1-14.甘ったれ part1

「笑わせるなっ!バァーカッ!」


 目を見開いたそいつは、心底見下したように、そう怒鳴った。

「じゃあもういいよ!どこぞで野垂死んじまえよ!」

——うるせえ。

「知らねえからな!勝手にしろ!」

——ああ!言われなくても勝手にやってやるさ!今に見てろ!

「あなたに、将来の展望なんて無いでしょ?」

——有るよ!お前が知らねえだけだよ…!

「私、無計画な男って無理。一生遊んでればいいんじゃない?」

——後悔するぞ?お前が逃したのは世界一の大魚だからな!

「小ずるいんだよ、お前」

——勝つ為に、どんな奴よりも頭使ってんだよ!

「自力で勝った気がしないんだ。もうお前の作戦で、戦いたくない」

——ああそうかい!お前らじゃなくても、俺は一番になってやるからな!

——俺は、考えて、考えて、考え続けて来た。

——これまでだって、上手くやって来た!

——これからだって、成功してやる!

——俺は、必ず、やり遂げる!

——どんな失敗をしても、

——最後に笑うのは、俺だ!


「ふーん、じゃあ、ウチのことも乗り越えられるんかあ…」


 その声を聞いた途端、

 彼は思い出してしまう。

 

 自分が、取るに足らない凡人であると。


「すごいね~カケルは」

——黙ってくれ、お願いだ。

「ウチを殺しても、のうのうと笑って生きられるもんね?」

——違うんだ。そうじゃなくて。

「ええ~。褒めてるんよ?」

——もう、やめてくれ。

「それに、大丈夫よ?」

——俺は——


「これからは、ずっと一緒だもんね、兄弟?」


 泥に塗れた少女の肌が、黒く染め上げられていく。

 その口元がぐにゃりと曲がり、その手が血に汚されていく。

——うんうんそれで?どうなるのかな?

 クスクスと笑う童女の声に、

——もう良かろう。目覚めよ、来客だ。

 何処かで彼を呼ぶバリトン。

 そして——




「お目覚めで御座いますかな?」

 

 意識を取り戻した酉雅翔が、最初に聞いた音がその言葉だった。


「…見ての通りだ」

「御気分は?」

「最悪だな…全部夢なら良かったんだが」

 ここ数日は毎朝起きて直ぐ、醒めない悪夢のような現実に打ちのめされている。

 しかし今日の彼は、これまで以上に憂鬱だった。

 どちらにせよ、心の休まる隙間が無いのだ。

「ご不快な中、急な話で恐縮でございますが、本日付けで正式に貴方の上司となりました、ジィ・ドーと申します。よろしくお願いいたします」

 そして執事はそんな彼へと、容赦なく情報量の爆弾を投下した。

「…こういうの、何て言うんだっけ?公権力の横暴?それとも、休んでる間にクラス委員押し付けられるあれか?」

「さて?」

「いや、なんでもねえ。こっちの話だ」

——というか、「ジィ」って名前だったのかよ…。

 様々なことが起こり過ぎて、何から聞けばいいのかも分からない。

 頭を搔き毟ろうと無意識に腕を上げ、その手に四つ葉が握られていたことに気付く。

 あの時の光景が、

 失せていく少女の肌と汗の匂いが、

 不快に冷たい皮膚触りが、

 焼けるような胸中のいきりが蘇り、

 慌てて別の思考で塗り替える。

「…クソッ………その、なんだ…現状を教えてくれるか?どれだけ死んで、これからどうする予定で、俺はどういう扱いになった?」

「それでは食事がてら、お聞かせ致しましょう」

 差し出されたパンを齧り、汲まれた水で喉を潤し、聞き漏らさぬよう耳を傾ける。

 ともあれまずは、事実だけでも確認しておかなければ。



 

「いい御身分だな、お前」

「わたくしの身分が高いことは、もうとっくにご承知頂けていた筈ですわよ?もしやまた、強い衝撃で記憶でも?」

「そうじゃねえって…」

 明日の準備に奔走する周囲に全く気を配らず、長閑なティータイムを謳歌しているマリア。何か資料らしき物に目を通している。よく見るとドレスのデザインも日々変わっており、何着か似たようなものを持ってきているようだった。物資や兵站という重要な積荷を載せるスペースを、自分のお洒落や贅沢のために私物化する。「こんなのが家柄だけで王妃になれるとは、この国は本当に大丈夫なのか」と、翔は不安になってきた。

