2-5.帰還報告 part1

「以上が、ウガリトゥ村襲撃事件のあらましに御座います」


 ジィはそう締め括った。

「ふぅん、それで」

 その青年は、執務机から視線を離し、目を眇めて翔と対面した。

「そちらの君が、話にあった…?」

ゆう…いえ、カケル酉雅ユーガと申します。よろしくお願いします」

 年下とは思えない圧迫感に晒されながら、キリキリと痛む胃を抑え、頭を下げる。

 指・腕・背を伸ばし、足を揃えて隙間を開けず、腰からしっかり45度の、本格的な最敬礼。こちらの世界でも通用するのかは、果たして未知数ではあったが。

「こちらこそよろしく。私の婚約者に協力してくれたようで、礼を言うよ」

「王太子殿下よりの勿体なきお言葉、恐縮の至りで御座います」

 そう、彼の目の前に座るこの男は、バシレイア統一君主国の王太子。最高権力者たる権王の長子。


 名は、ヨハン・アポストロ・バシレイア。


 アルセズのトップに最も近い男であり、そういう意味では翔の野望、その到達点でもある。

 潜在的な、敵手。

 翔の側が、肚に一物抱えているから、だろうか。

 彼の内の何かが、その青年に対して警鐘を鳴らしていた。

 「こいつはいけ好かない」、そう叫んでいた。

 しかし正直その見事な二枚目振りに、嫉妬しているだけと言われれば、否定しきれない翔だった。


 第一印象は、正に「王子様」。

 金のショートヘアは、柔らかくサラサラと仄かに明るい。同系色ながら、ギンギラギンのマリアとは大違いである。

 海に反射した陽光のような、温かさを湛える碧眼。スラリと高い鼻に、緩んだ笑みを作る唇。それら一つ一つが、絵画のように均整をとっていた。

 白を基調とし、やはり金糸が使われた上質な衣服。シルクらしき材質に、首元にはフリル、襟はレースになっており、裾の下が白いタイツで覆われている。彼が着こなすとそこに嫌味は感じられず、「在るべき場所に収まった」ようにすら。

 背筋は芯が通ったように、そして張りつけられたように真っ直ぐ。

 一見耽美的な外見だが、服を僅かに押し上げる、腕の筋肉が黙示する。

 比類妥協なき鍛錬を。

 努力を積んだ天才であることを。


 浮世離れしたその佇まいは、見る者に儚さと鋭さという、表裏一体の印象を与える。


 美しく生まれ、そう在る為に生き、その目に映る世界もまた、当然のように輝いている。


 翔の天敵とも言える人種だ。


 似たような人間を知っている。

 善だとか正義だとか、そういう綺麗事を心より信じ、遂行するのを使命だと考えている。

 それは現実が見えていないのとは違う。こういう手合いは、本人自体は極めて優秀なのだ。あらゆる通過儀礼的挫折を、無効化してしまう程に。

 何事も「為せば成る」、そういう世界に生まれついたから。

 そうして今度は自分が最恵者だと知らず、他者にも同じレベルを求める。時にはそいつに引っ張られ、本当に出来てしまう者も居る。一人では無力なのに、自らを才人だと勘違いする者達。当然待つのは破滅である。

 当人だけで完結すればいいものを、同じ理想を周囲と共有できると信じて、多くを巻き込んだ流れを作る。

 不幸を量産するが、当人には悪気がないのが余計に厄介。


 少なくとも、言っていること自体は正しいのだから、手に負えない。


「記憶が無く、権能ボカティオもつい最近手に入れた、とのことだが」

 翔に警戒されているのを知ってか知らずか、にこやかな態度のまま取り調べるヨハン。その澄み渡った瞳に見透かすように撫でられ、居心地の悪さが倍増していく。

「お恥ずかしながら、全くもってその通りでございまして…」

 「マリアなんかと婚約している奴」という先入観から、心の何処かで舐めていた翔も、今や暢気していられなくなった。

 冷や汗を抑えながら頭をフル回転。必死こいて誤魔化しに全力傾注。


 数分前の弛んだ自分の、見通しの甘さを呪っていた。


 


 数時間前のこと。


 

