2-12.夜半の解明

「大分、寒くなってきたものだな」


 男は、そう独り言ちた。


 今の正確な時刻は不明。

 鐘の音が鳴らなくなって暫く。

 通りはすっかり黒一色。

 屋敷の時計まで売ってしまったのは、少しやり過ぎだっただろうか。

 

「この年になると、冷気が骨身にこたえていけない」

 愚痴りながらも、歩幅も歩速も変わらず。

 黒々とした道を、水桶片手に静かに進む。

 その生涯を懸けた、最高の作品を。

 それが気力となり、彼の「意味」となる。


 ポトリと、


 服に何かが落ちた。

 雨粒だろうか?だとしたら、少し困る。

 今日は降られると、不都合である。

 立ち止まり暫く空模様を見たが、明るい星々に翳る様子なし。

 問題なさそうだ、再び目的地へ急ぐ。

 道中何度も背後を振り向き、尾行されていないことを確認する。

 彼の「力」があれば、ほとんど安心ではあるが、念を入れるに越したことはない。

 長く歩いた後、目の前に上水路と下水路の交叉点。彼はそこに降りて、そのまま下水道を行く。

「最初は迷路のようであったのに、今や慣れたものだな」

 これまで積み上げて来た月日。それで逃げ道も潰してしまった。

 自らの所業が、「衝動」や「突発」といった擁護のしようがない、心からの背信・非道行為であると実感する。

 それだからこそ、やらねばならない。



 それより他に、声を上げる術を、知らないのだから。




 やがて、その場所が見えて来る。

 老朽化や非効率を理由として、凍結された「水路だったもの」。

 その内の一つ、岩のような何かで閉じられた場所。

「捨てられたみちの屍に、骸共を隠すなど。我ながら洒落ていることだ」

 さあ、すぐ近くで流れている水を汲み、奴らに与えなければ。

 大仕事になる。さっさと取り掛かって——

「む…?」

 反応。

 権能ボカティオが接近を検知。

 それもかなりの駆け足だ。

「まだこの辺りを調べているのか?」

 焦れったいが仕方ない。ここは一時身を隠し、過ぎ去るのを待って——

「なん…!?」

 反対側からも反応。

 それも、通路のどちらに進もうと、必ず出くわす布陣。

 凄まじい速度で、包囲網が完成していく。

けられた…!?」

 どうやったのかは分からないが、彼の位置が完璧に把握されている。

 彼は水桶を満たし、道を塞いでいる「岩」にかけようと足元が弾け飛んだ!

 つんのめった彼は、桶を取り落とし水をぶちまける。


「貴方を縛りに来ました。大人しくご同行頂くのが、その御命の為ですな」


 光を吸う緞帳の陰から、進み出る黒い燕尾服。マリア・シュニエラ・アステリオス専属召使隊執事、ジィ・ドー。

 反対側からは、同じく召使隊所属の新顔、カケル・ユーガ。その更に前に居るあれが、件の「影」、カケルの権能ボカティオの産物、ルサンチマンだと分かる。今男の足を止めたのは、その影が持つ「銃器」とかいう物だろう。50サンタメトロ程の、四角に近い外見をしている。

 その他にも続々と、王都の番兵がつどっている。

 訓練通りの隊列で、鼠一匹逃さぬ気迫。

「我々の網は、既に完成しておりますぞ——」


——


 言われた男は、

 アトラ・ヨシュ・アラフヌ伯爵は、


「思ったより早いな」

 狼狽えることなく、そう言った。


——————————————————————————————————————


「どうやって、私の位置を掴んだ?」

 

 アトラ伯爵の最初の疑問は、それだった。

「私の織劾縄縛アラクネーが張り巡らされた範囲、その外から私を検知できる者は、居なかった筈。しかし君達は、確実に私の正確な座標を知っていた。それも、私が君達に気付く前から、だ。どのようにして——」

