2-16.追想
「始まりは、半年以上前に遡ります」
ヨハン・アポストロ・バシレイア王太子は、そこから語り出す。
傍らには、白いベールで顔を隠し、一言も発さぬ修道服姿。
聖堂会教皇、ケファ・アポストロ。
そして此処は、バシレイア統一君主国、その王城シャラムの謁見の間。
二名が向かう御簾の先におわすのは、権王エイコブ・アポストロ・バシレイア。
此の度王都ミクダヴドで起こった一連の騒動、その顛末を報告しているのだ。
「当時侯爵であったアトラ・ヨシュ・アラフヌの下に、知り合いの貴族から一件の依頼が舞い込みました」
「領内で行われる祭事の為に、謹製の旗布を用意して欲しい」。
それが、内容だった。
行楽地としても知られるその領に、「観光ついでに娘さんもどうぞ」と誘われ、アトラは快く引き受けた。
彼の家族愛は社交界でも有名であった。亡き妻を愛するあまり後妻を取らず、忘れ形見である唯一の娘、当時15歳だったレン・アラフヌも溺愛し、「あいつが望むなら爵位を捨て、貴族の義務とは無縁に生かすのも良い」、そんなことまで言い出す始末だったと言う。
彼は言われた通りにその地へ赴く。
アロ・テウミシアは折悪く
現地での歓待を受け、仕事も終わらせ揚々と楽しみ、
全く突然に、レンが姿を消した。
見つかったのは、行方不明から一夜明けた朝。
山賊に手籠めにされ、挙句散々嬲られ、目の光を失った後だった。
勿論賊は捕らえられ、処刑されることとなったが、アトラ・レン親子の心傷は計り知れない。
「そして、重大機密として葬られた筈のこの事件が、社交界の一部、上流貴族の間で語られ始め、アトラは全てを悟りました」
嵌められた。
これは、貴族の“遊戯”だ。
二つを戦わせ、負けた側を王都から追放する。
仲間内で示し合わせ、一つを此処から爪弾きにする。
暇ばかり持て余した彼らの娯楽。
命を懸けた化かし合いに、猛獣の争いを見るような緊迫感。変化無き王都で刺激を求め、けれど安全は手放したくない、そんな彼らの至上の楽しみ。
「彼のその推測を裏付けるように、とある子爵家で開かれる集会に、『娘同伴で』と招待されました。しかも、送り主の名は恐らく公爵位相当です。会場を用意した一族は、単なる隠れ蓑に過ぎないのでしょう」
逆らえず、未だ錯乱の最中であるレンを連れ、アトラ伯爵はその会へ招かれる。
そこで、突き付けられる。
跡継ぎの居ない家は取り潰される。
婿を取ろうにも、傷物の娘など願い下げ。
ならば後妻と子を為すか、
あるいは、爵位を返上し王都を出るか。
1週間後、ここで再び集まり、答えを聞く。
「本来、娘の為なら地位を惜しまぬアトラでも、これには迷いを見せた。自主的に返還するのではなく、娘が誰からも見向きもされない、それ故の失脚。ただでさえ心を病んでいるレンに、そのような恥辱を味わわせて良いものか。かと言って、今から跡継ぎを生ませるのも、要らなくなった娘の代わりを作るようであるし、亡き妻への、
どうすれば「愛」を証明し、愛しいレンを傷つけずに済むか。それを日夜思い悩んだ。
だが、それがいけなかった。
「『何故レンを連れて来させたのか』、それについて疑問を持つべきでした。彼らはレン自身に、自分の処遇で悩むアトラの姿を見せたかったのです。権力に固執し、娘を見捨てることを検討する父親、そういう風にも見えてしまうから」
思惑では、それに絶望したレンが更なる不祥事を起こし、その事を決定打としてアトラを追放。そういった単純な筋書だった。彼らには、その結末へと親子を追い詰める、その為の手段が豊富にあった。
だが——
「彼らは、父であるアトラさえ、読み違えていました。レン・アラフヌという少女は、物の道理が分かる程賢く、愛を疑わず遂行する程、強かった」
次なる集会の日、レンは約束の時よりもかなり早く屋敷を訪れ、そこで準備をしていた高位貴族達に願い出た。
レンは跡を継がず、新たな子も生まれない。よって、アラフヌ家は取り潰しとなる。但し、アトラ・ヨシュ・アラフヌの寿命が尽きるまで、「世継ぎを為す可能性有り」として、処分を留保して欲しい。どうせ無くなるのが分かっているのだから、それまではどう切り分けるかを考える、その時間に充てればいい。
