2-5.帰還報告 part2
ミクダヴドの構造は、日本で言うなら京都が一番近いだろう。
碁盤の目状に組まれた道と、システマティックに設えられた建造物群。
西側を、ピシオン運河が南北に横断している。
違うのは、施設が世界樹を中心に、同心円状に広がっていること。
ちなみにだが、日照が上手く確保出来ない為、幹の近くには人が住まない、というわけでもない。
それというのも、極端に暗い場所というのが存在しないからである。
葉がガラスのように光を透過しているのか、木漏れ日を遮らず下々に届かせる。
本来影に覆われる筈の場所にも、満遍なく天からの恩恵が行き渡っている。
まるで、世界樹それ自体が発光しているように。
どういった原理なのかは分からないが、洗濯物に悩まされることはなさそうであった。
城下街ならぬ
翔達がお邪魔したのは南側、一般平民の居住区の入り口。目的地は東エリア、貴族階級の建築が並ぶ場所に在る。
個性豊かな屋敷群の中でも、世界樹に程近い絢爛豪華な本城。
十二本の尖塔を円状配置。無数の飛び梁、つまり空中アーチに、細い柱達。
中央の巨大な構造物は、天守兼居館であろうか。その壁面には、大きな窓が幾つも取り付けられていた。その内最大のものはモチーフが分かりやすく、十二の花弁を持つ花を象っていた。
中世ヨーロッパの城と言われて、多くの人間が思い浮かべるであろう、ゴシック様式に近い形。
全体として見ることで完成する、その芸術。
王城“シャラム”。
防衛などまるで考えていない、見た目重視のそのデザインもまた、この場所が如何に戦争から遠いか、その現実を思い起こさせる。
それでも城郭は築かれているし、城門は鋼鉄で補強された、上下開閉式のものだったが。
水で満たされた堀を跳ね橋で渡り、門を潜って庭園部へと至る。
謁見しに行くのなら、そのまま正面へと直進。
だが今回用があるのは、尖塔が建つ十二の別棟の内の一つ。
ヨハンの待つ「二の塔」である。
王との会談はマリアが行うとして、それまでに細かい確認事項を詰めたいと、あちら側から要請があった、との言付けを着くなり渡されたのだ。
それも、まずは翔に会いたいと。
「殿下は
と、何故か得意げなマリア。
どうやら婚約者自慢もいける口らしい。
彼女の言う「
功績や貢献・影響力・戦闘能力によって定められ、第一位が権王である。
「ヨハン殿下ってのは、どんな男なんだ」
「よくぞお聞きくださいましたわ!あのお方は見目麗しく、出自からその道徳倫理まで尊く、凛として芯が通っていらっしゃる上、この暗黒時代を切り拓く光の如く聡明であり、それが照らす場所は愛のように暖かく、戦いになれば何者も打ち倒し、何より…」
「…何だよ」
そこで彼女は、浮かされたような視線をその塔へ送り、次いで恥じるように扇子で口元を覆い、
「何より、
誰よりも、
綺麗な御方なのですわ」
——わたくしよりも、輝ける程に。
「何一つ正確な情報が入ってこないんだが」
顔が良くて、頭が良くて、優しくて、強い、という贔屓目十割な感想しか無いのだ。
知らないカップルの惚気を聞かされたようなもので、翔としては面白くもない。
だが、恋する乙女みたいに潤んだその目は、少しだけ笑えた。
そうやって彼がニヤニヤしている間に、彼女の調子はすっかり元戻り。
「わたくしに相応しい、偉大な御方ですわ!失礼の無いように細心の注意を払ってくださいまし!」
「へいへい」
このお嬢様のパートナーとしてピッタリである男、薔薇でも咥えたナルシストしか想像できない。
有り体に言えば、油断し切っていた。
「ちょっとカケル?貴方のような
「分ぁってるって、しつこいなお前も。その王子様が優秀なのはよおく理解したよ」
「ならよろしいのですけれど…」
あまり彼を信用していない様子の彼女に、背を向け目も向けず手だけ振って、ジィの後に続く翔。
何とかなると、高を括っていた。
のが、つい30分程前。
——どこが「わたくしに相応しい」だ。てめえにゃ不相応じゃねえか…!
翔は現在、心内のマリアを呪っていた。「詐欺だ」とすら感じ、憤っていた。俗に言う「逆恨み」である。
この王太子は、本当にマズい。
苦手だとか嫌いだとかはこの際置いておくにしても、関わりたくない、否関わってはいけない。冷静に嘘を見破り、冷徹に罰する、それを難なく敢行するという、説得力を纏った青年だった。彼が認める価値を持つ者であらねば、篩にかけられ排除される。
「王子様」の世界から、追放される。
ジィから得た事前知識では、17歳。その情報がまた、彼の認知を歪ませ、覚悟不足に繋がった。高校生相当から発せられてはいけない凄みが、彼の臓腑を蝕んでいるのだ。
挿し込む光を浴びて、宗教画のように彩られた姿を見てから。
否、入室して同じ空気を吸ったその時から。
冷たい剣の腹で首筋を叩かれているように、全身隈なく総毛立っていた。
ジィに礼服を借り、髪を整えて貰い、初歩的な作法を教わり。
そういった小細工など、この王子の
「この場で出せるかい?」
——え?
