2-7.誘蛾灯
「おまじない、なんだって」
メイドが得た情報には、掴みどころが見当たらなかった。
それを語る彼女の態度が、尚更それを怪しげに演出している。
それが、果たして真相へ繋がるのか?
彼には、分らなかった。
と言うより、意味のない風説としか、思えなかったのだ。
「おまじない」一つで、人が消失するなど。
事が露見したのは、ある貴族が秘密裏に行った、権王への嘆願によってである。
通報は三日前。
「娘が部屋からいなくなった」。
報告としては、お粗末を通り越して情報ゼロに等しい。
だが彼を落ち着かせ、詳しく聴取したところ、確かにおかしな話ではあった。
いつもと変わらぬ夕餉を済ませ、邸宅の自室で就寝したのが、最後の目撃。
次の日の朝、使用人が起こしに行ったら、部屋には誰一人居なかった。
不満や不安の兆候は無く、家出とは考え難い。ならば、誘拐か。しかし、何の要求も届きはしない。そもそも、夜間にだって警邏が居るのだ。見つからずに貴族の子女を攫うなど、不可能に近い。
疑問符ばかりが生えてくるものの、何の手も打たないなどそれこそ有り得ない。
しかし、肉親が行方不明などというのは、醜聞以外の何物でもない。
大っぴらに動くことができず、躊躇う間にも時間は過ぎる。
そこでその貴族は、「非公式の嘆願」という形をとった。
勿論直接王へと届くものではなく、この時点では受付から王都警衛隊に引き継がれたに過ぎない。一々相手をしていたらキリが無い為、マニュアルみたいなものが存在し、それに規定された通りの対応をしただけだ。
が、警衛隊が調査を進める内、思わぬ事実が浮上した。
似たような状況で平民の少女が複数人、行方知れずとなっていたのだ。
全てが夜、自室から。
常夜灯も無く、また
よって、一人二人なら、誰にも見られず出歩けるだろう。
しかし、数が問題だった。
恐らく最初に発生したと思われる事件が、トーカレ二の月、18日。
マリアが王都を発った、実に翌日であった。
そこから、彼らが調べた時点まで2週間。
犠牲者は、既に10人を超えていた。
警衛隊は直ちにこれを上申、聞き取り調査の範囲を貴族階級まで広げることを求め、丁度王宮に居た
結果、これまで明るみに出なかっただけで、被害は更に深刻だったことが判明。
この時、最初の事件から20日以上が経過。
王都全域で、身分の隔てなく、30名程が「消えて」いた。
貴族の体面重視と、平民軽視。
その二つが合わさり、発覚が遅れに遅れたと言える。
この異常事態を重く見た、権王からの勅命が下る。
「
それが、つい昨日の朝方。
問題は、誰がこの面倒極まりない立場に据えられるか。
ここまで来れば分かるだろう。
今回も、厄介事担当となったのはマリアお嬢様だった。
帰って来たのをこれ幸いと、責務を漏れなく丸投げされた。
——もう少し帰還を遅らせてやるべきだったか?
