1-9.あるいは恋破れた精霊のように

「予想より悪いなあ、これ…」


「ああ、まあ…が、頑張ろうぜ!相棒…!」


 村の南部、農耕地帯。

 

 増え続ける無数の穴ぼこが視界を賑わし、

 鳴き声と雨粒が楽曲を響かせる。

 

 ここは修羅場。

 無間地獄。

 

 大群と少数精鋭のぶつかり合い。


 後が無いのは防衛側のみ。


 戦力差は2対多数。


 攻撃側を構成するのは、人類に仇なすクソッタレの化物。

 骸獣コープス

 地を掘り進む土竜型。

 天候も相まって柔らくなった、畑の土壌をあちこちで掘り返し、蔵まで徹底して破砕せんとする、数十体の1m級。

 出て来る出て来る。

 次から次へと。

 止まる気配はまるでなく。

 

 対する防衛側。

 役立たずの元ゲーマーに、この地を守るという信念を持つ少女。

 この状況では、あまりにも無力に思われた。

 襲撃されている対象が広範なために、それら全てを守り切ることはできない。

 平地で起伏もあまり無い上、そこを見渡す眼も大量に在るため、隠れてからの不意打ちは不可能。

 北側の戦力がこちらに来るまで、ここで待つのも手ではあるが、要する時間は誰にも未知数。最悪そっちが敗北する事も有り得、時間稼ぎによる勝利は無いと見ていい。

 正面から一度に雪崩込み、有無も言わさず圧殺する。たったそれだけでこの村は詰む。

 単純にして、明快。

 反撃を許さぬ侵略。

 生存など、億に一つも有り得ないだろう。


 ここに居るのが、


「よし、俺が前衛でお前が後衛だ。基本俺が目立つよう振舞うから、安心してやってくれ」

 翔は小ぶりな斧を両手で抱え、ナイフを数本革ベルトに挿す。

「ほ、本当に大丈夫なん?ウチが言い出した事だし、ウチが前に出た方が…」

 ユーリの方は、心配を隠せない。

「バーカ、流石に俺にも少しは活躍させろ。作戦通りに行くぞ」

 高校生くらいの女の子に守られて、後ろでビクビクやっているザマは、翔の残りのプライドを粉々にするのに、充分過ぎる駄目っぷりである。

 

