1-10.その怨嗟を聞け!
「うわぁぁぁぁああああアアアアアアア!!!」
考えず、
走る。
重い斧を投げ出し、
仰向けに
一刻も早く着くように。
「はぁなれぇろおおおお!!」
常なら抱く忌避感すら忘れ、
それを掴んで引き剥がす。
床に叩きつけナイフで滅多刺す!
「この!」
一突き!
「この!」
「このぉお!」
「このこのこのこのこのこのクソヘビィィィィィぃぃぃぃぃぃ!!」
無残に!
徹底的に!
酷悪に!
無意味に。
「カ…ケル…」
「っ、ユーリ!」
彼が我に返った時には、既に全てが手遅れだった。
その毒々しい見た目通り、牙に致死を持つ最悪のケース。
今更どれだけ八つ裂いたとて、彼女の中から出て行ってはくれない。
血の気が失せて、蒼褪めていく。
やがて動かなくなるというのが、医者でもないのに一目瞭然。
「待ってろ…!今、あのメイドのとこまで…!」
ユーリの背後から彼女の左腕を曲げ、両脇の下から通した腕で掴む。
その姿勢のまま
追いつかれると分かっているのに、彼女を手放すことが出来ない。
間に合わないのは感じているのに、それでもあの
取り返しのつかない事態であると、認めることから逃げているだけ。
何故。
その一言が、翔の頭をぐるぐると廻る。
何故、蛇は動けたのか?
蛇の目が、縫い付けられていたから。
恐らく、ピット器官による赤外線の感知、それ以外の感覚を遮断されていた。
ジゼルを、知覚しなかったのである。
翔は直接触れられていても、光に包まれた自覚しかなかった。
そこに実体は無かったのだろう。
可視光線の集積体であり、見えない光は出していなかった。もしくは、像を結ぶ程明確ではなかった。
ユーリにとって、赤より先など知る由も無い。
意識から抜け落ちていれば、
何故、土竜の口から出て来たのか?
表面の赤色と合わせて、舌と見せかけて使う隠し玉。
視覚に訴えかける敵への備えとして、一部の
目を見張るような周到さは、しかし今更驚くことでもないのかもしれない。
そう言ってしまえる程、奴らの群動は計算され尽くしていた。
何故、行動阻害がユーリの能力だと気づかれたのか?
反応したのが、彼女だったからだ。
虚を突かれた翔が不自然に横跳び、その危機を知っていたのは彼女一人。
そこで瞬時にターゲットが切り替わったのか?
いや、元々怪しまれてはいた筈だ。
あれは反応を見る為の実験でしかなく、避けられなければ翔が死に、避けられてしまえばユーリに向かう。
そういう算段だったのだろう。
では何故、あのタイミングだったのか?
何故、翔は止められなかったのか?
何故、ユーリは気付けなかったのか?
その疑問に至ってしまった彼は、
「ごめ…、失ぱい…しちゃ…」
「違う!ユーリ違うんだ!お前じゃなくて、俺が——!」
翔が、
後ろを振り返ったから。
隙が生まれて土竜が仕掛けた。
余所見をしていて見逃した。
翔を気にして注意が逸れた。
約束したのに。
彼女は、問題があれば呼ぶと言っていたのではなかったのか。
それまで、彼女を信じて前を見ていて欲しいと。
なのに、翔は彼女を信用しなかったのだ。
——もし、ユーリが何も言わずに、
そんな身勝手な疑心に負けて、ユーリの信頼を裏切ったのだ。
「ごめ…ごめん…ウチに付き合っ…ばかりに…」
「ちがう、そうじゃない、やめろ、それ以上言うな…」
謝られる度に翔の心身には、千々に裂かれるが如き痛みが走る。
これ程自分を慕ってくれているのに。
これ程必死に頑張っていたのに。
全てが一瞬で無駄になった。
「くそお!」
彼が、彼女を
「くそおおお!」
彼が、その行く末を摘み取ったのだ。
「クソがああああ!!」
彼が、積み木細工を賽の石積にしたのだ。
「ううううううう……」
彼が。
「やめてくれええぇ……」
酉雅翔が。
「あああああああああ!!」
ユーリの努力を、否定したのだ。
「カケ…ル…」
「もういい、ユーリ…喋るな…!」
少しでも、永らえて。
もしかしたら、届くかも。
お願いだから、
助けさせて。
困ったときは神頼み。
希望的に過ぎる観測に縋る。
「こ…れ…」
右手に最後の力を籠めて、差し出されたのは、首飾り。