「大変お心苦しいのですが」

 ジィに、容赦するつもりは無い。

「今は、我々が訊ねる時間ですぞ。答えるべきは伯爵、貴方の方でございます」

「まあそう慌てるな。まず、私の容疑が確定していなければ、その詰問は成立しない。故に——」

 「言ってみてくれ」と、伯爵は待ち受ける。

「何がどうなって、私が『首謀者』だと?」

 ジィは両手に短刃を構えつつ、一部の隙無く語り始める。

「わたくしめは、訳有って今この場にいらっしゃることが出来ない、我が主マリア・シュニエラ・アステリオスお嬢様の名代でございます」

 「訳」とは当然、「汚い場所に踏み込む事を、マリアが渋ったから」である。

「よって、これからお話します賢明なる推理は、お嬢様のものであるとお考えください」

「良いだろう、聞こうじゃないか」

 侍従を介して、公爵令嬢と伯爵が対峙する。

昨日さくじつ、お嬢様の御屋敷にいらっしゃった際、貴方は『特別警邏隊』の編成を要請した」

「如何にも」

「その際、貴方はこう仰った」


——何しろ、ほろ時雨でしたからな。


 アトラ伯爵はあの時点で、既に知っていたことになる。

 “ふウりぁエさま”の手順が含む、「雨の日の夜」という文言を。

「その時お嬢様は訝しみつつ、貴方の背後に既に調べ尽くした者が居り、その者が伯爵を遣わした、そうお考えになった」

「私が自力で調べたとは思わないのかね?」

「お嬢様曰く、『芸術に秀でていたからこその爵位であり、貴族に聞き回りながら此方に気付かせない、そんな芸当が出来る人物ではない』と」

「これはこれは、手厳しいことだ。そして正しい」

 ここまでなら、単なる使い走り。


「しかしその夜、我々警邏隊にぶつけるようにして、骸獣コープスの大量発生。これまでも昨夜のような規模で出現していれば、流石に見廻りの目に入ります。つまり、昨晩は運悪く、一斉に這い出して来る特殊な日だった」

 そんな偶然は、早々無い。

 隠された作為を探すのも、当然と言える。


「更に翌朝。行方不明者はその全てが食われていたと、それがほぼ確定した。当然貴方様のご息女も。にも拘らず、貴方は一切崩れなかった」

「取り繕う能力に於いても、信用を得られていなかった、という事か」

 ここでマリアは、方針を変えた。

 容疑者を探す所から、それを事実として詰める段階へ。


「この度の件に深く関わる『おまじない』。それの成功例を調べてみれば、何のことは無い、貴方の仲介で縁談が取り持たれた、それだけの話でした」

 伯爵が全力で応援する下級貴族の婚姻。容易に成立する筈である。

 彼はここでも、事件に関わっていた。

「銀貨でも握らせ、女中を抱き込みましたかな?」

 「こういう『おまじない』があると、主人にそれとなく伝えてくれ」、それだけでそこそこの金になる。小間使いとしては、臨時収入としては無視する手はない。


「お嬢様は、貴方のご息女であるレン・アラフヌ様の事も、覚えておいででした。ここ数ヶ月、会っていない事も」

「……そうだったか…。あの方は、そういう所があるからなあ…」

「貴方が雇っていた家庭教師にも確認致しましたぞ。矢張り、半年程前にいとまを出されていました」

 伯爵の娘、レン・アラフヌが消えたのは、ここ数日の事ではない。

 事件が起こるよりずっと以前に、既にその行方が途絶えていたのだ。


「半年前と言えば、貴方の爵位が召し上げられ、伯爵へと降格になったことのと同時期でございます」

 そう、アトラ伯爵は元は侯爵だった。最初は聞き流した翔だが、よく考えればおかしな話なのだ。


 爵位を奪われる程の失態を犯して、何故王都から追い出されないのか?


「侯爵位の剝奪理由は、詰まらぬものでした。複数で結託して、不敬な発言を告発する」

 でっち上げるのも簡単な罪状。つまり実態はそうではなかった。

「その際何らかの取引があり、ご息女が連れて行かれ、貴方は王都追放を免れた」

 それが、動機。


 翔の知るローマの女神「フリアエ」は、

 である。


 その一致は、偶然か。

 誰かが意図したものか。

 

 これは、父親の復讐劇なのか。


「それで?私を尾行した経緯は分かった。だが、私を糾弾できる謂れは無いのではないか?」

「あんたがさっきから背中に庇ってる、その塊を調べさせてもらう」

 翔の言葉に、伯爵の笑みが深まる。


「“秘匿された生命活動クリプトビオシス”。そこにあるのは、『死んだように眠った』骸獣コープス、そうだろ?」


 側面に三対、後ろの先に一対の脚。

 その部分だけ見れば、よく似た生物を翔は知っている。


 かん動物。

 より知られた名で言うなら、クマムシ。

 乾眠かんみんと呼ばれる仮死状態で、過酷な環境を乗り切ることで有名な、あの“クマムシ”である。


 緩歩動物門の歴史は、カンブリア紀まで遡ると言う者も居る。

 特筆すべきは、その不死性。

 クリプトビオシスに入ったクマムシは、乾燥している上代謝機能は停止。やろうとすれば、そこから更に水分を抜き、全体重の3%にまで減らしても、なお完全には死なないらしい。