 それに、戦略的にもこれで正解だ。

 彼女の異能、権能ボカティオはかなり便利だが、直接的な攻撃力は持たない。

 それに翔は本来、戦力にならない。

 そんな彼を、彼女の武器にまで昇華するには、彼女に万全でいて貰わなければ。


 だからこの立ち位置が、最適なのだ。


「むしろお前への負担が大き過ぎて、申し訳ねえくらいだよ。頼んだぜ?」

「……うん、分かった。じゃあ、お願いがあるんけど、いい?」

「なんだ?生憎と金は無えが、逆立ちまでなら考えるぜ?」

「そういうんじゃなくて!」

 敵前であるのにクスリと笑い、そして二人は目と目を合わせ、

「ウチが、自分もカケルも守るから。絶対、ぜったい守るから。だから——」

 だから。


「ウチを信じて。ウチが何か言わん限りは——」

——振り返らずに、戦って。


「よし来た」

——任せろ。

 そう言って、

 翔は死中に飛び込んでいく。


 その背後で、

 ユーリが詠唱を開始する。

 彼女に施された、福音を言祝ことほぐ。


「厳に奏でたもれ

 しゅく御覧ごろうじろ


 沼のほとり

 花嫁達の墓場

 影を結ぶ木々

 愛憎の半ば


 踊る乙女は

 恋に焦がれて

 失くした幸せは

 葬られずに


 きらびやかに集え

 みやびやかに惑え

 力尽きて倒れ

 伏して尚共に舞え」

 その権能ボカティオの名は——


——“花嫁舞踊ジゼル・ウ・レ・ナンフ


 詠唱。


 執事から聞いたところによると、それに決まった形式は無い。

 それぞれが独自に生み出した、己の琴線を震わす言の葉。

 祈りが契機であることから分かる通り、権能ボカティオとは精神に影響される。


 特に、想像力。


 具体的なイメージこそが、最重要。


 これから何を起こすのか、それが細部まで明確である程、精霊タピオ達が忠実に実現し、その影響力も増していく。

 「出来る」と思えば出来るようになり、「何故出来るのか」を補強することで、その力を増していく。

 ただ、発動時に毎回その行程を踏むのは、精神力にも時間にも無駄が多くなる。

 故に、その効果を意識上に喚起する、決まり文句を用意する。

 奇跡を円滑に招来するための、ルーティンのようなものである。


 その完了を確認し、翔は斧を肩で担ぎ、ゆうを嚙み殺しひた走る。


「いぃくぅぞぉおオオラアアアア!!!」


 ユーリの傍らに、人影が一つ。

 純白の晴れ着に花の冠、指には輝く輪を嵌めて。

 輪郭は主そっくりだが、全身が雪の如き白。

 色が単一に過ぎて、平面のようにすら見え、

 そこから一本、綱のような何かが翔に伸びる。

 貌は無く、奈落のような口だけが認められ。

 その深黒が弧を描き、明るく淫靡に、翳り無く笑む。

 左足立ちでくるくると回り、右足先は軸足の膝に付け、時にはほどけるようにしてピンと伸ばされる。


 光に覆われたと分かった彼は、

「お!ど!れぇぇぇええエエエエエエエ!!」

 雨水で跳ね飛ぶ泥にも負けず、大音声で耳目を集め、土竜共を次々に指で差し、仕上げに腕を薙ぐように振るう。

 その声に釣られて彼を見た者共が、


 皆一斉に動きを止めた——!


 警戒して、ではない。

 目の前の脅威を排除したいのに、上手く手足を動かせない。

 更に一部の土竜に至っては、その冷徹な殺意に反して、身体が無作為に暴れ出す。

 その鋭い爪で同類を傷つけ、舌を絡め合いズタズタにディープキス。


 翔はその混乱の中に突っ込み——

「ぶぅちぃ割ぁれぇぇぇルるぉおおおオオオオ!!!」

 叩き潰す!

 上から、

 下へ。

 真っ直ぐに。

 頭蓋まで!

 脈のある肉に刃を入れる厭な手応え。それだけで吐きそうになるが体は構わず動く!

「ひとおおおおつ!次いいいぃぃぃ!!」

 上から、

 下へ。

 直ぐ近くに居た憐れな間抜けの脳に鉄分のプレゼント!!

「ふたあああああつ!!」

 上から、

 下へ。

 害獣の鼻面を二分割して口を開けても舌が動かないもどかしさから解放!!

「みぃいぃぃいいぃいっっっつ!!!」

 そこで後ろに飛び退いた彼に、何故か拘束の解けた土竜が、これ幸いと襲い掛かる!

 が、周囲から次々と襲い掛かる同胞!

 数秒もかからず事切れる!

 そこに出来た異形の塊、そこから一匹ずつ順番に這い出て、翔の前にこうべを差し出す。


 翔のやる事は変わらない。

 上から下へ。

 上から下へ。

 上から、


 下へ!


 そこに慈悲は無く、ただ破壊があるのみ。

 それはもう殺しですらなく、単なる作業と化して。


 十匹。

 二十匹。

 三十!

 四十!!



