1-15.前夜

「まだ、起きていらっしゃいましたの?」


 ウガリトゥ村、村長の家の前。屋内から運び出した小さい簡易卓と椅子、そこに腰掛け呆けていた翔に、マリアはそう声をかけた。

「てめえだってそうだろ?」

「わたくしの場合は致し方ありませんわよ。それはもう忙しかったのですから」

「はっ、どうだか…」

 反撃の言にも気が乗っていない。心此処に在らずであった。

「なんですの?いつもより余計に気色が悪くなっていますわよ?萎びた青菜ですの?」

 そう言いながら、翔とは卓を挟んで反対側に座った彼女は、どうも語り明かす気満々である。

 準備を手伝わなかった為に、むしろ暇になったのだろうか。

「その言葉自体が『余計』だな」

 なんとかそう言い返した翔は、置いてあった皿の上の、揚げた芋を口に放り込む。

「己の矮小さについて、といった不毛な思考にでも陥っていらっしゃる?」

「ま、そんなとこだ」

「……あっさり認められましても、それはそれで面白くありませんわね」

「うるせえ、面白がらせるつもりもねえよ」

 それ程大仰ではないが、ほとんど同じ事である。

 今まで積み上げて来たものは、裏切らないと信じていた。

 経験を通し、知識以上の学びを得て、それで強くなれているのだと。

 

 だが結局の所、彼は何一つ変わっていなかった。

 あの日から、無力で愚かな幼子のままである。


 「自分には培ってきた力がある」、そう思い上がってしまった分、かつてよりむしろ悪くなっている。

 その勘違いを証明しようと、張り切って方々駆けずり回り、結論から言えば全てが裏目。


 彼女を勇気付けるつもりが、逆に心細さを癒され、

 危険なことをすると言われれば、流されその後押しをして、

 互いを信じ約束するかと思えば、舌の根の乾かぬ内に反故にして、

 彼女が息を引き取ったその直後、遅れて権能ボカティオが覚醒する。


 彼は自らに問い詰めたい。


——何しに来たんだ、てめえはよ?


 唯一の成果らしきものは、彼女の夢を後押ししたこと。

 だがそれは、彼女が既に掴んでいた成功だった。

 翔は間にいっちょ噛みし、折良くタダ乗りできただけだ。

 そこに、彼がいなければ成立しなかった事象など、無いのだ。


 あの未来ある少女にとって、翔はなんのプラスにもなっていなかった。

 最後は死因となったのだから、マイナスと言った方が断然正しい。


「まあ、自らの至らなさを顧みている内が花ですわ。この村の住民のように、それで充足してしまったら終わりですわよ?」

「言うじゃねえか。だが、昼間のお前の論理には、穴がある」

 一見無謬の正論だが、そこには一理があるだけだ。

「それはそれは、是非とも教えて頂きたいものですわね」

「お前は最初から、多くの有力者との繋がりを持っていた。何もしなくても、生まれた時から祝福されていた。努力で事を為すのがお前にとっての高貴さなら、『高貴の出』とやらはその境地から最も遠いという矛盾が生じる。違うか?」

 彼らと彼女は全てが違う。

 彼女の正しさで、彼らは断罪出来ない。

「お前はその、ナントカ言う公爵の令嬢だったからこそ、努力に結果が追い着いてくれる。だが、そうじゃない奴も居るってことだよ。どれだけ頑張ってみても、どうにもならないことだってあるんだ。全部が無駄、そういった心持ちになるのも分かる。ユーリへの嫌がらせも、『間違いを正してやる』っていう善意から来てんだろう。必要なことに時間を費やせ、誤った道に気をとられるな。そう言いたいんだ。箱入りお嬢様には、分らねえかもしれないがな」


 そう、世界一の頑張り屋が、身の丈知らずな男のせいで、未完の大器のまま砕け散ったように。

 奮励ふんれいが必ず実るなんて、口が裂けても言えないのだから。

 

