終章

 ほんの数時間会ってなかっただけだというのに、なんだかひどくドギマギする。

 膝の上にちょこんとプティを乗せながら、飛び行くヘリの中で社は身を縮こまらせていた。


「でも、本当に無事でよかったよ」

 その隣には、彼の安全を心から喜ぶ、社の想い人。

 さながら死地から戻った兵士のように、社は気持ちを奮い立たせる。

 今だ、今しかないはずだ。さんざん危険に立ち向かうたびに、この胸の想いを彼女にぶちまけると決意した。

 これ以上、相応しいシチュエーションもないだろう。今なら幸いに、あのうるさい社長もいないことだし(まああの雇い主には言いたいことがたくさんあるが)、月明かりの中空を飛ぶヘリなんて、今後一生乗れる機会もなさそうだ。

 だから、ちゃんと言うべきなんだけど。


「まさか、五老海って書いてイサミって読むなんてねえ」

 ちらと社は隣の彼女に目をやった。社らがトンネルの先に閉じ込められている間、東奔西走していただろう彼女は、それでも疲れた様子も見せずにべらべらと喋っている。

 主に、一連の事件のことに関して。 


「そのおかげで、いろいろ勘違いしちゃって。そうそう、もう一人のイサミさん、芦田勇美さんが行方をくらましたの、あれは業者の手配を忘れてて、それを怒られると思ってずる休みしてたみたいよ」

「へえ、そうなんだ」

 社の口から気のない相槌が出た。違う華ちゃん、僕は今そういう事じゃなくて、もっと。


「その五老海さん、どうにも村上に利用されてたみたい」

 隣でモジモジする社に気づかぬ様子で彼女は続けた。

「で、自首を勧める五老海さんを厭って、さも怪談話みたいな風に殺したみたい。やっぱりあれは、噛み殺されたように装った他殺だったのね」

 私が捜査に加わってたら、絶対真相を明らかにしてたのに、と憤りながらさらに彼女は言う。


「で、犬尾唯は、どうも父親と兄から離れた後も、五老海と連絡を取り合っていたみたい。案外五老海が結婚しなかったのは、彼女の存在があったのかもね」

 恐らく二人は想い合っていたのだろう。あの、プティから抜けた魂のような物。あれはどうにも、五老海のものと思えてならなかった。じゃなきゃただの犬があんなに活躍するものか。

 きっと死してなお、彼女のことを守ろうと――だがそれは叶わなかったわけだが、せめても真相を明らかにして、二人は高天原に還ったのだ。


「具体的に五老海が村上の罪を犬尾唯に告発したとは考えにくいけど。でも彼女は何かを察してその秘密を暴こうと、トンネルの先に向かったのかも。そこをこう、平たい金属みたいなので殴り殺されてしまった」

 それが、犬尾唯の死の真相。死因は落石ではなく、撲殺。傷口には岩石が衝突した痕跡は結局見受けられず。平たい何かで傷つけられたことが新たに判明したという。


「もしかして、それってスコップ?」

 ふと社は思い返す。なんであんなものが、と思った覚えがある。まさかスコップ一つで山中を平定できるはずもなかろうに、それはプレハブ小屋に立てかけられていた。

「なるほどね」

 華も大きくうなずいた。

「きっと、犬尾唯も掘り起こすつもりだったんだわ。それは金かもしれないし、先に殺された人々の遺体だったかもしれないけど。それでスコップを持ち出して」

 それを奪われ、逆上した村上の手にかかってしまった。


「それにしても、強欲な人間だったのね、村上は。なんでそんなになっちゃったんだろう」

 ぽつりと華が呟いた。その貪婪な犯人は、このヘリとは別のヘリで輸送されている。向かう先は警察署。意識の回復を待って、取り調べが始まるという。


「袋田の怨念に憑りつかれてたのかな」

「いや、単に強欲な人間だった、それだけだよ」

 気のない様子で社は答えた。欲は、人間が生きていく上では必要だろう。例えば社が華を自分のものにしたいように。

 けれど、何事もやりすぎれば毒だ。より多くを求めれば、やがて人は破滅する。


 もしも僕が、彼女を独占したいと思って、それで。

 断られたらどうする?そもそも、彼女にはすでにいい人がいるのかもしれない。だというのに今までの関係を崩すようなことをして、ダメになったら。

 僕は、その時どうする?社の手が小刻みに震えだす。だって、彼女は僕のすべてなんだ。村上にとっての金みたいに。僕も、あんな狂気に憑りつかれないって、言い切れるのか?僕は――。


「All right?」

 ふいに、機内のもう一人の乗客が口を開いた。アズサだった。

 その声に、ふと社は身体を強張らせる。振り向いた金の目が、こう言っている気もした。

 ヒトはいつか死ぬのよ。No time to waste. 

 ああ、わかってるよ。でも。


「大丈夫。ちょっと、冷えたみたいで」

 弱々しい声で社は答えた。

「そうだよ社くん、あんまり大丈夫じゃないんだから」

 華はそう言って血の乾いた社の頬を軽く撫でると、

「あまり、無理しないでね」

 軽く笑みを浮かべながら、自分のジャケットを掛けてくれた。華奢な作りのスーツのジャケット。でも、彼女は僕なんかより強くて、すごくて。

 そうだ、僕なんかじゃまだ、全然釣り合わない。華のスマホの待ち受けを思い出す。僕もアレくらい、たくましくなれれば。それなら、きっと。


「でも、ヤシロはカッコよかったわ」

 振り向いた顔を正面に戻して、アズサが呟いた。

「そのままで、充分。でも」

「でも?」

 顔を上げた社に、彼女は静かに唇を開いた。

「No…ing h……ens if yo…… do……t act.」

 けれどほとんど聞き取れないまま、ヘリは着陸の態勢を整える。黒々とした月居山の影を背に、彼らは帰って来た。


 無事呪われた地を抜け出して、社らは日常へと戻ったのだった。

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ことぶき不動産お祓い課~トンネルの先の廃村編~ 鷲野ユキ @washino_yuki

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