1-7.戦闘開始
「宜しくない、ですわね」
視線の先には、炎。
赤々と燃える、門扉。
村の入り口にあった申し訳程度のそれは、早々に放棄され、村を囲む防護柵も、何の役割もなさなかった。
土竜の大群を前にして、木製のそれらは脆すぎる。その上しばらく補修されてないとくれば、破壊される未来のみ。
よって、リアスマ隊の薪にした方がマシ、という判断が下されたのだろう。
それはいい。
問題なのは、それでも火の勢いが弱いことである。
リアスマ隊は、高い火力で鳴らした部隊だ。
炎を生み出す
火球を撃ちだす者、武具に火を纏わせる者、火で何かの形を
連携によって、それらは更に猛威を振るう。
生半可な防御では、熱殺されるか、守りごと燃やされる。
だが彼らは今、その半分の出力も引き出せていない。
大きな原因は、
「この天気、ですからなあ…」
雨天決行。
まずそこから既に不利。
アルセズが信奉するのは、聖なる樹木と母なるオウリエラ。
陽の光に乗って力の源が降り注ぎ、樹木がそれを受け止め、そこに棲む
これが、
故に陽光の無い場所で使うと、通常よりも早く
燃費が悪くなるというのとは違う。使用量が同じでも、回復が追いつかなくなるわけだ。
詳しいことは分かっていないが、曇りや雨・夜・陽の光が届かない場所では、控え目に使わなければすぐ息切れする。
だから、先日翔を助けた時のように、大盤振る舞いすることは出来ない。
更に雨の中では、湿度が高く気温は低くなる。
何かを燃やすには、温度をある一定まで上げなければならない。
雨の日に要する上昇温度は、晴れの日のそれより僅かに大きい。
たった1・2度の差。晴天なら気にすることのない差異。
それが今、胴に打ち込まれる拳のように、じりじりと彼らの体力を削っていた。
油壷を投げたとて、洗い流されるのも実に厄介。
「これはまた、運の無い…」
「偶然…と思いますの?この状況」
主が彼にそう尋ねる。
「これまであの村は、何日も夜を越しましたわ。あれだけの大群を用意しておいて、その時には仕掛けて来ず、夕方頃から降る雨を待った」
雨が止んでも、闇夜が迫る。
これで彼らは、夜を耐え抜くよりも更に長い時間、この厳しい戦況に身を置くことになった。
実際、襲撃の機会としては、厭らしい程に最適である。
「まあ、狙っているんでしょうなあ…。天候だけならば、
それに加えて——
リアスマ隊の一部が息を合わせ、門の炎を操って、土竜の一匹を包み込む。
それを、高圧の水撃が襲う。
火が掻き消え、土竜は損傷を被ったものの、戦闘不能には至らなかった。
「あれらがおりますからな」
彼が見ているのは、大運河ピシオンの支流の一つ、村の南の名も無き川。
そこから顔を出している奴らは、頭部の形状から他と違う。
光の無い大きな目玉に、突き出て上に尖った下顎。
全体の造形は、魚のようにもカエルのようにも見える。
その魚群が先程から、口から水を噴射しているのだ。
「直撃すれば無事では済まない上に、リアスマ隊との相性は最悪ですな」
「ここに河川があることを見越しての兵装、明らかに、この村を落としにかかっていますわ」
だが、矢張り分からない。
「何故このような、戦略的に価値の無い場所を?」
「恐らく、本命は南北都市が主に使用する補給路の方ですわ。それを分断した後に、予備として使われるであろうこちらを、まず先に潰しに来たのでしょうね」
「現補給路を先に襲えば、この村を起点に囲まれるかもしれない。逆にここから襲ってしまえば、まず極度に警戒されることはない。周囲からの注目度の差、それを理解しておりますな」
「順序を変えるというだけで、こちらは全て後手に回りますわ。更にこの地はそのまま、
「成程、ここで我々を全滅させれば、これを伝えに行く人間も居なくなり、よってかなりの猶予が得られる。だから、念入りに囲い込むような真似をしているわけですなあ…。いやはや、とても整った軍略。と言うより——」
——整い過ぎている。
これで二つ、はっきりした。
一つ。
敵の中には確かな知性を持ち、多数の
もう一つ。
敵は何らかの手段で、
「もしや、裏切り者の可能性すら——」
「ジィ、今はまだそれを考える時ではありませんわ。とにかくあの
「失礼、その通りですな」
「今回、こちらの主兵装は王都に置き去りですので、わたくし達は飽く迄も添え物ですわ!まったく、だからわたくしは持って行きたかったのですわ!輝けない!忌々しい!何としても、後方の魚頭共にこちらの攻撃を届かせなければ、こちらに勝機は無いと心得なさい!いざとなったら——」