 追加の芋を摘まみながらの詰問、それに対してマリアの側は、

「わたくしが恵まれていることは、間違いなく事実ですわね!何故ってわたくし、この世界の中心に立っておりますもの!」

 いつも通りに、驕り高ぶるのみ。

「なんだって?」

「わたくしには、不可能なことなど御座いませんの!ですから、そのわたくしの財産の、そのほんの一部でもある以上、勝手に諦めるなど言語道断ですわ!わたくしの持ち物は、このわたくしと同じように——」


——誇らしく、美麗に在らなければ。


 その増長は何処から来るのか。

 何処まで伸びて、何処で折れるのか。

 それとも、不屈だとでも言うのか。


——嘘こけ、折れないヤツなんていねえよ。


「てめえだって、生まれる親が違えば、そんな減らず口叩けねえだろうが。あいつらに偉そうに説教できる立場か?」

「まあ!わたくしが苦労知らずのような言い草!…でもその点は正しくってよ?わたくし、苦労なんてしたこと御座いませんの!嗚呼ああ!優秀過ぎる自分が怖い!」

 当然後半は聞き流し、翔は尚も食い下がる。

「いいか?世の中には、壁に体当たりできないヤツも居る。そして大抵、『これが欲しい』『こうなって欲しい』なんて、理想通りには運ばない。願いは所詮、妄想と同じだ。この村の連中だって、そう簡単には変われねえよ。いずれまた、手を抜き始める。お前がご主人だったとしても、全て上手くいくわけがねえ。何故って俺達のほとんどは、『特別』な存在になれなかったんだからよ」

 そう言って翔は、次の一切れを咀嚼した。


 全ての人間に生きる意味がある、そんなのは嘘だ。

 神様はみんなを見てくれる、酷い妄言だ。

 人は皆、何処までも不公平で、いつまでも誰かの犠牲ありきだ。


「だからこそ」

 マリアは言う。


「思い通りにならないことが多いこのパンガイアで、ほしいままに振舞える、その座に手を伸ばし続ける。それこそが、尊い事なのではなくって?」


 翔は目も合わせずに、

「ああ、そうだ」

 同意した。


「だから」

 彼は惜しむ。

 そして悔いる。


「だからあいつは、凄い奴だったんだ」

——自力で「特別」に、「変えられる」側に立ったんだ。


 昼間、彼はユーリの墓を掘っていた。

 リアスマ隊の衛生科長と共に。


 この村に居る内に、どうしてもそれだけは、済ませておきたかった。


 ユーリを、葬ることだけは。


 今の彼には、そうやって彼女を慰めることしかできない。

 否、死者はもう何も感じない。感じる事が、できない。


 それで慰められるのは、生者だ。

 

 翔自身だ。


「そうだ、あいつは、本当に…クソ…」

 手が止まらない。

 さっきから腹に詰め込んでいるのに、一向に飽く気配が無い。

 所謂、「自棄食い」という状態。顎を動かしていれば、その間は考えずに済む。

「女々しいこと」

 そんな彼を前に、マリアも相手に視線を向けず、溜息のように毒を吐く。

「いつまでもそのような状態では困りますわよ?わたくしと共に、栄光の花道を駆ける従者なのですから」

「御免だね。ラフレシアにでも埋め尽くされてそうだ」

「らふ…?」

「何でもねえ」

「ほおぉ、『何でも』、ですの?」

 彼女はそこで、彼の方に向き直りながら、底意地の悪い笑顔を浮かべ、


「それで、その猿芝居はいつまで続きますの?」

 

 そう切り込んで来た。

「………なんの話だ?」

 彼は一応誤魔化してみる。

「わたくしの知らない言葉、知らない事物、そういったものを漏らすことが多すぎますわよ?そう言えば貴方のお名前、苗字を持つということはそれなりの名家ですの?ユーガという一族は、とんと伺ったことがございませんが」