本気で急いで来たのに、馬鹿を見た気分であった。
それで今、彼は何をやっているかと言うと、
「もう~、折角お姉さんと一緒なんだから、もっと楽しそうにしてよ~!」
クリスタンと共に、南区の捜査をしていた。
方々に在るらしい聖堂から、時を告げる響音が聞こえる。
その数、六回。
一日を十二分割し、前一~六刻、後一~六刻が割り振られ、その数だけ鐘が鳴る。
前一刻が午前零時に相当。今は前六刻、おおよそ午前十二時というわけだ。
因みに、後五刻から前三刻までの四刻、20時から翌日の4時までの計8時間は、時報も止まるらしい。夜更かしが推奨されていない為、鳴らす者が皆就寝しているからだ。
話を戻し、他の者達が何をしているかと言えば、
マリアとジィは貴族とのやり取りに慣れている為、東区を担当。
エスティアとアライオが北の商業区域なのは、仕入などで商人と話す機会が多いかららしい。
西にある職人街へは、ヴゥルカーが向かった。あれ一人で他人とコミュニケーションが取れるのか、翔はそれが心配だった。
「なあ、俺があのデカいのと一緒の方が良かったんじゃないですか?まともに話せるか分からないでしょうあれ」
「君はウル君をなんだと思ってるのかな?ああ見えて、あのあたりの店の常連なんだよ?」
流石に会話が出来ないということはないらしい。
「それに、ウル君はダメで、お姉さんは君と居ていい。そこにはちゃあんと意味があるんだ。その理由が分かるかな?」
それは、何となく感じていたことではある。
つまり——
「監視役としては、姐さんか爺さんが最適ってことでしょう?」
「へぇ」
少しだけ愉快そうに、翔の目を覗き込むクリスタン。
「どうして、そう思うのかな?」
「まあ、そりゃそうなるとしか」
形式上の話ではあるが、翔は現在マリアの監視下である。
そして、あの能天気お嬢様は知らないが、ジィやクリスタンはまだ彼の事を信用していない。それは当然だと、彼も考えている。
ならば翔の傍には常に、彼を制圧できる戦力を置かなければならない。
「それで、なんでお姉さんなのかな?」
「消去法ですよ」
非戦闘員であるエスティアは除外。
近接戦闘には向かないアライオも違うだろう。
ヴゥルカーの力は十二分だが、小回りが利かな過ぎる。
この三人は、対翔において不向き。
至近距離での戦闘に慣れ、頭の回転も速く、智力でも暴力でも彼を御し得る者。
ジィとクリスタンがそれに当たる。
ジィがマリアとセットであり、翔を貴族連中に合わせる事に不安が残るとしたら、
必然、残ったのはクリスタンのみ。
「ふふーん、にじゅうまるっ。よくできました~。感心感心」
「子ども扱いはやめてくださいよ」
言い乍ら、一歩距離を取る。
照れではなく、警戒から。
翔は、いざ「問題」が起こった時の事も考えている。
つまり、アルセズ全てが敵に回った場合である。
マリアの私兵達との戦闘についても、様々なシミュレーションを実行済み。
その時、最も未知数なのがその二人。
執事ジィ・ドーと、メイド長クリスタン。
どちらも、底が知れない。
ジィが只者ではないことは、早い段階で誰もが気付くだろう。
だが、クリスタンを恐れる者は、あまり居ない。
持ち前の明るさと気楽さで、誰に対しても分け隔てなく、美人なのに適度に隙だらけで、近寄り難さを感じさせない。
距離も近いことが多く、それでいて不快にさせない。
意識的にフランクになっているだけで、礼儀を正して接することもできるのだろう。
ウガリトゥ村でも、彼女だけは交流を盛んにしていた、その様子を何度も目にした。
人たらしの完璧超人。非の打ち所など見当たらない。
そんな彼女が、翔は恐ろしい。
何を考えているのか、見通せない。
人の理想を装える強かさが、不気味とまで思ってしまう。
正直、二人きりになりたくない。
何かと理由を付けて、彼の始末をあっさり決めそうな、そんな化物を目の前にしている。
彼は、そう思わずにいられない。
召使隊において、最も本心を隠しているのが、彼女であろう。
“のっぺらぼう”が隣に居るようなもので、気の休まる暇など無い。
今出来るのは、彼が味方だと主張する事。
よって、張り切って聞き込むのみ。
そして現時点での収穫は、
「…ダメじゃん」
「待ってほしい。いやホントに待ってください姐さん」
ものの見事にゼロだった。
誰も、何も知らない。
よく考えたら、全く騒ぎになっていない時点で、当然だった。
