1-8.刺客
「
黒い風が、一陣。
それで二匹、動かなくなった。
「我が主を
彼の両手には、
投擲用の短剣であり、刃先には溝が彫ってあり、柄の先には小さな孔が開いている。
鞭のように打ち振るわれ、瞬間その輪郭を失う程に加速する手先。
次に見えたそれには、既に何も握られていない。
放たれた刃は、また別の土竜の鼻面に突き刺さり、喉を貫き、次々と戦闘不能にしていく。
殺し切るのは後回し。
今は少しでも、攻勢を鈍らせる。
そういった意図により、一つ一つを深追いはしない。
リアスマ隊の面々は、手と口こそ止めないものの、一同内心驚愕していた。
噂には聞いたことがある。
「アステリオス家長女の専属執事は、闘争をも含めた各分野を極めし者である」と。
偽り・誇張の類だと思っていた。
しかし実際、見てしまった。
本物の、強さを。
彼は全身至るところに、その
それでも、いずれは残数が切れる筈。
だが、そうはならない。
彼が手首を捻ると、土竜達に刺さっていた刃が、手元に勝手に戻っていく。
よくよく見れば、柄の穴から一本の線が伸びている。
複数種の植物や虫の吐く糸を、
頑丈さと伸縮性に富み、アルセズ二人程ならぶら下がることすら出来る、アステリオス家御用達の優れもの。
その絡繰りに気付けども、強靭なるそれを断ち切ること能わず。
その手で多勢を足止めする。
もう一人、癒しの
部品を取り付ければ掃除用具にもなる棍。
その長柄を自在に扱い、薙ぐ・突く・叩くで敵を打つ。
棒術、それも相当な手練れ。
治療役の衛生兵であるのに、最前列で暴れているのが、堂に入っているように見えた。
動きを阻害しそうな濃紺のロングスカートも、今は足運びを悟らせない袴のように。
時には武器を軸として、全身が半回転。足を直接叩きこむ。
その有様は、まさしく武人だった。
否、殴打の暴風であった。
それでもまだ、足りていない。
リアスマ隊は、盾での防御も高い水準で訓練されている。
その中でも抜群の、機動型城塞防科、総勢20名。
攻撃が及ばない事態であっても、また別の役割を全う出来る。
どこまでも堅実な運営思想。
だが彼らは今、それでは対処できない攻撃を受けていた。
「今だ!防護兵前へ!このまま戦線を押し上げ、敵の後方戦力を叩く!」
隊長の号令で隊伍が整う。
隊列を組んで壁を作る。
そのまま着実に前進を重ねるリアスマ隊。
「来たぞ!まただ!」
その内側から、悲鳴が上がる。
土竜が。
土竜が土竜が土竜が土竜が。
下から現れるのだ。
地上の防御など意味を為さないのだ。
その爪と舌で。
二重に並ぶ歯列で。
鎧を破り、
肉を
骨を
「痛い!痛いぞ畜生め!離せえ!」
「詠唱の時間を稼いでくれ!その姿は脅威!その有様は
「後ろだ!そっちだよ!後ろだあああ!」
「誰か!俺の背中からこいつを取ってくれぇ!」
「俺の足あるよな!?見えないから教えてくれぇ!ちゃんとくっついてるよなあ!?」
「少しずつ…少しずつ背中から肉を啜られてるんだよお!!」
「落ち着け!こんな奴ら、全力が出せれば!」
「燃えろ!燃えろぉ!」
「なあお願いだよお!はやくとってくれよおおおおおお!」
士気の下降は避けられない。
厳しい鍛錬。
苦しい
その全てが無かったも同然。
無為無駄無意味と、
嘲笑われる。
「
「
「
「
漏れ出づる呼気が、戦場を木霊する。
どこから来るか分からぬ相手に、
「全ての物にはあるべき形が!
あらゆる事には定まった道が!
誓約の元に、正しき場所へ!
万物その他に留まる術無し!
そうあれかし!