「てめえの見識が狭いだけだ」

「あらまあ!浅学で申し訳ございませんわね!ですが、方々の戦場を飛び回るリアスマ隊の方々ですら、知らない言葉があったらしいですわよ?」

「そういう事もあるだろ」

「ではあの武器は?貴方の権能ボカティオ、見たところ本分は『創出』ですわね?貴方が手にしていた物、貴方が操っていた者、そしてあの兵装。統一性がまるで御座いませんわ。あの攻撃の為だけの力と言うには不自然。その場合前者二つが要りませんもの!何らかの基準に則った物品を生み出す能力、そう考えれば納得できますわ」

 となるとあの時の武器は、手順を踏めば実際に作ることが可能。

 つまり翔は、誰でも使える強力な武器、その製造方法を知っているという事。

「随分と物知りな『記憶喪失』ですこと!ねえ?」

 九割九分、露見している。

 それでも彼は、白を切り続けるしかない。

「知らねえさ。どうして自分がこんな状態なのかも。あの時持っていた武器をどうやって再現するのかも」

 芋を呑み込んでそう言った。

 それは半分本当でもある。


 彼は銃器の組み上げ方を知っていても、更なる基礎、原材料については、全くの知識不足なのだ。

 例えば銃の基本動作、「発射」の為の点火、それに必要な火薬について。

 彼はその存在を知っている。だが、その作り方は分からない。

 硫黄と硝石が必要だった筈だが、それをどうやって手に入れるのかが記憶にない。どう配合すればいいのかも。

 本体の材質にしてもそうだ。「ステンレス」というものがどういった合金なのか、それすら認識が危うい。

 この世界にも同じ物があり、彼が言葉で表した時に、精霊達がすぐさま対応するものを理解した。彼としては、そうとしか言いようがない。精霊タピオという上位存在には、別の世界も見えるのだろうか?

 もしかしたら、ここまで追い詰められる前には、アルセズ達も作ったことがあったのかもしれない。

 いずれにせよ、考えても詮無い事ではある。

 やってみたら、出来た。

 今はただ、その幸運に感謝するしかない。

 

「申し上げておきますが、別に貴方が出自を偽ろうと、わたくしにはどうでもよろしくてよ?」

 そしてマリアの適当さは、その上を行った。


「いやよろしくはないだろ」

 あまりにもあんまりな宣言に、翔はつい冷静になってしまった。

「敵のスパ…、じゃなくて…、間者とか考えねえのかよ…。国家転覆を目指す反政府主義者とか」

「その場合、叩き潰せばよろしいだけなのでは?」

「思考が脳筋過ぎる…」

「それに、わたくしにとって重要なのは、貴方が面白いかどうかですわ!」

「判断基準が刹那的過ぎる…」

「貴方!自室に物がたくさんある場合、お気に入りのもの・見てて面白いものは、すぐ手が届くところ・目に入り易いところに置くでしょう!?」

 その話でいくならば——

「で、俺は?」

「勿論!『面白いもの』ですわ!他に見ない権能ボカティオだというところが大変よろしい!あれで骸獣コープスがキリキリ舞いを披露するところなんか、とても痛快でしてよ!」

