2-10.一夜明けて


「やはり、ここに隠れるなんて不可能です」


 兵士の言葉で、その難解さは明確となった。

「私の感知は絶対です。生きている以上、逃れることは出来ません」

 なら奴らは、ここで生まれたとでも言うのか。

 彼らは、暗礁に乗り上げていた。



 

 昨夜王都に出現した獣等級は、総数17体にも及んだ。

 十二幹ドゥデカの内三名が駆り出される大騒動に発展し、早くも市民の間で新たな怪談が生まれている。

 可能な限り「静かに」事を収めたが、全く感付かれないのは不可能だった。

 それでも兵数に損害は無く、平民一名以外の死者無し。この突発的異常現象に対して、大戦果と言っていい。折良く特別警邏隊が組まれていなければ、大変な事態へと発展していた。

 しかし。

 オウリエラが昇った前四刻、合流した即席の隊員達は、皆浮かない顔をしていた。

 

 未だ、敵の姿が見えてこない。


 王都への侵入方法も、潜伏手段も一切が不明。一部の兵が辛うじて、水路から這い出る姿を見たのみ。

 けれどピシオン運河流域にも、見張りは当然付けられていた。

 つまりあれらは、最初から水路内に潜んでいたことになる。


 誰にも見つからずに。


 下水路内には、専用の掃除屋が居る。

 “穢徒”と呼ばれる彼ら被差別階級は、食う為の糧として、そして寝床をより快適にするために、暗くジメついた水路内を整備し続ける。日がな一日、年がら年中。それで、王都に辛うじて染み付けている。

 一匹や二匹であれば、出くわした瞬間に食ってしまえばいい。彼らの数が減ったところで、「地上」の住民には気付かれない。

 だが20体近い巨蟲が這い回り、全く騒ぎにならないなんて、考えられない状態である。そんなに不確定な展開を、骸獣コープスが期待するとも思えない。


 そこまでで、議論が詰まる。

 東区の礼拝堂にて集合した、「捜査本部」の一同は、隠れ若しくは抜け道を、探す方針で同意した。

 王都の研究者達は死骸を解剖し、手蔓を探し始めていると言う。

 発言権が無い翔はそれに耳だけ傾けつつ、前席の背凭れに頬杖をついて、壁に掛かった衣を見ていた。

 暇だから、ではない。


 吸い込まれたから。


 絹製だろうか?全体的には狩野派の絵画のような、幻想的な金箔を思わせる下地。雲の先まで届く大木の、その樹上に住まう人々が描かれている。雲海の切れ間から、下を流れる河川も覗く。繊細な「染め」によって色付いて、濃くはっきりと描かれているようで、淡く幽玄な雅さも持つ。こういった模様には「型」を利用する筈だが、形の使いまわしがほとんど見られない。せいぜいが葉や枝がテンプレートなことくらい。樹木が成長する際、同じパターンで分化していくことを考えれば、その表現は寧ろ正しいと言える。


 構図としては、中央やや右にある太陽、いやオウリエラに視線が誘導され、そこから徐々に周囲へと目移りするようになっている。雄大な自然に包まれて、笑って生きる衆生達。

 神秘的。

 酉雅翔を以てしてそう思わせる、それだけの迫力と想いが宿っていた。


 だが彼が気になっているのは、そういった煌めく部分ではない。


 では何を見ているのかと言えば、それが分からない。

 明確に言葉に出来ないが、嘗め回すように検めてしまう、そうさせる程に意識を引っ張る、そんな何かが


 そこに在る。


——なんだ…?

 

 その正体に迫らんと、彼が身を乗り出した時、


「お気に召して頂けたかな?」

 

 すぐ後ろからそう訊かれた。


 振り返ると、アトラ伯爵が静かに微笑んでいた。

 そこで漸く、周囲を見渡す余地が生まれた。それぞれが役割を言い渡され、黙々と持ち場へ向かっている。

 言葉すらはっきりと聞き取れるくらい、近くにいるのは彼と伯爵だけだ。

「こ、これはアトラ・ヨシュ・アラフヌ伯爵。何故私のような——」

「ああ、よい、そういうの、今はよいのだ」

 穏やかな態度のまま、その衣の前に立ち、


「我々は今、『芸術』の前にいるじゃないか」


 それを愛おしげに眺めだした。


 翔は、昨日聞いた彼の「収入源」を思い出す。

「もしやこちらは…」

「如何にも、私から寄贈させて頂いたものである」


 矢張り。養蚕業を営んでいる、伯爵ならではの贈り物というわけだ。

 

