し、横顔や
白い肌とドレスの銀糸が照明を受けて、それ自体が
常のマリアとのギャップだけでなく、彼女とそれ以外を隔てるような、
存在そのものが非日常。
昼とは異なる、白銀の雷霆。
今年で14になるらしい、少女特有のあどけなさを残しつつ、大人になりかけの色香をも匂わせ、何より絶対的な美の気配を以て、見る者の頭頂から足の爪先までを、
割り
紳士も婦人も問わずして、喜んでその御前に跪くだろう。
「今宵も主役はわたくしですわ!最も輝いて見せますもの!楽勝!そう言って差し上げてもよろしくてよ!オーホホホホ!」
本当に、黙ってさえいてくれたなら。
「『沈黙は金』とは、よく言ったもんだな」
その言動そのものが、正に「禍の元」なのだが、ご存知の通り翔には、すぐに上げれる棚常備である。
「カケル!わたくしの舞台ですわ!決して、邪魔を入れぬようお願い致しますわ!」
「へいへい、言われなくてもてめえの見せ場なんか興味ねえよ」
「ジィ!この男が余計な事をしないか、しっかりと見張っておいてくださいまし!」
「心得ましたぞ」
どうにも信用が無いようだったが、「それなら夜会になんか参加させず、待機組としてのんびりさせてくれ」、彼はそう思わずにいられなかった。
そして、こんな面倒な会に参加する事となった、その切っ掛けを思い出すのだった。
五日前。
アトラ・ヨシュ・アラフヌが起こした事変も一応の収束を見せ、王都の時は何ら変わらずに過ぎていた。
そんな中翔は使用人見習いとして、ジィとクリスタンの両名から、一通りの指導を受ける日々が始まっていた。
「ほら!腰が入ってないよ!それじゃあ力が籠らないし、汚れも取れないでしょ!」
「ちょ、ちょっとタイム…」
「『たいむ』って何さ!?いいから、ちゃっちゃとやっちゃうよ!」
「いや、姐さん…。『指導』って言いながら…、自分の受け持ちも…こっちに回してません?」
「………君がどーしても今日の実習項目を増やしたいって言うなら——」
「手早く有難くやらせて頂きます!」
「よろしい!励みたまえ!終わったらエストちゃんの絶品朝ごはんが待ってるよ!」
「き、期待値あげないでです~!」
最後の声は厨房からである。
とまあ、クリスタンの教育方針に関しては、スパルタ通り越して理不尽に達しつつあるが、それなりに楽しくやっていた。
出来る事が増えて行くというのは、なんだかんだ充実感を伴うものである。
そうやって泣き言混じりの拭き掃除をしていると、従業員食堂として使われるその場所に、
「カケル!いらっしゃいますわね!?お話がありますわ!」
マリアがジィを伴って踏み込んで来た。
「お、お嬢様!」
周囲で翔を奇異の目で見ていた、一般召使いの連中も、これには
その状態をぐるりと見渡し、
「『演舞の間』へいらっしゃいまし!大至急!」
それだけ言って、とっとと去ってしまった。
「何?なんかやらかした?」
クリスタンはコソコソと探りを入れて来たが、室内の全員が同じ事を聞きたがっているのが分かった。
「まっっっっったく心当たりがないですね」
早速解雇通知だろうか。それにしては、『演舞の間』というチョイスが謎だ。その場所は、マリアのダンスレッスン用の空間だった筈である。
部屋には到着したものの、相手の真意がまだ見えず、おっかなびっくりノックした翔に、
