2-3.奥の手

「奴には『おめでとう』と、そう言うべきですかな?」


 翔を担いでいるジィが、彼を下ろしながら苦々しく皮肉る。

 エスティアはクリスタンが抱えていたが、その治療役は消耗が激しい。

「お嬢様、宣言をお願い致します」

 

 

「よろしくてよ」

 トッと、馬車の残骸の上に、

 緩慢な雷のように、軽く着地して

 爛美らんびなスカートを払うマリア。

 翔は先程、光りながら優雅に跳び上がり、難を逃れた彼女を見ていた。

 多少の衝撃では、そのお澄ましヅラは剝がれないようだ。

 そんな少女が、天の両翼を扇子で示して曰く、


「只今より!あの薄く平たい、鳥肉気取り蜥蜴擬きの推定等級を、『雄』と致しますわ!各々おのおのご留意を!」


 「奥の手」は、有った。

 故に、獣等級から雄等級へ、再認定。

 上位の脅威と認識を改める。

 だが——


「今のは一体、何だってんだ」


 何を受けたのか、それが分からない。

 気が付いたら聴覚を失い、前後不覚に陥っていた。

 見てみると、馬は耳から血を流して倒れ、車体は激突の衝撃でバラバラだった。

 大きく距離を取った敵から目を離さず、


「何か」


 何か解く為のヒントは。


「クリス?」

 治療したクリスタンが、青息吐息と共に答える。

「お姉さんは…『みんなの耳を治そう!』…って…気合を入れたよ…ゼェーッ…!コヒューッ…!」

「フム、起死回生テスタメントは、もうそろそろお仕舞いか?」

 ジィが分かり切ったことを聞き、

「見れば…分かるじゃん…!」

 クリスタンが笑いながら言い返す。


「やはり聴覚、となると音か?」

「耳の内側を傷つけられた者は、平衡感覚を失うという話がありますな」

「お、音を奪う刑罰をしゅ、執行した結果、立ち上がりゅこともできなくなった、って聞いたことあるです!」

 ジィやエスティアが言うそれは、「内耳」のことだろう。

 自律神経を整える上で重要な、三半規管に繋がる前庭神経。それは聴覚を司る蝸牛神経の、すぐ横を通るお隣さん。

 片方が壊れるようなダメージを負えば、必然的にもう一方も巻き添えになる。


——途轍もなく大きな鳴き声で、耳の中を破壊した?

 さっき膨れていた腹、あれはその予備動作だったのか。


 しかし、鼓膜がやられる直前であっても、何の音も聞こえなかった。そんなにも大音量であれば、一瞬だけでも捉えないだろうか。


——いや待て

「『聞こえなかった』…?」

 だとすれば、


 翔は空を旋回するそいつをもう一度よく見る。

 鉤爪、尻尾、膜、棘、歯、鶏冠…


「そうだ、あの頭が余計なんだ」

「『余計』、と言いますと?」

「奴は身体を出来るだけ軽くしなくちゃならねえ。なのにひたいが意味もなく盛り上がって、その上鶏冠まで」

 その「余計」な重量を、何故カットしないのか。

 勿論、これが単なる動物なら、偶然そういった形態に進化した、で終わりだ。ツノゼミみたいなものだろう。

 しかし相手は骸獣コープス、それも王都までの連絡役を強襲する、重要な任を負っている個体。

 あれ程精緻に動いていた彼らが、無駄な部品を持つ出来損ないに、この役割を与えるとは考えづらい。

 ならばあれにも、何らかの機能がある。

 音と、頭部の膨らみ。

 考えられるのは——

「“メロン器官”か…!」

「…それは?」

 翔はそこで瞬刻の間躊躇ためらう。

 パンガイアでは異質な記憶、それを持っていることは、マリアにはもう気付かれている。

 だが、ジィは?

 彼は鋭い所があり、もう分かっているやもしれない。

 なら、クリスタンやエスティアは?

 黙ってくれるだろうか?

 主が黙認しているのなら、それに従ってくれるか?

 彼女達の忠実さを、どこまで信用する?

 彼女達に、暴露していいものか?


