第45話

 アズサが言葉を言い切る前に、白くけぶる世界が黒で侵され始めた。日が落ちたわけでもない。いつの間にか霧雨も止んでいた。だというのに、ねっとりとした、濃い闇が流れてくる。社らは為す術もなく、ただ玉串を握りしめたまま闇に呑まれていく。


「どうなってるんだ?」

「キャン、キャンっ!」

「ヤシロ、大丈夫?」

 何も見えなかった。けれど、声が聞こえる。みんな無事ではあるらしい。けれど、唯と村上はどうなった?それと、この闇の正体は。


『金は、誰にも渡さぬ』

 あたりに声が響いた。誰のものとも、男とも女とも判別のつかない声。金に固執していた、少し鼻にかかった村上の物とも違う声。

 村上でないなら、誰が?

『この地は我らの物』 

 ぼんやりと、闇が形を作っていく。急にあたりが血生臭くなってきた。その匂いに社はむせる。腐敗した、淀んだ空気。それを吸うのに抵抗を覚え、自然と社の呼吸は浅くなる。


『我ら月居城を継ぐものなり。袋田氏の宝を守るもの』

 闇が、ヒトの形を成してきた。変わらずの黒い世界の中で、それでも無数の黒い人影がざわざわと揺れているのが視えた。こちらにおいでとばかりに、手を挙げて、彼らを招くように、ただただ揺れている。

 彼らに意思があるのかはわからない。彼らのうちには、腕のない者や、脚のない者がいた。思わず身体が震えた。まさか、あれは。 


 その、誰ともつかない黒い影が言った。

『奴らと同じくここを奪おうとするか?』

 幾人もの声が重なって発せられたような声。けれど人の声とも思えぬ無機質な音だった。その無数の影が、社らを取り込もうと近づいてくる。ゆっくりと、だが確実に。明確な敵意を持って。


『お前も山入の手先か?それとも白川か?』

「手先?何のことだ」

 社は呟くが、まるで水の中みたいに呼吸が苦しかった。身体が重い。足を持ち上げるのにすら苦労する。逃げようとも、夢の中のようにうまく進めない。

『それはさせぬ。我ら佐竹の民がそれを許さぬ』

 再びそれらが言った。黒い影のうちの、一つがそう言わせているみたいだった。

「ヤマイリ?サタケ?」

 同じく息苦しそうにしながらアズサが呟いた。

「あの、Mr.クサカリが言っていた?」


 そう言えば、彼はそんなことを言っていた。ここはもともと袋田氏の月居城があって、それを山入氏と佐竹氏が奪い合っていたところ白川氏が横取りしたのだと。

 その後幾人かの手を経て、ここは佐竹氏の手に戻ることとなった。袋田氏は佐竹氏の支族だというから、本家の佐竹氏にこの地が戻されたというわけだ。

 あの闇は、その佐竹の民だと言っている。 


「もしかして袋田の金は、本当にあったのか?」

 草刈の祖母の家と思しき場所で見つけた古地図。祖母は、佐竹氏の血を引いていると草刈は言っていた。引っ張り出したものの、ゆっくり見る間もなくあの家に置いてきてしまった。

 まさかあれは本当に、袋田氏が隠した金の在処が記されていたのだろうか。そして、それを守るために、こいつらは。


 黒い影らが蠢いた。虫が這うように、得体の知れないものが近付いてくる。その中心には、ヒトの姿。村上が影を背負って、ひたひたとこちらに向かってくる。

「もしかして、村上があそこまで金に固執してたのは」

 いや、村上だけじゃない。すでに亡霊と化した草刈や、銭谷だって。

「こいつらが、佐竹氏の怨霊が憑りついていたのか?」

 それで、村上はヒトを殺していったのか? 


『お前らにも、我らが宝を守る栄誉を与えよう』

 黒い影のうちの誰かが、実に楽しそうに言った。恐らく、佐竹一族のうちの誰か。

『喜べ、永遠にだ』 

「そうやって、ここに来た人間をとり殺して、ここに縛り付けてきたのか?」

 喘ぐように社は言った。呪われていたのはトンネルではなかったのだ。はるか昔から、この地に月居村があったころからすでに、袋田の呪いは存在していたのだ。


『皆、金が好きなのじゃろう?ともに守ることが出来る。これ以上の幸せはなかろうて』

 けらけらと、闇が蠢いた。金を守るのが幸せ?そんなのごめんだ!社は思った。使ってこそのお金じゃないか!