“
「クリス」と呼ばれたメイドが口上を詠み上げ、その右手に光が収束する。
「5…いや4本…!」
彼女は戦局を把握し、選別を済ませる。
今戦力になる助けるべき者。
最早使いものにならない者。
その線引きを。
今の彼女達には、全員を治療する余裕などない。
手中の
戦意も技量もあるものの、負傷で退場を已む無くされた者達。
それらの傷口が塞がっていく。
彼らの血液や肉片が、飛び出した軌道を逆になぞって、元あった場所に吸い込まれていく。
彼らを再び、戦力へと回帰させる。
「まだ死んでねえぞおおおおお!」
まだ、止まらない。
「くたばれ!ぶち焼かれろ!不毛の灰となり、土にすら混ざるな!“
灯火は、消えない。
吾ら起き上がり一つとなりて。
心折れた者は置いていけ。
せいぜい仲良く燃えてくれ。
火焔に注ぐ油となりな。
その声で恐慌を塗り潰し、
両足で鬼胎を踏み潰し、
押せ。
誰かの声。
押す。
誰しもが。
——ああ、あっちでもこっちでも
「ああ、火だ!見よ!炎だ!」
——なんとも良い景色じゃねえか?
瞬く間に燃え上がるその様は、長い歴史の中で盛衰を繰り返す、アルセズの命そのものである。
火とは近きものだ。
火とは友人だ。
火とは、武器だ。
舌がまた一つアルセズを捉える。
それを手繰って歓迎する兵士達。
不用意に頭を出す悪虐の化身。
刺され高く掲げられ火炙り。
「我らを野生より別つもの!」
その身を包む
塗料か
炎か
返り血か。
皆それすらも気に留ず、
「黒く紅蓮!」
「青く清廉!」
ものともせずに。
笑顔さえ浮かべ。
獣にはなく、
勇気。
矜持。
未来への渇望!
「浄き地平を産み落とす破滅よ!」
阿鼻叫喚の只中で、
それでも飽かず前に出る!
悪鬼羅刹が飛び掛かれども、
四方を囲み、盾で圧殺!
「屍も残さず喰らい尽くせ!」
野を覆っていく火のように、
そういった強引さを吹き返した!
「ぽっと出の使用人風情に後れなどとらぬ!
俺達は!
リ ア ス マ 隊 だ!」
むしゃぶりつく
そこに射出される水流。
盾を叩く冷たい激流。
押し返される戦列。
どうしても、流れに乗り切れない。
と、思われた。
「ふむ、矢張り足りぬな」
川から身を乗り出した、魚頭の生物群。
「
その内の一匹。
「
二匹!
「
三匹!!
攻撃を吐き出したばかりのその口内に、
次々と鋭い刃が生える!
獲物を仕留める側に立つその時、動物は最も無防備になる。
執事が自らと繋がる糸を取り除き、単なる飛び道具として使用した凶刃が、その隙間を縫い取ったのだ。
敢えて間合いを印象付け、距離が遠ければ安全だと思わせる。
そして奇襲の、遠距離攻撃。
「初歩的だが、成った。なまじ多少頭が働く分、逆に次手が読みやすい」
敵の攻めが緩めば、それだけ自軍の攻撃力が上がる。
その火力の上昇で、敵を殺しやすくなる。
それがまた、自分達を強くする。
命を燃やして生み出す循環。
この定型に入ってしまえば、後は粛々と押し返すのみ。
リアスマ隊の腕は確かだ。
この条件であっても力量差は歴然。
切り札は、必要ない。
「次はこやつらの不可解な動きについて考えなければ。恐らく今頃農地に——」
目の前の盾兵が、
飛んだ。
跳ね飛んだ。
——…………っ!!
複数の土竜達で掘り進めた道は、合流し大きな穴倉となっていた。
リアスマ隊は劣勢でも勝ちを棄てず、遂にその出現地点まで到達した。まずはそこを塞ごうと。
その大穴から、
5メトロ程の大きさをした、
巨大な土竜が這い出ていた。
体毛の隙間から鱗が垣間見え、鉤爪は太く長く、そして鋭い。
何より目を引くのは、その頭。
まるでアルセズがその両手首をくっつけ、掌を開いてこちらに見せているかのような、奇妙な見た目の頭をしている。
それで前が見えているのか。それすら疑問な見目をしている。
その肉の花弁の真下から更に、
これは「土竜」と呼んでいいのか?