連続した事件だという事すら、調べて初めて分かったのだから。
「にしても、拡散されなさ過ぎじゃないですか?王都で誰かが消えるなんて、日常茶飯事だったりします?」
「なわけ。夜逃げとかはあれど、娘さんだけこんなにいなくなるなんて、前代未聞だよ」
「そう、そこが唯一の手懸りで、一番の疑問点でもあります」
共通点は、「夜」と「少女」。
「被害者の方向性が一貫している、そこにどんな意味があるんでしょうか?」
「小児性愛者だからってだけじゃなくて?」
「性欲由来なら、もっと勢い任せな部分があっても良いように思えるんです。けれど実際は——」
「最初から、誰にも見つかっていない。確かに、ちょっと緻密に過ぎる気がするね」
近隣には、不審な人影すら見当たらない。
家に侵入し、娘一人を拉致し、どこぞへと去る。これら全てを気取られず行うなら、少なくとも間取りくらいは知っておきたい。
その下調べの痕跡すらない。
「
それが最も話が速い。
「あるケド…それが使われた可能性は低いね…」
「それまたどうして?」
「ちょっと考えれば、それも分かると思うよ?」
簡単な話だ。
彼にも思い付く程、簡単な。
「そうか、当然王宮側も悪用には備えてるのか」
「そうだね。誰がどんな力を使うのか。そんなの、生まれて直ぐに届け出させるよ」
傍目には分からない超能力を持つ者達。それを統治する以上、能力の管理は避けて通れない。
「その名簿が閲覧できる高位貴族は、その対策で雇う護衛を決めたりするし。だけど、そんな家でも——」
「犠牲者となった…」
そこで、彼は声のトーンを落とし、
「その『高位貴族』が関わっている可能性は?」
「自作自演ってこと?」
貴族は五段階に分かれており、上から公・侯・伯・子・男爵と、そのまんまな翻訳がなされている。その下に更に騎士階級が有ったり、伯爵の中でも辺境伯は公・侯爵相当だったりと、ややこしいのも地球と同じだ。
その上位に居る者達が、関わっているとしたら?
容疑者から外れるには、まず自らが被害者となることである。
利害で考えた際に、真っ先に除外されるからだ。
筋は通ると思った翔だが、
「それも、あまり考えられないなあ…」
「どうして、ですか?」
「二つあるんだけど」と、指を二本立てるクリスタン。
「一つ、貴族は醜聞を嫌う。たとえ自分に全く非が無い、降って湧いたような災難でも、それは弱みとなり付け入られる」
「自分達が仕掛けたなら、弱っていないから無問題じゃあ?」
「違うよ坊や。『こいつはイケる』、そう見られること自体が問題なんだ」
実態はどうあれ、真っ先に潰せる対象として、周囲の全てから狙われる。囲んで集中砲火である。高位であれば、その分敵も多い。「弱っているかも」と思われた時点で、彼らにとっては負けも同然である。
「王都の土地争奪戦は、君が思っているより苛烈だよ?自分と同程度以上の家柄なら、地位を脅かす敵認定。蹴り出せる日を、お互い夢見てるんだよ」
そんな状況で、「娘が返って来ません」と表明すれば、間違いなく良いカモとなる。
「二つ目に、被害に遭った家が、複数あること。伯爵家三つと、侯・公爵家一つずつ。一家だけなら『狂言だから』で済むけど、二家以上なら、自分ち以外の防衛体制は、しっかり突破したという事」
それは、「高位貴族の守りは堅牢なのだから、そこに侵入するなんて不可能。よって偽装誘拐に違いない」、その論理が破綻したことを意味する。
ご自慢の防備は、確実に破られているのだ。
相手が貴族であろうとなかろうと、関係なく連れ去れる。
被疑者を高位貴族に限定する、その理由が無くなってしまった。
「うぐぐ…どうすれば…」
「うーんそうだねえ」
クリスタンは、煮詰まった翔を面白がるように見て、
「いっそ、被害者達に聞いてみるのはどうだろう?」
彼の度肝を抜きに来た。
「え、えっと?霊媒的な…?」
「違う、違うよもう~」
ケラケラと笑いながら、彼女が指さした先には、
「狙われているのは、『少女』なんだから」
街角で集まり遊びに興じる、幼き娘達。
「彼女達に直接聞こう」
「大人でも分からないのに、あいつらに分かりますかね?」
「分かってないねえ、坊や」
クリスタンが目をつけたのは、彼女達の閉鎖性。
「女の子ってのは、独自の法を持った集団を作りたがるものだよ」
彼女達だけの秘密、共有された秘匿。
「だったら、消えた
それが鍵になる状況など、翔の発想では想定できない。
