1-3.ようこそ
「ここから北はずぅっと畑!男の領域だから、ゆーてあまり入らせてくれんけど、あいつらよりウチの方が強いんだから!」
そう言って力瘤を作って見せる彼女の二の腕は、お世辞にも強靭なものには見えなかった。
翔はその健康的な肌艶に気恥ずかしくなり、曖昧に笑いながらつい目を逸らしてしまった。
ユーリに連れられて回ったウガリトゥ村は、歩いて一時間も掛からず一周できる広さだった。
遮るものなどほとんどない眺望。
東側に森が隣接しているが、それ以外は一面平野。
人が住んでいる場所より、農作物が植えてある面積の方が、広いのではないかと錯覚する規模。
なだらかな平地がどこまでも続き、ポツポツと人影が行き来している。
活気に満ちているとは、到底言えない。
ユーリのように快活で聡明な少女が、よくこの村で育ったものだと、翔の考えは矢張り失礼だった。
村も狭ければ、人口密度も低い。
目立つ物と言えば、農場と牧場、集会所くらい。
あとは村の南側を通る川か。
それを東に昇ればより大きな河川に。そこを更に遡れば、海と王都、そして
農耕牧畜と時々狩猟採集。釣りに頼るのは最後の手段。
それらの営みで食い繋ぐ村。
その他には取り立てて見るべきものも無く、「案内」と言ってもほとんどユーリと会話を弾ませるだけだった。
「作物は何作ってるんだ?」
「麦と、芋が一番多いね。あとは大根とか?」
「農具は木製?石?それとも鉄?」
「流石に馬鹿にしとるん?領主様には王都から鉄製品が支給されるから、今時木で耕してるところなんかのうなってるんでしょ?」
「あ、ああ悪い、行き届いてるかの確認を念の為、な。酪農の方は?」
「牛が一番人気。車も牽けるし、牛乳も取れる!」
「収穫期とかはどうやって管理してるんだ?やっぱ暦で?」
「いやー、この村にはそこまで正確な日付を必要とする人がいないんよ。大抵作物の色づき方で見とる。あとは気候と景色」
彼女からの情報は、想像以上に価値あるものだった。
このパンガイアにも麦・芋・大根に近い食べ物があること、牛のような馴染みの動物が居ること、二期作や輪作に似た農法があること。はっきりと分かるくらいの四季があるらしいこと。暦に相当するものが、存在自体はしていること。
また、彼女はこの村周辺の地理的情報にも明るかった。
ウガリトゥ村は思った以上に小規模な集落であり、更に南北を大規模な都市に挟まれているらしい。
この村は都市間を行き来する際の経由地であり、宿場があるのもその為だという。
「その割には道の整備が雑だったみたいなんだが…」
「結構前に、もっと短い運路が新しゅう開通したからなあ。みんなわざわざ遠回りはせん。なんにも無い村だし。そうすると、整備する気も起きんくなったみたいで、不便だったりガタが来てたりしても放置。それで余計に人が来ん」
東に行けば
西を向けば聖なる王都。
翔は、お嬢様御一行やリアスマ隊が、王都の方角に祈るのを見た。
行軍中な為、食事の序での略式らしかったが、両手指を組み軽く振っていた。
「俺らの隊には、西に向かって礼拝する習慣があるんだけど、そっちは?」
「それこそ、やらんかったら村八分になるんよ~」
彼らのやり取りは随分砕けたものとなっていた。
始めこそ敬語で話していた翔だが、「目上に下手に出られんのキモチワルイ」というユーリの苦言により、年下の友人と喋るテンションに切り替えた。
因みに何故「目上」と判断したのかというと、「だって外の偉い方の御付きでしょ?」とのこと。矢張りあのお嬢様とはセットで見られている。彼にはゾッとしない事実である。
「何人くらいで暮らしてるんだ?」
「うーんと…だいたい200?」
現代日本の町村平均人口は、どれだけ少なくても4桁はあった。
まあ病死や戦死等の突発死が身近である以上、翔が生きていた場所とは比べる意味が無いのかもしれないが。
「ホントに小さい…あ、いやスマン、悪い意味ではなくて」