「『戸を叩く時は三回』!常識でしょう!?どうぞお入りくださいまし!」
叱る次いでに入室を促す高音。
「し、失礼しま~す…」
とゆっくり入って来る彼に対し、最早安心感すらある仁王立ちで、作法のなっていないところを一遍に指摘して、
「——だから扉を後ろ手で閉めてはいけませんわ!それと五日後、王宮主催の社交会に、わたくしとジィと共に出席していただきますわよ!」
流れで彼を仰天させた。
「社交“会”」、つまり社交パーティーだろう。音だけだと「社交界」と同じになるのが、言語の不便なところだと、直近の苦さを思い出しながら、
——やべえ、現実逃避してた。
一瞬まるで関係ない事に思考を注ぎ込んでしまった。
「なあ、俺の聞き間違いじゃなけりゃ、『王宮主催』つったか?」
「申し上げましたわ!」
「王城に行くってこと?」
「そう申し上げておりますわ!」
「それって貴族が一杯来るやつだよな?」
「申し上げるまでもありませんわ!」
「辞退出来たりとかは?」
「お答え申し上げる必要がございまして!?」
——拒否権なし、と。
大体分かっていたことではあるが、改めて危機を認識した。
「今の貴方では、ただ立っているだけでも怪しいですわ!」
「そうだな、だからこの話はナシってことで——」
「ということですので、ジィ!」
外に控えていたらしい執事に、呼び鈴を振って命じて曰く、
「社交会当日までに、この男を『見れる』ようにしてくださいまし!」
「御意のままに」
どうやら、逃げ道は無いようだった。
そこから「地獄の家事手伝い習得メニュー」が、「修羅の社交界デビューレッスン」に置き換わってしまった。
これまで以上に立ち姿・足の開き方・礼の角度・言葉遣い・歩幅・目つき等々を徹底して叩き込まれ、「会場の壁沿いに立っているくらいは出来るレベル」へと矯正されようとしていた。
特に辛かったのが、円舞の基礎を固める授業である。
「いやおかしいだろ!なんで俺が社交
「『召使いの質を試す』という名目で、従者同士・或いは下位貴族に躍らせる方もいらっしゃいますのよ!?」
「そんな物好きいるか!」
「いらっしゃいますぞ。自らの手が汚れないものならば、どんな暇潰しも娯楽として消費する。それが多数派の王都貴族でございますぞ」
「ええ…?」
ドン引きである。
——何だその享楽的な種族は。
デスゲームを主催していそうな精神性に、ここが日本とは違うと再認識させられる。
「はい!というわけでもう一度行ってみよー!1・2・3・4、2・2・3・4…」
「待った待ったはやい!早いし速いです姐さん!」
因みに、女性側担当として練習相手になったのは、クリスタンである。
本人曰く、「いやーお姉さんってば何でもできちゃう万能完成形従者だからねー!円舞・輪舞・群舞・民族舞踊なんでもござれ!」とのこと。「そこまで行くと『従者』関係無いのでは…?」そう思わずにはいられなかった。
「躰が固い!身体地図がぼやぼや!もっと自分の思った通りに動く訓練して!」
そして、こちらのしごきにも容赦は無かった。
「ま…、ほんとにまっ…」
彼はグロッキー状態になり、床から立ち上がれないでいたが、
「クスッ」
横目で見ると肩を震わせ、扇子で顔を完全に覆ったマリア。
——いや笑ってんの隠せてねえんだよ!馬鹿にしくさってえぇぇぇ!