 ユーリの権能ボカティオ花嫁舞踊ジゼル・ウ・レ・ナンフ

 その効果は、ある特定の動きの強制。

 味方の一挙手一投足を補助し、敵の全ての所作を制限し、時には思い通りに動かす。

 その呪いに囚われる条件は、強力さに反し極めてシンプル。

 彼女がび出した白い精霊——ジゼル——を、視界に収めてしまうこと。

 そして翔のように、その力を至近で目に入れてしまうことで、より細かい動作指定を受けることとなる。

 その為、届く範囲の土竜達に、片っ端から触れていくことが望ましく思えるが、翔は敢えてそうさせなかった。


 狙いは、この現象を起こした本体を、誤認させること。


 彼女がどれだけ後ろにいても、足元を掘られて翔を抜けられたら、彼らには打つ手が何も無い。

 その時奴らは、触覚か嗅覚で獲物を感知している。

 それはつまり、ジゼルを「見ていない」ということだ。

 翔の方は言わずもがな。

 地中の敵を殺す能力など無い。


 だから彼女には、無力な少女として振舞ってもらう。

 大袈裟な掛け声とパフォーマンスで、翔が敵の視線を引き付けた上で、ユーリが権能ボカティオを発動する。

 骸獣コープス側からしてみれば、翔を見たからそうなったと思ってしまう。

 本当は、その後方の白い影が原因でもだ。


 これにより翔の脅威度は上がり、ユーリへの対処は後回しとなる。

 彼女は自分への攻撃に対処せずに済み、彼を動かし土竜を操るという複数同時操作の方に、意識のリソースを割くことができるのだ。

 戦場が翔中心になるので、彼女が俯瞰して全体を見やすいというのも、この役割分担の利点の一つである。



 勿論不安要素も多々あった。

 まずは土竜の生態について。

 土竜は光届かぬ場所での活動を主とし、その眼は退化してほぼ見えない。ユーリの権能ボカティオが効かない可能性もあるのだ。

 明るさは感じられるらしいことから、光自体は受容すると翔は予想した。地上との距離感を測るのに、必要な感覚だと思ってのことだが、その結果は見ての通りだ。

 ちなみにユーリにはその懸念を伝えなかった。「効かないかも」と疑う意識が、邪魔になりそうであったからだ。

 また、ジゼルが視界から外れれば、枷が消え去り危機へと一直線。

 故に彼は、さっきからわざと接近させて、相手の視線をコントロールしていた。

 敵に囲まれたら、ユーリ側に背を向けた連中は自由になってしまう。

 従って、突出し過ぎないよう細心の注意を払う。

 幸い、「敵はどこからどう見ているか」、それを考えるのは得意分野の一つ。

 ゲーマー用語で、「射線管理」。

 習慣として染み付いていた。

 それらを解決した後も、翔の戦闘能力が足を引っ張る。

 コントローラーで敵を殺せても、リアルでそれが実行できるかは別。

 彼の場合は、はっきりと「出来ない」。

 だから彼は今回を戦いではなく、習ったばかりの「作業」に見立てた。

 「薪割り」。

 村民に手解きされたように。

「両足を肩幅に、狙うは中心少し手前、右手を柄の中側から先端に滑らせながら、怖がらずに腰を落として——」

——上から、

——下へ。

 彼の習熟度では中途半端。

 それでもユーリの手助けが加われば、一撃で行動不能くらいには出来た。


 

 作戦は、見事に嵌ったと言っていい。

 土竜のあらゆる抵抗空しく、翔への接近を止められない。

 一匹一匹確実に。

 処理されるのを待つ、屠殺場の家畜の如く。

 ただ翔もいっぱいいっぱい。

 目立つように無駄に暴れた事に加え、命をやり取りする戦場という、慣れない環境下での極度の緊張。

 それらが少しずつ腹に溜って、おりのように底に積もる。

 その口からはもう叫びも出ずに、ゼエゼエと咳を漏らすのみ。

 息が上がって腕は上がらず。

 ユーリもそれと見て取ったのか、土竜を抑えて小休止とする。


 そうやって動きを止めていると、必死で余裕の無かった時には見えない、不安が鎌首をもたげてくる。


 敵はまだまだ多数居る。

 こうしている間にも徐々に増える。

 こちらの援軍は一向に来る気配無し。

 太陽、否、オウリエラの見えない今は、ジゼルの維持時間も短くなる。

 ユーリは権能ボカティオの強化も怠らなかったが、それでも直に限界が来る。

——と言うか、あいつは今大丈夫なのか?どれくらい体力と淵源オドが残っているんだ?

 翔は彼女を見遣る。

 まだ余力はありそうだが、あまりのんびりはしていられない。

——とっとと復帰して短期決戦を狙って——

「カケル!」

 彼の身体が、ガクン、と横に投げ出される。

 その傍らを、一筋の赤が通過する。

——危ねえ!助かった…!

 ユーリが咄嗟に彼を動かさなければ、


 もしかしたら、死んでいた。


 前方に目を向ければ、口を開けた土竜が一匹。

GishiGishiギシギシGiiiiiishギィィィィッ

 不快な異音は、笑っているようで。

 湧き上がるのは一つの不可解。

——こいつ、何で今舌が動いたんだ?

 考えていても仕方がない。

 懸案事項は潰すに限る。

 翔は直ぐに行動を再開。

 手始めにそのイレギュラーを始末しようと駆け出し、



 泥土でいどに顔面からすっ転んだ。



——……?

 力の入り方に、違和感があった。

——??

 別に痺れているとか、動かせないとかではなく。

——??????

 たださっきまであった、傍に寄り添う頼もしい温もりが、


 ——



 翔は、


 恐る恐る、


 背後を、


 振り向いた。




「あ」

 

 視界に広がる幾筋ものうね


「あ、あ」


 その中心に立つ、滑らかな樹木のような彼女。


「ぁぁぁぁあああ」


 目を見開いている

 彼女の表皮に、


「ああああああああああ」


 絡まりのたくる、鮮やかな鱗。


「あああああああああアアアアアアアアア!!!」


 蛇が。

 一匹の口縄が。


 ユーリの身体に巻き付き、


 首筋に、


 みついていた。

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