「君の、その、何だったか…?ああ、そうそう“ルサンチマン”、だった」
その瞳と皮膚から発する体温の、凍えるような冷たさといったら。
爬虫類とのお見合いの方がまだ、心温まるシチュエーションになるだろう。
「見せてくれないかな?いや、出来ればでいいんだ。無理強いするつもりはない。ただ同じアルセズとして、円満にやっていく為に、君のことをもっとよく知りたい。そう考えるが、如何かな?」
要約すれば、「信用されたいなら手の内を晒せ」、ということである。
——脅迫による強制じゃねえか…!よくもまあそのお人好しフェイスで言えたもんだな…!
見咎められぬように小さく、ジィの方を窺うと、僅かに頷き返された。
「問題ない」、若しくは「止むを得ない」の意思表示だろう。
そう判断した翔は、「未熟ですので、お目汚しになりますが」などと言いつつ、その首飾りを握り締める。
「出て来い、
呼ばれたその時、変化は起きる。
四つ葉から迫り出した骨組みが、この世ならざる遊具へと組み上がる。
そして彼の背後から、その影のように出づる黒。
「
開口一番、不安しかないスタートを切った。
「顔も性格も能力も。完璧超人って感じ?かあー、これだから——」
「申し訳ございません殿下。何分不慣れでして、手綱を握れていないのです」
「黙っていてくれ」と心で願い、まずは王子に許しを請う。
「いやいや、珍しい種類の
「お喜び頂けたのでしたら幸いです」
ヨハンは何故か満足げな為、打ち首は取り敢えず免れた翔。
「折角だから、例の“武器”も作って貰おうかな」
「うっわー、何様——」
「はっ、すぐにでも!」
有耶無耶にする。生きる為に。
有無を言わさず、構築を開始。
「
ステンレスで作製、
シングルアクション、ガス圧方式、
銃身6インチ、
上部にオープンサイト、
内部に
12.7×33mm
.50AE弾
装弾数7発」
簡略化したが、手順は同じ。
そこに成るは、
その意味は、
「
ヨハンはその一連を見て、
右手に握られた物を眺めて、
「うん…これなら問題ないか」
確かにそう呟いた。
「はい…?」
「いや気にしないでくれ。ちょっとした確認だよ」
どうやらそれで終わりらしい。
少し反応が薄いのが気になるが、受け入れてくれるなら万々歳である。
「撃ってみてくれ」と言われたら、壁か窓に大穴が開く為、どうしようかと思案していた、その懸念は杞憂に終わった。
「それでジィ、マリーは彼を召使隊に編入したいと?」
「たってのご希望でございます」
さあ、ここからが正念場である。
この油断ならない切れ味を持つ王子に、弁舌を以て認めさせなければ。
翔は人類の味方であり、有用な道具であると。
「成程成程…」
うんうんと頷いた青年は、
「分かった。そのように手配しよう。陛下と他の
「………」
盛大な空振り。
「………………有難き幸せ…」
こういう部分は、将来の妻とそっくりである。
翔の意気込みを、適格にへし折る即断即決。
切り崩し甲斐のないというのは、大変結構な事の筈だが、やはりどこか納得いかない。
「当面はジィ・ドーを監視役とし、マリア・シュニエラ・アステリオスへの奉仕を労役として課す。そういう方向で調整する。君らが遭遇したという
「
「過分なお心遣い、感謝致しますぞ」
「なに、ジィにはいつも、マリーが世話になっているからね。日頃の恩を返したいのさ」
それで話は終わったのか、ヨハンの視線が机の上に移り、翔は漸く解放されることになった。
ならばもう此処には用がない。
ジィに続いて一礼。
この国では、政治的なものと宗教的なもので、敬礼の種類が変わる。
例の両手指を組み一振りする「祈り」が、聖職者、より正確には神事全般に関する物事に使われる。
貴族や騎士は、跪くような大仰な仕草を略した場合、左手を握って左の腰に、右手でそれを包み、両肘は曲げ、その状態で会釈する。
これは、帯びている剣を決して抜かないと示す為、柄を抑える所作から来ているらしい。敵意と抵抗の意志が無い事、そして服従を示す為の礼。
剣と魔法の国には、よく似合った礼式だろう。
「ああそうそう。すまないが、もう一つだけ」
退室する直前。
出口が目の前にあるという、最も弛緩しやすい刹那。
そこを一つの問い掛けで刺す。
「
表情は眉一つ乱れずに、
——君は結構、私の事が嫌いかな?