——切り札を一枚、切ることになりますわ。
彼としては、それは避けたい。
主の御身を、危険に晒すことになるからだ。
難度の高い命令。
それでも、やらねばなるまい。
「御心のままに」
そう言って彼は、
マリア・シュニエラ・アステリオスの専属執事は、
リアスマ隊と共闘しに行く。
前途は、
限りなく真っ暗である。
——————————————————————————————————————
「何やってんだ!」
少女はその声に身を竦め、振り向いて発した者を確かめ、それから安心したように笑った。
北方に広がる畑、そこへ行く途中の物置小屋。ユーリはそこで何やら
どう見ても、戦意に満ち溢れている。
「なんだ~、カケルかあ…脅かさんでよ~」
「『なんだ』じゃねえ!どういうつもりだ!?死にたいのか!?」
少女は——ユーリは彼のあまりの剣幕に、一瞬首をすぼめて怯むが、即座に持ち直し真っ直ぐに見返す。
「ウチだって、考えなしにやっとるわけじゃないんよ。これは、必要なこと」
「そうかいそうかい。俺からは命を放り棄ててるようにしか見えないが、さぞかし深いお考えがあるようで、それはよござんした!」
「聞いてってば!このままなんもしないと、この村が大変な事んなる!」
何を馬鹿な、というのが彼の正直な本音である。
リアスマ隊が応戦している以上、自分にできることなど見つからないと思っていた。
「…『大変』ってのは?」
だが翔は、反論する彼女の必死さを切って捨てられず、一度その言い分を聞くことにした。
「あいつらは、戦力の大多数を川がある方向、この村の門の一つに集結させとる。それ以外の箇所では、包囲をゆっくり狭めるだけで、まだ比較的緊急度は低いんよ」
そうだ、だから村の中心に身を寄せ合い、時間を稼ぐのが最適なのではないか。
「でもこれ、なんかおかしくない?」
ユーリがその方策に、一石を投じる。
「あいつら、ウチらをまんまと嵌めるだけの知能があるんよ?だのに今、片方で電撃作戦しとって、もう片方は後ろを突く絶好の機会を逃し続けとる。普通、無理してでも押し入って来ると思うんよ」
小石が落ちたところから、水面に波紋が広がっていく。
「ウチらがあいつらにビビって、それで内に籠る。それを、誘ってるんと違うかな?」
それが淵に跳ね返り、干渉し合い、一つの絵図を結んでいく。
「ならあいつらは、何を目的に行動してるって言うんだ?」
恰好の餌場を前にして、それでも「待て」を継続する
それは——
「それは食料だと、ウチは思う」
彼女が導き出した仮説は、信じ難い程姑息で狡猾。
「何?」
「ここウガリトゥ村は、基本的に農耕牧畜で食い繋いどる。収穫期でないなら、食うのは当然備蓄した食料。そしてそれは、北側の領域、畑のすぐ近くの倉庫に纏めてある」
北。
現在最も激しい戦闘が展開されている南門、その場所とは正反対の位置。
「そうなると、奴らはたらふく食って万事整えてから、俺達を存分に襲う為に?」
「いや、もっと悪いかもしれん」
だが想定は、最悪を更に超える。
「自分らの飯を確保できるんはそうだけど、それ以上にウチらから奪う方が重要なんかもしれない」
「奪うって、そうなると——」
——どうなる?
「取り敢えず、立て籠もって援軍を待つってことが出来なくなる…いいや、そんなちゃちなもんじゃ済まないな」
「ウチらは、余剰の蓄えなんてあまり持ってないから、税を納めたら必要ギリギリの分しか残っとらん。それを持っていかれたら、『困った』じゃ済まされん」
食料が無くなれば、この村の住民は餓死するしかなくなる。
畑を荒らせば、希望すら潰える。
マリアは知らないが、リアスマ隊は立場上、そんな彼らを見捨てられない。
王都か
少なくとも形だけでも、彼らを救う努力をしなければ。
守るべき者達の信頼を得る。
それもまた、兵士の責務である故に。
「速度は確実に落ちる。早馬を確実に潰すのを徹底するんなら、『ウガリトゥ村急襲』の情報もまた遅らせられる。移動中に戦うんなら、足手纏いを庇いながらやらんといかん。こちらの戦力を削ぎ放題。もし南門で勝利できても、その先は敗北しか待っとらん!」
「一斉攻撃で陥落するならよし。攻略に失敗したとしても、こちらの動きを制限しつつ、最大限の嫌がらせが行える。そしてどちらにせよ、俺達はこの村を放棄せざるを得なくなる。蔵一つ潰すだけで、村一つ落とせる…!いや、だが——」
——本当に、そこまで考えているのか?
