Chapter2 王都へ生還せよ!

2-0.この世の楽園

「う~ん、活気に溢れてるねえ…」


 そこに辿り着く者が居る限り、何処までも続くと言われているその地平。


 パンガイア。


 しかしその中で、彼ら宿子アルセズの手が届く範囲は、極めて狭隘きょうあいだ。

 その生存圏タピオラを死守する、世界最後の国家。

 かつての小国家群が、危急存亡を前に結束した、統一君主国。

 十二名の代表者による統治という形態は、今やほとんど形ばかりで、単なる王国と化していた。

 国名は、バシレイア。


 その最奥部に位置する、聖なる王都。

 聖地であり、防衛の要であり、誰もがしがみつく神威のお膝元。

 ミクダヴド。


 その街路は、日頃と同じく賑わっていた。


 舗装された道、石や煉瓦造りの建物群。縦横を走る用水路に、そこを浮かぶ移動用の小舟。軒先を飾る、色とりどりの布や花々。

 そして何より、中央に鎮座ましましている、その聖なる巨影。

 それら華やかな景観の中で、大勢のアルセズが慌ただしく生きている。


 不俱戴天の仇、骸獣コープス達との長い永い戦争。

 その絶望的な劣勢を前にして、しかし市民の顔に翳りは見られない。

 何と言っても、王都に寝泊まりできる時点で、彼らは上流階級。

 絶対者に選ばれ、そのお膝元に住まうことを許された、愛されし者共。

 故に、彼らは思っている。


 遠くの戦場で負けようと、このみやこに着くまでに、誰か何かが止めてくれる。


 それは、今までの歴史が証明し続けた事実。

 子供の時分は、皆怯えるのだ。

 毎日届く、「勝った」「負けた」の号外に、一喜一憂忙しなく。

 けれど成長するにつれ、学ぶ。

 この戦いは、彼らの祖父母が生まれる、その前から続いている。

 一進一退を繰り返し、進展もしなければ追い込まれもしない。

 つまりこれから先、大きく変わる事もない。

 彼らアルセズの日常の一部。

 徴兵の義務を免除された、彼ら王都の市民にとっては、骸獣コープスなど目にする機会も無い、脅し文句の「こわあいオバケ」。


 恐怖する方が、馬鹿らしい。


 終末論者は追い払われた。

 戦いに行くのは貧者の仕事。

 彼らは今日も、その生を謳歌。

 街角にて発表された戦況、それを横目に騒ぎ合う。

 勝てば景気が良いと盛り上がり、

 負ければ凶事を吹き飛ばせと沸く。

 名の知れた勇士が今回も生き残るか?雄等級を誰が何体討伐するのか?それらを種に、賭け事まで横行している。

 死も戦争も娯楽に利用され、息抜きの内の一つでしかない。

 商人は取引へ急ぎ、職人は注文にてんてこ舞い、遠隔領主は経営に勤しみ、王城貴族は駆け引きに大童おおわらわ

 芸術家は空を見上げ、穢徒えとは地にへばりつく汚れを探す。

 幼子おさなご達は駆け回り、吟遊詩人に唄をせがむ。

 化物と英雄、友情と恋、未踏の大地に不思議な宝玉。

 無垢なる者達の瞳には、何の影も落とされていない。


 憂うのは兵士、戦士と騎士。先が見える一部の智者。


 それ以外はみんな、「今ここ」に精一杯。

 裕福なままでいなければ、王都を追われるかもしれない。

 それらに起因するいざこざから、知らずに誰かが消えるのも、珍しい話でありはしない。

 明日もこの生活を続ける為には、骸獣コープスに震えている暇など無い。

 ここでは気を抜いた者から順に、取り残されて周回遅れ。

 家を失えば、下水路からすら追い出されれば、


 明日には前線イェリコに、地獄にいるかもしれないのだ。



 そんな鼓腹撃壌こふくげきじょうの中で、シミ一つない貫頭衣を身に着け、跳ねるように道を行く童女。

 その肩出しの服と同じく、絹のように白い肌に、麦わら帽子に収まらず溢れる、天使の輪が浮かぶ緑の黒髪。長く棚引くそれの下から、覗くその目は若葉色。右目の瞳のみ、赤色が混じる。

 幼く活発な女の子であるのに、放っておけない不安定さを持ち、それがまた見る者の庇護欲を煽る。

 あどけない顔立ちは綻び、柔らかな手足を目一杯振り回し、彼女は往来を闊歩する。


「うんうん、もっとよく知らないとね」


 雑貨・宝石・花屋・洋服店・食事処…

 ニコニコとそれらを冷やかしながら、石畳を弾むように踏みしめる。

 時節中に入っていき、石ころや繊維の塊をあがなう。

 その光景は見慣れたもので、店先から次々声が掛かる。


「嬢ちゃん、今日も来たのかい」

「こんにちはおじさん!いい天気だね!」

「ウチの新作、一個おまけしとくよ」

「ありがとうお姉さん!おいしいね!」

「たまにはフリフリしたを着なよ?」

「もう~、おばあちゃんったらそればっかり!」

「もう貧民街には行くなよ?危ないんだからな?」

「分かってるって、お兄ちゃん!」


 可愛がられ、愛される童女。

 笑顔に囲まれた陽だまりを浴び、

「こんなにみんなと仲良くなって」

 誰にともなく問いかける。


「彼は、褒めてくれるかなあ…!」

 

 勉強の成果を、親に報告する子ども。

 あるいは、愛する人との逢引を待つ乙女。


 そんな様子で幼気いたいけな彼女は、変わらぬ日々に胸を躍らせる。


 明日は、何処で逢えるのだろうか。

 次は、どうやって驚かせてくれるだろうか。


「早く、彼が見たいなあ…」


 いつまでもこんな日が続けばいい。

 

 そんな祈りが自然と湧き出る。


 足取りは尚も軽く、浮ついた気分に浸って、


 いつも通りに、幸せだった。




——————————————————————————————————————




「う~ん、大変な事になってるなあ……」


 男は他人事みたいに言った。


「いや、てめえが始めたことだろ?」

「そうだけど、ちょっと拡散の速さと範囲が、想定を超えすぎだよ。それだけ彼らが、私の思う以上に浅ましかった、ということかもしれないがね」


 失望したような口振りだが、決して落ち込んだりなどしていない。

 「思う以上に」、つまり、ある程度はそうなるだろうと、分かっていたことだったのだ。


「まあ私としては、助かる事実だが。本当に助かる。何せ我が家は、『虫の息』だからね」


 「上手い事を言っただろ?」とでも言いたげな顔をして、会話相手に視線を遣る男。しかし、思わしい反応は得られなかった。


 そもそも、得られる筈もないのだが。

 本当を言えば、目を向けることも出来ていないのだが。


「それにしても、君達は何なんだろうね?不思議な、何とも不思議な存在だよ」

「別に、何でも良いんじゃあねえか?てめえがそんなこと、気にしてるようには見えねえんだが?」

「その通り。ただ、好奇心が過ぎたのさ」


 その身を脅かす危うい知識欲。しかし今の彼にとって、気兼ねする理由は何も無いだろう。

 が、答えてやるわけにはいかない。


「わりいな」

「いいさ。今日は楽しかったよ。最近は話し相手もいなかったのだから」


 彼はそう言って窓外を眺めていたが、そのうちに体ごと部屋の中に向き直っていく。


 たぶん、はもう去ったのだろう。


 そして、次に会う時は——



 彼には何故なにゆえか、


 それが分かった。

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