1-2.迷惑な小娘 part1
「なんですの!これは!?」
ああ、またか。
それが翔の感想だった。
多分、周囲に居並ぶ朱色の兵隊達——リアスマ隊というらしい——も、同じくうんざりしていると、彼は確信していた。
事実、兵士は皆主君の横暴に士気がだだ下がり、テンプレお嬢様ことマリアの挙動を、苦々しく思っているのは疑いようがない。一様に、息ピッタリに、苦虫を嚙み潰しているのだから。
「あなた方、よくこんな無様を晒せるものですわね!わたくしを出迎えるということがどういうことか、まるでお分かりでないんですの!?」
——知るか。
それが翔の率直な感想だった。
このウガリトゥ村に着いてからマリアお嬢様は、そのご弁舌を大層発揮なされていた。それはもう、反感しか買わないことを分かっていないようだった。
少しだけ遡ろう。
彼は整備など一切されていない道の上、
理由は二つある。
一つ。
先述の通りとにかく乗り心地が最悪なのである。
当然のように馬車、それも木製の車輪。ゴムもサスペンションも知らぬ存ぜぬ、道は曲がりくねり絶えず
つまり、酔うのだ。
初めて3時間ぶっ続けで3Dゲームをやった時と同じような、厭な頭痛と吐き気に見舞われ、のど飴か梅干しが無性に欲しくなった。
だがそれにも増してもう一つ。
「ああ、もう!何故この道はこんなにも不便なんですの!?」
彼の目の前に座る豪華版騒音機のせいである。
このマリアという少女、黙っていれば目つきがキツイだけの美少女なのだが、口を開けば爆音でキィキィと鳴き出す。まるで躾のなってないペットだ。毛並みの良いドラ猫である。
大きな乗り物に、専属であろう老齢の執事、二人のメイドに、紅茶や菓子類。遠征中とは思えない歓待を受けておいてこれなのだから、随分甘やかされて来たと見える。
因みに、「執事」や「メイド」は見た目から翔が勝手にそう考えているだけだが、給仕や身支度を担当する老人に、パワハラに遭った平社員のように、何も言えずにアワアワしている少女を見ていると、そう外れてはいないあて推量だと、彼はそう判断している。
とにかく、お嬢様だ。
さっきから、やれ馬車の質が悪いだの、やれ貧乏臭い田舎に行く羽目になっただの、使用人を全員連れて来れなかった、兵士達からの敬意がまるで感じられない…
よくそんなに沢山怒りポイントを見つけられるものだと、翔が内心感心する程だった。
挙句の果てには——
「貴方!貴方も貴方です!なんですの!?『覚えてない』って!ちっとも面白くありませんわ!」
矛先が彼に向けられる。
そう、彼は自分の素性を徹底的に隠した。
「死に物狂いで逃げていたので、ショックで記憶を失いました」、いけしゃあしゃあとそう言い放った。
彼が何故そのような行動をとったのか?
この事態が彼の想定の、最悪すらも遥かに超える。その可能性が急浮上してしまったためだ。
酉雅翔は思った。
——これ、地球じゃないんじゃね?
と。
少なくとも、遠い別惑星である筈だ。
何故か?
その結論に至るまで、幾つかの混乱があった。
まず、彼を襲った恐怖の巨大モグラである。
あれ程大きい土竜が存在し、しかも人間を襲ってていて、更にはそれを、中世の兵士みたいなのが駆除している。
どう考えても、元の地球なら世界に知れ渡っているだろう。
こんなエンタメの権化みたいな状況、見逃される方が不自然である。
因みにマリアはあれを、「
それはあの土竜のことと言うよりも、ああいう異常な生物全般を指すようだ。
つまり、そういう未知の概念が浸透している。
その「兵士」も違和感の一つだ。
文明レベルも、文化もまるで違うのだ。
遠い異国では説明がつかない。
翔のイメージでは、地球人類の科学技術の発展具合は両極端だ。
その恩恵に首まで浸かって抜け出せなくなるか、大自然と調和して生きているか、その二つ。世界中が繋がった現代に、古代か中世くらいの兵隊の恰好で、大真面目に野生動物と殺し合う。
そんなチグハグな連中、やはり見たことも聞いたこともない。
これではまるで、「ここに居る彼らが文明の最先端」であり、全力で得体の知れない生物と戦っているかようではないか。
極めつけは、あの“能力”。
翔は、土竜が燃えたのは、松明か火矢によるものだと思っていた。なんだかぶつぶつと言葉を紡いでいたが、気合を入れているだけだろうと。
だが彼がパニックから復帰し、右腕の痛みを思い出した頃、その考えは覆った。
その時彼は、とにかく痛がり地面をのたうち回っていた。
無理もない、骨が覗くレベルで肉を持っていかれたのだから。
それを見下ろしていたマリアはというと、
「クリス!少しこの方を静粛にさせていただけませんこと?」
と姿勢も変えずに命じた。
傍らに仕えるメイド擬き二人、その一人、長身でグラマラスな体型の持ち主が前に進み出る。
ダークブラウンの髪をシニョンに纏め、青い瞳を持つ美人。
黒いワンピースと白の付け襟、黒いリボンに白い前掛け。
モノクロームで構成されたその女は、恐らく成人近い。
「ほいほーい、お姉さんにお任せあれえ」
