第43話
「Mr.ゼニヤが消えた時」
ぽつり、とアズサは口を開いた。嫌な思い出を無理やり話すみたいに。
社が着替えて戻ってみたら、皆がアズサが銭谷を消したと騒いでいた。そりゃあ、彼女にとっていい思い出ではないだろう。けれどアレは、彼女の超能力的な力のはずはないと結論付けたばかりじゃないか。
「あれは、きっと銭谷さんも思い出したんだ。自分が亡くなったことを。それで」
さらに続けようとした社の言葉をアズサが遮った。
「あのヒト、アタシに触ったの」
ああ、そういえばそんなことを言っていた。てっきり銭谷が紳士ぶって、タオルで頭でも拭いたのかと思っていたが。
「あの人も様子がおかしかった。真面目そうな人に見えたけど、その、胸を」
「え」
思わず変な声が出た。
「立派な痴漢じゃないか!」
憤りも露わに社は叫んだ。こんな、子供の胸を?いや、子供も大人もないけれど、あの男、とんだ食わせ物だった!
「こういう状況で、ストレスが溜まっていたのかもしれない。でも、すごい怖かった。けど、アタシは何もしてないの、本当」
腕の中の犬を抱きしめて彼女は言う。
「アタシは、触れられただけ。何もしていない」
そう言って、彼女は顔を上げた。金の目が、獲物を見つけた猫のように光っている。
その目を見て、社も思い至る。あの時玲夏が指摘したように(そして彼女自身も思い出したように)、銭谷はすでに過去に死んでいた。その彼が、アズサに触れて消えた。つまり。
「死者は、生者に触れると消える?」
思わず呟いていた。死者は、自分の死を認識すると消える。そう言うことなのではないか。では、どうやって自分が死んだとわかる?
それは、五味のように自分の遺体を確認したりだとか、自分とは違う、生者に触れた時に。
霊体でしかない彼らが持たない、血の通ったぬくもり。それが自分にないことに気が付いて、それで。
金の瞳が、ひたと奥の方を見据えた。雨はいつの間にか霧雨に変わっていて、あたりを白くけぶらせている。まるで夢のなかの場所のように、ひどく現実味がなかった。
その白い世界で、何かが動いた気がした。そこに向かってアズサが言い放つ。
「あなたも、それに気が付いたんじゃないかしら」
キッと、その方を睨みながら。同じく犬が、その方に向かって低く唸る。恐ろしいものを威嚇するかのように。
白い影が、ゆっくりとこちらに向かってくる。社は思わず玉串を握りしめる。けれど、その先にいるのは社の祝詞が効くような相手ではない。
生きた人間。
神成、いや、村上が姿を現した。
「何言ってるんスか」
そう、ニタニタと笑いながら。
「あんまり来ないから、どうしたかと思って」
その顔は、心配するセリフとは真逆に、ひどく嫌な笑顔を張りつかせていた。
こいつ、僕たちの話をずっと盗み聞いていたのか?
「アナタはMr.ヒカリに触れた。そして、彼が消えた」
アズサが、村上を睨みながら言った。なぜ村上は光に触れたのか。それは故意か偶然か?
——いや、恐らくは故意だろう。社は考える。彼らが、初めて村上扮する神成に会った時。彼の手にあったのは、壊れた、重そうな懐中電灯。あれはきっとあたりを照らすためではなくて。
社はぞっとする。もしかしたら、僕も。あれで殴られて、殺されていたのかも。
「もしかしなくても、自分を目撃した人間を殺すつもりだったんでしょう?けれど、ただ触れただけで相手が消えてしまった。驚いたでしょうね」
アズサは唇の端を軽く持ち上げる。けれどそれは相手を挑発するというよりは、無理やり自分を鼓舞しているようにも見えた。
「では、今消えた人物は何者か?あなたは考える。そして思い至った。一年前、罠にかけて、アナタとMr.イサミが殺した人たちを」
アズサの言葉を否定でも肯定するでもなく、村上は何が面白いのか笑みを浮かべている。その目を睨んだままアズサは続けた。
「一年前の死者がうろついているくらいなら、さっき殺したテツヤとタカアキがうろついていても不思議ではない。そう考えたんじゃないかしら。けれど確証はなかった。下手に騒いで、じゃあ今ここにいる人達が死者なら、いつ死んだのか。そんな話になって昔のことを掘り返されても困る」
