1-5.見慣れぬ星空
「なに
彼女は小脇に何かを抱え、そろりと寄って来たようだ。
「…そうか……似合わねえか…」
「え、いやあ、あんまり重く捉えられても…あ、あの、もっと明るう楽しゅうの方が良いってことで…」
心此処に在らずといった翔を見て、思ったより本格的に落ち込んでいると勘違いしたのだろう。
「違えよ、そんなに傷ついてねえよ。気を遣うのやめろ」
慌てて取り繕うユーリに、彼は苦笑しながら周囲を見回す。
「…いつの間にか、諸々終わっていたのか」
広場には、彼ら以外に人っ子一人居なかった。
舞台も片づけられ、ゴミ一つ落ちていない。
後始末にもリアスマ隊が発奮して、かなりスムーズ且つ徹底して掃除されていた気がする。
その時翔も、何事か手伝った記憶もある。
だが、全てが
何をしていても、手につかなかったように思う。
自分の中で渦巻く“これ”が、一体どうやったら収まってくれるのか。
彼にはそれが分からなかった。
それを表す名前すら、思い浮かばないのだから。
だから彼は、話題を変える為に彼女に訊いた。
「ユーリは、もう役目は終わったのか?」
「ううん、あともうちょっと」
聞いてみれば、日の出とともに行う祈りが残っているのだと言う。
ご苦労な事である。
激しく緻密な運動をして、そのままぐっすり眠ってしまいたいだろうに、律儀に役割を全うしている。
「何の神様にお祈りしてたんだっけ?」
「…えぇ~、流石にそんくらいは知っといてよぉ」
正直翔はあの舞を見るまで、ここの住民の信仰に興味は無かった。
だが、ユーリの作り出した幻想的な風景が、彼の関心を惹いたのだ。
「ウチらが崇めとるんは、嵐と豊穣の神様。名前は伝わってないけど」
紡がれたのは、よくある民間伝承だ。
「三万五千キロメトロはあるって言うんだから、相当な大きさなんね!」
「ええ…?インフレが凄い」
「いんふれ?」
ちなみに1キロメトロとはだいたいそのまま1キロメートル。
センチメートルにほぼ対応する、サンタメトロという単位もある。
こういうところは、元の世界と妙に類似している。
神話を語る時、取り敢えずで数字を盛りがちな所も、そっくりだ。
「その神様は、雨を降らせて川を氾濫させる」
「荒ぶる神ってことか」
「だけども一方で、その水がウチらを支えるんよ。水を利用する術を、アルセズに伝えたのもその神様」
治水を司る側面もある、ということか。
地球、どころか日本の中でも、探せば複数体いそうなタイプだ。
大規模な河川の流域で育まれた暮らしの中では、自然とそういった上位者が生成される。
脅威と恩恵、その両面を持つ存在。
「雨と、水との付き合い方を与えてくれる。だから命を産むお方であり、ウチらに作物をくれるお方でもあるのに、命を奪う天災にもなる」
その「神様」は父であり、それと同時に母でもあると言う。
厳しく道を示す父親と、優しく産み育てる母親。
その両方を兼ねているのだと。
「ここは、新たな未来が芽吹く場所。または、失われた物の再生の地。そう言い伝えられとるんよ」
楽しそうに語る彼女の態度は、彼には少し不思議だった。
「随分熱心なんだな」
「え?」
「どうせいつの日か出て行く村の、局地的な信心だろ?そんなに入れ込まなくても、手を抜いても、いいんじゃないか?」
その言葉に少女は腕を組み、少し寂しそうに答える。
「まあ確かに、最近は形ばかりのもんになっとるし、ウチがやっとるんも、他にやりたがるモンがいないから、浮いとるウチに押しつけとる面はあるんけども…」
「なら、どうして?」
そこで彼女は、少しの間考え込むと、
「ウチの夢を、言い訳にはしとうないから、なんかな…?」
そう言った。
「言い訳?」
「何と言うか、『凄い事を目指しとるから、その為にならんことはせん』みたいな。実際何が役に立つかは分からん。だってまだ見ぬ世界を旅するんだから。絶対に後の糧になることだけしかやらんなら、気付いてないだけで本当は大事なことも、取りこぼす気がするんよ」
それどころか、何事にも本気になれなくなるのでは。