「カケル、この場のどなたであっても、わたくしから楽しみを奪うことなど有り得ませんわ」


 その逡巡を、マリアが突き刺す。

「このわたくしが、それを許しませんわ!」

 それがどこまで当てになるのか分からないが、

 少女が彼の安全を、引き受けると言い切ったのなら、翔もまた覚悟を決めねば。


 彼女だけには、遅れを取りたくはなかった。


「今思い出したんだが…」

 再出現させたルサンチマンで牽制しながら、言い訳めいた枕詞を置いて、

 その記憶を開示する。

「超音波…つまり鳴っているのにアルセズには聞こえない音ってのが存在する」

 音域が高い、しくは低い故に。

「そして一部の生物は、それを移動や会話・狩りに利用する」

 例えば“反響定位エコーロケーション”。

 音波を発してその反響から、地形や獲物の配置を探る手法。

 暗闇や入り組んだ洞窟などで活躍するもので、鯨・蝙蝠こうもり等が代表例だ。

 翔は先程からあの翼竜が、木々や枝葉の位置を把握し過ぎだと、それに唯々ただただ驚いていたが、エコーロケーションを行っていたとすれば。

 矢鱈と鳴いていたのも、音波の一部が可聴域に入り、聞こえていたのだとすれば。


——辻褄は、合う。


「超音波を利用する生物の中には、ああやって額が膨らんだ奴も居る。海豚イルカって分かるか?」

「あっ!大塩湖タラサにいるコです!カワイイです!」

——いるんだ…

 因みに大塩湖タラサとは、話を聞く限りどう考えても海のことだが、今それは後である。

「その頭の脂肪は、音波を集中させる為のレンズのような役割を果たしているらしい。爺さんが掛けてる眼鏡、それは光を曲げて、一箇所に集中したりできるだろ?それの音バージョンだよ」

「そんな機能が…」

 だがイルカが遠隔攻撃できるわけではない。

 水中で、且つマッコウクジラ程巨大なメロン器官を持たなければ、獲物を昏倒させるまでにならないのだ。

 確信ではないがあの鶏冠こそが、それを補うもう一つの仕掛けだ。

 中生代の王者、恐竜。その内の一種、末期の白亜紀に生息していたパラサウロロフスは、鼻腔内部と繋がる大きな鶏冠を持っていた。内部で音を反響させ、声を増幅していたと考えられている。

 あの翼竜も、それと同じことをやっていたとしたら?

「面白いです!何処でそんな知識を!?是非とも私にも教えてです!」

「あー、すまん、それは忘れた」

——お願いだから喰い付かないで欲しい。

「談笑している場合ではございませんわよ!」

 彼女が叱った通り、対応策の確立こそが急務。

「あれを落とせますのか否か、ですわ!」

 骸獣コープスを睨み対抗するマリア。例の如くスラリと仁王立ち。

「あれが鳴き声の延長なら、嬉しい報せが一つある」

 抜き身のまばゆさを放つその様に、張り合った翔が立ち上がり、他の面々もそれに続く。

「あれが音波を撃つ直前の様子からも分かる通り、大声を出すならその分だけ肺活を要する。羽ばたきながら、だ」

 そうなると、奴の細身の体力の内、どれだけの割合を消費するのか。

「最初から使ってこなかった理由も、それならば説明が付きますぞ。恐らく連発出来るような代物ではないのでしょうな」

 つまりこの場でとれる最善は、全員全速で走ることだが——

「一応聞くが、お前、走れるのか?」

「わたくし、余裕を持った動きしか許されない女ですわよ?」

「うんまあそんなこったろうと思ったよ知ってた」

「なんにしろお姉さんはム~リ~…。ジィジィ、おんぶしてえ…」

「この者は置いていきますぞ、お嬢様」

「酷くない?」

 それなら、次善で行くしかない。

「ルサンチマン、ピー90にフロントガードを追加」

「ぉお?」

 銃身を拡張するアタッチメント。

 有効射程を気持ち程度だが長めにし、銃口の下を手で押さえられるので安定性も高まる。

 

 実際の検証データを見たわけではない。

 効果があるのか怪しいものだが、予め打てる手は全て講じる。

「接近してきたり、大きく息を吸い込み始めたりしたら、射撃する。見た感じ、効果は無視できないみてえだったから、当たれば止められるだろ」

「止められなければ?」

「一応対策として、耳を塞いで口を開けるってのがあるが…」

 爆発音対策であるため、どこまで通用するか分からない。

「予備動作中は、大きく動くのは厳しい筈だ。的としては楽だぜ?」

「妨害しつつ、歩いて王都へ向かうと?」

「最短で行く為に、街をいくつかすっ飛ばして来たわけだが、現在地から王都より近い場所は?」

「ございませんな」

「じゃ、王都行き決定な」

「ま!歌を口ずさむ小鳥とご一緒に、ほのぼのお散歩するのですわね!?わざわざがくしょうで耳を楽しませてくださるなんて、奉仕精神旺盛な鳥ですこと!」

 口に手を当てわざとらしく、「あらまあ」といった顔を作るマリア。

「き、気合いで進むって、ことですかあ…?」

「お姉さん…知ってるよ…」

 休んでいればいいのに、茶目っ気を発揮することを忘れないクリスタン。

「そういうの…自棄糞ヤケクソ、って言うんだよね」

 翔は、

「そうとも言う」

 取り繕うつもりも最早無かった。

 余裕なんてとっくの昔に、この場の誰もが喪失しているのだ。


「ジィ?」

 ただ一人を除いては。

「未だ、その時ではない。それが貴方の判断ですのね?」

「ご辛抱頂きたく」

「よろしくてよ」

 それだけのやり取りの後、ほんのり駆け足で歩み始める。


 その間も徐々に、高度を下げていた骸獣コープスに対して、

「はいダメー!」

 ルサンチマンが即座に点射!

