2-19.揺れる者、うつろわぬ者 part1

「勇敢なのか、鈍感なのか、どっちだ?」


 迷いに迷った第一声は、結局荒いものとなった。

 口論をしに来たわけではないのに。


 問われた方は驚いた様子で、

「いらっしゃいましたのね。やっぱり、わからない方ですわ…」

 そう言いながら振り向いた、気配がした。


 日付が変わりかけの深夜。

 公開処刑そのものな社交パーティーから帰り、着替えもせずに庭園へ赴き、それからずっと備え付けの円卓につき、

 星でも、見ていたのだろうか。

 気になって翔が見に来てから、まるで動き出す気配が無かった。

「分からないのはてめえだ。律儀にあんな悪趣味な会に出る奴があるか」

 言いながら、少しずつ近づく。

 昼に見るこの場所は、色とりどりの花・整えられた庭木・ガラスで作られた温室まで完備の、壮観と言うべき広場だった。中心にあるそのテーブルでお茶でも飲めば、すっかり貴人気分である。

 けれど星明りだけの夜に、明かりも灯さずに分け入ってみれば、鬱蒼と巨大な何かに囲まれ、閉じ込められているようにしか見えない。


 だからその足取りは、より探るようなものに。


 向かう先、彼女の事すら測りかねているのに。


「文句の一つも言えばいいじゃねえか。ゴネるのは得意だろ?」

「貴方、わたくしを何だと思っていらっしゃいますの?」


 微妙に弾んで聞こえる声音は、翔の困惑で遊んでいるのか。

 表情も塗り潰されてしまえば、その正誤すら掴めない。


「とても傷ついたので一人にして欲しい、って言うなら俺は去るが?」

「いいえ、それには及びませんわ。少し、貴方とお話したい事がございましたの」


 強固なままでいることが、余計に不気味に見えてしまう。

 今彼女は、怒っているのか?笑っているのか?

 明るめな喋り口は、何を示唆する?


「先に聞いておきたいんだ」

 

 だから、先手を取る。

 

 その胸に有る物を見出すことで、彼女の提案の裏を読むのだ。


「何でお前は、あのクソッタレな嫌がらせを受け入れた?」


 避けられぬ処遇だとしても、見世物にしてやる義理は無い。

 しかし彼女は、甘んじてその辱めを受けに行った。

 悪意によるリンチに、その身を捧げてしまった。

 なのに未だきよいままだ。


「そんなことをお聞きに?」

「特に王都の事件、お前はほとんど関係ない。解決に乗り出した時は、馬鹿共のせいで全てが煮詰まっていた。それを何故怒らねえ」

「無関係ではありませんわ」

 彼女はしかし、その責すら手放さず。

「半年前、アトラの娘であるレンが消えた時に、わたくしはそれを把握していなかった。彼に起きた悲劇を、止めるどころか存じ上げていなかったんですの。そしてその後の暗躍も、まるで気付いておりませんでしたわ。これは所有する者として、許されざる怠慢ですわ」

 それが、彼女の罪。

 この世で起こってしまった不幸は、支配し管理する者のせい。

「お前はなんだって、そう何でもかんでも平らげようとしやがるんだ」

 心底分からないという翔の問いに、

 「そうですわね…」と考える素振り。

「この世に生まれる者共が、皆平等などとは決して申し上げられませんわ。であるからこそ、我々はその生まれによって、または得た職務によって、そう、“尺度”とでも言うべきものを与えられますわ」


