2-11.夕暮れの究明
「難航、いや、行き止まり?」
ヴゥルカーの一言を否定出来る者は、その部屋の何処にも居なかった。
散々水路を駆けずり回り、それで分かったのは一つだけ。「隠れている・いたとは思われない」。乃ち、不可能がより浮き彫りになった。
現在彼ら召使隊は、再びマリアの居館、その応接間に集合していた。
ただ、全員ではない。
主であるマリアと、執事のジィ。その二人は何らかの調査を続行中だ。
彼らの頭を悩ませているのは、芋虫達の出所、
だけではない。
生態を解明すべくその腹を開いていた、解剖班からの報告だった。
曰く、
中身が溶け出していた、と。
死んですぐ、水分が抜けた殻のように固くなり、表皮を割くのさえ苦労したというのに。ここに来て、更なる証拠隠滅機構。どこまでも念入りに足跡を消す、その徹底した意識が伝わって来る。
今彼らは、最速で「殻」を突破すべく奮闘中である。その中の身体が、切れ端でも残っていると信じて。
「結局分かったのは、芋虫の外形くらいか」
脊椎は無く、見た目通りの節足動物だと思われるが、そもそも骨まで溶けているなら確かめようが無い。
口にある牙は、麻痺毒や溶解液を分泌すると思われる。口内に
「ドロドロにして残さず食えば、サッと消えたも同然、ってかあ。ウエッ」
「その上自分の中身まで消しちまいやがる。面倒な奴だな」
「エストちゃんなら、そのうちコツを掴むだろうけど…」
「もう多分、全部、中身、原型、ない」
他に彼らに残された道は、次の出現に備える為に、その外側の形から、奴らの動きを予測すること。
「前側に三対、体の後端にもう一対の脚、だって~、何だと思う坊や?」
「比較的規格の大きい足には、吸盤に似た器官がある…。普通に考えれば、
「ピタッてやって、パクッてこと?あんまり長くねえし、注意しなくてもいいか?」
「壁、登る、為かも」
「ああそれもあるか…」
「そんなに速くは動けなさそうだけど」
「いいえ姐さん。悲鳴一つ上げずに何人も食われてます。瞬間的な挙動は、決して侮れません」
「ま、喰い付く動作は異様に速い、っていうのは全然あるよね…」
「つーか、足が尻に付いてンのは何でだヨ?」
「それこそ壁登り用——」
——待て。
形状に気を取られて、気が付かなかった。
だが、より大きな視点で俯瞰した時。
この生物はまるで——
「だがそれは地球の話で…、いやだが、生き物は似ている」
牛・豚・鶏・土竜・海豚に蚕等々…。地球とよく似た生態系。
言葉や単位もそうだが、ここパンガイアは翔の故郷と、相似のような関係を持つ。
例の「ふウりぁエさま」だってそうだ。彼の知る神格とよく似た名前。
鏡合わせであるかのように、二つの世界はほど近く、だからその間を転移できた。そう考えても不自然ではない。
だから、
この構造が、彼の知識と合致するなら。
「アニキ…?」
「姐さん。あのサローって兵士の
「え、ええと…。どうだろ?体積に対する水分の割合?それとも呼吸とかの代謝機能そのものだったっけ…。ちょっとうろ覚えだねえ」
どちらであっても、すり抜けられる。
だが、それが本当だとして、どうする?
どうやって、見つければいい?
「皆様!何か良い案はございまして!?」
バーン!
と、
蹴破ったのかと思ってしまう程、勢いよく開かれるドア。
ジィ・ドーを控えさせ、恒例の仁王立ちで、マリア・シュニエラ・アステリオスの御登場である。
「潜伏方法は分かりましたの!?」
「今アニキがなンか閃いたところー」
置いてきぼりを喰らって、つまらなさそうに言うアライオ。
それを受け、疑わしそうに目を遣るマリア。
「カケル?何かお考えが?」
「どうやって隠れているか、それは何となく分かったかもしれねえ」
「え、ホントに!?」
突然興味を示すアライオを抑え、彼は少女に求める。
「だが出現を防ぐ方法がねえ。だからお前の方で『裏切り者』を見つけて欲しい。大至急だ。怪しい奴全員の名簿を作って——」
「今更何をおっしゃりますの?」
彼女は、不思議でたまらないという顔で、
「どなたが敵か。そんなことはもう、今朝の時点でほとんど確定してますわ!」
そう宣言した。
「え、は?何?」
「分かっていないのは、『何故』と『どうやって』。『何故』の部分は誰かのお心を覗く行為ですので、深みに嵌る恐れがございますわ!ですから、わたくしは申し上げましたのよ?『方法を探せ』、と」
分かっていた?
この連続殺人事件の、
その元凶が?
「じゃあなんで捕まえねえんだ!」
「で!す!か!ら!『ほとんど』ですわ!九割九分決まっていても、残りの一分が詰められなければ、それは根拠無き言い掛かりも同然ですわ!確たる証も無しに高位貴族を拘束など、いくらわたくしでも直ぐには難しいですわよ!」
——時間があれば通せるのかよ。
という指摘は今は置く。
それより優先されるのは、
「だとしたら、一気に手段の幅が増える。こっち側から——」
——仕掛けられる。
「しかしこれ程慎重な者が、そう簡単に尻尾を掴ませますかな?」
「ライ!」
「え?何?」
それは、二人で実験を繰り返した、あの朝から考えていたこと。
「お前に“成長”してもらう」
「ん?え?」
彼の
「それでお嬢、誰が敵なのかを教えろ。俺達をここまで揺さ振ってくれた、そいつは一体何処のどいつだ?」
それを聞いて、詳細を確認し合い、罠に嵌める。
「いける」、翔は確信した。
高揚する彼に対して、
「わたくし達が対峙するのは」
マリアが教えた名前とは、
「————」
——は?
一気に頭が冷えた。
「え、いや、それは…」
「ま、素直に考えて、それが一番可能性高いよね」
「素直に…」
そう、「素直に」考えれば、分かることだった。
仕組んでいる誰かが居るとして、その条件に最も近いのは、
その人物だ。
翔だって、最初は疑惑を抱いていた筈だ。
ならば、
何故今まで、
そこに至れなかったのか。
彼は、案外動揺している己を見つけた。
そしてついさっきの、特殊に過ぎる会話を思い出していた。
マリアがひと悶着を起こした、そのすぐ後。
「カケル・ユーガ殿はいらっしゃいますでしょうか」
歩哨が一人、彼を呼びに来た。
心当たりと言えば、たった今お嬢様と揉めていた、その話くらいだ。
確認事項でも発生したのか。翔としては、別に拒否する理由も無い。
一応ジィには報告したが、「かしこまりました、陽が落ちるまでには戻すよう伝えておきますぞ」とだけ言われ、特に関心も向けられなかった。
だから、大した用でもないだろうと判断し、ホイホイ付いて行ったのだ。
最初に「おかしい」と思ったのは、案内された先が
まだ午後の始めだがそれなりに盛況で、これから夕方、そして夜に近くなるにつれて、人がより多く集まって来るのだろう。それを考慮すると、大層人気な店なのかもしれない。
次に翔だけ座らされた後、兵士が何処かに行ってしまったのも、翔を不安にさせる。
店員に貨幣を渡し、二言三言交わしただけで、外へと出て行ってしまったのだ。
普通監視役が付くのではなかろうか?それとも私服警官よろしく、密かに配備されているのか?居ないなら不用心だし、居るなら彼相手には大袈裟である。
因みにジィの話によると、銅貨一枚でパン一個分に相当し、それが100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚に当たるらしい。意外と食料が高騰していないのが、これまた謎な点である。金属も一緒に高額になっているのだろうか?
さっき手渡されたのは、銀貨3枚程。何も出て来ないところを見ると、注文料金ではない。
そんな意味不明な状態の彼を、店側の誰もがいないように扱うのが、更に気味が悪い。
これは、「慣れている」ということだろう。今まで何度も、こういった使われ方をされて来た。だから、今更目を見張るべきものでもない。仕事として、無関心を装う事を徹底する。そんな洗練が見て取れた。
——暗殺用の定番ロケーションとかじゃねえよな?
待てど暮らせど何も起こらず、不安になって来た彼は、そんな可能性まで探ってしまう。
隙を見て逃げ出す事も考え始めた頃に、
「やあすまない。意外と後処理が長引いてしまった」
その男は、来た。
一瞬、誰だか分らなかった。
トレンチコートによく似たカーキ色を纏い、ハンチング帽らしきものを目深に被る。
その男だけ、時代が数世紀分進んだかのような、異様な風体。しかし、人によってファッションセンスがバラバラなこの王都では、そこまで目立たないようだった。
その顔が上げられ、目が合った時、気付いた。
「こ、これは——」
「おっと、いいから、楽にして欲しい。お察しの通り、お忍びなんだ」
細められた目元だけでも笑ったことが分かる、そのにこやかで、しかし油断も隙も無くしなやかな気配。
バシレイア統一君主国王太子。
ヨハン・アポストロ・バシレイアがそこに居た。
「…何故此処に?」
上げかけた腰をゆっくりと下ろしつつ、聞いてみる。
「行きつけなんだ。彼らの暮らしを視察する、そんな時はいつも此処を経由する。事情を分かっている隠れ処があると、色々と楽なのさ。ほら、こんな場所、と言うと失礼に聞こえてしまうかもしれないが、南区の酒場に『王子様』が居るとは思わない。だろう?」
「王子様」の部分は、もしかすると嫌味かもしれないが、しかし理解は出来る理由だった。
「素晴らしい取り組みでございま——」
「だから君も、私の正体が気付かれないように、敬語を一旦止めてくれると助かるのだが、どうだろう?」
「…まあ、貴方がそう言うなら」
腹芸の一種かもしれないが、知識不足故切り返しようがない。よって素直に従うことにした。
「なら俺を呼んだのは、どうして?」
「今シャラムに戻ると、どうしても仕事に忙殺されるからね。誰かに話を聞くだけなのに、外でないと時間も取れない」
「個人的興味ってことか?」
「それもあるね。けれど、今起こっている事件に、そしてこの国の未来に関わる事項でもあるんだ」
国の、未来。
翔を呼び出して、何を占おうと言うのか。
ヨハンが端緒に選んだのは、共通の話題。乃ち連続殺人事件。
「今回の件、君はどう見る?」
それに対する答えは明確。
「…仕組んだ奴が居たら、相当な屑だろうな、とは思う」
「ふうん?それは、何故かな?」
「やり方が汚い、だけならまだいい。目的を達する為には、それしかない場合もあるだろう。だが今そいつがやってることは、自分が食われる将来への道を、せっせと舗装することだ。ここで栄華を極めても、遠からず国が滅び全て無意味になる。自分の居た証を死後に先へと残す、その術が無くなる」
「目的」が、達成した端から崩れ去る。
「俗っぽい動機の割には、生存戦略として下策中の下策。だから、『屑』だ。10年先100年先、それを見通す想像力がねえ。近視眼的馬鹿にしか見えねえ」
「成る、面白い」
ヨハンは、本当に面白がっているように、何度も笑顔で頷いていた。
「本当に、面白いな、君は」
どちらか?
お眼鏡に適ったのか?それとも失望させたのか?