緻密過ぎる。
仕損じた時の為のプランB。
畜生の行動パターンからは外れている。
考え過ぎなのではないか。
翔は未だ否定材料を探す。
しかしユーリがそこに駄目押す。
「カケル、
——奴らの、悪意を。
「あれは、ウチらアルセズの不利益になることに関しては、かなり鼻が利くんよ」
生物の中には驚くべき能力を持つものも珍しくなく、ただ特殊に見えるだけの生き物ならごまんといる。おかしな挙動・生態・器官を有するだけでは、それは
では「普通の」生命と、奴らの最大の相違点とは何か。
それは
食う為に殺すのではなく、縄張りに入ったから身を守るのでもない。
奴らは、人と見るや否や襲い掛かって来る。
その他の、人より簡単に狩れる餌にすら、一切興味を示さなくなり、とにかく殺人と蹂躙を優先する。
人が嫌がる事、それを実行する時だけ、気味が悪い位に頭が回る。
その問答無用の敵意こそが、奴らを
「あいつらが選ぶのは、いつだってウチらにとって最悪の道。今まで最前線から来た色んな記録を読んだけど、彼らはアルセズをびっくりする程的確に追い詰めとる。強迫観念や妄想なんかじゃない。あいつらは本気で——」
——アルセズを絶滅させられる。
単に厄介な害獣ではなく、
真に人類の敵たる骸獣。
翔には理解出来ていなかった。
奴らを相手にすることが、どういう意味を持つというのか。
だけど、
「だけどお前がやる事じゃない。それこそリアスマ隊に任せるべきだ」
「そんな余裕は多分無いんよ。村の皆は誰も来てくれんかったから、ウチしかできる人間はおらんし。それに、ここで恩を売っておけば、ウチの世界遍歴計画にまた一歩——」
「お前の同行許可は、既に出てるんだ!」
その時初めて、
ユーリに明確な迷いが生じた。
準備をする手が止まり、瞳の焦点は忙しなくブレる。
「あのお嬢様が、お前を気に入った。言っちまえば、俺が居なくても結果は同じだった。それくらい…、お前は、価値のある人間なんだ…」
だから、こんなことをする必要はない。
火中の栗を拾わずとも、掌中に望んだものがあるのだ。
翔はそう言いたかった。
ユーリは、
「そっかあ」
ホッと一息、安心すると、
「じゃあやっぱり、ウチは行かなきゃ」
徹底抗戦の決意を、より強固にした。
「いや…お前…だって…」
「分かっとる。でもこれは、ウチの“誇り”の問題。ウチは、何の憂いも無く去りたい」
それは、彼女のけじめ。
先に進む時の為に、今を最善にするという指針。
「村のみんなが、生きるために日々働いて蓄えた財産。それを、アルセズ全体への嫌がらせに使う言うて、台無しにする。ここでそれを見過ごしたら、ウチは皆を見捨てる為に、カケル達に付いてくことんなる。そんなん、許せん」
——絶対に。
だから、彼女は戦う。
笑って、この村を出て行きたいから。
「いつか、この村に帰って来たいから」
翔には、矢張り理解できない心理である。
自分の生まれた場所、彼にとってのそれが日本になるなら、確かに戻りたいと思う。
だがそれが、「親元」という意味なら。
彼は二度と、帰りたくはない。
ユーリは、この狭い村の中で、人にも環境にも否定され続けて来た筈だ。
実際、村での彼女の立場は、あまり良くない。
古びた因習の巫女役は毎年彼女がやらされる。彼女と会えない期間があっても、村民の誰も気にしないからだ。
同年代はほとんどおらず、友人と談笑している場面も見たことがない。
大望を抱く小さな市井は、周囲から異端視され迫害される。
その典型例だった。
それなのにどうして、「帰って来たい」なんて言えるのだろうか。
それが、どうしても分からなかった。
「よっし!」
ユーリの用意は完了した。
こんな村でも——農具の流用だが——自衛用の武器がある。それらを持てるだけ背負っていくつもりだ。
「じゃあカケル、危ないから安全な場所で——」
「行くぞ」
彼は北に向かって、
確かに踏み出した。
「え、ちょ——」
「ほれ、いくつか持つぜ。一人より二人の方が良い」
「し、死んじゃう——」
「俺を置いて、一人で殺し合いに行くって奴に、身の安全を説かれる筋合いは無いね」
思うところはあるようで、ユーリは気まずそうに眼を逸らす。
「それに、お前の
単に人数が多くなるという点ではなく、単数から複数へと変化することこそが重要。
連携という概念が生まれ、ユーリの能力が100%活きてくる。
「急ぐぞ。他の誰かを呼びに行く時間も、惜しいんだろ?」
「…本当にいいん?これはウチの我が儘なのに」
「それこそ意地の問題だ。お前が行くってのに、このまま何もしないなんてナシだぜ」
考えるんだ。
努力し、思考しろ。
そうすれば、結果は必ず応えてくれる。
それを証明するのが、彼の目的だった。
そのモットーは、このパンガイアでも変わらない。
「俺とお前、二人でやるぞ。手柄は山分けだ」
「…うん…、うん…!そうだね!」
ユーリの笑顔が、希望そのもの。
隠しているだけで不安であったろう彼女は、今こそ恐れなく戦えるようになった。
ここに、たった二人の軍団が結集した。
この村を、
アルセズを、
滅びから救う、
その為に。
その先の不明の荒野には、
抑えきれない勝利の輝きが、
漏れて溢れているように見えた。
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