「申し訳ございません。浅学故に、どちらの方の作品か、見当もつかず…。ご高名な方の手によるものでしょうか?」

「まあ待て、焦ることは無い。外側を探る不粋は、知りたがりたるアルセズの悪い癖だ」

 はぐらかしている、と言うよりは、純粋な感想が知りたいようだった。

「もっとしっかり見て、言葉にしてみてくれないか。君が今、何を感じているのかを」


 言われて翔は食い入るようにそれを見る。

 言葉によって相手を絆す、珍しく彼の得意分野だ。

 が、今回捻りは要らない。ただ心から賞賛するのみ。

 「素人の見解で大変お恥ずかしいですが」、という保険はしっかり忘れず、


「まず色使いに惹かれました。ともすれば『くどい』と感じさせてしまう配色で、これほど儚い印象を与えるには、どうすればいいのか…。そして、多種の型を使ったと思われるのも、気の遠くなる程の手間と執念を感じさせます。普通は、同様の図形ばかりになるでしょう。光の表現も、布に反射する自然光まで考慮されていて、内側だけで完結しないものとなっています。また、どこを見せたいのか・何が主役なのかが分かりやすく、そこに主題があることも示しています。それに——」

「それに?」

「まだ分からないのですが、どこかズレているような…、あ、その、誤っているというのではなく、それによって興味を持続させる、仕掛けがあるような…。すいません、全てが気のせいかもしれないです」

 段々と自身が無くなって来た。彼は美術評論家ではなく、織物についての知識も曖昧で、もしかしたらありふれた品かもしれない。的外れなことを言っている、その可能性が高い。あまり訳知り顔で語って、不快にさせるのも得策ではない。

 恐る恐る伯爵を見ると、いつの間にやらこちらを見ていた。

「ふふふ、聞き給え若人よ——」


——『芸術』には、『間違い』は無い。


「これを『絢爛』と賞するも、『稀薄』と不思議がるも、受け取る者の中にある、世界に因るものだ。それを作家の思惑通りに、統一したいと願うならば、普遍の神業でなければならない。そうならないのは、作り手の技量不足だよ」

 言いながら、また黄金布へと目を向けて、

「君が抱いた違和感、それを『足りない』『余計』と感じる者も居る。だが君は、それを『仕上げ』と捉えた。そこに、芸術が芸術たる意味がある」

 脂ぎった肌や、濁った目、膨らんだ衣服に後退する髪。それら外見は何らの変化も無い。だが、


「私はね、『芸術』とは、魂の叫びを具象化したものだと、そう思っている。絶叫を『うるさい』と一喝するか、その声音から背景を『感じ取る』か、それはアルセズによって違うだろう?」


 今の彼は、導師のような厳かさを身に纏い、その場を小さな宇宙に変えた。


 数多の意思が泳ぐ、空の海に。

 

「このパンガイアに生きとし生けるもの達の中で、全く同じ形の魂など一つも無い。だからこそ、自らの全てをそのままに、赤裸々にぶつけた『芸術』は、この世に一つの至宝となるのだ」

 「違うかな?」と、翔との問答を続ける事を望む。

 彼はつい、取り繕わずに答えてしまう。

「同じ魂は無いかもしれないですが、上位互換は居るでしょう?」


 本音で、向き合ってしまう。


 最も得意とする事を、10の内7出来る者が居て、10出来る者がそれに対して、「それが個性だ」と言葉を掛ける。


 これ程むごい事はない。


「それは、視点の問題であるな」

 伯爵は口答えに怒るでもなく、淡々と己が道理を説く。

「例えば君は、『歴史的名著』と呼ばれる書を何かご存知かな?」

「…申し訳ございません、記憶が定かではないもので」

「おっと、そうだった」

 ばつが悪そうに咳払いを一つ。

「かつて、修辞や構成に優れた、文字芸術とでも言うべき名書があった。しかしその殆どは、1000年以上前に起きた “大侵攻レコンキスタ”以降、焚書の憂き目に遭った。使われている紙が、教えにそぐわないという理由でね」