頭に来たその熱を燃料に、再び立ち上がりやけっぱちで再始動。
そしてヘロヘロになりながら、意地だけでリズムに食らいつき、暫くすると再びダウン。
外から見た注意点を叫ぶジィと、「『女の子』に引きずり回されるなんて、情けないぞー!」などと煽って来るクリスタン。
そして、途中から一度も扇子の陰から顔を出さないマリア。
彼らに囲まれて踊った次の日、酷い筋肉痛に襲われたのは言うまでもない。
そんな語るも涙な鍛錬の果てに、到頭本番となった今日。
「なあ、ジィさん」
翔が何をしているかと言えば、
「俺、あんなに必死こいて踊る意味あったか?」
当初の予定通り壁近くで突っ立っていた。
「『安心とは、備えた者への贈り物』という言葉もございますぞ」
「そりゃそうなんだろうけどさあ…。なんつーか…」
今回もやっぱり、腑に落ちない翔であった。
マリアの後に付き従うように、会場入りした時が戦意と緊張のピーク。
その後はジィと二人仲良く、隅で挨拶合戦の観戦くらい。
壁際には彼らの他にも、誰かの御付きらしい使用人達が、かなりの人数立ち並び、嫌な顔一つしていない。
退屈そうなのは、翔だけ。
やる事が、何も無かった。
「おーおー、やっとるやっとる」
高飛車お嬢様はさっきから、カーテシーを繰り返し、長蛇の列を捌いている。
流石に王妃内定者なだけあって、顔を売りたい者も多いのかもしれない。
が、それにしては、
「話が続かねえな、あいつ」
顔合わせもそこそこに、誰もがそそくさと去ってしまう。
「立場上の付き合い以外で関わりたくないのは分かる。後ろが
「その認識は誤りではありませんぞ。ただ、今宵のお嬢様は少しばかり、特殊な立ち位置にあらせられるので」
どうも、今晩のみ特別という言い方だった。
「その『特殊』な会に、なんで俺を呼んだのかね?爺さんはなんか知ってるか?」
「知っているも何も、わたくしめが提案したことでございますぞ」
「なんてことを」、そう大声を出したくなるのを、翔はなんとか押し止めた。
「お嬢様の現状を、正しく理解して頂きたかったのです。どうもカケルは、このような場とは無縁な生活を送っていらっしゃったようで」
「それはそう……いやだから覚えてねえって」
「これは失敬!痴呆が始まりましたかな?老いぼれの戯言故ご容赦を」
「ぜってーわざとだろ」
——油断のならねえ爺さんだ。
雑談を交わす彼らの目の前で、商談らしきものに花を咲かせる一団が居た。
マリアもああいう感じになるのかと思いきや、仲の良さげな人物が一向に現れない。
寧ろ遠巻きに彼女を見ながら、叩かれる陰口の方が盛り上がっている。
嫌われ者は、何処に行ってもこうなのか。
「アトラの奴も、わざわざあいつが居ない時を狙ってたしなあ…」
「いえ、あれはそういう事ではありませんぞ」
翔が思い出した避けられエピソードを、ジィが横から否定してきた。
「あれは、そういった必然ではなく、さりとて偶然と言う程無関係でもなく、言うなれば蓋然…」
含みを過積載した言葉の途中で、声が止まってしまった。
翔が横目で見ると、随分と険しい顔をしている。
視線の先では、マリアが——
「お?」
年配の紳士・淑女と会話しながら、彼らを伴いこちらに来るところだった。
男性の方が目配せすると、至る所から歩み寄る男達が、彼女の案内に合流した。
「なんだ?誰だ?」
「カケル、これから先、余計な言葉は一つとしてナシでお願い致します。問われた事にのみ答えるように」
何らかの、警戒すべき事案のようだ。
よく分からないが気を引き締め直す。
再び発生した、
「ご覧下さいまし!これがわたくしの新しい玩具ですわ!」
マリアは相変わらずであるから、備えるべきは付いて来た者達。
肩幅の広い中年男は、臙脂色を基調としたプールポワン風の衣服。
髪は黒、整髪剤で固められている。
眦を下げ、カイゼル髭を蓄えた顔は、優しげな雰囲気とも言えるかもしれないが、しかしどうにも頼りない。
マリアにも「うん、そうだねえ」などと曖昧な返事をしている。
一方その横に立つ女性はと言うと、第一印象は「おっかないおばさん」。
柔和な口元に冷ややかな目つき、爪の先まで意識が通っている。