鉄仮面のように強固な
気分は目隠し綱渡り。
「それなら、こうは考えられないかな?」
ヨハンは一頻り首を振った後、
「これは、出世の為の、どころか」
真っ直ぐ
「利得の為の事件ではない」
そう推し量る。
「………それは…」
通っている、ように見えて、何の情報も無い。
「言うだけタダ、と言うべきか…」
それを聞いたヨハンは、
「クフッ」
何か、琴線に触れたらしい。
「クックックックッ…、確かに、道理だ…ククッ」
今度こそ間違いなく、愉快そうに笑い出す。
「マリーが君の事を気に入ったのも、何となく分かる気がするよ」
流石にそれは聞き捨てならない。
「『気に入る』ぅ?それはない。むしろ険悪で——」
——おい待てこいつ。
「あの、一応言っときますけど、俺はあいつとどうこうなろうとか言う気はないですし、あっちも俺の事は嫌ってますよ」
少しの間、言われた事を頭の中で咀嚼して、
「ああ、君がマリーと接近して恋仲になると、私がそれを憂慮して、こうして探りを入れていると。そう思っているのかい?」
「とんだ誤解だよ」と、また笑う。
「そこについては心配していない。私が言った『気に入った』というのは、そうだね、『興味を持った』とそう言うべきかな?」
それなら、分からないでもない。
彼が召し抱えられているのは、あのお嬢様が「銃器」を「気に入った」からである。
「貴方も、『銃』目当てですか?」
「敬語が戻っているよ?そして質問に対する答えだが、私が興味あるのは、君の
「同じ事では?」
「違うさ。言っただろう?
——とても気になる。
「蛇に睨まれた蛙」、である。
言うまでもないが、「蛇」がヨハンで「蛙」が翔だ。
この青年は、利用価値以外で人を測れるのだろうか。
この世界をより良くする。
その為にどこまで役立つか。
それで“価値”を判断する。
そうやって使われることが、誰にとっても幸せだと、信じて疑わない。
それが、ヨハン・アポストロ・バシレイア。
——天敵だ。
翔はそれを再認識する。
「自分の為の世界」を作りたい翔と、「世界の為の自分」に成りたいヨハン。
相性としては最悪である。お近づきにはなりたくない。
そういう意味では、「自分の為に既に世界がある」と、そう慢心するマリアの方が、まだ話が合う方である。
「まあ、頭の片隅にでも入れておいてくれ。その発想が、後々役に立つかもしれない」
「俺のような新参に、解明者となるのを期待するのは、ちょっと無責任じゃないだろうか?」
「
ヨハンは、翔から目を逸らさない。
「報告によると、君は
「…偶々、そういう記憶が蘇っただけだ」
「ということは、元はさぞ知見の広い、研究者か何かだったのかな?」
「さあ、俺にはなんとも」
翔もまた、意地でその瞳を
「これからすぐ、君はとある二択を迫られる」
そんな彼に、ヨハンは予言めいたことを言う。
「それは君の命を、未来を大きく左右する。だから、よく考えて決めて欲しい」
それは冗談や
「君がどちらを選ぼうと、我々バシレイア統一君主国は、それを受け入れると約束しよう」
「そういうの、貴方の一存で決められるのか?」
「アルセズの命一つであれば、容易くね」
恐ろしいことを何てことなく言ってのけ、ヨハンはそこで席を立った。
「名残惜しいが、時間だ。なかなか楽しい時を過ごせたよ」
翔の方は、肝が冷えっぱなしだったが。
「また、話せるかな?」
「お互い生きてれば、或いはそういう縁もあるでしょうよ」
適当に言ったのだが、「それもそうだ、お大事に」と、爽やかに返された。
最後まで、腹の立つ程、余裕綽々な男だった。
「利得の為の事件ではない」。
「“ふウりぁエさま”…、そういう事なのか?」
今思うと、あの男は分かっていたのだろうか?
裏切り者の正体も、彼が動いたその理由も。
ならば、これから起こることは、
全て——
——あの男の思惑通りか?
翔は暫く、
疑問の渦潮から
抜け出せなかった。
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