 「尺度」。


 職人なら細かく頑丈に作ること。

 芸術家なら新たな物を生み出すこと。

 道化なら誰かを笑わせること。

 兵士なら強く戦うこと。

 貴族なら人を使うこと。


 なら——


「手中にある事物が多ければ多い程、“尺度”もまた大きく・高くなっていくものですわ。ある者はそれを『特権』と呼び、別の者はそれを『責務』と呼びますの」


 そこに居る事が当然であり、でなければ非難される立ち位置。

 それを満たすから職を得るのか、

 職務に就いたからそう見られるのか。

 沿わなければ、白眼視されて然るべき。


「わたくしは、『公爵令嬢』、そして後に『王妃』という“尺度”を求められておりましたわ。それに応えられなければ、外されるのは当然ですわ」

「だからそれにおもねらなきゃいけない、か?そんな不自由さを殊勝に受け取る奴だとは思わなかった」

「違いますわよ。わたくしは全てを所有する者として、彼らを納得させなければならない、ということですわ」

 いただきに近い場所に腰掛け、思う様振舞い地に影を落とす。

 それに相応な者でなければ。

「そんな面倒な席、なんで降りないんだ?最悪貴族であることを辞めちまえば、もっと安心な生き方が出来るだろ」


「だってわたくし、全部が欲しいから」


 酷く大それたことを、

 何でもないように言う娘である。


「嫌いな事に『いや』と言う権利。美しいものを『是』とする権威。同じもの無き宿子アルセズ達。奪われたとされるまだ見ぬ地の先。それら全てを余すところなく、このわたくしの物にしてしまいたい。その為には、高位であり続けるしかございませんわ」

 

 それは、言うなれば世界征服だ。

 遥か高位に生まれた彼女は、しかし更なる絶対を目指す。


「そして、全てを手に入れる者は、全てに認められなければなりませんわ」


 の者こそが主であると。

 その「尺度」に適っていると。


「それが道理でございますでしょう?」


 それで

「それでどうする」

 不可能を可能にし、

 それすら果たしたとして、

「その先には、何も無いだろ」

 出来る事も、やりたい事も。


 翔の欲しい「一番」は、社会や世間に保証されたものだ。

 それらから認められた玉座こそが、彼の挑戦の終点である。


 その上に逸脱した神域なんて、


 ただ孤独で寂しいだけだ。


「探し出すのですわ」


 だが彼女にとってはその絶孤ぜっこも、目的の為の手段に過ぎない。


「わたくし、“綺麗なもの”が好きなんですの」

「『綺麗』…?」

「そう。それの最上を見つけますの」

 それは、あるかも分からない、

 否、存在しないだろう夢物語。

「その輝きでこの目が潰れ、頭の芯が甘く痺れ、全身の毛先に至るまで灼かれ、使い物にならなくなるくらいの。そんな——」




——本物の、美しさ。




「それが、欲しくてたまらない」

 

 そんなもの、どこにあると言うのか。

 普遍の正しさが無い世界で。


「いいや、無いだろ、んなモン」

「それがまことかを確かめる為に、全てを俯瞰できる場所を目指すのですわ」

 スケールの大き過ぎる願望は、どのようにして育ったのか。

 それは、彼女の慢心故に。

「この世でわたくし程恵まれた宿子アルセズは、存在し得ませんわ。なればこそこのパンガイアの至宝とは、わたくしだけの手に入る物ですわ。わたくしでなければ目指せませんもの」

 試せるから、やってみる。

 ただ、それだけの事。


「だから、全てに思い知らせるのですわ。わたくしが最上の輝きを放って、この世界の所有者が、何者であるのか」


 “尺度”を、満たす。

 その先に、欲する物があると信じて。


「その為には如何なる無理難題にも、応えて差し上げる事ですわ」


 何を言ってもやり切るのなら、もう認めざるを得ないだろう。

 彼女こそが、真実であると。


「物を知らぬ下々に、頂点とは何かを教えて差し上げる。それもまた、わたくしの務めでございましてよ」


 耳触りは良いのだが、

「それで彼氏に陥れられてりゃ、世話ねえぜ」

「お話を聞いていらっしゃいましたの?」

 察しの悪い彼に不思議そうに、

「ヨハン殿下はわたくしの為に、最高の舞台を御用意して下さいましたわ」

「なに?」

——……まさか、このガキ…!?

