1-6.暗雲

「一雨来そうだな」


 明り取りから空を見上げ、翔はそう言った。

「困りますわ。これ以上日程を後ろ倒しにするのは、少々避けたいところですわ」

「そうは言っても、万全を期すためには仕方がないでしょう」

「それもこれもあなた方が遊んでいたからでしょう!」

「な…!?民の暮らしに寄り添い、守るのが我々の仕事でしょう!遊んでいたなどとは心外でありますなあ!」

 マリアがやらかしたのを確認し、翔は現実逃避から渋々抜け出した。


 祭りから一夜明け、村の集会所。

 広いホールと言った構造で、殺風景な体育館みたいな場所であり、「ここで寝泊まりすることにならなくて本当に良かった」、と翔は思っていた。

 後片付けも終わったということで、マリアとリアスマ隊の隊長、そこに村長も交えた、調査計画策定会議が催されていた。

 進捗は、見ての通りよろしくはない。


「おい天麩羅てんぷら娘」

「てん…?なんですのそれは」

「見かけ倒しの金鍍金めっき女ってことだよ」

 

「貴方やはりわたくしをおちょくっていらっしゃいますのね!?」

「てめえが引っ搔き回すから話が進まん!今までが思い通りに行かなかったとして、それをブウブウ言うのは後にしろ」

「…むぅ…」

 不機嫌を隠そうともせず、彼女は黙って先を促した。

 どうにも不貞腐れているようだ。


「そ、そいで、どおやって化け物共を退治してくれるんだす?」

「村長殿、まだ骸獣コープスが居ることは確定ではありません、と言うより、居ない可能性の方が高い」

「で、でも、確かに村のモンが…そこのお人だって襲われたって…」

「その一匹は単独行動をしていました。群れが基本のやつばらめにとって、それは本来避けたい状態の筈。にもかかわらず一体のみだったのは、敗残した生き残りであるからだと思われます」

「それが最後の一っぴきだってえ言うんで?」

「まあ、少数で脅威度が低いため、前線イェリコの駐屯兵も、残党狩りを後回しにしたのでしょうなあ」

 翔には、随分と希望的観測にも聞こえる。

 ただ、あながち間違いとも言い切れないのだ。

 何故ってそもそも——


「失礼を承知で言えば、そもそもこの村を落とす旨みが、奴原には皆無なのです」


 そう、ここが陥落したところで、南北の都市軍が鎮圧に動くだけだ。

 いや、こっそり動けるほど少数の敵、国に対処させて放置もあり得る。

 勢力を割く為の作戦なら、もっと内側に食い込むだろう。

 ここでわざわざ姿を現す、そのメリットがどこにもないのだ。


「で、ですけども、実際に前線の防御の内側に——」

「地面を掘るタイプの骸獣コープスは、これまでも数例確認されていますし、堰き止める手法も確立されています。数体程漏らしただけでしょう」

「その程度の相手でも、無力なこの村では何の役にも立ちませんわね。襲われるだけで碌に反撃もできないのですから。もしや案山子の親戚の方?」

「な!の!で!こんな時の為に兵士は派遣されるんですよ~そうですよね?」

「その通り!」

 翔は即座にマリアの嫌味を無かった事にした。

 隊長も慣れたもので、右から左へ流すのも、何だか板についてきた。

「この辺りで掘り返された場所が無いか、あと一週間程探ってみます。前線イェリコにも連絡し、より一層の警戒強化を呼びかけます。その上で問題ないようであったら、ここを去ることに致しましょう」


 それが結論だった。

 隊長は調査を開始するべく、身支度を整え始める。

 村長は大事にならないことに胸をなでおろし、村民に伝えるべく部屋を出る。

 マリアはまだぶすくれており、ちびメイドがあわあわと困り果てていた。


「——」


——…?