 そして、忘れられた。

 計算され尽くした言葉の整列は、口で伝えるには緻密過ぎた。記されし媒体が燃やされてしまえば、そこに宿った精神も失せる。

「一方で、その場の快楽しか考えないような、中途半端な娯楽とも言える、御伽話や寝物語の類はと言えば、しぶとく口の端にしがみついている。村落の信仰・民間伝承・今回のような『おまじない』。そういった物の中に息づいて、未だに時節顔を出す」

 何かを10近くに極めた物が消え去り、程々に5、6くらいで楽しませていた物が生き残る。


「『優れている』『上位である』…そんなものは、時代によって転がる尺度だ。今求められずとも、遥か未来で欲されるかもしれない」


 その考え方は、チャールズ・ダーウィンの進化論に似ている。


 「進化」とは、「より良くなっていく」ということではない。偶然その時の環境に、ぴたりと一致すれば生き残り、それが次の時代を担う。その世代交代の繰り返しこそが、進化なのである。


 そこでの強さとは、「多様性」だ。


 どんな世界が待っていても、そこで生きることが可能な、何かが必ず何処かに居る。


 それこそが、不滅の種たる条件である。


「さあ、どうかな?」

 伯爵は、問い続ける。

「君の魂は今何と言って、声を上げているのだろう?」


 最後のその問いに対して、

 答えが見つからない。

 あらゆる言が、

 今此処に水を差すように思われた。

 それでも翔は、何かを掴もうと——


「カケル!何をしていらっしゃいますの!?」


 後方から呼ばれた。間違いなく「うるさい」と称される、高慢ちきなお嬢様の声だ。

 見返ると、礼拝堂の出入口で召使隊と立っている。

「わたくし達も参りますわよ!どこにどうやって隠れているか、その方法を考えなさい!職務は手早く余裕を持って!終わらず焦るなど、優美さに欠けること、あってはなりませんわ!」


 どうやら、彼らの分担も決まったようだ。

 翔も、行かなければならない。

「伯爵殿——」

「ああ、いいさ、行ってきなさい。励み給えよ、尖兵」

 気も漫ろに立つ伯爵には、もうオーラは無い。

 貴族式の一礼をして、マリア達へと足を向ける。

 視界を巡らせる途中——先ほどのやり取りが聞こえていたのだろうか?——、アロ男爵がこちらをうかがうのが見えた。

「そうだ、『誰の作品か』、だったね?」

 伯爵が去り際の背中に、返答する。

「これを見た者の中で、私が仕込んだ『未完』に気付いたのは、これまでたったの3名。君と、マリア・シュニエラ・アステリオス様と、ヨハン・アポストロ・バシレイア殿下だ」