「ああ、やはり!ウルがいらっしゃると楽ですわ!」

「うん、お前は楽だろうけどな」

 珍妙な光景だった。

——いやもうコントか何かだろコレ…

 “ヴゥルカー”と呼ばれる巨漢と合流し、王都まではあと少し。

 馬車が無いことにマリアがごねるかと思いきや、意外にも聞き分け良く徒歩移動を受け入れた。

 と、思っていたが。

「形が似てるとは思ってたけどよ…」

 ヴゥルカーの体格は、ゴリラどころかあの巨大土竜に届く勢い。

 その左肩には、防具にしては不自然な出っ張りがあった。

 直感は、嫌な予想を訴えていた。

 それでも、「まさかそんな。旗印とか何かだきっと…」と受け入れるのを拒否していた彼だったが、

 その部位の用途が、目の前で実演されてしまった。

 膝を付き、肩を突き出したヴゥルカー。彼の前に歩み寄りながら、

「さ!参りますわよ!」そう言って、


 マリアがそこに


 ………


——本当に椅子だとは思わないじゃん…


「おい、なんだその人を人とも思わぬ蛮行」

「何って、定位置ですわ!ウルはどんな地形でも踏破する、優れた乗り物ですのよ?」

「…なあ、爺さん」

「何ですかな?」

 翔はとても心配だった。

「お宅の人間関係とか大丈夫?下剋上とかシャレにならんぞ?」

「ウル、そのお役目は苦痛ですかな?」

「おで、これ合ってる。一番役立てる。おじょうさま喜ぶ」

「ほうらご覧なさい!」

「こいつ甘やかすと無際限に付け上がるぞ」

 そういうことは上司の前で聞いても意味が無いのだが。

 後でこっそり監査に入ることを、心に誓った翔だった。

 


 そういった遣り取りを経て。


 

 向かう彼らの視界に、

 まず真っ先に、

「…俺の思い違いじゃなければだが」

 それが現れた。

「あれが?」

「まさしく」

「じゃ~ん。どうだ?びっくりしただろ?」

「……ああ…」


 想像以上。


 王都のランドマーク的存在とは聞いていたが、まだまだ遠いこの距離でも見えて来る、どころか、一目でその神秘を分からせてくる。

 

 直截に、隠すことなく、その異常性を開示している、


 王都ミクダヴドがそこにある理由。


 宿子アルセズに加護を与える威容。


「世界樹“メトシェラ”。バシレイアの、いいえ、パンガイア全てにとっての、最後の希望ですわ」


 一つの都市をすっぽり覆うくらいに、枝葉を伸ばした超巨大樹木。

 高さで言えば、山一つに相当するだろう。

 末端の一枝いっしでも、人が住めそうなくらい分厚い。

 中に迷宮でも孕んでいるのか。

 全てが巨大な世界から来たのか。

 翔からの眺望を、非現実で塗り替える元凶。


 その二つ名の文字通り、世界を丸々一個分、吞み込んでいてもおかしくない。


 そして今その内から出で、枝葉末節を駆け巡り、東の空へと放たれた、子らの誕生を祝うこうじょう

 宿子アルセズの生を決する恩寵、それを齎すこの世の奇跡。


 “出生の光バプティズマ”。


 神やら仏やらは信じない彼でも、それを崇拝する気持ちは分かった。


 身の内から、畏れが沸き上がる感覚。

 それを初めて、体験した。


 更に不思議なのは、近付く程育っていくのが、恐怖ではなく安心感であること。

 まるで母性に包まれるような、ぬるま湯の如き安息感。


 その羊水の中へ吸い込まれるように、知らず向かう足が急く翔。

 

「危険ですぞ、カケル」

 ジィに呼び止められ、漸く防壁の前に居ることに気付く。

 目の前に聳え立つ灰色の威圧より、奥で悠然と茂る古木一本に、意識を根こそぎ持っていかれていた。

「門番には、まずわたくしめが話を通します。貴方はまだ不明存在であります故、出会い頭に射掛けられても文句を言えますまい」

「気持ちは分かっけどダメだゼ、アニキ」

 疲れていたからなのか、世界樹とはそういうものなのか。

 翔は頭を振り、気合を入れ直す。

 物理的にも社会的にも、死の危険は終わっていない。

 未だ気を抜ける立場ではないのだ。


 


 その後、ジィが何と言ったのかは分からないが、翔の入都が許可された。

 王城への先触れも、向こうが引き受けてくれたらしい。


 そうして踏み入った王都は、翔から見ても立派な「都会」であった。


 一番懸念していた、「道端に糞尿が落ちている」といった古代都市あるあるも無く、平らに均された道路に、あちこちに生える街路樹、高い人口密度、止まぬ呼び込み。

 高層ビル群とはいかないまでも、背が高くカラフルな街並みは、そこに息づく暮らしを想わせる一方、異国情緒的非日常感をも演出する。

 ヨーロッパ辺りの、昔の景観をそのまま残した町。そういった風情を前に、翔もなんだかワクワクしてきた。

 文化から異なる異能力者に囲まれた不安の中から、文明が支配する場所へと帰ってきたようで、寧ろ幾らかホッとしたくらいである。

 道行く人々の見た目や恰好は多様を極めていた。

 アジアっぽい顔はあまり見当たらないが、西洋人似を主として、中東やアフリカ系らしき者達も混ざる。服装も様式に統一性が無く、「パンガイア中がここに逃げ込み、そこに合同で国を作った」、その話が真実であると物語るように。

 驚いたことに、下水もしっかり整備されているとのこと。ローマ全盛の時代にはコンクリートと共にあったらしい概念な為、ここに存在していてもおかしくはない、と言えるかもしれないが。