「今、何か聞こえなかったか?」

 翔は隊長に聞いてみる。

「ふむ?いいや、私には何も…」

 窓の外を見ると、パラパラと降ってきていた。

 案の定、空模様が崩れ始める。

 先程の気づきは、雨音だったのだろうか。


「——…!…」


 いや、やはり聞こえる。

 降り注ぐ水滴の、その先の方から。


「……だ………に…!——」


 これは、

「声?」

「わたくしめにも聞こえましたな」

 執事服までもがそう言い始め、その部屋に居た全員が耳を傾ける。


「……やつ…——げ……!こ……」


 それは土を打つ水音に紛れて、しかし確実に近づいて来ているため、少しずつ何を言っているのかが、分かるようになっていく。


「——にか………ろ……され………!」

 だが意味を捉えるには、もう少し足りない。

「なんだ一体…!」

「シッ…!お静かに…!」

 マリアがそう言い、その場に静寂が過ぎた、

 

 その刹那 。



「奴らだ!モグラに囲まれてる!!みんな逃げろ!殺される!!」



 「殺される」。

 まず真っ先に隊長が飛び出していった。

 号令をかけ、隊を集め、報告させている。

 外に出ていた村長は、声の主の方へと走る。

 マリアはすっくと立ったかと思うと、執事服に何事か囁き、それを受けた彼は何処かへと急行する。

 翔は、動くことができない。

 

 ここが、この村が、何らかの死地となった。

 それが分かった。

 分かってしまった。

 彼に出来るのは戸惑うことくらい。

 いきなりの危機に、頭はからになり現実感を喪失する。


「何を腑抜けていらっしゃるんですの?」

 

 マリアの叱咤で、我を取り戻す。

「い、いや、『奴ら』って…」

「十中八九、骸獣コープスですわね」

「だ、だって、そんなに沢山はいない筈じゃ…」

「地中型は呼吸をする為にか、柔らかい土壌を浅く掘りますわ」

 マリアは唐突に、その知識を披露し始める。

「我々アルセズは前線イェリコに壁を築き、その地面を固く舗装することで、その下を通っても大半が窒息死するような、対策済みの防衛線を構築していますの」

「じゃあなんで——」

「他の経路…空気が豊富にある…いえ、発想の転換が必要ですわね。例えば水中…いいえ、運河も当然封鎖されていますわ。そもそも掘り進む必要が無いなら、あの形状をして地面から出て来る意味が——」

 

 そこで彼女は、何かに気付いたように瞠目する。


「まさか、地下水脈…?そこを泳いで壁を超えましたの…!?だとしたら、これは大問題ですわ。この村から離脱できないのなら、尚更に…!」


 

 


 翔は理解が追いつかない。

 何が起こっているのか?

 どうしてこんなことになっているのか?

 さっきまで、解決したも同然だったのではなかったか?

 だがそんな混乱も、彼女が外に出ようとしたことで打ち切りとなった。


「おいおい待て!どこに行くつもりだ!」

「まずは奴らを掃除致しますわ。そしてこの情報を、前線と王都の双方に届けなければなりませんの」

 そうすることが当然、それが可能と確信している。

 彼女の振舞は、そう語っていた。

「さっき聞いたろ?俺達は袋の鼠だ。それにてめえが行ったところで、何もできねえだろうが!戦闘が終わるまで待つのが賢明だ」

 彼女が連れて来たのは使用人のみ。戦力としては当てにできない。

 幸い、リアスマ隊の練度と能力の高さは既に目にしている。

 土竜の群れくらいなら、焼き払ってくれるだろう。

 時間はかかるが、仕方ない。

 それが安定且つ冷静な立ち回り。


「いいえ、打って出ますわ」


 マリアはそれを、一蹴した。


「わたくし自らが赴き、速やかに敵を根絶やしに致しますわ!」


 どころか、とんでもないことを言い出した。

 恐れも迷いも見当たらない。

 それが翔には理解できない。

「血迷ってんのか!てめえが考えなしなのはいいが、それに部下を巻き込むな!邪魔な御偉方を庇いながら戦う身にもなれ!安全な場所で万が一にも死なないようにしてりゃあいいんだ!」