 そして水をかければ、再び動き出す。


 とは言っても、ここまで便利な生態でも無かった筈だが、そこは異世界。似ているだけで異なる生物種なのだろう。


「それに水を与えて、復活させようとしてたなら、それは立派な証拠になる。違うか?」

「しかし私は昨日、南区方面警邏隊の連絡役だった。私の権能ボカティオの範囲も、流石にそれ程広くない。君の言う事が本当だとして、それらに水を遣る事は出来なかった」

「アロ男爵あたりを使えば可能だ。そしてあんたは自分の不在証明を作った。もし男爵が目撃されて、今日俺達がそっちを監視していたら、警戒されていないあんたは悠々と此処に来れる。そういう魂胆だったんだろう」

「昨夜の騒動で、主要戦力の皆様は疲れ切っておいでです。その翌日が晴天ならば、気を抜いて休みたくなるでしょうな」

 そこに、緩みが生じる。

 守りが、万全ではなくなる。

 本命は、警邏隊が組織された後、雨が降った夜の、

 

 その次の日。


 だから今日、行動に移した。


「おっさん、何でだ?」

 翔はまだ、嚥下出来ていない。

「あんなに良い物作って、楽しそうに語れるあんたが、何であんな——」


 脳裏から離れない、ガラス玉みたいに空っぽの琥珀。

 人の身体が、設計されていない方向に、曲がって歪んでへし折れて。

 それでもなすが儘になるしかない。

 それは既に空っぽだから。


 作品と作者の人格は別。それが翔のスタンス。

 それでも、問わずに済まされない。

 「何故」と、

 聞かずにはいられないのだ。


「カケル、話を聞くのは後にしますぞ。どうやら、今は何も語る気が無いようですからな」

 ただ疲れたように、ニコニコと座り込む伯爵を見て、答えを得るのを諦めた。

 彼を捕らえるべく、接近し——


「待て!何だこれは!?」


 叫んだのはサロー。

「急にこんな巨大な…!と言うより、近過ぎる!何処から!?」

「なんだ!何がどうした!?」

 何が言いたいのか。

 何に怯えているのか。

 それが伝わってこず焦りだけが波及する。

 更に突発的な揺れ。

 足元が上下に震え上がる。

「褒美に一つ、教えておこう」

 そこに添えるは、アトラ伯爵。


「水分を与えるという行為は、『合図』或いは『点火』でしかない」


 一度、一滴でも手に入れたなら、その瞬間に吹き返す。


「染み渡るのに、時間が必要だった。漸くお出ましか」

 翔は伯爵の足元を見る。

 土で固めたらしいその足場は——


「しまった!爺さん下だ!やられた!」


 言うと同時、


BmmmMMMMバモオオオオmmMMmmmmMmオォォオオォオオォン!!」


 地を突き破って、巨蟲が覚醒する!


 とびきり太くそして長い、

 一目で分かる虎の子!


 足下に隠されていたそれは、ひっくり返された桶の水を感知すると同時、クリプトビオシスを終了。

 更なる補給をすべく水路へと顔を突っ込んだ!

 その際振り回された長躯で兵士達が蹴散らされる!

「兄弟!コイツ!まずい!」

 当然翔達も無事では済まない。

 視界不良の上立っていることさえ困難!

 攻撃態勢に入るのが遅れた上に、

 全員が伯爵を見失った!


 激動の中で翔の耳は、


 その声を辛うじて捉えていた。



  糸よ

  どんな間隙にもる程細く

  如何いかに遠くとも届く程長い

  糸よ

  汝は全てを見る事が出来る

  汝は全てに触れる事が出来る

  ならば目一杯に広がって

  そうして我らに教え給え

  空の

  大地の

  湖の先の

  遥かな楽園は

  どうなっているのか

  大いなる父は

  慈悲深き母は

  我らを見守り

  微笑んでいるか

  私が織るから

  結び繋ぐから

  ここにあらわ


「“織劾縄縛アラクネー”!」


 権能ボカティオが、完全発動した。


 伯爵が、臨戦態勢をとった。


 骸獣コープスが下水を遡り、地上に出ようとしていた。


 そして王都が、


 戦場になった。



——————————————————————————————————————

Tips:カンブリア紀…単なる水溜まりだった地球が、「生命の星」となる、その切っ掛けとなった時代。それまで小規模勢力だった「生命」が、ある時を境に「いきなりそんなに張り切ってどうした?」、と聞きたくなる程、その種類と数を急増加させた。「カンブリア大爆発」と呼ばれるこの現象は、生命史における最大の転換点の一つと言える。

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