彼女がいつも身に付けている、名前も知らない四つ葉の植物。
「お守…り…」
「あ、ああ…?」
翔には、分からない。
どうしてそんなもの、今寄越すのか。
分かりたくない。
「逃げ…て…」
分かってしまったら、惨めさが増すだけだ。
「生…きて…!」
死の瀬戸際で、誰かの心配。
「カケルは…、すご………から……」
彼女はこんなにも強いのに。
「だから、生き延びて……!」
彼は、笑えない程弱いのだと。
終点。
背後の土から獣が顔を出す。
もしかしなくとも、囲まれていた。
握った
密着した背中から、鼓動が消えていく。
2対無数の馬鹿みたいな物量差。否、たった今、1対無数となった。
汗と雨とで服が貼り付き、ぬかるんだ泥に足をとられ、
ドロドロのボロボロに汚れ切って、
託されたものをただ握り締め、
美しい彼女が穢されてしまうのを、
見ていることしか出来ないなんて。
翔には、もう何も残っていなかった。
ユーリの最期の献身にさえも、意味を持たせることが出来ない。
「く、う、うううぅぅぅぅぅぅ」
口惜しさが鼻や
空からの雫では誤魔化し切れない。
抑えるものも何一つ無くて、
恥も外聞も無く、
ただただ、
捻り出すように。
雨風に紛れて音がする。
「
「
「
「
笑う。
嗤う。
哂う。
土竜が。
わらっている。
なのに、
彼には、
どうすることもできないのだ。
二十数年の人生の終わりに、
これ以下が無い程無様な敗北を遂げて、
全ての望みが絶たれたその時、
酉雅翔の胸に去来する、そのシンプルで偏った感情。
それは悲嘆でも、
無念でも
悔恨でも
郷愁でも
懺悔でも
諦観でも
況してや充足などではなくて。
怒り。
激しく脈打つ胸の内で、
狂おしいほどに膨れた憎悪!
皮一枚の下に隠されたそれが、
身を引き千切らんばかりに暴れ回る!
それは儘ならぬ現状への癇癪。
子どもの駄々と同質の物。
何故。
——何故俺だけが、こんな——!
地球での彼は、才能に恵まれたとは言い難い。
ゲーマーの適正があったとしても、押されたのは「遊び人」以下の烙印。
「キモくて人権の無い、陰キャオタク」
「惰性で稼ぐ、現実逃避者」
それでも知恵を総動員して、出来ることを全てやって。
ようやく食っていけるまでになった。
芸能人の顔が出来るまでに。
確かに、順風満帆ではなかった。
チームは解散し、風評にも打撃を受けた。
それでも、やれることはあった。
いくらでも、足搔き続けられたのだ。
だと言うのに、
どうして、
——なんで俺はここに居るんだ!!
このパンガイアに来てからは、翔は木偶の坊そのものだった。
無能。
役立たず。
クズ。
言い方は何でもいい。
彼が持つ才は、今度こそ本当に紙屑同然になった。
富も名声もあったものか。
そもそも生存が許されない脆弱さ。
挫折した彼が流れ着いたのは、更なる失意の底の底。
ただ
翔は此処へ呼ばれたと言うのか。
——ふざけるな。
ドロリ。
——ふざけんな…!
ぎしり。
こんなものが——
「運命だって言いてえのかアアア!?」
彼は、理不尽に打ち震えていた。
「運命」。
それは何かが誰かを踏み躙る時の言い訳だ。
因果応報を須らく履行させるべき上位者が、職務放棄する為に考えた方便だ。
世界はそんなものだと知っていた。
だが腑に落とせるかは別の話だ。
理由なく
相応の報いを与えてやらねば、
「てめえら!全員!」
納得できない!
——神も仏も——
「ぶっ殺すからなあ!?!」
虚しく響く捨て台詞の裏で、
彼はやけくそで願いを投げる。
呑気に阿保面下げたる天に!!
——この世は
——誰もが主人公とか寝言抜かすなら。
——この俺の才能で、
——証明してみろ——!
西の彼方。
アルセズが拝む先。
王都ミクダヴドの在る方角。
一条の光が空に咲き、
分厚い雨雲を縦に裂き。
瞬時に肥大化したそれは、
大きくなったのではなく近づいたのだ。
網膜を焦がす強い輝き、
気付いた時には覆われていた。
翔は白の中に居た。
漂白されし時の
そこで彼は、溺れていた。
耳元で何かが話している。
——すごい…!
——すごいよ…!