「この提案には、一つ穴が有ります。集会側からすれば、何の見返りも保証も無く、絶対的有利である今の関係を手放したくない。そしてそれは、レンにも分かっていた。だからこそ、彼女は差し出した」
「私の全てを、あなた方に差し上げます。そうすれば、アラフヌ家は存続不可能になります」。
彼女の決断は、自らの命で最愛の家族を守る事だった。
今回の仕掛けの本質は、彼らの愉しみである。
ならたとえ、アトラとレンが合意した上で、新たな道を歩き出しても、必ず邪魔しに付き纏う。何故なら、彼らは破滅が見たいから。
だったら、こちらの被害が最小限となる、そんな悲劇を献上する。
この方法なら、少なくともアトラは救える。そのまま天寿を全うできる。
集会側の貴族達はこれを受諾。
そして一通りの辱しめを要求した後——
「最後には、彼らの目の前で確実に、自らの手で殺傷せしめました」
その時身に着けていた、父から贈られた帯で首を吊って。
「娘が居ないと取り乱していたアトラが、使いによって到着した時の彼らは、天井からぶら下がる
その時、彼は壊れてしまったのだろう。
屋敷の主に、糸や布といった裁縫道具を持ってこさせ、
その場で娘を飾り付けた。
美しき「芸術」を、披露し始めたのだ。
「その時の鬼気迫る有様と、完成した『作品』の素晴らしい出来によって、彼らの欲は満たされたようです。アトラ・ヨシュ・アラフヌの処分は、伯爵位への降格のみとして、当面捨て置かれる事が決定しました」
しかしこの時から、彼の全ては復讐に費やされた。
「四ヶ月程前から、アトラは多くの布を、外から買い付けていました。しかしその大部分が、存在しない架空の商会との取引です」
布が積まれているのは表面だけ、その下には眠れる
「王都の衛兵を素通りする為、彼らへ賄賂を掴ませました。有り得ない程の高額を、頻繁に。更には古い聖堂や、武器として利用できる道具の数々も
そして機を待った。
策が最も効力を発揮する、その時を。
「そして一月程前、『例の事案』が本決まりとなったことで、彼はここぞと行動を開始しました」
そして、事件は起きた。
惨劇が、始まってしまった。
「と、以上が、元子爵位ウェス・マンフィスリーの証言を元にした概略で御座います」
「しかしながら」、と彼は続ける。
「この証言に登場する『高位貴族の集会』について、如何なる裏付けも得る事が出来ませんでした。ウェス自身も具体的な名前は出さず、そのまま獄中死という遺憾な結果となりました」
証明する物は何も無く、よって、起こっていないのと同じ。
余計なものを削ぎ落とし、残ったものは確固たる事実。
アトラとアロという男達が、忌まわしき
「此度の一件は、息女レンを事故で亡くしたアトラ・ヨシュ・アラフヌが、乱心した結果起こした事変。娘の代わりを求めて誘拐を繰り返し、その遺体を装飾し、最後は毒を撒いて回った。マンフィスリーは事故を起こした当事者でありながら、その責から逃れようとし、彼が狂う原因となった。アロ・テウミシアは脅された為仕方なく加担した。アラフヌ伯爵家の遺産は王家直轄とし、テウミシア男爵家・マンフィスリー子爵家は取り潰しの後、追放。それが、波風の立たぬ落とし所になるかと」
そう締め括り、跪き一礼をするヨハン王子。
宗教的様式で同意するように、
権王エイコブがおわす側から、
微かに一音が鳴る。
それが、承認の合図。
使徒二名は立ち上がり、最後にもう一度礼をして、そのまま部屋を後にする。
それぞれの役を果たす為。
後に残るのは冷たく空虚な
誰も
そこで権王は
微動だにせず、
あるがままを
受け入れる。
——————————————————————————————————————
「なんなんだ、もう!」
頭を掻き毟り、ウロウロと無為に歩き回る翔。
王都警衛隊本部、その会議室の一つ。
室内にはマリアと共に召使隊一同。
ヴゥルカーだけは窓の外で、何か巨大な肉にかぶりつく。
目の前の壁や床には、押収されたアトラの「芸術」達。
その中には当然、あの礼拝堂に置いていたものもあった。
翔はそこから、アトラ・ヨシュ・アラフヌという男を、知ろうとしていた。