 翔は、驚き振り向いた。

 そこには、依然として衣を見上げる伯爵。


「その通り。これは私の手に成るものだよ。『織り』を二段階にして、何度も失敗を重ねて、手間暇かけて作った。褒めて貰えて嬉しい限りだ」


 そこで、再び翔を見て、


「覚えておき給え。『正解が何時も、照らされているとは限らない。時には、暗闇の中に答えがある』」


 それだけ言って、視線を戻した。




 その後マリアの一行は、「生命を感じることが出来る」斥候兵サローと共に、南区の下水路内を捜索することとなった。

 マリアは「こぉんな薄汚くて酷い臭いのする場所なんて、入れませんわ!」と降りるのを拒否。

 ジィは「マリアお嬢様の警護が最優先ですぞ」。

 エスティアは骸獣コープス解剖班の一員なので、ここには居ない。

 アライオは「ごめんアニキ、ギュッとしてて見通しワルワルな場所はオレちょっと…」。

 ヴゥルカーはサイズ的に却下。


 結論としては、翔・クリスタン・サローの三名で内部に入った。


 下水路に沿って進み、住所不定者達の溜まり場・使われなくなって一部が埋め立てられた通路・運河との合流地点に至るまで探索。

 だが彼らはそこで巨大生物も、その生活の痕跡すら見つけられない。

「他からの報告待ちだが…謎が深まるばかりだぜ、これは…」

「お姉さんも、これはちょおっとわけが分からないなあ」

「あんたの権能ボカティオ、精度は確かなのか?」

「私の“芽生えの季節アグローロス”は半径50メトロは届きますし、虫けらから象まで大きさ含めてしっかり探知しますよ!」

 サローは身を屈めながら、己が能を強調する。


 鉄のヘルムの中に収まる、刈り上げられた小麦色の頭髪を持ち、偵察役とは言えがっしりと鍛えられた体格。「海外ゲームの女軍人が、こんな感じだった気がする」というのが翔評。

 頼もしい筈の彼女も、今は首を傾げるのみ。

 権能ボカティオを発動しながら移動、広範囲を洗ったが、虫や小動物しか居ない。


「昨晩で狩り尽くした、そう考えたいところだが…」

「ま、それ以前から一切気取られていないからね~。まだ残って、想像もつかないやり方で隠れていると、そう思った方がいいよね」

「それでは防ぎようがありません。何らかの対抗策を見つけなければ」

「そうは言うけど、じゃあどうするの?」

 一つ、隠れられない弱点がある。

「『首謀者』の方を探し出す。それなりの地位についていて、これからも攻撃を続ける以上、まだ社交界の内部に居るだろう。そいつと『お話』して聞き出す」

「ま、そっちの方がまだ分かりやすいか」


 マリアに協力させ、貴族の中で怪しい者をリストアップする。それを頼む為に、一度水路から出る三人。

 そこで待っていたジィに、翔がその案を提示した。

「どうだ?お嬢はやってくれそうか?」

「…もう少し捜索を続け、それで欠片も成果が上がらないのなら、御自おんみずから先頭に立って下さることも、有り得ましょうな。しかしそのような危険人物に、お嬢様を近づけるなど…」

「過保護してる場合じゃねえだろ?このままじゃ、市民がパニックからの暴徒化に繋がる。内側から国が倒れるぞ?そうなる前に——」


「身の程を知りなさい!この下賤!」


 一斉に集まった視線の先では、巨躯に庇われて立つマリア。

 わざわざヴゥルカーに台を持ってこさせ、その上に騒々しい黄金が乗っかっている。思い返して気付いたのだが、彼女の立ち位置は何時だって、少しでも高い場所だった。相手を見下したい・自分を大きく見せたいという表れか。まるで威嚇するコアリクイの如き滑稽さである。下水に降りたくないというのも、誰かの下に位置したくないだけか。

 そこに置かれた台座に縋るような、汚れた身形の浮浪者らしき男。

「控えなさいまし!わたくしに触れていいのは、美しいものだけですわ!」

 目だけ見ても分かる程、怒り心頭といった少女。指を突き付け拒絶を示す。

 言われた方は這いつくばって、「うぅ」とか「あぁ」とか声を漏らす。

「ヴゥルカー、何が?」

 駆け寄った4人の中で、ジィが事情を問い質す。

「こいつ、おじょうさま、後ろから、近付いた」

「盗人ですかな?」

「分からない。触りたい、だけかも」

 その横で、マリアは更に加熱していく。

「卑しさの煮凝りの分を弁え、二度とわたくしの前へと立たない、それを今この場で誓いなさい!」

 言葉を紡ぐことすら出来ない、男の様子にお構いなしに、

「答えないならよろしくてよ!わたくしの権限で捕縛させますわ!」

 勢いでとんでもないことを言い放った。

「おいコラ待て!なんてこと言い出すんだテメエ!」

 翔は慌てて周囲を窺う。案の定、反感の目がそこら中から突き刺さっていた。

 反論できない相手に憂さ晴らし、見下げ果てた根性である。

「貴方は口出し無用ですわよ!」

「うるさい!今は黙れ!」

 マリア相手に吐き捨てながら、倒れている男に呼び掛ける。

「おい、大丈夫か!?聞こえるか!?」

 ドロドロの衣服に、腐った排水溝そのものな悪臭。だがそれらの何よりも、その様子が尋常ではない。息も絶え絶えで手だけ伸ばして、何かを掴もうと必死に藻掻く。病か、或いは飢えか。