およそ非現実的な推論だが、目の前で人が消え、死者がよみがえっているのだ。そう結論付けるしかなかっただろう。
「でも、その推測が本当なのか確認が取りたくて、握手を求めたりした。あいにく、ヤシロくらいしか相手してくれなかったみたいだけど」
そういえば、急にそんなことをされて驚いたのを覚えている。あの、湿った手。あれは交友の証ではなく、死者を見分ける手段だった。
「そうやって、アナタは他の人が見ていないところで、彼らに触れた。例えばMr.クサカリ。Mr.ミズタニも、どこかで出会って消したのね」
過去に自分たちが罠に仕掛けて殺した人間を、こいつは再び殺したのだ。
「けど、そんなのは全部憶測だろ?」
それまでニタニタと笑うだけだった村上が、静かに口を開いた。
「俺は神成っスよ?村上?誰っスかそれ」
そう言って、重い腹を揺さぶるように笑った。
「俺が村上だっていう証拠なんて、ないじゃないっスか」
その姿はひどく余裕綽々で、こちらを馬鹿にしたような態度だった。その姿に苛立ちを覚え、社は叫んだ。
「証拠なんて、これから探せば見つかるさ!」
「へえ?」
何が面白いのか、彼はニヤニヤと笑うばかりだ。すべての罪がバレて、やけくそにでもなっているのか?その姿にざわつく心をなだめるように、社は声を張り上げた。
「例えば、神成という人物が本当に存在するのか。電力会社に勤めてる?どこの会社ですか?そんなの、警察が調べれば一発だ」
そうだ、すぐにバレる嘘だ。さすがに自宅のすべての指紋を消すのは無理がある。もっと詳しく調べれば、今この目の前にいる人物が持つ指紋と同じものが村上の自宅から見つかるはずだ。
「この状況で、架空の人物の戸籍なんて用意するのも無理。最初から、お前の計画は失敗してたんだ」
声高に社は叫んだ。そうだ、あとはこいつの身柄を警察に引き渡せば――。
「神成と言う人物が」
ゆっくりと、男が口を開いた。
「どんな風貌で、どんな声なのか。知っているのは、もうアンタたちだけなんスよね」
そして、ひどく楽しそうにこちらを見た。その目に狂気を覚え、社の背筋が粟立つ。
まさかこいつ。
「ぜんぶ、悪霊のせいなんですよ。そいつが、ここに来る奴らを殺しちまうんだ」
その方が合理的でしょう?彼は笑った。
「実際、死んだ奴らをさも生きてるように操る悪霊がいるんですよ、ここには。そいつがさらに手駒を求めて、人を殺す。そのほうが、自然でしょう?」
確かに、ここに何かが居るのは確かだ。けれど、生きた人間を殺したのはそいつではなくて。
「そういうことに、しちまえばいいんです」
村上が、ジャンパーの前を開いた。重そうな腹の中で、ピカピカと何かが光っている。
金の延べ棒だった。社は目を見張る。あれほど草刈が固執して、結局それの為に命を奪われた金。それが、ぐるりと彼の腹に括りつけられていた。
こんな近くにあったのか、すべての元凶が。吸い寄せられるように、社の目はその鈍い輝きに奪われる。これの為に、何人もが殺された。
「ヤシロ、危ない!」
ふいにアズサの声が響いた。そして、キャン、という犬の鳴き声。何かに袴の裾を引っ張られ、社はバランスを崩す。
その、ついさっきまで社が立っていた場所に、村上がナイフを振り上げていた。
「お前、まさか」
僕らを殺すつもりなのか。その言葉は声にならなかった。
「アンタたちも、ユーレイにしてやるよ」
再び村上がナイフを振り上げた。明確な殺意を持って、社へと。
「う、うわああっ!」
火が付いたように社は叫んだ。こんな、ナイフで刺されそうになった時にどうしたらいいかなんて教わってない!やみくもに身体を動かして、何とか社はその刃から逃れようとする。
「ちっ!」
村上が舌打ちをして、苛立ったようにナイフをこちらに向かって投げた。ヒュン、と風を切る音がこちらに向かってくる。それはあまりに早くて、為す術もなく動きを止めた社の頬を鋭い切っ先が切り裂いた。
「い、今……」
頬がひどく熱い。ひりひりと、痛みが浸食していく。嘘だろ、僕。
ここで、殺されちまうのか?