芸術は魂の実体化、そう言ったのは他ならぬあの男だ。
納得の行かぬ事が多過ぎるから。だからあの男を理解することで、何らかの答えを得ようとしていた。
が——
「これだけだ。これだけ明らかに尻の据わりが悪いんだ。だが、それが何でだか分かんねえ!」
あの衣以外、美しくはあるが引っ掛かりが無い。
その一着だけが、何故だか特別であった。
3日前の王都襲撃事件は、どこぞのなんとかいう子爵を処断し、世間的には幕を閉じた。
東区については、密閉性が高い家屋が多かったこと、毒対策はどの家も万全だったこと、シモーヌ・アポストロ・カナナイオスが完璧に仕事を果たしたこと。それらが理由で犠牲者は出なかった。
また解剖に参加していたエスティアだが、休息を進言されても聞き入れず、日がな一日作業に没頭し、意識を失いぶっ倒れた。そして本部の救護室に放り込まれ、蛹が「羽化」した瞬間は近くに居らず、運良く難を逃れたらしい。
しかし、風下にあった北区・南区は違う。
全ての窓にガラスが備え付けられているわけでもなく、シモーヌのような使い手が配置されていたわけでもない。
東区に近い地域において、十数名の死者が出た。
そんなテロ事件に近い案件が、「一人の狂人のせいでした」で終わり、詳細な原因はほとんど明かされずじまい。
このまま王都の記憶から消えて行く、それを歯痒く思った翔は、処分される予定の布切れを借りて、こうやって考え続けている。
あの男は、何を叫んでいたのか。
「まだやりますの?」
マリアの声も、今は気に留まらず。
「そんなものを睨んで分かるようなら、会話も出来るご生前に、誰かに伝わっていて然るべきでしょう?」
「嘘を吐くかもしれない言葉より、『ありのままをぶつけた』と自負する何かの方が、見えて来るものもあるかもしれない。とにかく、このままじゃ気が済まねえ」
「その『ありのまま』が偽りではないと思われる、その根拠はお有りですの?」
「それも含めて探してんだろうが」
ただ、本人が言っていたことを、解法を導くヒントにするのは、頭から抜けていたアプローチだった。
「あいつは、なんて言ってた…?」
芸術、
魂、
声、
織り、
暗闇、
名著、
御伽話、
それと——
「『未完』」
「何?」
思考に割り込む、彼女には稀である静かな聲。
気付かぬうちにすぐ背後から、覗き込んでいた少女の
「わたくし前々から、この絵に何らかの…“欠落”、そう欠落があるような気がしておりましたの。その
「ご覧くださいまし」と手を伸ばし、白くほっそりとした末端が、滑らかにその外縁をなぞる。
「この構図は、雲の切れ間から覗くよう。周囲はそれに囲まれ、この場面の外側は、白い綿で埋められる、その景色を想起させますわ」
広い広い雪景色のような空、
その中に
彼女は更に身を乗り出し、「けれど」と耳元を吐息が擽り、
瑞々しい指が差したる先は、下界で地を這う大河の末、所謂裾にまで及ぶ流域。
「この川だけが雲を裂いて、画面の外へと流れていますわ。まるで——」
——その先に何かが続くかのように。
アトラ・ヨシュ・アラフヌはこう言っていた。
「『織り』を二段階にして、何度も失敗を重ねて、手間暇かけて作った」。
「工芸としての絹織物なら、過程に二段挟まるのは珍しくない。それに、あの男はそういった作業にも慣れていた。わざわざ『手間暇』を強調したのは何故だ?」
そっと持ち上げ、裏側を確認する。
何も無く、ただ無地があるのみ。
「失礼」
黙って見ていたジィが、そこで翔からそれを受け取り、
「『二重』と聞いて、まさかとは思いましたが」
その部分を開いて見せる。
「二枚重ねになっていますな」
「何?」
「通常の裏地の上から、もう一枚余分に」
それはつまり、
今は見えていない本当の「裏地」が——
——時には、暗闇の中に答えがある。
「爺さん!外側の布だけ剥がせるか?」
「お安い御用ですぞ」
言った時にはもう既に、縫い糸を断ち切り顕にしている。
夜空のような黒地。
そこには「川」の続きと、
その河口に縫い付けられた
文字列。
見るからに異質な赤い糸で、
たった二言、
“死遭わせを”!