その場に居る誰もがそう思った。
「
いやらしく蠢く、頭部器官。
歴戦の猛者達は、嫌な予感を受け取る。
その大きさだけの話ではない。
他の有象無象とは違う、明確に隔絶した何かを感じる。
実際に兵士を一体、盾ごと吹き飛ばす膂力がある。
本当なら、近づくこと自体が悪手。
だが、彼らは前進し過ぎた。
後退するにも、相応の対価が要る。
それだけで、彼らの体力も
ならば道は、前にあるのみ。
「付与科!前へ!こいつの攻撃は受けるな!搔い潜って叩き込め!」
リアスマ隊の中でも、物体や武器に炎を載せることを得意とする、付与型近接特科。
総勢12名。
うち立っている者9名。
その中の5名で威力偵察。
最前列の合間を通し、同時に前へと進み出る。
彼らは銘々、炎剣・炎拳・炎槍を作り出し、巨体に突き立て内部から灼(や)き尽くさんとする。
正面、槍兵2名。
その間合いが強み。
高い位置にある部位に穂先を届かせ、その巨獣の進撃を削ぐ。
巨体であっても弱点はある、前傾姿勢なら顔は低くなる。
目の前に赤熱せし棘あれば、飛び込むことに忌避感を持つ。
左手前方、納剣した1名。
鞘の中に炎を流し込み、破裂するような抜剣を得意とする。
低く屈みながら間合いを詰めて、その右前脚の陰に潜り込み、背中側から切りつける!
相手が大きいならその体格をむしろ利用し、構造的な死角を突いたのだ。
右周りで2名、見たところ徒手空拳。
だがそれは武装解除を意味しない。
何故ならその手は
一打一突が余さず破裂し、逆に拳は保護する仕組み。
この場で最も小回りの利く使い手。
片方が前へ、もう一方が少し遅れて。
掌底を放つ第一波、は囮であり、それを踏み台にして後続が、頭に燃ゆる一撃を入れる!
これらの攻めをほぼ同時に行う。
彼らの三角形包囲攻撃。一周全てに対応しなければ、必ずどれかが成立する。回避不能の同刻合体連携技!
そして
その一手に対し、
まず空中の拳法家が不可視の一徹に弾き飛ばされ、
槍二本は頭上で空を切り、
足場役は役目通り足蹴にされて、
平たい尾が槍持ちに叩きつけられ、
斬撃は左の巨爪の裏拳に圧倒される。
豪快な着地!
押しのけられた泥が波となり、闘志の炎を洗い流す!
——一回転…!
低く構えた巨大土竜が、左前脚を軸として、その場でくるりと回って見せた。
たった一動作で、完璧に返して見せた。
——否!単なる一撃ではない!
身体を支えていた筈の左の前脚は、いつの間にか剣士への攻撃に使われていた。
半回転を過ぎたあたりで、正中線を軸に四半回転。円の中心を右側前脚に切り替えたのだ!
どこに誰がいて何をして来るか、そちらを見ずとも感知していた。
更にはそれらの状況に対して、最適解を即座に提示。
その立ち居振る舞いは、まさしく達人。
力で勝るこの化け物は、技すら一流に磨かれている。
問題は、それだけではない。
先程宙空の兵士を貫いた「何か」。
執事は辛うじて目の端で捉えていた。
——舌か…!?
口内から瞬時に伸ばされたそれが、矛のように拳士を突いたのだ。
見ると地に落ちた彼は、胸を掻き毟り痙攣している。
声にならない悲鳴、死にゆく絶望。
パクパクと口を開けて命を請うが、そちらに近づける者はいない。
「ああああアアアアアア!!」
もう一人の拳士もまた、激痛に呻いている。
爪の間を犯されるのも構わず、土にすら縋るようにもんどり打った。
彼は相方の様子を見て悟ったのだ。傷の深さに見合わぬ激痛、それ即ち落命の前兆。
「毒だ!毒を持ってやがる!!」
もう、助からない。
クリスは槍兵2名を治療しに近づく。
剣士の方は…首がほぼ断ち切られる寸前。
パックリと割れた傷口の中から、血が泥水と流れ出る。
瞳はガラス玉のようで、「もうそこには居ない」。
だからクリスも「見なかった」。
手練れ5名が襲い掛かり、過半数が使い物にならなくなった。
対して相手方は、負傷すら皆無。
この度の交錯は、どう見てもアルセズ側の負けだ。
一歩、
こちらに近づく巨獣。
その右前脚がスッと持ち上がり、微かな金属音の後、爪が何かを挟み込む。
執事が投げた短刃。
高速で飛来するそれを、顔も向けずに摘まみ取った。
左前脚が真一文字に振るわれる。
火球の一斉掃射がはたき落とされる。
物量を以てしても優位は動かず。
間合いは既に無いも同然。
「
投擲武器が、効かない!
執事はあらゆる手段を模索し、リアスマ隊がこれを制圧する方法を導き出す。
答えは、存外簡単に出た。
不可能。
最早、是非も無い。
受け入れ難い事態だったが、投入を検討しなければ。
彼の切り札。
殺しの系譜。
それを今、この場で
——何だ…!?
その時、
曇天に、
彼らのよく知る光が、
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