「ぼんやりしてないで、早く逃げて!」
アズサが叫んだ。その声で金縛りが解けたみたいに社は飛び上がる。そうだ、殺されてなんかたまるか。ちゃんと生きて戻って、華ちゃんに。
「早く!」
アズサが手を伸ばす。気を込めて、村上の方へ。
そうだ、超能力!彼女には不思議な力があるんだ。社は気を持ち直す。それにいくら相手が恐ろしい殺人鬼だとしても、こちらは二人。あいつは悪霊と違って生きた人間なんだ、冷静に対応すれば――。
「それ、生きた人間にはたいして効かないんスよねえ、確か」
アズサの生み出した風圧を容易くよけて、村上は勝ち誇ったように笑った。
「残念だったっスね、俺がユーレイじゃなくって」
お祓い担当には荷が重いっスよね、と、村上は金と同じく、ジャケットの下に幾つも隠し持っていたナイフを再び振り上げた。
「うわあああっ!」
前言撤回!社は心のなかで叫んだ。悪霊なんかより、生きた人間の方がよっぽど恐ろしいじゃないかっ!
「アズサちゃんも、服の下に武器とか持ってるんじゃないの」
社は叫んだ。あれがオモチャじゃなくて、本当の銃だったら良かったのに!
「持ってるけど、生きた人間に使うものじゃないもの!」
そりゃそうだよな。社はもはやボロボロになった玉串を握りしめながら思った。僕だって、まさか殺人鬼と立ち回るつもりでこんなところになんて来ていない!
「逃げるわよ!」
アズサの声に社は付いて行く。足元はぬかるんでいてひどく走りにくい。
けれどこの状況で、凶器を持つ人間に敵う気がしなかった。幸いに視界も悪いし、この山の中だ。確かに、逃げて助けが来るまでやり過ごした方が良いに決まってる。
けれど。
「あれ、あの犬は?」
キョロキョロと社はあたりを見回した。犬尾唯の探していた犬。ようやく見つけたあの子は、いったいどこに?
「さっきまで抱えてなかった?」
アズサの腕の中にいたはずなのに、それがいない。
「ヤシロがナイフで切り付けられそうになった時、ヤシロを助けようと」
腕の中からするりと降りて、そして社の袴の裾を引っ張った。じゃああの時僕を助けてくれたのは、あの子だったのか。
「いったい、どこに」
呟いた時だった。ワン、という鳴き声が後ろの方から聞こえた。振り返れば、あの小さなポメラニアンが、村上に向かって吠えたてている。
「ワンッ、ワンッ!」
「ったく、うるせえ犬コロだな」
苛立ったように、村上が吐き捨てるのが聞こえた。そして、無造作に足で蹴り上げた。道脇の小石を蹴るみたいに。
「キャンっ!」
ベージュの毛の塊が、ボールのように跳ね上がった。それは木々に当たってボトリと地面に落ちる。
「ったく、五老海の犬なんて引き取るんじゃなかった」
忌々しそうに呟きながら、村上が毛の塊へと近づいていく。
「アイツもこんな犬コロを連れ出さなきゃ、死なずに済んだのになあ」
そしてそれを片手で掴むと、もう片方の手にしたナイフを振り上げた。
殺すの?邪魔になったら、みんな。
「危ない!」
社は駆けだした。思わず身体が動いていた。今は犬より、自分の身を守るのが先に決まってる。そんなことはわかっている。僕が助けに行ったところで、殺人鬼に敵うかもわからない。いや、むしろぐさりとやられてしまうかもしれない。
けれど、あんなのはあんまりだ。自分より弱い存在を、あんな物みたいに。
アイツを、許してはいけない。
ふいに、頭のなかで声が響いた。どこかで聞いたことのある声。その声に導かれるように、社は精いっぱい駆けていく。ナイフを持つ村上にそのまま身体ごと体当たりをして、男がよろけた。
「邪魔すんなっ」
今度はその切っ先が、社を捉える。社の伸ばした手が、地面にうずくまる犬に届いた。
早く、この子を助けて逃げないと――。
犬を抱きかかえた社に、無慈悲な一振りが突き刺さる。はずだった。
「ヤシロっ!」
アズサが悲鳴のように僕の名を呼んだ。僕の名?いや、違う。僕は――。
『許さない』
社の声から、社の物でない声が出た。そして顔を上げると、ギロリ、と男をねめつける。そしてそのまま、ひらりと身体を躱す。凶器がすぐ脇を空振りした。
「てめえっ!」
村上が怒気を孕んだ叫び声をあげた。いつもの社だったら萎縮してしまうような、恐ろしい声だった。けれど今は、まるで自分の身体が自分の物じゃないようで。
そして再び、社の口が勝手に動いた。
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