少女が恐れるのは、夢の為に全てを捨てて、最期は夢も諦めるという、酷く虚しい結末のこと。
「ウチは、どんなものにも全力で行く!それがきっと、一番の近道になる」
ビシリ、と人差し指で遠くを刺し、姿勢と台詞でしっかり決めた後、「言うても、踊るのが好きなだけっていうんも、勿論あるんだけどね」と少女ははにかむ。
この村に来てから。
否、この「世界」に来てから、翔は何度も打ちのめされた。
自分の中の常識、今まで学び培ってきた土台が崩れ去り、これまでの積み重ねの全てが無意味と化した。
だが今、彼はそれらにも勝る、人生最大の敗北感を味わっている。
目の前の少女とは、似た者同士だと思っていた。
現状に不満を持ち、己のその手で変えようとし、力が足りなければ知恵を駆使する。
同じだと、思っていたのだ。
しかし、違う。
彼と彼女は、根本的に異なっている。
彼は、自分に備わった才能も、自身の及ばない部分も、これ程までに肯定することなど出来ない。
置かれた環境を前向きに捉え、その全てを吸収するような、そんなパワーは備わっていない。
「今ここ」に対する不平を垂れて、そこから抜け出そうとして、色んな「無駄」を切り捨てて。
それは結局、楽な方に逃げて来ただけなのかもしれない。
何もせず、何も見ず、何も聞かず、何も受け入れず——
だから彼の本気は、誰にも受け取られなかったのか。
今なら分かる。
あの舞台を前にして、
彼が身
圧倒されていたのは本当だ。
だがそれは、純粋に堪能していたことを意味しない。
彼女の在り方を前にして、自分のちっぽけさを見ざるを得なくなったのだ。
自分が如何に醜く捻じ曲がってしまったのか、それをただただ突き付けられて、反証の材料は見当たらず、逃れたいのに行き止まり。
傷ついていたのだ。
「お前は上っ面だけだ」と言われ、言い返そうにもその通りに過ぎて。
しかもそれを言っているのが、自分より強い少女でも、かつて共に居た仲間でも、口さがない大衆でも、父や弟ですらなく。
彼自身。
それが何より救えない。
「耳が痛いな」
つい寂しそうに、そう
置いて行かれたなんて、勝手に思ってしまった。
「え?いや、カケルは立派だよ!ウチは尊敬しとるし——」
「そんなことない」
見栄を張っていたかった筈だ。
良いカッコしていたかった筈だ。
「そんなことは、ないんだ」
だけど何故だか、言葉がスルリと落ちた。
「俺は、何もできないんだ」
素直に、それを受け入れられた。
「口先だけでその場を乗り切れても、結局何も手に入れていない。そんなことすら分からなかった、大馬鹿野郎なんだよ」
祭の準備を手伝った時の事を思い出す。
薪の割り方すら分からず、村民に教わり見様見真似。
それでも様にはなってきたものの、「もっと合ってる役がある」と言われ、促されるままそこを離れた。
邪魔をしてトラブルになるのを避けた。そう言ってしまえば合理的にも聞こえる。
けれども今考えるとあれは、及び腰の彼に村民の方から、逃げ場を作ってくれたのではないか。
彼らの為にも自分の為にも、やる気が無いと見透かされたのではないか。
あの時、多少波風を立ててでも、喰らい付くような根性が、
必死さがあれば——
——もしかしたら、あいつらも——
翔はその考えを振り払う。
終わった事であり、今は遠いどこか。
そもそも帰る算段の、取っ掛かりすら見つからない。
元の居場所について考えるより、まずはそこまでの道を探すべきだ。
先を見過ぎて今を逃す。
彼の悪い癖だった。
「カケル…?」
俯く青年の伏せられた貌を、不安そうに覗き込む少女。
翔は笑いかけ、安心させる。
「いや、大丈夫なんだ。本当に」
そう、彼は示唆を得た。
その少女に、教えられた。
「『何が役に立つかは分からない』、か…」
それは、頭では理解していたつもりだった。
見境なく人脈を広げたり、様々なジャンルのゲームに手を出したり。
しかし、そういうことではなかったのだ。
「何事にも本気で」
それが、彼に足りないものだ。
「やってみるか」
地球に帰ったら、何をしようか。
やりたい事が、沢山ある。
「あー、だが取り敢えず」
翔はその場で、大の字に寝転ぶ。
「あの小娘の提案を、どうするかだな」
明日の方策から、考えなければ。
ふと空を見上げると、夜の闇には明るすぎる空。
星だ。
強く光って、無数の、満天の。
星々が地上まで照らしている。
月擬きの光にも負けない程に。
空から暗さを取り除くように。
パンガイアに来てから数日が経った。
しかし空がこんなに輝いていたとは、翔は全く気付かなかった。
ゲームもPCも無いのなら、夜にはやる事が何もなく、起きるだけ無駄だと思っていたから。
そこに在るのに、見えていないもの。
今までも、そうやって取りこぼして来たのかもしれない。
だから、彼には何も無いのか。
「星って、自分で燃えて、その炎が光ってるんだって。ホントなんかなあ?」
ユーリがちゃっかり隣に並ぶ。
二人揃って天体観測。
「ここは、よく星が見えるな」
「ふ~ん?そんな違うん?」
「ああ、違う」
やはり電灯の無い夜には、遮るものが何もなく、空に浮かぶそれらの
翔は一通り見てみたものの、知っている星座は見つからなかった。
聞いてみたところ、北極星のように、動かぬ星はあるらしい。
だがその周囲は、案の定まるで別物だった。
光量からして、遥かに強い。
「本当に、違うなあ…」
見たことのない空の下。
翔は独り、此処に居る。
先程のユーリの疑問にも、迂闊に答えることはできない。
太陽や月とそっくりな天体は、それぞれ“オウリエラ”、“ザリキエラ”と呼ばれている。
彼の知る星と、あそこに煌めく星。
その二つが同じものか、それすらもう分からないのだ。
翔は、悲しいのだろうか。
心細いのだろうか。
彼には彼が、分からない。
分からないことだらけだ。
新たに生まれたものだけでなく、元々分かっていなかったものが、今ここに来て浮き彫りになった。
それでも一つ、分かったことがある。
彼が、本当に目指すべき人。
彼にとっての、北極星。
彼の新たな憧れが。
それは、ここに居た。
異なる世界に、
彼の在り方の理想が。
「ねえカケル」
その「憧れ」が悪戯っぽい笑みを浮かべ、上体を起こして持っていたものを彼に示す。
これは——
「一杯付き合って?」
「酒じゃねーか!」
彼は衝撃でガバリと起き上がった!
なんと、これから二次会をしようと言うのだ。
「お前年齢的にマズいだろ!」
「へ?普通に飲めるようなってから、二つくらい年過ぎとるよ?」
「ウワーッ!短い平均寿命から来る低い成人年齢!!」
何事か葛藤する翔に構わず、彼女は容器に
更に目の前で残りを飲み干した。
彼も「ままよ」と一気に
「朝早いんだろ?寝過ごしても知らねえからなあ?」
「えぇー?こっちの方が目が冴えるんよお~?ウヘヘヘヘヘヘヘ」
翔は早速不安になってきた。
それでも、自分に寄りかかる重さを感じ、香ばしさが鼻腔を
「『我と汝で天を作る。我が昼で汝は夜。どちらかが欠けたら、この世は半分の時間を失うだろう』」
「…それは?」
「……さっきの神様が、大切な片割れに贈った言葉。この後相手は死んじゃうんけど、それでも夜はまだここにある。なんだか、滅んでも尚思い続けとるって感じで、ええなあって思うんよ…」
「少女趣味、ってやつだ」
「そりゃウチ、花も恥じらう美少女だからなあ!恋愛脳にもなるってもんよ!」
「なんだそりゃ」
翔は堪えきれなくなり、喉の奥でくつくつと笑う。
時節西の空が明滅する。
あれはきっと、執事から聞いた「
赤子に祝福を与える光。
先行きの見えないこの世界にも、
わざわざ生まれて来る希望がある。
未来に続く架け橋がある。
人はまだ、諦めてはいないのだ。
「…なあユーリ」
「なあに?」
「……ありがとうな」
「…ウチはなぁんもしとらーん」
そう言って無邪気に笑うユーリには、
酒気を帯びて頬に朱が差しているものの、
あの神々しいまでの妖艶さは無く、
けれどそのどちらも彼女なのだと、
翔はすんなり受け入れられた。
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