——やっぱり
——違う…!
——彼の見立ては
——必ず化ける…!
遠くで誰かの声がする。
豪雨でも響くバリトンが。
——期待通り。
——想定以上。
——我等の最大の敵になり得る。
——それでいい。
——否、それがいい。
——奴は未だにチェス気分だが、
——我が盤上では将棋なのだから。
それらが
それすら判然としないまま。
脳に刻まれず忘れ去られた。
光明はやがて消えていき、
時間が再び動き出す。
突然の事に固まった
尚も続く、土砂降りの雨。
その中心に、翔とユーリ、
と、もう一人。
「
突如
その場に似合わぬ軽い調子で、
翔にそう呼びかけた。
「さあ、どうしてくれようか?」
——————————————————————————————————————
「
「付与科、残存4名!更に二つ
「機城科、残存3名!あのデカブツに10名以上…クソォッ!」
「援放科、残存7名!だけど
「衛生科、残存2名!奴ら、看護兵を優先して潰してます!」
「…マリア・シュニエラ・アステリオス専属
「ごめんだけど、お姉さんにはそれが限界…」
執事とメイドは視線を交わし、どちらからともなく鼻で笑い合う。
状況は、悪化の一途。
いっそ最悪になってくれれば、そこからは上がるだけになるのだが、この止まない雨のように、更なる深みへと転がり落ちる。
空を横に
それにより、「詰み」は免れた。
あれは間違いなく、“
新しく生を受ける命が、主からの恩寵を受ける儀式。
その際赤子へと降って来る、知らぬ者など居ない
——それが何故、あんな場所に?
こんな中で産気づいた?
否、避難所よりもっと先、農耕地帯に降着していた。
——あそこで今誰かが生まれた?
目出度い光軌が、今だけは不気味だった。
だが、それが好機に繋がる。
彼らの仕込みでもないようで、それだけがこの場の唯一の幸い。
この機に乗じて、出来ることは二択。
「死なば諸共」、と
一度
彼らが選んだのは、後者だった。
巨大土竜を殺せる目途が、全くもって立たなかったから。
しかしその通行料は、思った以上に高くついた。
防柵付近に下がるまでに、兵数は本来の半分以下へ。
距離を取って遠隔制圧か、村全てを巻き込んでの撤退、それらが考慮にすら値しない、実現不可の下策と化した。
——援放科に撃たせて、それと同時に使用すれば、燃やせたことにならんか…?
自らの思いつきがあまりにも粗雑に過ぎて、不謹慎にも笑んでしまった。
笑わなければやってられない。存外追い詰められているらしい。
——切るしか、ない、か。
ここで、やる。
今の立場を捨てることになるが、それでも——
「ジィ、下がりなさい」
バチン。
青白く跳ねる閃光。
高い踵が踏みしめるのは、ぬかるみ流れる
これ程の荒れ模様の中にあっても、その装束は輝きを失わない。
彼女を濡らそうと水滴が
染め塗ろうと汚泥に
触れる端から消し飛ばされる。
微小な
薄膜一枚隔てたように。
何者も彼女を侵すこと能わず。
それが現出する様は、
そこだけ切り取られたかのように、
別の次元を顕現させる。
輪郭が明滅する、夢幻の乙女。
その一進が刻まれる度、
静寂が今一つ、喧騒を押し殺す。
腰に刺さった、
十字の長剣に
その指が柄に掛かるを見て取り、
執事は即座に理解する。
彼女が選んだのは、もう一つの方なのだと。
「お嬢様!しかし、それでは——!」
「ジィ。わたくしに意見するんですの?それは、過ぎたる真似でしてよ!」
ぴしゃりと張り飛ばすように言われてしまえば、彼は覆す術を知らない。
「わたくし、らしくもなく出し惜しんでいましたわ。けれどいい加減、我慢の限界!」
渋るな。
媚びるな。
それぞ、
己が財を勿体ぶって、簒奪されるは愚の骨頂。
執事の脳裏に、その教えが過る。
「わたくしの所有物が、駄目にされましたわ。あなた方に任せている間に、それはもう沢山!正直に申し上げれば、買い被り過ぎていましたわ!一つ欠けた時点で業腹ですのに、更に二つも三つも重ねまして、まあ!」
そこで胸を張り、
「加えて、あの身の程知らずの
このわたくしへの不敬とは、
パンガイアで最悪の大罪でしてよ!」
激昂。
敵味方問わず聞かしむる
「それに、わたくし今とっても輝いておりますわ!こんな滅多に無い機会、逃す手はありませんわ!」
いつもの絶笑!