彼への警戒心、そして嫌悪。それが、ルサンチマンにも反映された。
彼がにこやかに言っているのは、そういう推理。
見事
「まさか。明敏ながらも慈悲深い為政者であると、
営業スマイルでそう答えた。
ヨハンと何を話したのかは分からないが、その一時間程後にマリアは王城から出た。
集合場所は門扉前。
王への謁見もあったと言うのに、やけにスムーズだと翔は不思議に思う。
だがそれ以上に、彼女の様子が気になった。
愛しの王子様に会って来たからか、
その日の彼女からは棘が抜け、
憎まれ口の切れも大層悪く、
ただ雷電をチラつかせるのみで、
どこか浮ついた様子だった。
その日の夕暮れ、ほんの一時、
雨が降った。
——————————————————————————————————————
「誰か居るの?」
後ろを振り返って呼ぶ声は、深い黒へと吸い込まれ途絶えた。
少女は、こんな時間に外出したことを、後悔し始めていた。
彼女の名前はプーリー。
どこにでもいる、「都会っ
緑色のおさげ髪を揺らし、小さくふるふると震えながら、真っ暗に沈んだその道を、忍び足で進んでいく。
歩き慣れた、歩き飽きた筈の道が、今はまるで別世界。
ぴしゃっ。
「ひっ、なに!?」
突然足先が冷たくなって、感じた悪寒のままに飛び退いた。
見れば、単なる水溜まり。
「うぅ…もう…!」
さっきはうっかり蜘蛛の巣にぶつかり、今度はこれである。
——やっぱり、あんな「おまじない」、信じるんじゃなかった…。
心の中では及び腰だが、しかしここまで来たからにはと、精一杯を握り締め、更なる先へと分け入っていく。
「極星…極星…あれかな…?」
夜の昏さを薄れさせ、眠る時にも邪魔になる、いやに明るい
北の空で静止する光点。あれさえ見つければ、方角は分かる。
自分が正しい方向に歩いていると、それが分かって少しだけ安らぐ。
「えっと、たしか…『極星が枝に遮られない場所まで来て、その導きを直に受ける』。で、次は——」
こんな時間に起きる者など、そう居ない。それは分かっているのに、自分から発せられる音の全てが、肌を刺す程激しく感じる。
見つかって、怒られるのが嫌だから、ではない。
これは、何も見えない暗中に宿った、普遍の恐怖だ。
アルセズに生まれたならば、想像力が祝福の受け皿となり、
時に、牙を剥く。
聴こえた。
また、
気配。
「誰…!?」
悲鳴は押し殺し小さく怒り、それでもその鬼胎は隠せていない。
その目に涙を滲ませつつも、音の出処を見つけようと睨めど、塗り潰された
やはり、誰もいない。
何も、無い。
雨で塗れた屋根の端から、水が滴り落ちる音だろう。
——そうだよ、そうに決まってる。
彼女は自分に言い聞かせながら、残った手順を終わらせようとする。
「『理想の相手を、もしくは結ばれたい誰かを思い浮かべ』ええと…そして…?そう、呪文だ。呪文を唱えるんだ」
あと少し。
あと少しでいいのだ。
それで、この怖い夜も終わる。
そうしたら戻って、温かい寝具の上に飛び込んで、明日になったら、彼女は運命の人と出逢うのだ。
だから、
「『ふウりぁエさま、ふウりぁエさま、私の元に、どうかしあわせを』」
極星に向けて三度、それを口の中で紡ぐ。
たった一つ、揺るがぬ星に向けて。
指を組み、一心に願って。
「…よし、終わり!」
さあ、我が家へ急ごう。
最後にもう一度振り返って、後ろに何も見えないことを確認したら、
「何も…?」
——あれ?
「さっきまで、あっちには灯りが…」
どこかの家屋の二階、カーテンの隙間から漏れていた筈の、優しい明るさが何処にも無い。
もう床に就いてしまったのだろうか?
いいや、消えたのはそれだけではない。
見上げると、彼女から見て下部分が、星無き暗天と化していた。
「お星様、どうしていなくなったの?」
聞いてみても始まらない。すぐにこの場を去らなければ。
「お父さんもお母さんも心配するし、明日も店の手伝いで早いし…」
帰らなければ。
何故って、
もし居たら、怖いから。
夜に現れる化物は、「食べちゃうぞ」と覆いかぶさり、
少女の全てを奪っていくのだ。
だから——
「あっ」
そこで
思いついた。
「そっか」
簡単な理屈だった。
星がいきなり消えるなんて有り得ない。
見えなくなったなら、
遮られていると考えるのが、
一番自然なのだ。
「そっか」
それに、
気付かなければ、
「ああ…そっかあ…」
もしかしたら、
動けたかもしれないのに。
ずっと、そこに潜んでいた。
ずっと、暗闇で待っていた。
それは、ゆっくりと広がっていき——
翌朝。
王都の行方不明者名簿に、新たな名が一つ。
花屋の娘、プーリー。
少女はその自室から、
一晩で忽然と消えたという。
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