「わたくし、あれだけ大仰に追い出されましたもの。これで全て解決して、この地に戻って来れたなら、どなたも文句をおっしゃれませんわ」

 あのえげつない茶番を、アシストだと捉えている。

 唖然とした翔は、なんだか心配していた自分が——


——


 心配していたのか?

——俺が、こいつを?

 それは違うと、そう言いたい。マリアが凹んでいるのを、見に来ただけだと。

——いや、どっちでもいい。

 もう分かったから。

 彼女は、落ち込んでなどいない。

 むしろこれからの期待に、胸がはち切れんばかりだ。


 光無き庭の中、そこにぐんせいが浮かんでいるように見えた。

 今はあの電光も、発していない筈なのに。


 「公爵令嬢」であることを望まれ、

 「超越者」であることを望み、


 如何なる場でもそれに相応しく、


 強靭華麗に降り立って見せる。



 それが、高潔のいかずち

 

 これこそが、マリア・シュニエラ・アステリオス。



「さて、わたくしがお話しする番ですわね」

 そして主導権は、マリアの側へ。

「まずは翔、機を逸してしまい、貴方に申し上げ損ねていたことがございますわ」

 顔が見えないながらも、彼女が向き直るのが分かる。

 どういうクレームが来るのか。

 それに備えていた為、


「貴方には、本当に感謝しておりますわ」


 その続きによる衝撃は大きい。


「感、謝…?」

「貴方が現れ、積極的に戦って下さったことで、わたくしの所有品が数多く損壊を免れましたわ」

 翔はただ、敵を殺しただけなのに。

「貴方の知恵が、わたくし達にとってどれだけたすけになったことか」

 それは何ら専門的なものでなく、ただネットを漁っただけの表皮的な情報。

「ですから今この場で、感謝申し上げておきますわ」

 彼は果たして、それに足る人間なのか。本人がそれを断言できない。

「そんなこと、わざわざ言おうと?」

「働きには、報いを。重要な事ですわ」

 常ならぬ、羽毛布団のように柔らかい態度。

「お、おい、らしくねえぜ…?」

 受け止め切れない彼に構わず、

 

「そして貴方には——」


——選んで頂く事になりますわ。


 彼女は、本当の意味での二択を迫る。


「『調査』に伴う兵員は、わたくしの裁量に任されておりますわ」

——ですので、

「従僕の中から、希望者のみ連れてゆくことに決めましたの」

「命令、しないのか?」

 人員が多ければ、それだけ楽が出来るだろうに。

「命を危険に晒すのです。こいねがうくらいでなければ、足手纏いになりますわ」

 彼女の中では、それも決定事項。

「失職者には、殿下が働き口を斡旋して下さいますわ。優しいベスも協力するでしょうね。貴方がわたくしの地位に価値を感じていた場合、代替案としては彼女に付くが得策ですわ」