固い。
その意思、既に不落。
その手で必ず取り除く。
不埒者に思い知らせる。
止まる理由を挟む余地なし。
視界の端には、困り果てた小さき従者。
村民の避難が終わり次第、剣を届けるように言われたのだろう。
彼女を責める気は毛頭ない。
逆らえる筈も無いのだから。
「リアスマ隊各員に提案申し上げる」
執事は、こうなった時の主の頑固さを、充分に承知し理解していた。
故に彼は迷ってはいけない。
これ以上負担を増やしてはならない。
「総員、速やかに退避。衝撃に備えろ」
こうなった以上、祈るのみ。
敵が容易く滅ぶことを。
「な…ここをお一人でなんとかすると!?事態を甘く見てもらっては困る!」
「
分からず屋のリアスマ隊は、執事に説得させるとして。
「貴方、わたくしと一曲いかが?」
「
狙いを定める土竜を前に、
その威嚇を歯牙にもかけず、はしたない笑みは扇子で隠し、
「貴方如き下賤には、身に余る栄誉と心得なさい!もっと感涙に
高らかに響く、彼女の
白魚のようなその指が、パチリと鯉口を切——
————!!
最初、執事は遠雷かと思った。
もしくは、彼女の
その音は、
巨竜の歩みのように、
重く
短く
気も地も震わす。
聞いたことのない音色だった。
似ている何かを挙げることすら、
困難である程異質な共鳴。
鉄の冷たさ
硫黄の熱さ。
その両方が
混ざって爆ぜた。
そういった表現が一番近い。
それが、急変を
巨大土竜の、その鼻先。
指の如き器官の、左半分。
それが、
ごっそりと、
失われていた。
「~~~!?
突然の破壊に悶える
呆然として動けぬ、異形の軍隊。
理解届かぬは、アルセズも同じ。
誰も彼もが、理由を求めた。
一体今のは何だったのか?
そこで、
じわり。
染み出す墨汁のように。
周囲から浮いた黒の異物。
全身黒づくめ、リアスマ隊よりも更に軽装。
目深にフードを被っている上、肌もほとんど
正体不明の闖入者。
不気味な雰囲気を持つそいつの右手から、得体の知れない道具らしき何かが、鈍く銀色の圧力を発す。
——弓も弦も無い、
執事の知識で、該当する物がそれだった。
全長は30サンタメトロに満たないくらい。
先端に穴が開いているが、矢が出るにしては狭すぎる。
その開口部から煙を吹いて、内部での燃焼を物語る。
執事の脳裏には、とある与太話。
——どこか遠い異郷の地では、鉛を飛ばす武具がある。
——それは離れても鎧を突き抜き、
——
有り得ない、と考えを振り払う。
ここ以外に、国など無い。
アルセズは生きられないのだから。
全て世迷言、有りもしない希望。
だが唇は上向いてくれない。
嗤って流すなどもうできない。
——あり得るのか?もう一回が。
もし先程のそれが奇跡でなく、単なる機構であったのならば。
再現性のある技術ならば。
それは——
今一度起こった。
右手で握り、押さえるように添えられた左手。
ずしり、と
先端部から爆ぜる、閃輝。
巨獣がまたも苦しみ
それを見てニタニタ笑う口元。
顔の内で見えているのは、その醜悪な部分だけ。
闇夜に
バチバチバチリ。
青の光がぶれる。
マリアまでもがその場に縫われ、
黒い影の動向に気を遣う。
次なる行動を決めあぐねている。
その
ここ数日見慣れた男。
しかし纏いたる空気は
顔かたちはまさに凶相。
憎き野獣どもそれ以外に無し!
「殺してやる…」
彼も未知の品を両の手で握り、右薬指が何かを押し込む。
それで更にもう一度!
爆裂、
着弾、
土竜の絶叫!
影が持つ武器の上部分が、滑るように後退し、小さな何かをピンと吐き出し、そののち元の位置まで戻る。
巨獣の皮膚に、
穴を穿つ!
「
確定だ。
「
認めるしかあるまい。
「
これは、理外の力だ。
それは、別世界の物品だ。
「殺してやるよ…!」
独り言のように、
その男は、
カケル・ユーガは、
「殺してやる!
こんの、」
ただその激情の赴くままに、
「害 悪 畜 生 共がああああアアアアアア!!!」
自らが垂れ流す恨み言を、
何者であっても、
聞き逃さぬよう。
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