などとお道化ながら弾むように近づく彼女は、良く言えば親しみやすく感じたし、悪く見れば場違いに軽薄だった。
「クリス」と呼ばれた彼女は翔の傷に手を添え、
「はい、痛いの痛いの飛んでけえ~。何も起こってない、何もなくなってない。全部あるべきところにあるよ~」
などとこれまた暢気に口ずさむと、不思議なことに、痛みが本当に引いていった。
訝しんだ彼が恐る恐る見下ろしてみると、
翔の腕は、完全に元通りになっていた。
「ん、」
確定だ。
「んん、」
認めるしかあるまい。
「んんんんンンンンンンン????」
これは、理外の力だ。
此処は、別世界だ。
奇声を上げる彼を探るように見る目つき。
観察されている。
何者なのかと。
もし彼がアウトサイダーだと知られたら、この場の人間はどう動くか。
だから彼は、
「スミマセン、何にも分かりまセーン」
と咄嗟に嘘をついた。
殺されかねない。
本気でそう思ったのだ。
だが、翔がこの状況を最悪だと感じている理由は、その綱渡りな状況だけではない。
最も厄介なのは——
「貴方、言葉は覚えていらっしゃるのですわね」
「ああ、そうなんだ。そんなわけで、色々と教えて欲しくてだな…」
村に向かう馬車の中、情報収集を敢行した彼だが、即座にその違和感に気付かれた。
そう、何故か言葉が通じるのだ。
あらゆる点で異なる世界。その内、人間っぽい生物と、日本語っぽい言語があるここに、翔が偶然迷い込んだ。
——んなワケあるか。
作為を感じる。
意味が、目的があるような気がする。
——御膳立てが済まされてやがる。
誰かが、或いは何かが、彼をこの世界に呼んだのだ。
故に彼は知らなければならなかった。
自分がどこに居るのか。
何をさせられるのか。
何をするべきなのか——
「それで、貴方のそれはどちらの地域の言葉ですの?」
——あれっ?
「は?何処って、同じ言葉喋ってるじゃねえか」
「はい?………まさか、そこからですの?そこからお話ししなければならないんですの!?」
そこから先は、彼の理解を飛び越え続ける情報の濁流だった。
曰く、この世界には至る所に“
曰く、
その奇跡そのものな異能を、“
また、
「彼らは言葉に籠められた意味を察知することを得意とします。もっと言えば、アルセズの思考を読むことが出来るのです。それは、
そう教えてくれたのは、同乗している推定執事である。
マリアは常識を教えることが億劫に感じたらしく、説明の一切を彼に丸投げしたのだ。
60は超えているであろう老人で、整えられた白髪は、しかし前髪が伸び気味。黒い燕尾服、白シャツ・黒ネクタイ、だがそれらの縁は金色。片眼鏡まで装備している。皺だらけの顔に、
お嬢様は「ジィ」と呼んでいるし、本人も名乗らないので、翔は「爺さん」と呼称していた。
ともかく、これで言語問題が解消された。
言われてみれば成程、「タピオ」「アルセズ」といった読みから、「精霊」「宿子」といった漢字を連想できるのは、間に翻訳者が居るからなのか。少し意識を集中すれば、元の言語を聞くこともできるらしい。
「そのボナントカって特殊な力は、訓練したら手に入るものなのか?」
「お話を聞いていらっしゃらないのか、頭がお猿さん並みなのか、どちらですの?」
「あ゛?」
「
まず出生時に親が祈りを捧げ、それが
その時、ある場所から光が届き、それに触れた赤子が力に目覚める。
それが唯一の獲得プロセスらしい。
だとしたら、「翔に新たな才能が芽生える」といった可能性は、非常に望み薄であるだろう。
執事は「思い出せないだけで、何らかの祈りがあった筈ですぞ」と言っているが、そもそも翔の生まれた場所にはそんなシステムが無かった。精霊達が特別に与えてくれる道理がない。
また曰く、彼らアルセズは現在存亡の危機に瀕している。
この世界——パンガイアと呼ばれる——において、現在“国”と呼べる機能を持つのは、マリアが嫁ぐ予定のバシレイア王家収める、バシレイア統一君主国のみ。その国は
封建制と立憲君主制が混ざったような不思議な統治機構で、どう発達したらこうなるのかが分からない。
それ以外の領域はというと、陸地にしろ海にしろ、
“
翔を襲ったあの土竜も、
彼らは一つの共通した特徴から、一括りの群体と見做されている。
「そいつらは、何処から産まれてるんだ?」
「不明ですな。言い伝えでは、“魔王”と呼ばれる存在が生んだとされていますが、その実在も、生存も、一切が分かっておりません。」
「弱点とか無いのか?」
「共通するものはありませんな。ただ、夜・暗がり・雨を好む習性がございます。まあこれは、私共の側に因があるのですが」
言葉が通じること。
翔がいきなり食われかけたこと。
彼の身に起こった不思議な現象。
それら全てが、このパンガイアでは珍しくもないらしい。
つまり翔は、本当に只の偶然で、ここに迷い込んだだけかもしれない。
現状を変える力も無く、死と隣り合わせのこの場所に。
聞けば聞くほど詰んでいる現状を徐々に把握しながら、翔はウガリトゥ村までやって来た。
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