2-20.迷える仔羊 part2
中央大聖堂は、名前から想像する程に厳めしい建物では無かった。
場所は本当にメトシェラの真下。幹の一部が聖堂側に伸びて、ほとんど取り込まれているようにすら見える。
目立った色調ではない、質実な石造り。
矢張り十二本の尖った屋根を持ち、柱の配置や窓の形など数多くの部分が、アーチ状のデザインで構成されている。
最も大きな出入口は、決まった時間にしか開かないそうで、通常は脇にある扉に信者が並ぶらしい。
それも、教皇の私室や宝具殿などが有る奥のスペースは、限られた者にしか目にすることも出来ないという。
今日に関して言えば、白い鎧と金の槍で武装した兵士達が、隊列を組んで両方の入り口を封鎖していた。
正面玄関を中心として半円の空間が形成され、そこで演説用と思しき舞台が組み上がる。
そう、舞台だ。演台はどこにも見当たらない。
——「原稿なんて見てませんよ~」っていう、熱心アピールか?
翔が想像できるのはその程度。
誰も彼もが両手指を組んで、そこに向かって熱心に何度も振っていた。最前列にて膝を付く者達は、何かが書かれた木の札を持っている。
奇跡が実在する世界なら、宗教の影響力は衰え知らず。
待ち焦がれる彼らの前で、
兵が防備を補強し始める。
それは次なる嵐の前触れ。
周囲一帯がその期待に沈黙し、
静かに
大扉が、
開いた。
色を宿した斜光が差し込んだ、厳粛に張り詰めた礼拝堂内から、
純白と金で固く装った、高位の衛兵に囲まれて、
しゃなりしゃんなりと出で来るそれは、
翔の想像する、ウィンプルとトゥニカの修道女スタイル、そのもの。
顔はベールで、手はグローブで、素肌を隙間なく覆っている。
色は全てが白一色。
その身の内から自然に湧き出た、純潔によって織り上げたように。
歩く間も祈りの姿勢は崩さず。
しずしずと進み、演壇の中央に立ち、
それまで組んでいた両手を解き、歓迎のようにするりと広げ、
——今日の
「何?」
意味が、それだけが伝わって来た。
間違いなく
——教皇を拝命させて頂いております、ケファ・アポストロです!皆々様に、樹上の祝福が有らんことを。
身振り手振りを、そのほんの端だけでも目に入れば、立ち所にその意思が通じる。
音の届かぬ喧々諤々の中でも、その一挙だけで言葉を届ける。
「
「でもここまで意味がピタリとしてて、ひろびろバラバラな相手にスッて伝わるのは、教皇様だけだゼ?すっげえ祝福を受けてるってのは、ホントなンだなあ」
——本日はお日柄も良く、オウリエラの恵みにも翳りがございません。
「………なんか、大丈夫か?」
どうも、様子が変だ。
——皆々様の信心が発する熱気が、私の肌を焼くように感じます!
挙動が一々大振りなのだ。
——頑張ってますねー!きっと彼のお方も喜んでいると思います!
ぴょこぴょこピョコンと、
小柄な己を振り回して暴れ、
——そのお蔭か、私は今日もこのように壮健、あれっ。
何も無い場所で
両手を振り回してなんとか持ち直す。
見ている側として脳裏を過るは、幼稚園のお遊戯会である。
威厳ある権力者には程遠い。
否——、
「今『ケファ・アポストロ』って言ったか?『アポストロ』は
「そうだゼ?苗字が無えンだ。教皇様はオレ達と同じ偉くない身の上で、あんなに偉くなっちまったンだ!それも、アンドレア様と兄弟で!」
「動きが素直で貴族らしい厭味ったらしさが無いのは、生まれた環境から違ったからか」
巨大蛾殲滅の立役者の一人、アンドレア・アポストロ。「兄弟」とは言うものの、アンドレアは女性であるらしい。
教皇の性別も、どちらの年齢が上なのかも分からず、便宜上その語を使っているだけだ。
「それに教皇様は、見えないし聞こえないンだ」
「逆境からの成り上がり、ってわけだ。動きが危なっかしいのもそのせいか?」
「信じる者は救われる」、その実例として語られる美談。
誰にでも可能性があるという希望であり、庶民からの支持が
——あ、すみません!喋り過ぎました!私の話より、早く
慌てて立ち位置を確認している彼女に、「大丈夫ですよ!」「こっち見て下さーい!」「むしろもっと聞きたいですぅ!」と言った声援が飛ぶ。
本人には届かないと分かっているのに、ちょっとしたアイドルイベントみたいに。
「どこぞの誰かが登壇した日には、一言も発する前にブーイングが起きそうだ」などと、翔が無意味な思考をしていると、
御付きの従者の誘導に従って、教皇が立つべき場所に着いた。
跪き、両手を再び祈禱の形に。
——
始まった。
空気の変化で分かる。
——願わくば
——
——御心が天にて行わるる如く、
——地にても行われんことを。
突如風が吹き荒んで、やがて整った流れとなって、教皇の居る側から周囲へと過ぎて。
世界樹の腹から巨人が解かれ、その息吹で天地を懼れさせたかのように。
——我らの
——
何か大きな物を引き摺るような音が、巨大樹の根本から地を這い響く。
教皇の祈りが、彼らを超越した上位者を動かしている。
——我らが共に許すが如く、
——我らの罪をも赦し給え。
翔は、これによく似た祝詞を知っている。
キリスト教の決まり文句の中でも、随一の知名度を誇る祈り。
——我らを惑いに
——不正の事柄より救い給え。
近き世界が共鳴し合ったか、あるいは翔のような“漂着者”が広めたか。
どちらでもいい。その二つの「近さ」こそが、彼には重要なのだ。
帰れる。その希望が大きくなると同時、
——“
聖堂の大扉が、開け放たれる。
彼らは秘蹟を、目の当たりにする。
「なん…!?」
「なんだって」、「何だそれは」、それとも「なんてこった」。
呼吸が止まり、言い終える事すら能わず。
さっき見た大聖堂の内側は、何の変哲もない教会といった風情だった。
きっと芸術的・歴史的価値の高い内装なのだろうが、一瞬で見抜ける程に翔の美術分野への造詣は深くない。
しかし今の光景は、誰にでも分かる程に異常。
巨大な樹木の洞の中のように、木皮めいて曲がりうねった
空が覆われてしまったかのように、扉からの陽光以外に光源は無し。
さっきとはまるで別の場所へと繋がった。そう考えてしまえる程様相を異にしたその内部から、数々の物品が今まさに生まれて積まれていた。
食べ物も、加工品も、生ける者も、何もかも。
ゆらゆらと脈動する
——これからお呼びしますので、該当した方は順番にお受け取り下さい!