「ナハハ~、ダイジョブ!ウチが一番思っとることだもん!『ここ、ショボイなあ』って」
かつてはそれなりに人気もあったらしい。彼女の親世代はその頃を覚えているようで、よく語ってくれたのだが、
「そんなの聞いても、誇るところが昔しかないのなって、却って惨めに見えるだけだったんよ」
彼女はその話を聞く度、内心では不満を貯めていった。
「じゃあ今のお前達は、それだけの土地に居ながら、何一つ活かせていないのか?」と。
「村興しとかしないのか?税とか納めないといけない以上、何か副収入はあった方が良いだろ?」
「やる気ないんよ。ここを挟む大都市って、どっちも対
そういったメリットに対抗出来る“旨み”を、「提供できない」とこの村は諦めた。
「これ以上良くするってことを、止めちゃったんよ。分からないものは、分からないままで良いって」
そう言う彼女の横顔は、何処か怒っているようにも見えた。
ユーリが生まれたこの村を語る時、多分に軽蔑が混じっていることを、翔はひしひしと感じていた。
彼女は、「外」の世界に憧れを持っている。
存在価値を無くし、新たな役目を探すわけでもなく、閉塞だけが支配する村。
ずっと変わらないまま、緩やかに終わるのを待つだけの場所。
「それはそれで、幸せではあるんじゃないか?」
「目瞑って、耳塞いで、それで痛くも痒くもなくなったから幸せなら、それもう石っころと同じと違うん?ウチはアルセズだから、考えて、行動して、自分も周りも良くして、それで『ああ、やってやった』って胸張って言いたいんよ!」
今この時も
兵士だけではない。様々な立場の人間が、支え合って生き抜いている。
そんな時、この村は何も出来ない。
何か出来るようにという、上昇志向がまるで見えない。
「みんな、目の届く場所が、その上っ面だけが平和なら、それでいいと思っとる。そんなの、カッコ悪過ぎるじゃん?」
だから、彼女は何時かここを出て行く。
自分に何が出来るのか、或いは出来ないのか。それと向き合う機会を探しに行く。
何もかも不明なら、実際に見に行けばいい。
「誰かが決めたんじゃなく、自分の気持ちに従って、それで上手くいったり、失敗したり。そういうことをやってみたい」
遥か東、人が追われた広大な失地。
そちらを仰ぐその瞳から、チラリチラリと揺らめく執念。
「なあんて。偉そうなこと言っといてなんだけど、ただ『誰も行けない場所ってのに入ってみたい』いうのが本命なんよ。単に、浪漫馬鹿ってだけ」
そう言ってはにかんで見せるのは、内に宿るそれを漏らさぬためか。
翔は、その眼を知っている。
人にどう見られるかを重視していた彼は、鏡や写真越しに何度もそれを見た。
鋭すぎる印象を与えるので、何度も隠そうとして失敗した眼光。
「夢は必ず叶う」と信じる、熱に浮かされた“狂人”の目。
単なる反抗期の、その延長にある無謀かもしれない。
夢見がちな少年少女が見る、在りもしない理想かもしれない。
だが、これは捨ててはいけないものだ。
見ない振りをしてはいけないものだ。
その先に待つのは、きっと辛く過酷な道だ。
それでもそこから外れたことで、心が壊死していくよりはマシだ。
「凄いな、ユーリは」
自然と、そんな言葉が口を
「んえ?」
ユーリはその目をぱちくりと瞬かせる。
さっきまでそこにあった渇望は見えなくなる。
「な、なんで?自分で言うのもなんだけど、なんも知らん田舎娘の戯言よ?」
「いいや。外部との繋がりが無くなった共同体で、それでもまだ見ぬ何かを探し求める。安心安全を捨て、不安定な可能性を追う。それは、なかなかできることじゃない」
「い、いや…そんなん…」
実際彼女は優秀である。
先ほどから
村内部の人間に対してだけでなく、外から来る人間のことを意識している証拠だ。閉鎖的な環境下、義務教育も無い場所で、独力でそこに至っている。
口調だってそうだ。
彼女の訛りは、違和を最小限に抑えられている。
きっと精霊達の働きだけじゃない。
彼女自身で、矯正したのだ。