「アハ体験みたいに、少しずついけばバレないと思ったぁ?残ねーん!」

 彼か彼女かはまだ分からないが、この只管に五月蠅い奴が、自分の分身とは信じたくない翔。

 だがここで言う事ではない。

 王都でしっかり問い詰めるとして、今は手足を動かすのみ。


「我慢比べだ…!細ガリ羽虫…!」


 射程ギリギリを行ったり来たりする翼竜と、

 ルサンチマンに絶えず上を見張らせ続ける翔。

 ジィも目を光らせ、挙動を捉え続ける。

 どちらかが先に焦れるか、体力・精神力が尽きるか、目的を達するか。

 

 早いのは、いずれか。


「有利なのは、こっちだ」

 言い聞かせるような、翔の呟き。

 制限時間を強いているから。

「放っておけば、俺らの側が目標を達する。動くのは、奴からでないとならねえ」

——近付けなければ、

——この距離を保ち続ければ、

 待つのは、彼らの勝利。


 だからは、絶対に阻止すると、


 そう決めたかのように。


「ちぃ、邪魔だな…」

 段々と密生し始める木立に、射線を塞がれると不平を独り言ちる翔。

「他のアルセズの前で、そういった発言は控えるようにお願いしますぞ。樹木は信仰対象ですからな」

 すかさずジィからの指導が入る。

「信心であれが撃墜できるなら、木の枝でもイワシの頭でも、喜んで拝んでやるよ」

「慎重に、という事でございます。特に貴方は、言葉尻が捕まった時点で——」


 フッと、


 消えた。


 木々の合間から見えていた翼が、視界から突如消失した。


「…あ?」

 困惑の間すら惜しみ、ルサンチマンと半分ずつ、同時にぐるりと360度、

——居ない。

 それでは、

 あとは、

「真上!」

 そちらを見るより先に、

「耳押さえろ!」

 与えた時間は十二分。

 来ない筈がない。

 使わないわけがない。


 その決め手を。


Screeeeeeeeeeeeechキ、ィィィィィィィィィィィィィィ!!」


 モスキートーンめいた超高音!

 奴も疲労しているのか、溜め動作を省略したのか、

 今回の鳴き声は可聴域にもはみ出ていた。


 受けた衝撃は、最低限、

 つまり軽微とは一言も言っていない。

 言えない。


 四つん這いに、コントローラーを必死に持ち直しながら、再び銃撃させる翔。

 両の足でしっかりと立つは、マリア・シュニエラ・アステリオスただ一人。

 何が起きたのか。

 その答えは、もう一つの「無駄」にある。

——しまった…!


——“尻尾”がノーマークだった…!


 後ろ脚の間から伸びる尾。あれは、進化の過程で捨てられた物だ。


 ディモルフォドンやランフォリンクスといった、ジュラ紀の翼竜に見られた特徴で、白亜紀にもなると不要なパーツとして、退化・消失していった。

 それを、何故生やしているのか。そこに疑問を持つべきだった。

 注目してみたら、思った通り、

 変態機動に新たなモーションが加わっていた。


 木に尾を巻き付け、急転回!


 ほとんど減速せずにほぼ直角を描く軌跡!


 加減速、翼の展開・縮小、蹴り付け、尻尾。

 遮蔽物で視線を切って、これらの緩急を織り交ぜていく。

 目が追いつかない。

 仕掛ける時機、それを決めるのは攻め手側。

 後付け対処しか許されぬのに、どこから来るのか何処へ行くのか、それすら予想をつけられない。

 弾丸が当たらぬ以前の問題。

 まず視界に入れることが困難。


 「奥の手」は、あればあるほど良いというワケだ。


「呆れるほどに多才な連中だ!見世物小屋のビックリ動物にでも転職しやがれ!」

 そう言ったと思うが、上手く喋れているのかどうか。

 こちらの攻撃もいくらか通ったが、雀の涙と言っていい。

 疲れる筈だ。

 持たない筈だ。

 あんなの続く筈がない。

 しかし、それまでに彼らが敗ける。

 力尽きて止まってしまう。


「あんなヒョロっちいやつ…!」

 もっと近くに、


 この手が届きさえすれば。


 憎々しげに噛み締められた文言を受けて、

 真っ向から差を見せつけるように、

 巨大な翼を自在に操り、

 突っ込んで来る

 醜悪なる

 翼竜。


 の、鼻先に

 

 


 めり込んだ。


「えっ」

 目が合った。

「あっえっ」

 短髪赤毛のイケメン、に見える。

 こちらを向いて驚いた、ように見える。

 手足をバタつかせ落下、しているかに見える。

 多分見間違いだと、翔はそう思っている。

 そう、見間違いだ。

 見間違い。

 見間違い——

「なんだお前!?」

 それは確かに人間だったし、明らかに、空飛ぶ蜥蜴を蹴り飛ばしていた。


 もう何度目か分からないが、


 翔には理解し難い事態。


 目を回しそうになったのは、


 音撃によってか、


 突飛なしゅうげき故か。


 落ちて来る男を見ながら、


 翔は、


 三度みたび頭を抱えた。



——————————————————————————————————————

Tips:パラサウロロフス…「サウロロフスに似てる」という意味の名前の割に、サウロロフスとはあまり関係ないらしい。鶏冠の内部は複雑に入り組み、外形では長さ2mであるのに、空気の通り道は3mくらい。

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