ロココ風なドレスは、白地に金が散りばめられ、豊かなプラチナブロンドを、頭の上で盛り髪に結わえている。
隣の夫らしき男より、威厳と器の大きさを感じさせる迫力。
それ以外にも若い男性が3名と、なんとエリザベスも混ざっている。
「どうですお父様!?冴えない男でしょう!?でもやる事は愉快なのですわ!」
「ああ、うん、そうか…。あんまり、迷惑を掛けるものじゃないよ?これじゃあ、巻き添えになるじゃあないか」
胸を張って彼を
家族だ。
それも、バシレイアにおいてたった四つしか存在しない公爵家の、その内の一つ。
アステリオス家の構成者達である。
翔は事前にジィから聞いた、マリアの親のプロフィールを引っ張り出す。
やたら歯切れが悪いのが、現公爵フランジ・ロライネ・アステリオスだとして。
ではあの貴婦人が——
——アステリオス公爵正妻にして、
セレジア・アポストロ・アステリオス。
実質的な、アステリオス家当主である。
「マリア、あまり興奮し過ぎてはいけませんよ。穏やかに、平然と、物事を受け入れるのです」
じわりと優しく染み入るような、それでいて内部から鷲掴み、有無を言わさぬような声。
一度口を開いただけで、格の違いを分からせる。それが出来る稀有な存在。
王子とはまた別の、気味の悪さを感じる女。
ただ、言っていること自体は、翔はどちらにも全く同意できる。
マリアは本当に、「慎ましさ」を覚えるべきであろう。
兄貴三人に至っては、言葉どころか目も合わせようとしない。それぞれの印象としては、インテリヤクザ・俺様系・メンズアイドル癒し担当といったところだが、集合したのは形だけのようで、少女をほとんど無視していた。
家族に対しても、あの態度なのだろうか。
唯一好意的なエリザベスは、流石に場所が場所な為か、自重しているようだ。
母はともかく、父は強く出れなさそうな性格である。さぞかし我儘が通り放題だったのだろう。マリアがあの性格になるのも、なんとなく頷ける。
翔が分かった気になっている間、「アステリオスの血に連なる者として、恥ずかしくないようにね?」と、フランジがマリアに説教していた。
抑止力にはならなさそうだが。
そして公爵は翔をちらと見て、それから右手の肘から下を軽く上げる。
挨拶でもされているのか?翔がどう反応するか迷っていると、フランジの隣に侍従が音もなく立った。
どうやら、単に自分の“道具”を呼びつけただけである。間一髪、恥ずかしいことをせずに済んだ翔。
フランジは従者の耳元でゴニョゴニョと何かを言い、ガタイの良いナイスガイな使用人は翔達の前に立って、
「『君達の処遇は王城側の決定に従う』。公爵はそう仰られている」
何となく、彼らの温度感が分かった。
これにはつまり、こういう副音声が付く筈だ。
「これらは家具なのだから、直接言葉を掛けるのはおかしい」。そんな差別意識が、自然に根付いてしまっているのだ。
とは言え、これが貴族の標準なのかもしれない。
特別悪し様に言われたわけでもないので、翔はあまり気にしないことにした。
「それじゃあ、また何処かで」
「体には気を付けなさい」
それだけ言って、去っていく両親。
エリザベス以外の肉親は、会釈すらせず散会した。
「慌ただしいねえ。家族の時間くらい、もっと余分に取ればいいだろうに」
貴族も楽では無さそうである。
解散した後の彼らには、各々に個別で行列が形成されていた。
アステリオス家の力を集約するだけで、この国が乗っ取れそうである。
と、人垣の切れ目が偶発的に生まれ、マリアと翔の目が合った。
翔は肩だけで「ご愁傷様」。
マリアはバチリと「見ていなさい?」。指だけ密かに差し向ける動きで、意味は矢張り正確に届いた。
そこで一瞬話し声が盛り上がり、その後徐々に沈黙が伸び広がる。
何かを感じ取り飛び立たんとする鳥のように。
或いは水を打ってから静まる様そのもの。
ギリギリまでそれを高め、もう破裂するその直前に、
「王太子殿下、御
ヨハン・アポストロ・バシレイアが、
広間の注目を集めるように設置された、
大階段から
ゆたりと降りて来た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます