2-19.揺れる者、うつろわぬ者 part2
「隣、いいかな?」
その美女は、境界席の老紳士にそう問うた。
南区の酒場、本来は店仕舞いの時間でもやっている、非合法店舗。
店主が酒を造る空間と、客が入る場所とを仕切る、その座席には今、彼しか居なかった。
そこに近寄って来た、妖艶な女性。
白黒の服は上下一体、袖は無く、動きやすいようにか設けられた切れ目から、スラリと肌色に光る脚が伸びる。
すれ違う男を振り向かせるだろう彼女を、
彼は、ちらとだけ認め、
「何の用だ?クリスタン」
逆に質問で返した。
「折角美女が遊びに来たんだから、もっと何かあってもいいんじゃない?」
隣から身を乗り出す彼女にも、煩わしそうに取り合わない男。
「というか、珍しいじゃん?ジィがお酒なんて?」
「やっぱりお嬢様の一件が
「そうではない。あの方はこの程度で落ちぶれはしない」
ただ、
「それでも整理の時間は必要だ。傍に誰も付けずに、な」
だから男は——ジィは、ここに居る。
「ふーん」
興味も無さそうに、出て来た杯を一口。
そして、戯れに聞いてみる。
「どう思う?今回の『追ぃ 放ぉぅ』」
多分に相手を煽り立てる色を含んだ声。
その真意は、認識の摺り合わせ。
「『どう』とは?」
「またまた~、それくらい気付いてるでしょ?」
クリスタンにはお見通し。
「おかしいじゃん?それまでの鈍さと、お嬢様が来てからの捜査の劇的な進捗。それらがまるでチグハグだよ?」
20日近く放置状態であったのに、「警邏隊結成」は提言した日に通った。
「そういう事も、あるだろう。漸く危機感が芽生えたと見える」
「そうだねえ。でも、こうも考えられる」
——全て、誰かさんの掌の上。
「王都は選ばれた者のみに許された聖域。その覇権の奪い合いこそが、今のアルセズを支えてる。戦いの無い生物は、衰退あるのみだからね」
故に、適度な生存競争が必要である。
「同時に、この王都の物資を食い潰し過ぎないように、間引きも兼ねることが出来る。まさに“一振りで虫二匹”!」
だからこそ、貴族達の追放遊戯が黙認されている。
「此度の事も、管理下であると?」
「そう考えると、色々しっくりこない?」
偶々王都に居た“
いつも通り中央大聖堂に居た筈の教皇が、毒の被害が本格化した時には権王と謁見していた。
アトラ・ヨシュ・アラフヌの死から一日経たず、背後関係が明らかになったと発表、ウェス・マンフィスリー子爵が拷問死。
性急どころか、同時進行の域。
アトラが
更には一部の貴族家・有力商社・評判の職工といった者達には、所属不明の兵の手で扉や窓が補強され、あの夜はしっかりと密閉していることを命じられたと言う。
エリザベスが次の婚約者として本決まりであることも、王太子と公爵家からは何の明言も匂わせもしなかった。そういった牽制が無かったから、「彼らの断絶が決定的になっている」、その一縷を捨てられなかった貴族も多かっただろう。
それが、呪いの成就を後押しする。
それらが八百長の結果と言うなら、確かに筋が通る。
落とし所は決まっていた。
加減を間違えた貴族達を追い落とし、
居ても居なくても変わらない平民の口減らしも行い、
不穏分子たるアトラを排除・見せしめとし、
兵士・貴族・
「勇者」に必要性を感じるよう思想誘導し、
マリアの追放も自然に行い、
不信は全て彼女が背負う。
「企てとしては不確実な段階が多いようだが?」
「別に失敗しても、アトラかお嬢様が罪を被ってくれるからね。しっかり当たるのが理想だけど、それが駄目でも損はしない」
どちらにせよ、マリア・シュニエラ・アステリオスへの処断は変わらない。
今後一切王都に戻らず、果て無き闘争の矢面に立て。
あらゆる怒りをその身に受けて、墓の下まで諸共に没せ。
「すっかり生贄にされちゃったねえ。誰かさんは、見事な
「次の王の治世で、
マリアが追われ、国は盤石に。
この流れは、けれど既に予測されていた。
いつか、この日が来るだろうと。
だがそれでも、吞み込み切れないのが
ジィとて、例外ではなかった。
「お前は、どうするつもりだ?お嬢様に付いて来るのか?」
「そりゃあね、一応お仕事ですから。貰ったお給金の分はしっかり働かないと」
予想通り。
これで治療役は一応確保。
「ジィは勿論来るでしょ?」
「当然だ。この身命の全ては、あのお方の為にある」
「生まれて来た理由は何か」、もし彼がそう尋ねられたら、迷わず彼女の名を挙げる。
あの夜から、そう決まっている。
他の召使隊は、どうするだろうか。
特に——
「ユーガ・カケル。あの男についてはどう考える?」
絡まれたついでに、彼女に訊いておく。
「坊や?そうだね~、私としては、どっちでもいいかな?役に立つか立たないか分からないし、大きな利点も無いんだよね~」
「私としては」、そう言った。
ならば、
「“マリア・シュニエラ・アステリオス専属召使隊侍女長クリスタン”としては、どう考える?」
「え~、それ聞いちゃう?そんなの決まってるじゃん。お姉さんは勿論——」
——絶対に御免だよ、あんなガキ。
声音も表情も変えず、慈悲を見せずに言い切った。
「自分を有能だと思ってる迷惑者。無常識で無遠慮・無礼・更には不安定。だけど変に頑固だから、成長・変革も期待できない。抱えとく利点無くない?」
「戦力としては申し分ないように見えるが?」
「単なる無能なら足を引っ張られるだけだよ。でも彼の場合、沼の底まで引き込むのさ。なまじっか頭が回って、何事か仕出かすから厄介なんだ。あれは、そうと気付かず破滅に邁進する類のアルセズだよ。それも、周囲を巻き込んでね」
共に居る者は彼に
「予言するよ。いつか誰かが坊やと一緒に、なんだか気が大きくなって、仲良く奈落へ身を投げるよ。ライ君には既にその兆候がある。引き離すなら今だね。でないとその内、お嬢様まで取り込まれて、わる~い遊びを覚えちゃうよ?賭けてもいい。彼をこのまま伴えば——」
——必ず後悔する事になる。
その忠告に対し、
「なら、賭けるか」
答えはそれだけ。
「なんて?」
「もし彼がお嬢様との同行を望んだ時、私は『後悔しない』に賭ける。お前は『後悔する』。勝った方が、負けた側に一つ、強制できる」
クリスタンは、彼がとうとう耄碌したのかと思った。
それはあまりに、こちらにとって都合の良過ぎる条件だったからだ。
勝てない戦いをわざわざ吹っ掛け、賭け金として積むのが己の自由。
だが彼の目は、理知的な
気になる所もあるが、しかし乗らない手は無い。
彼女の目的を果たす、その決定打になり得るのだから。
「二言は無い?」
「無論」
「乗った!」
「良かろう」
こうして、
当事者の与り知らぬところで、
カケル・ユーガが鍵となった。
だが前提として、彼がマリアを選ぶ必要がある。
決断が、待たれる。
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