これは告発である
ぞくり。
まず本能が反応した。
そして理性が警告する。
「えっと、なンだコレ…?」
何か面白い物が見つかったのかと、寄ってきたアライオが困惑顔となる。
クリスタンは首を傾げ、エスティアは脅えたように涙目となる。
窓から顔だけ覗いたヴゥルカーの、その表情は隠れて見えず。
「さて、これだけでは意味が——」
「なあ爺さん」
此処から先を聞けば、確定する。
分かってしまう。
「俺にはこれが、下らない洒落に見える」
後悔するだろうに、それでも進んでしまう。
知的好奇心か、追究者精神か。
「あんたらには、どう見える?」
「『どう』って…。これって、あの『ふウりぁエさま』だろ?イヤーな言葉遊びだったってーのは分かっけど、今更こんなダジャレがポンッて出たところで、ねえ?」
そこまでで、勘の良い者は理解した。
「そういう、ことですかな?」
「そういう事だ。こんなもんをよりにもよって、礼拝堂に飾ってたんだ。誰にも気付かれずに、な」
「????」
解説して欲しそうなアライオの顔を見て、翔は最後の推理、否、推察を始める。
「俺達の誰もが、これを『幸せ』と『死遭わせ』を掛けた、一種の
「うん、まあ、そうなるな」
「そこで一つの疑問が生じる。これを唱えた者達は何故——」
——その真の意味を知らなかったのか?
「何故って、そんなン、教えた側が騙したからだろ?」
「どう騙した?」
「それは、『幸せ』と唱えれば良い、みてえな…」
そう、そこが違う。
「伝わったのは、『しあわせ』、つまり音の部分のみだ」
皮紙に書かれた「手順」を呼んだ時、「しあわせ」が平仮名として頭に入った。手口は、ウガリトゥ村を発つ時に、翔が英語で行ったものと同じ。発音だけを相手に伝える。
「え、でも、おンなじ音に違う意味っていう、それ自体は伝わっているわけで…??」
そしてここからが、「告発」である。
「一つ、物語を考えましたわ」
人差し指を立て耳目を集め、黄金の少女は仮定を口ずさむ。
「とある貴族が、以下のような呪いをお考えになりましたの」
1.「死を呼ぶ呪い」のやり方を
2.「恋のおまじない」と偽って、
3.若い娘がいる貴族家に流し
4.邪魔な家を弱体化させる。
5.その際「死遭わせ」の文言は、「幸せ」と誤認させる為、「しあわせ」と音だ
けで伝えること。
「これをお試しになりましたところ、効き目は
一部の知識の独占者を栄えさせ、他全てには疫病のように広まる。
敵は消せるし、被害は増やせる。
「そうか!気に入らねえ高位のお貴族様を、その方法で派閥ごとピンと釣って、
「それもあるかもしれませんな。だがこれは、それ以上を相手にしていますぞ」
そう、貴族より更に“上”を。
「じゃあ賢いライ君にここで問題です!」
クリスタンからの出題。
「この計画を成立する為には、『あるもの』が協力してくださることが不可欠です!」
そしてもし、それらが上手くやっていれば、この事件は起きなかっただろう。
「じゃ、その『あるもの』ってな~んだ?」
「それは」
「言葉が」
「幸せ」と「死遭わせ」、二つの意味を同時に持つ「音」。
「その発音部分のみを、相手の言語で伝えたい」。
その微妙なニュアンスを理解し、対応する語へと完璧に翻訳する。
それを可能とする、神様の意思のまま動く筈の、
「
——
「危険な言葉として伝えていたら」
皮紙に書かれていたのは、
「しあわせ」ではなく、「死遭わせ」だった。
「これが、『告発』だ」
弾劾されたのは、
樹上の神格、
天上の絶対者。
「
教皇暗殺は、
「これ程信仰に身を捧げた者でも、神は守ってくれない」、そう言って、証明を完了とする。
「『しあわせ』、この言葉に籠められた意味を把握していた
「じゃ、じゃあ、最初に一名が食べられちゃった時点で、あ、ああの方の目的はほとんど達したと、そう言うです…?」
カタカタと小刻みに震えているエスティアは、自身で答えを持っているようだった。
翔は思い出す。
殺戮鬼に身を
——私はね、『芸術』とは、魂の叫びを具象化したものだと、そう思っている。
——ある意味では…、これは私の『芸術』だよ…。
彼に降りかかった不幸について、翔はあまりにも無知だ。
ただ、「一人娘が原因だろう」ということだけ。
それでも、聞こえた気がした。
「無意味に私を苦しめることが、襲い来たりし不条理の数々が——」
——『正しいこと』だと、そう言いたいのか!
彼の絶叫は、
大気に満ちる精霊達に、
どこかで見ている全能者に、
果たして届いていたのだろうか。
残響が支配する部屋の中で、
黙禱でもするかのように、
彼らは暫し、
押し黙ってしまった。
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