「——が、—だって——」

 呼吸を確かめる為に、左頬を男の顔に近づけると、必死に訴えているが聞こえた。

「何だ!?なんて言った!?」

 問うた翔の腕をしっかりと掴み、


「ばけものだ…、『した』に、でっけえ…ばけものがいるって、そういった、あいつは——」


——いなくなっちまった。


「それって…」

 彼がその意味を深堀するよりも速く、冷酷な物言いが耳朶を叩く。

「貴方、その方に触れたところを洗い落すまで、わたくしに近づかないでくださいましね?」


 翔の何かが、そこで切れた。


「ふざけんな!いい加減にしろ!」

 あまりにも、

 あまりにも人を馬鹿にしている。

「同じ人間だろ!生まれは違えど、そんなもんが何だってんだ!生まれた時から身分が低い奴より、お前みたいに自分で成ったゲスの方が、よっぽど軽蔑されて然るべきじゃねえか!」


  


 スッと、その両目が細められた。

「それ以上は、後悔しますわよ?撤回しなさい。そして、お口を閉じていなさい?」

 氷雪のように冷たくなった、公爵令嬢。

 烈火のような先刻の怒りから、一転様変わりしたその姿に、一瞬怯む翔だったが、それでも後には退けなかった。

 この際である、言っておかなければならないことを、全て吐出はきだし切ってしまおう。そのアイディアに、彼は飛び付いた。

「はっ!貴族だからっていつでも命令口調か!?だけどなあ、それが世界の何処でも通じるなんて、思い上がりなんだよ!ちょっと小奇麗な場所で産み落とされたことが、そんなに偉いと思ってるのか!?残念ながらそれだけじゃあ、人を従える権利にはならねえよ箱入りのクソが!分かったならさっさと——」


「何事ですか!?」


 元々治安維持に当たっていた兵達が、やっと駆け付けた。

 そこに何者がいるのかを確認し、問題児マリア・シュニエラ・アステリオスが関わっていると見て、隠すことなく顔を顰める。

「良い所にいらっしゃいましたわ!この賎民を捕えなさい!」

 疎んじられていることも知らずか、お嬢様は高らかに言い張る。

 兵士二人は顔を見合わせ、困ったように肩を竦める。

「えー…罪状は?」

「わたくしに対して、無礼を働いたのですわ!この!わたくしに!この方をく牢に繋ぎなさい!」

 激怒する少女と、苦しむ貧民。

 それらで大体の事情が通じたのか、官憲は互いに目配せして、マリアに対して姿勢を正す。

「仔細承知いたしました!それではその男を取り調べますので、こちらに引き渡して頂けますでしょうか!」

「よろしくてよ!連れて行ってくださいまし!」

 お許しが出ると同時、二人がかりで男を運ぶ。

「おい、大丈夫か?話聞くだけだから、安心しろよ?」

「おーい、うわ、くっせえ。しかも衰弱してまともに喋れもしねえ」

「医者に見せて、飯食わせて、その後体も流してやらなきゃな。尋問はその後だ」


 そうか、と翔は感心する。これは、「取り調べ」と言う名の「保護」だ。

 取り敢えず強情なお嬢様から離し、視界の外まで引っ張っていく。その後、ほとぼりが冷めた頃、と言うよりマリアが忘れたり飽きたりした頃に、解放する。そういう段取りなのだろう。

 恐らくこんなことは、過去何度もあったに違いない。だからこそ、セオリーが確立されているのだ。

 そしてこの全能感丸出しお嬢様は、その度に裏で嗤われている。思い通りに世界を動かしている、そのつもりでも、適当にあしらわれ、知らぬ所で背かれているのだ。


 きっと今突き刺さっている、四方からの敵視すら、気付いていないに違いない。


 連行される男を見送り、彼は少女を振り返る。


「何か?」

「なんでも?」


 憐れむ気持ちは、しかし湧いてこなかった。


 やっぱり翔は、マリアが嫌いだ。


 あれだけ醜い選民思想を掲げ、


 それでも美しいと、

 そう見えてしまう。


 どうしてブレずにいられるのか。


 彼にとって、理解の外。


 きっと永遠に、

 分かり合えないのだろう。


 そう思えてならなかった。

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