 ベス、エリザベス、マリアの妹。

 あの悪趣味パーティーの貴族の中で、唯一何も知らなかった無垢。

「どうして彼女がお前の代わりに?」

「あら、それもお気付きになられませんの?」

 「意外と賢くありませんわね」、少し腹が立つが、黙って続きを促す。

「お父様とお母様が、どうしてこの策にお乗りになったのか、それをお考えくださいまし」

 フランジとセレジア。実の娘を切り捨てた夫婦。

 親子の情を無視しても、大いなる打撃になる筈だ。今はまだ、王太子との縁は「停止」だが、いずれ「解消」される関係。一族からのスキャンダルと、王家との血縁の消失。

 王家からしても、有力貴族との結び付き強化が、立ち消えになった格好。

 少なくとも、補償が要る。

 欠けたものをそのまま補う、そんな取り決めが。

 そこから導き出される取引。

「エリザベスが、次の王妃候補か」

「そういうお話になっている筈ですわ」


 マリアの下で得られるメリットは、エリザベスにほとんど引き継がれる。

 エリザベスもその心根から、雇うことに積極的。

 危険性や損得だけで言えば、「調査」に付いて行く理由が無い。


「だから、貴方の意思を伺っておきたかったのですわ」

 それらを考慮しても尚、同行する気があるのかを。

「出立は明後日。明日一日を使い、よくお考え下さ——」


 閃光。


 無音で西から数度瞬き。

 強い光が夜を白く染め、

 それをモロに受けた翔は、

 目の前すら見えずグラついてしまう。

 視力が回復してから発生した方向を見れば、

 収縮ししゅうてん

 天に掛かるきざはしのように

 真っ直ぐとそそり立つ。


 出元はメトシェラ。

 行き先は空向こう。


 雨粒を逆回しにしたみたいに、

 実体無き枝を伸ばすように、

 それが無数に分かれて昇る。


 その先端に、花が咲く。

 遥か高みで花火のように、

 色とりどりのプリズムをばら撒く。


 以上を、何度も繰り返す。


「“出生の光バプティズマ”?」

 にしては、数も行先もおかしい。

「運が良いですわね?一月足らずの滞在でご覧になれるなんて」

 珍しい事だが初見ではない、くらいのものらしい。

「“懸立橋アセンション”。世界樹メトシェラが起こす奇跡の一つ。他のそれと違い、単に目を悦ばせるだけのものですが、神秘的でしょう?」

 オーロラのような、偶発的自然現象なのだろうか。

 それにしては、意思を感じるような気もした。

 翔はそれについて、詳しく問おうと隣を見て、



 息が、止まった。



 そこに居たのは、妖精の如きかそけき処女おとめ


 白の中でさえくっきりと、


 染まらず混ざらず万物を跳ね返し、


 然れどもまるで氷細工みたいに、


 透ける肌は逆側の色を通す。


 今にも溶けて消えてしまいそう。


 その横顔が、思ったよりも寂しげで。


——本当は、傷ついてたのか…?


 混乱が更に情を掻き混ぜ、


 備えも出来ずに届く、

 心臓の奥へと。


 ハイヒール姿に見慣れたせいか、

——こいつ、こんなに小柄だったっけ…


 思考が繋がらず、目を引き剝がす事が出来ない。


 と言うより彼に、その気が生じない。


 浸るように、考える事を止め——

「何ですの?わたくしの顔に何か?」

 その両目に訝しまれて、我に返った。

「あ?なんだ、いまの…」

 再回転が始まった頭で、何が起こったのか考えてみれば、

 見惚れていた?

——まさか、こいつに?

 彼の様子が崩れたのを見て、その昏い中でもよく見ようとし、

「どうしましたの?どこか、具合でも悪くて?」

 マリアはその身を乗り出して来た。

「おまっ…!」

 何度も確認してきたことであるが、マリア・シュニエラ・アステリオスは、美少女である。

 整った人形の如き非現実的な美貌と、確かに血が通った温もりある肢体を持つ。

 その「顔」に距離を詰められて、柑橘の匂いまでが鼻を過ぎれば、勝手に動悸が高まってしまう。


 酉雅翔。

 哀しき童貞であった。


 だが妙なプライドがある彼は、「お前から目が離せなかった」などと認められず、なんとか注意を逸らそうとして、

「お前、今の恰好でそういう姿勢取るなよ。開いてるから、その、色々と見えるぞ?」

 最悪のセクハラ野郎になった。

 

 幾度も奔るフラッシュの中、マリーは無表情に瞳孔を窄め、数呼吸の間停止した後、


 バシリと彼の頬を張った。


「な、何ですの!?最低!?不埒者!貴方わたくしに欲情するわけ!?」

「待ってくれこればかりは悪かったホントに」

 口では謝りながら、

 両手で体を抱えるように庇い、余裕を失くして赤面する彼女を見て、

 何故だかホッとしてしまう翔。


——やっぱコイツ、こういう「弱さ」を出してきゃ、もうちょい人気も出るだろ。


 利用する予定は無いが、

 超えるべき壁の弱点を見つけてしまった。


 微笑ましく見える少女を宥める内、


 雪の結晶のような艶姿の事は、


 やがてすっかり忘れてしまった。

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