 また、街路の下を潜るように配置された、水路の上では渡し舟が漕がれており、ちょっとしたバス——と言うよりも列車が近いか——として利用されているようだった。

 丁度昼時だからだろうか。通りのあちこちから漂う、パンや肉が焼ける匂いが、煉瓦の香ばしさと相まって、道行く彼らの食欲を煽る。


 掲示板のような物も用意され、「お知らせ」や広告が大量に貼り付けてある。「雑貨店から:従業員募集」「鍛冶組合:徒弟選考会実施」「貴族主催による平民参加可能社交会」「シィ商会から新店舗開店」「聖堂会からのお言葉」「注意事項:行方不明者複数により南区に門限を制定」「前線速報:雄等級多数撃破達成」「ダーヴィッド投兵隊またも大破壊の大勝利」「本日の剣闘会:注目の一戦」………。


 遠くに見える、恐らく円柱形の建物は、闘技場だろうか?そちらから人の声が織り成す、歓声の幕が広がっている。ああいう「死」を楽しむ娯楽施設は、余裕ができた文化の中なら、何処であっても生まれ得るのだろう。

 

 他に気になるところと言えば——

「…やけに注目、というより避けられてないか?」

 目を回すような人混みの中でも、彼らの周囲だけ空白が生まれていた。

 慥かに、ヴゥルカーは目立つかもしれない。だが、ここはパンガイアだ。権能ボカティオがある世界だ。ただ大きいだけの人間なんて、個性としてはすぐ埋もれるだろう。特に、世界樹をすぐそこに臨む、ここ王都では。肩に令嬢が乗っかっているのも、まあ、ご愛嬌である。

 それなのに、一行は何故か、忌避されているような——

「当然ですわね!ここ王都でわたくしの顔をご存知ないなど、田舎者以下の三流未満ですわ!」

「あっ」

 翔は察した。

 彼らが避けているのは、マリアだ。

 この少女、悪名を振り撒いて回ったに違いない。

「爺さん、こいつは今までに、すれ違う際に道を譲ったことがあったか?」

退しりぞかなければぶつかっていきますな。接触した場合、お嬢様の逆鱗にも触れることになりますぞ」

「当たり屋じゃねえか!」

「なんですの!?その言い草!『わたくしの前を遮ることなかれ』『この通りはわたくしの物である』、ごくごく簡単な法ですわよ!」


 耳を傾ければ、陰口の類は簡単に引っ掛かった。

「見なよ、あれが噂の我儘娘さ」「アステリオス家の猛犬だ」「アルセズを馬扱いだ。お貴族様は気楽でいいねえ」「何をやっても許されるもんだから、増長もするさね」「凄い嫌われっぷりだねえ、大丈夫?クスクス…」「しばらく静かだったのに、戻って来やがった」「追い出されたんじゃねえのかよ、残念だ」


 聞いたことを後悔する。

 注意深く見てみれば、老若男女の区別なく。上は帽子屋を冷やかす老人から、下は砂糖菓子を手渡される童女まで。しっかり物笑いの種であった。


——こいつやっぱ嫌われてるんじゃ…?

 そんな彼女が連れて来た、過去の存在しない異邦人。それが翔だ。

——受け入れられる理由が一つも無いのでは…?

 不安要素が、また一つ増えてしまった。

「考えてみろヨ、アニキ。今日みてえな急ぎの用事なら、この方が便利なんだゼ?スイスイなんだゼ!」

「す、スイスイデス…」

「わーおすっごいポジティブ」


 それと、気になっているのはもう一つ。

「なんか、現状に反して陽気だな…」

 雰囲気が明るく、切迫も閉塞も見えないこと。

「化物に喰い殺されるかもしれないってのに…。不安じゃねえのか?いや開き直ってんのか?」

「考えていない、が大半でしょうなあ。前線イェリコ然り、大塩湖タラサ然り。その守りを突破して、大規模侵攻が起こったためしがございません。少なくとも、このバシレイア建国以来は。


 目に見えぬもの・耳に聞こえぬことに対して、アルセズは無関心になるものでございます」


「むしろ、誰を自然に王都からバイバイするかっていう、身内の出し抜き合いが、上手くなってく一方なんだと。やだネー」

「お姉さんも聞いたことあるよ?退屈過ぎて、追放が娯楽化してるんだって。汚点の押し付け合いを横から見て、どっちが勝つのか賭けたりするんだってさ」

「どなたもやり方が迂遠ですわ!戦いたいのなら、正面からいらっしゃればよろしいですのに」

 つまり、

「この『世界観』で平和ボケ出来るのかよ…」

 「慣れって怖い」、翔はそう思った。

 クマムシの生存戦略みたいに、死んだままで生きている。それがこの国だ。

 逞しいと讃えるべきか、割と本気で困るところだ。


 

「あ!そうだ!」

 先頭を行っていたアライオは、そこで何かを思い付いたようで、

 くるりと体全体で、彼らの側に振り向き宣う。

「アニキ!」

 広げた両手は、降り積もった歴史を誇るように。



「ようこそ!ミクダヴドへ!」







「…タイミング逸したな」

「一手遅れましたな」

「そんなあ!?」

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