「だろうな知ってた」

 サーカスの珍獣扱いである。

 知っていること、持っていることがステータス。

 翔の語彙で言い換えれば、映えると言うよりバズるタイプ。

「けれどもし、貴方の過去を打ち明けてくださいましたら。そうですわね…、わたくしのことを、『マリー様』と呼ぶことを許可致しましてよ!愛称でなんて、何たる贅沢!」

「慎んで御免こうむる」

——コイツと友達なんて真っ平だ。

 軽くシミュレーションしてみただけで、残った気力がゴリゴリと削がれていく。


 「まともに話そうとしたことが間違いだった」と、芋をおかわりして話を切り上げる翔に対し、


「貴方!さっきから何ですのそれは!?」

 マリアの側からお叱りが飛んできた。

「わたくしが話しておりますのよ!この!わたくしが!」

「そうだな、やかましいな」

「それなのに貴方ときたらパクパクモグモグ!有難くお聞きなさいな!」

 心此処に在らずといった、彼の態度が気に食わないらしい。

「仕方ねえだろぉ?これ意外と旨いんだよ。郷土料理として、復興計画に組み込んでもいいんじゃねえか?」

 油で揚げ、マリアが持参した塩や香辛料を振りかけた芋は、ちょっとしたポテトチップスであった。

 舌の上と噛み砕く歯から、ごってりとした不健康さが染み渡る。

「わたくしの言葉よりお芋ですの!?」

「食ってみろって、そうすりゃ分かる」

「まあ!こぉんな時間にそぉんなしたものを食するなど、お肌や体型維持によろしくありませんわ!」

「よろしくないのは怪しい男より芋なのかよ…」

「だいたいそれ、手が汚れるじゃありませんの!お口だって、不自然にぬめりますでしょう!?わたくしの美しい見目に対してあまりにおぞましい所業で——」

「ああああもういい!」

 その時点で辛抱堪らなくなった翔は、終わらぬ誹りに埒が明かないと見るや、

「つべこべ言わず食え!」


 手に持ったそれをマリアの唇目掛けて突っ込んだ。



 たっぷり

 30秒程。


 彼女は、

 マリーは、

 その間ずっと、

 固まっていた。



 詰め込まれた炭水化物を、咀嚼する様子すら一向に見せず、口を半ば開けたまま、クエスチョンマークを頭上に浮かべる。

 何が起こったのか分からない、顔面全体でそう語り、間の抜けたまま翔を見て、


「癖になる味」


 それだけ言った。


 翔は、

「プフーッ!」

吹き出してしまった。

「な、な…?食わず嫌いは…クククッ、良くないだろ?フーッ…!フーッ…!」

 必死に堪えているのは分かるが、馬鹿受けなのが隠せていない。

 口すら押さえて肩を振るわせ、目尻を拭えど止まらない。

「ち、違いますわ!お味は矢張りエストの料理の方が上ですわ!それにお世辞にも、健全とは申し上げられない味わいをしてますわ!ただ、『美味しい』と言うのではなく、なんと言いますかこの…気付いたら手に取ってしまう魅惑…」

 咥えた芋を急いで消化し、そう言いながらもう一切れ、口に入れモガモガいわせハッとして、爆速で噛み潰し澄まし顔を作る。だが頬袋がまだ処理しきれておらず、更に口周りが心なしかテカっていた。

「リスだ…っ!プフーッ…!リスが居る…っ!」

「な、誰が可愛い小動物って!?もっと孤高の存在で喩えなさい!その、わしとか!」

「鷲!…その顔で鷲…!ヒィー!ヤバイ、もうヤメテ…しぬ…ヒヒヒッ、笑い死ぬぅ…!ククッ」

 ジャンクフードに魅了される、そんなところまでテンプレ通りとは、流石の翔も畏れ入る。

 そんな彼に憤慨するかと思いきや、

「…わたくし、今とてもみっともない有様の筈ですわよね?」

 彼女はいきなり、心底不思議そうに、そんなことを聞いてきた。

「お、おいおい…気にしてるのか…?大丈夫だって!そんなもん全然…ブーッ!…ダメだ!面白過ぎる…!」

 ツボに嵌った翔にとって、今の質問すら爆笑ポイント。

 神妙に話を続ける為には、今暫く時間が必要そうだった。

「何よ…!?知りませんわよ!もう…!」

 降って湧いた赤っ恥に、顔から火が出る勢いの彼女が、プイと横を向いて逃げに走る。が、耳まで染まっていては意味が無い。

 そんな少女がまた可笑しくて、

 そして、どこも「特別」に見えなくて、


——こういう所をもっと前面に出しときゃあ、人望も集まるだろうに。


 翔は、そんなことを思ってしまった。


 そして、誇り高い人物を装う、この高慢な少女の、


 澄ました仮面の下を、晒してみたいとも。



 夜が、更けていく。


 空を照らす無数の星と、


 草木に宿る精霊以外、


 何者も見ていないその刹那。


 彼ら二つ、


 今此処に出会った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る