 ウガリトゥ村の村長の家、その庭先。

 人権意識など無いのであろうこの国では、本人が寝ている間に持ち主が決まっていたりする。

 身柄を拘束するべき、そういう提言があったと聞いても、翔からすれば「だろうな」で終わる。

 一時のテンションに身を任せて、好き放題やり過ぎた。

 パンガイアには無い技術を、彼らの前で晒して回った。

 それはもう、要注意人物筆頭待ったなしである。

 それは彼にも分かるのだが——

「で、なんでお前が争奪戦に勝利してんだ」

「わたくしが欲しいと思えば、手に入る、この世界はそう出来ているのですわ!オウリエラが東から昇るように!」

「権力って、怖えな…」

 という事で彼の今の所属は、「マリア・シュニエラ・アステリオス専属召使隊」であるらしい。

 別名「お嬢様のおもちゃ箱」。これは以前に、リアスマ隊の会話を立ち聞きした時、使われていた呼び名である。変人達の吹き溜まりとも問題児のどん詰まりとも言われ、曲者揃いという評判だ。


 そんな所に心の準備も無く、知らぬ間に編入させられていた。翔にとっては大事である。


「つーか、俺は何すればいいんだ?」

「一通りの礼儀作法は身に付けて頂かなければいけませんわ!わたくしの武具として同行する以上、不躾な態度は許されませんの!そういった部分は、ただ突っ立っているだけでも滲み出ますわ!壁の塗装程度には様になるように、矯正する必要がございますわね!」

「うーわマジかよ…」

 意味など既に有していない、単なる慣習としての礼儀作法。

 翔にとって、嫌いな物の上位に入る。

 勿論、プロゲーマー時代にスポンサーに舐められない為、ビジネスマナーは身に付けて来た彼だが、好きになれるかは別の話だ。いやむしろ、学べば学ぶ程嫌いになったまである。

「だいたい、『不躾』とかどの口が言うんだよ。お前以上に『不躾』な奴見たことねえわ、お淑やかさ欠如お嬢様め」

「王都の研究者に引き渡して差し上げてもよろしくってよ!?生きたまま頭を御開帳される体験は、さぞ刺激的でしょうねえ!?脳味噌が無くなっても忘れられない、そんな思い出になりそうですわ!」

「はいはい出た出た、すーぐ彼我の立場を利用した恫喝に走る。自身に何も武器が無い奴の得意技だよなあ?」

 彼女に「忠誠」を誓う、それが最も難しかった。

 しかし、一体何故なのだろう。

 これまでも、気に入らない人間に頭を下げることなんて、彼の経験上数えきれない程あった筈だ。彼が「職業」だと主張していた肩書は、名乗っただけで一笑に付されるのだから、相手は見下してくるのがデフォルトだった。


 それなのに、何故目の前の少女に対して、面従腹背が出来ないのか。

 彼自身にも、まだよく分かっていない。


「ジィさん。実際の職務内容は決まってねえのか?」

 話が延々とこじれていくため、彼は話す相手を変えることにした。

「今のところは、『護衛』。以上ですな。それ以外に関しましては、務められる水準に達しているか、未確認でありますからな。失礼を承知で申し上げますが、カケル殿の実務能力は——」

「ああ、いや、それ以上言うな、それは分かってるんだ。俺が戦闘以外ではお荷物だってことも、拒否権が無いってことも。あと序でに、上司なんだから『殿』はやめてくれ。『翔』で良い」

「承知致しました、カケル」

 それでも敬語はそのままだったが、その口調が自然体なのかと、翔は敢えて触れなかった。

「早速ですが、採寸だけでも済ませておきましょう。お召し物は王都で仕立てますが、何分なにぶん帰還してからは問題も山積みですので、出来ることから片付けた方が得策ですぞ。それから最低限、整った姿勢を身に付けて頂き、ご自身を清潔に保つ方法も——」