だが手ぶらで帰りたくない事は、確かである。
マリアに罵倒を浴びせられるのが、容易に想像できるからだ。
よって——
「じゃあ姐さん、任せました!」
「諦め良すぎない?」
ここは、クリスタンに担当させる。
「いや、少女の園に入国するなら、やはり『お若い女の子』でないと」
「調子いいなあ…。まあお姉さんも、そう提案しようと思ってたけどさあ…」
呆れながらも、仕事はきちんと遂行する、見事なプロ召使いだった。
クリスタンは、様々な年齢層の少女達にアプローチ。
その能力を遺憾なく発揮し、瞬く間に仲良くなったようだった。
遠目から見ても、会話が弾んでいるのが分かる。
やがて核心に迫ったのか、皆の顔が深刻なものに変わっていき、
一人が意を決したという様子で、何事かを告白する。
その後、つかえが取れたかのように、彼女達から言葉が溢れたようだった。
聞き終えた後、手を振りながらお別れして、
そして、戻って来た彼女が言った台詞が、
「おまじない、なんだって」
であった。
「いや『なんだって』と言われましても、何が何だか」
「なんか、流行ってるらしいよ?」
どうも要領を得ない。
それが、なんだと言うのか。
「姐さん、仲良くなるのは良い事ですけど、真面目に仕事してください?」
「思ったんだけど、これってメイドの仕事じゃないよね?」
「言っちゃうんですかそれ!?ずっと我慢してたのに」
マリアの部下は、召使隊しかいないらしいのだ。私設軍が無いために、何故か使用人が捜査官役となっている。
翔も思うところはあったが、敢えて突っ込まないようにしていたのだが。
そもそも論を更に重ねれば、
「ま、聞いてくれたまえよ助手君」
「なんです?」
「『おまじない』は『おまじない』でも、恋のおまじないだとしたらどうかね?」
「どうもこうもないですけど」
「またまたぁ、興味あるだろお?お姉さんだけに話してみなって!お嬢様?それともエストちゃん?まさか、お姉さん!?そんなの困る~!」
「帰りますよ」
こういう手合いに有効なのは、一切の反応を返さないことである。
「待って待ってまってごめんって、揶揄ったのは悪いと思ってるから!」
追い縋るクリスタンを無視しながら、次なる手段を考える。
「当たり」は、貴族の方だろうか。
マリアに得意げな顔をされる、それで終わるのは不本意である。
ならば彼に出来ることは——
「夜にね、内緒で外に出るんだってさ」
——…なんだって?
翔は鋭く振り向く。それはもう、首が千切れんばかりに。
そこには、悪戯が成功した子どものような、してやったりなクリスタンが立つ。
「『おまじない』だよ。自分の理想の存在と出会うか、或いは具体的な意中の誰かと結ばれるか。それを、実現するんだってさ」
彼には、分からない。
「女の子の間だけで囁かれる、特別な方法。それを行う為には、『雨の日の夜』に、外にいなければならないんだって」
何故、そんなところで、符合してしまうのか。
「待って下さい。それじゃあ、姐さんは」
「夜」
「自室から姿を消して」
「何の異常も」
「身分も関係なく広範に」
「隠されたかのように静かに」
被害者を連れ出したのは、
その身を闇に紛れさせたのは——
「彼女達自身の意志だったと、そう言うんですか?」
そうだとすればそれは、「恋」などという甘ったるいものじゃない。
「呪い」だ。
少女を誘い、毒牙で貪る。
蜘蛛の巣のような、
罠である。
「どこの誰だか知らないけど、恋愛話使って攫うなんて、洒落てるよねえ——」
——舐めてるよねえ。
その儀式には、
「『おまじない』には」
「うん?」
「願いを聞き届ける、神様や、精霊みたいなのは」
「居るよ、当然」
まことしやかに語られる、
その存在の名は。
「“ふウりぁエさま”」
びくりと、横を見る。
いつの間にか少女が一人、彼を見上げてすぐ近くに。
小学生くらいだろうか。茶褐色のサイドテール。彼らを映す琥珀のような目と、笑みを浮かべながら小さく動く唇。
「それが、名前だよ」
「願いを叶えてくれるんだ」と、楽しそうに、謡うように。
そのまま、笑いながら走り去る。
駆け寄った先には、友達だろうか、女子グループらしきものが見えた。
何かを報告したその少女の頭を、麦わら帽子の童女が撫でていた。
翔は、
何故だか酷く、
厭な気分になった。
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