つまり彼女は、口だけではない。
ずっと準備してきたのだ。
いつ
偶に来る宿の客や連絡要員に、積極的に関わった結果だ。
そうして、「外から人が来たら、彼女に応対させておけ」そういう立ち位置を手に入れた。
こうやって、翔の相手をさせられてるのがその証拠だ。
「何も知らない」?そんなものは当たり前だ。重要なのは、どのようにして足りないものを補うか、それのみである。
それは、あらゆる情報が簡単に手に入り、切っ掛けさえあれば一躍有名人になれる、そんな現代日本に居た翔より、よっぽど薄くて細い望みだった筈だ。
「きっと、ユーリの視野はかなり広い。今はまだ、周りを壁に囲まれているだけで、それを超える高い所に行けば、きっと色んなものを見つけると思う。色んなことができると思う」
「え、いやあ…そんな褒められると…えへへ…」
はにかむ彼女に、翔は正面から向き合い、
問う。
「ユーリ、この村での『明日』を、捨てられるか?」
「…え?」
頬を掻いていたユーリは、突然の展開に処理が止まって、そのポーズのまま固まった。
「外に連れていかれても、成功するとは限らない。有能でも、それに必ず気づいて貰えるわけじゃない。才を見出されても、出る杭と見られて打たれるかもしれない。今君の選択肢の中でのこの村は、最も安定した場所であることは間違いない」
それでも、
「それでも。この村での安寧を捨ててでも、君は挑戦するか?」
例えば、今すぐに発つとしたら。
「行くよ。ウチ」
彼女は、迷わない。
「ウチは、ここを出て、ウチに出来る事をしに行く。誰も見たことないものを、見つけに行くんよ」
その決意を聞いた瞬間、翔もまた覚悟を決めた。
これは、単なる気紛れの一種だ。
だが、やらなければならない。
折衝や交渉は得意だ。
加えて、あのお嬢様は御しやすく見える。
ならば、出来る。
あのお嬢様の使用人の一人に、ユーリを捩じ込む。
金銭的余裕もあり、横紙破りな性格をしていて、そんなマリアはきっと、「面白そう」と感じたら簡単に雇い入れる。
実際、翔が同道を許された前例がある。
あれは、見たことのない恰好をした翔を、そのまま「持ち物」に加えてしまった。
そういう衝動買いみたいなことを、何時何処でも平気でやる少女。
その困った性分が、けれども今は役に立つ。
「じゃあ、覚悟だけしておけ」
「えっ…いやちょっと待って!」
翔は行動を開始する。
ユーリは慌てて押し止める。
「何だ?やっぱり故郷を離れるのは嫌か?」
「いや、そうじゃないんよ。そうじゃなくて…」
困惑する事しきりな彼女は、それでも聞いておかなければならない。
彼が、手助けしてくれることが分かったからこそ。
「何でなん?何で、ウチにそんな良くしてくれるん?たったさっき、会うたばかりなのに」
「それは…」
それは。
かつての自分を重ねているからか。
理不尽な世界に何かを叩きつけたかったからか。
——いいや、何でもいい。
これは、自己満足だ。
翔はそう考えている。
自分よりも厳しい境遇で、自分が無謀と言われたことをやろうとしている。
そして実際、それが実を結んでいる。
彼女は報われるに相応しいと、翔はそう感じていた。
——その努力と結果に応えてやらないのは、嘘だ。
「君は、必ず大成する。そう分かった」
夢へ近づく足掛かりにする。
自分の職場に優秀な人材を入れる。
お互いに利益を得る、良質な取引。
「それじゃダメか?」
翔が訊ねれば、
ユーリは、少し考えた後、
「…分かった。お願いします」
重く深く、頷いた。
それで、決まりだ。
必要な情報を聞き出して別れ、その後は宿に戻らずに、マリアが泊まる村長の家へ。
やるべきことがあるというのは、
生きる活力があるってことだ。
——いいぜ、戦意に満ち溢れてやがる。
この村に来たばかりの落ち込みは何処へやら。
翔は堂々と戦場へ赴いた。
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