その呼び掛けにより、最も近くで見ていた人々が、更なる盛り上がりを見せ始めた。
聖堂関係者らしい一人は木箱のようなものを持ち、教皇の傍へと歩み寄る。
宣言。
——羊5頭!
隣で箱から札を引いて、読み上げる聖職者。
「24番!」
歓喜の声!
「ありがたや!ありがたや!」
木の札を掲げた男性が、扉の内から羊を牽いて行く。
——鉄の農具類計100本!
「115番!」
「おお!これで領民を納得させることが出来る!」
大勢の従者に荷を運び出させる貴族。
——ウォッセ風邪の治療薬十種!
「65番!」
感涙に咽び泣く夫婦!
「おお、おお!感謝します!」
薬が入っていたらしい袋を受け取ると、二人揃って家路を急ぐ。
「忘年会のビンゴパーティーじゃねえか…」
次々と上がる喜びを見ながらも、若干しょうもなく思えてしまう。
「第一、他の誰かに当たったら、『要らねえ』とか『運べねえ』とか言われそうなものばかりに見えるんだが。ヤラセにしてももっと上手くやれよ…」
「それがわかんねえンだよなァ。今まで一回もそういうのが無くて、全部いるモンがいるヤツのトコに行ってンだと」
「そりゃ事前に打ち合わせて決めてんだろ?」
そっちはいい。
それより、
「あの聖堂はどうなってる?あれが生産工場ってわけじゃないだろ?」
「中央大聖堂は世界樹へ通ずる扉、鍵さえあればギギギと開いて、オレ達に奇跡を見せてくれンの」
「『鍵』?」
それが、教皇の
「いや、それはおかしい。それじゃあ、あそこに立ってる奴が教皇になる前はどうしてたんだ」
「そこがまたスゲエところで、教皇になる方ってのは、必ずあの
生まれた時の祈りに関係なく、それを与えられる者が居る。
神秘の扉を開ける、その役に相応という証。
「それじゃあ、あいつが生まれた時から、教皇になることは決まってたって言うのか?」
神様というのは、何処の世界でもふざけた御方らしい。
「で、あれが聖堂の真の姿ってことか?」
「そゆこと。あれでアルセズは支えられてンだ。メトシェラが疲れるからっつって、ガチャリとする回数は控えめにしてるらしいケド」
各村々に鉄器を支給する、その余裕は何処から来るのか、それが気になってはいた。
バシレイアの狭い土地には、鉱山も確かに存在するが、都合良く生産力が高いものであるのか、と。
だが、そんなもの、どうでも良かったのだ。
こんなのがど真ん中にあれば、王都は「飢え」とは程遠くなる。
しかも実際に、「奇跡」を目にする機会もあるのだ。
包囲は完成しているのに、兵糧攻めが成立し得ない。
厭戦・絶望も煽れない。
此処で暮らしていれば、それはそれは危機感を忘れることだろう。
最悪王都の壁さえ健在なら、いくらでも食い繋いでいけるのだ。
自分の寿命が尽きるまでに、アルセズが滅びる事は無い。そう思ってしまうのも無理からぬ話。
遥か子孫の代で破綻するかもしれなくとも、今を生きれているのなら、見て見ぬふりをするのが人情。
ここは、
パンガイアは、
楽園なのだ。
少なくとも、ミクダヴドに住む者達にとっては。
ここ王都に残って手柄を立て、深い情報を手に入れて帰り方を調べる。
生存が優先なら、それが最善策。
その未来が、魅力を帯びていく。
「生きる」ことは、「願いを叶える」為の最低条件なのだから、
ならば、迷う必要が無い。
——いや、そんな御託は、言い訳だ。
初めから、答えは決まっていた。
ただ、理論武装して納得させたかった。
ジィを?
アライオを?
マリアを?
自分を?
知った事ではない。
そんなものが無くとも、翔はそれで良いと割り切った。
彼が従うのは、
いつだって自身の願望にだけだ。
だから、これでいい。
大いに回り道をしたが、
彼はやっぱり、
そこに着いた。
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