「待って!そこで止まってください!入っていいのは村長だけです!」

「オラ達の本気を見せる為ですだ!」

「通しとくだせえ!」

「お願えだす!」

「納得できねえ!」

「ここに偉いお人がいるんだど!?」

「ですから!お一人だけ代表者の方に…!ああ待って!」


 言い争う声と、大人数の足音。

 制止の声も空しく、翔達の前に群衆が集った。

 30人程だろうか。村長を始めとした、ここの住民達だった。

 止められなかったらしい、リアスマ隊隊長も共にやって来る。与えられた任務を全うできず、気まずさ全開といった様子だった。

 兵士でも気圧されてしまう程に、必死に目を血走らせた村民を見て、


「何事ですの?全く騒がしいですわね。この村には、不作法な方しかいらっしゃいませんの?鈴虫村とお名前をお変えになったら?」


 それでもマリアは、相も変わらず「上から」であった。

「鈍感過ぎてむしろ大物に見えるなお前…」

「貴方はまず言葉遣いを学ぶべきだと、わたくしそう思っておりますの」

「どこぞのお嬢を罵倒たてまつる為の語彙力強化は、確かに必要だと俺も思ってる」

「物質的な意味で消されたいんですの?」


「いい加減にしてくだせえ!」


 翔とマリアが応酬している間にも、村民達は更にヒートアップしていた。

 我儘お嬢様と一緒くたにするのは、やっぱりやめて欲しかったが、ここでそれを言っても始まらない。翔は一旦、成り行きを見守ることにした。


「お、お嬢さん!お偉え方だと聞いとります!」

 村長のレジイが、まず要求を告げる。

「頼んます!この村にもっと、多めに守りをくだせえ!」


 彼らは、何の取柄もない村の、貧しい村民である。

 飢えに喘ぐほどではないが、傭兵を雇い入れたり、王都に新たな兵士の派遣を要請したり、そういった事が出来るわけがない。

 この村に残されるのは、機城科と衛生科。権力者も、主要な攻撃力も、軒並み出払ってしまう。

 今は此処の攻略を諦めたらしい骸獣コープス達が、それを好機と捉え、再び攻めて来たとしたら?その時、彼らには何一つ為す術が無い。不安に思うのも当然と言えた。

「オラ達は、見ての通り無力ですだ!」

「お願えです!お助けくだせえ!」

「お願えしますだ!」

 口々に守護を請う彼らを前に、未だ顔色一つ変えないマリア。

 彼女の傍らに控えるジィは、冷たい目で黙するのみ。

 隊長はどうやら静観の構えだ。彼女に対して、お灸を据える狙いもあるのだろう。村民達の非礼に対して、見て見ぬふりを決め込み始めた。

 馬耳東風といった各々の様相に、業を煮やした村民達は、翔の方に助けを求めた。

「あ、あんた仲介が仕事だろ?」

「え゛?あ、ああ…」

 彼からすれば、「ああそんな出まかせ言ったなあ…」程度の話である。

 言葉の軽さとは、こういうところで仇になるのだ。

「あんたからも、言ってやってくんねえか?」

「なあ、頼むよお」

 そんな風に頼み込まれては、無視するわけにもいかなくなり、

「って言ってるけど?なんで駄目なのか、しっかり説明しとけ?」

 その場しのぎで、マリアにパスすることにした。


 彼女はそこで横目ではあるが、漸く村民達を視界に入れ、

「…利点は?」

「は?」

「あなた方に、それ以上の戦力を貸し与える、その利点は何かと伺っておりますのよ?」

「り、利点?」

 気怠げに、よりにもよって、損得勘定の話をし始めた。

「命と国土を守る兵隊さんでしょうがあ!?利点も何も、お仕事じゃねえですかあ!?」

「んだんだ!オラ達は、こういう時守って貰う為に、税をば納めとるんだす!」

 当然、彼らは激怒し出す。

 彼女の言い草は、「利益が無いならこの村を切り捨てる」、そう言っているのも同義なのだ。

「だからお前、もうちょっと言い方ってものを——」

「なんと申し上げられましても、役立たずの豚を飼育する程、我がバシレイアは物好きではなくってよ?」

「や、役た…!」

「豚…!?豚っていったがあ!?」

——マズい。

 翔は本気で生命の危機を感じ始めた。このままでは、最悪暴動が起きる。

「そう言われるのがお嫌なら、あなた方に何が出来るのか、わたくしに何を捧げられるのか、それを示して頂けませんこと?」

「こ、ここまで来て、まだオラ達から奪うってえのか!?」

「ふざけるんじゃねえだ!」

 何かが起こる前に、この少女を黙らせるべきか。

「何も出来ない、自分の身も守れない、そんなあなた方がいけないのですわ」

「なんだと!?」

「あんたは金持ちだからそんなことが言えんだ!」


「こんな村で、出来ることなんか無えって、わかってねんだよ!」


 不意に、

 翔は、

 猛烈に腹が立った。


 何故急に?それは分からない。

 だが今の発言は、彼にとって許容し難いものだった、それだけは確かだ。

 彼がそれを言語化し、村民に食って掛からんとする——


 までもなく、


「なんて!?今なんとおっしゃいましたの!?」


 マリアが先にキレていた。

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