「お断り致しますわ」

「どうして!?」


 マリアはそこで、Vサインのように、右手の指を二本立てる。

「二つありますわ。一つ、わたくし達は戦力であり、今は温存する局面ではございません」

——そしてもう一つ、

 悪ふざけを思いついた子供のように。

 命を潰して楽しむ、無邪気のように。

 不敵な、或いは邪悪な笑みを浮かべて曰く、


「わたくしの物を奪おうというのです。その思い上がりを正すのもまた、わたくしの責務でございます故に」


 彼女が言っていることを真に受けるなら、支配者たる彼女に喧嘩を売り、無事で済むと思っていること、それが彼女の逆鱗に触れた。

 それだけの理由で、戦場に立つと言うのだ。

「如何に不敬な行いか、思い知らせてやりますわ!そしてこの世界の主役が誰であるのか、その身に教えて差し上げますの!」

 そう言って彼女は例の高笑いと共に、偉ぶりながら去っていった。

 こんな時まで、堂に入った威丈高いたけだか

 さながら負けフラグを立てる悪の首魁しゅかい


 執事服はもう見えなくなった。

 メイド二人も、どうやらとっくに建物の外だ。


 翔には意味が分からない。

 ちんけなプライドの為だけに、死にに行くようなものなのだ。

 偉ぶる為に、命を差し出すのだ。


 着飾って、

 叱りつけて、

 イキがって、

 強がって、

 

 そんなに大事な物なのか。


 手に入れてたとしても——


——ゴミだぞ、それ…。


 翔は心中でそう悪態をつき、


「しーらね」


 諦めた。

 理解できないなら、理解できないでいいのだ。

 彼は、と言うより人は、どこまでも自分の為にしか生きられない。

 無知な女が無謀な事をして、それは彼には関係ない。

 勝手にやってろ、と思うだけだ。


 翔は村民が集まっている場所を目指す。

 単純に戦力として、そしていざという時の盾として。

 これだけいれば、万一骸獣コープスが来たとしても、周囲の人間に狙いが分散する。


 幸い、集合は特に問題も無く行われたらしく、人の塊はすぐに見つかった。

 話を聞いてみると、さっき駆け出した執事服が、真っ先に避難誘導を行っていたという。

 見れば、今もちびメイドが声を張り上げて、群衆を落ち着かせようとしていた。


 結果だけ見れば、あのお嬢様の方が彼らを守ろうとしている。


 そこに思い至った翔は、抑えきれない焦燥を覚えた。


 だからなのかは分からないが、せめてユーリを見つけようとした。

 何の足しにもならないが、「守ろう」などと思っていた。

 本当は、不安だっただけかもしれない。

 見知った顔が、欲しかっただけなのかも。


 だがそのお蔭で、気付けた。



 ユーリが、


「おい、おいあんた!ユーリは?昨日踊ってた女の子はどうした!?」

 翔が手近に居た男に詰め寄ってみれば、

「え?いや…あれ…?」

 そこから動揺が伝播する。

 その途中で、答えを知っている者が居た。


「あいつはぁ、畑に向かっただ!」


——…はあ?


「それを止めなかったのか!?」

「し、仕方ねだろ!?なんかよう分からんこと言いおって、止められんかっただ!」

「あの放蕩娘相手なら当然だ。何考えとんのか、とんと理解できん!」

「また阿保なことしとるんだろう!こんな時に…!」

 頼りにならない大人衆は放り、翔は考えなくてはいけない。


——何をするつもりだ、ユーリ…!


 彼は今すぐにでも、ユーリを探しに行きたい。


 だがここから離れることは、それだけ死に近づくことを意味する。


 それだけのことをして、彼が得られるものとは何か?


 彼女に命を懸けるのか。


 放っておいても勝てるのに、余計な事をする厄介者になるのか。


 格好をつける為だけに。


 己の承認欲求の為だけに。


 ユーリが、何をしたいのかすら分からないのに。


 もし彼女の行動が、単なる考えなしだったら?


 彼は、後悔せずにいられるだろうか?


 生死すら天秤に乗った選択を迫られて、


 翔は——

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