『いずれにせよ、お前に選択権などないのじゃ』 

 再び闇が笑った。

『なに、すぐに殺してくれよう。そうじゃ』

 なにかを思いついたのか、闇がふいに目を光らせた。血のような、赤い光。それが、何が面白いのか目を細めて言った。

『こいつにやらせてみようかの』

 その光の先には、闇に取り込まれようとしている村上の姿があった。

 

『こやつは、我々に金を献上した者』

 ねっとりとした、不快な声。ニタニタと笑いながら、そいつは村上の身にまとわりつく。周りの影と境目のないその姿の中で、二つの双眸だけが不気味に赤く光っていた。

『特別に、我らの力を与えよう』

 その影が、赤い目が、ずぶずぶと村上の身体に侵入していく。頭から、腹から、水を良く吸うスポンジのように、村上の身体に吸収されていく。その様に背筋をナメクジが這ったような不快感を覚え、社は叫んだ。

「あんなのに入られたら、もう村上は」

 ヒトではなくなってしまう。そう続けようとしたところで、おぞましい咆哮があたりに響いた。


「ヴ、ヴおおオオオツ!」

 村上の身体が膨れ上がった。腹に巻き付けた金が液体のように溶け、彼の身体にまとわりつく。爪が伸び、それを金が覆っていく。ぎらぎらと、赤く目が光っている。悪趣味でグロテスクな姿。

『さあ、我らが宝を狙う、邪悪な悪霊を打ち滅ぼせ』

 機械のような声を発しながら、影たちが一斉に一点を指し示した。その先にあったのは、地面にひれ伏す唯の姿。闇に取り込まれそうになりながら、必死に強張った腕を振るい、影を切り裂いていく。


「ユイサン!」

 アズサが手を伸ばした。ぽう、と闇の中でわずかに光って、それが唯の周りの影を祓う。唯は醜い怨霊の姿のまま、同じく醜い姿となり果てた、かつて自分の兄だったものを見つめて呟いた。

『啓兄……』

 けれど、その言葉はもう村上には届かない。そいつは四つん這いで、ぼたぼたと涎を垂らしていた。怨霊以上に獣じみた、妖怪のような姿でうなるばかりだ。

「駄目だ、あいつは取り込まれたんだ!」

 純金に包まれているにもかかわらず、俊敏な動きで村上がとびかかってくる。それを転がるようによけながら社は叫んだ。


「ど、どうしたら」

 あんなのに敵うっていうんだ!

「祓うしかないわ!」

 同じく鋭利な爪から逃げ惑いながら、けれど果敢にもアズサは言った。

「これだけ囲まれたら逃げきれないわ、祓うしか」

「祓うって、こんなのどうやって」

 絶望的な状況だった。あの魑魅魍魎と、この大妖怪を祓えって?そんなの出来るわけないじゃないか!だって僕は、不動産屋の社員なんだぞ!


 ちきしょう、本当に今度こそあんな会社辞めてやる!

 怒りを込め、折れんばかりに社は玉串を握りしめる。その隣で、アズサが懐から例のピストルを取り出した。オモチャのピストル。

 あんなもので、どうやって。


 彼女はそれを構えると、すう、と息を吸った。そして。

「Evil spirit, rest in peace!」

 朝はただ落ちて来ただけの緑のBB弾が、推進力を得て本物の弾丸のように悪霊へと向かっていく。それは闇の中で、ピカピカと光っている。彗星みたいに。

「もしかして、超能力で?」

「あの弾に、アタシの力を込めてるの。生きた人間には効かないけど、死人になら」

 さながらドラキュラを狙うシルバーブレッドのように、それは一直線に村上へと向かっていく。それは奴の額に当たって、ぐにゃり、と村上の姿が歪んだ。


「すごい、効いてる!」

 けれどそれも束の間で、一度霞んだ姿が再び形を取り戻す。あの、悪趣味な金の獣の姿へと。

「ええ、なんで!」

「Fire!」

 アズサが金の瞳を光らせて、もう一度引き金を引いた。パアン。

 再び獣の身体が歪んだ。苦しそうに、ソイツが呻いている。そこに、唯が身体を持ち上げて飛び掛かった。

『金なんてくだらないものの為に人間を、啓兄を、よくも』


 怨霊の裂けた口が、獣の脚をガブリと噛んだ。けれど、金に包まれたその身体にまでは届かない。

「ウオオオオッ!」

 咆哮ととともに、唯が振り払われる。そのまま地面に打ち付けられ、彼女は地面に伏せた。

『そんな、啓兄……』

 呻く唯の脇で、あの犬がまるで彼女を守るかのように吠えている。けれどそれを金の獣は無造作に蹴り飛ばすと、仕返しとばかりに唯に噛みついた。


『うっ、ぎゃあああああつ!』

 唯が悲鳴を上げた。その声が、あのしわがれた怨霊のものから、若い女の子の声へと戻っていく。

「まさか、怨霊さえも取り込むつもりなのか?」

「ユイサン、逃げて!」

 Fireと、再びアズサが銃を放つ。先ほどの小型の物とは別の、大型のピストルだった。どうやら形によって、微妙に力の使い方が変わるらしい。今度は広範囲に光を放って、それに獣が怯んだ隙に唯が尾を払った。


「ギャッ!」

 鋭く打ち付けられ獣が叫んだ。光に目をやられたのか、双眸の赤い光が消えた。

「効いてはいる……けど」

 けれど、再び獣が目を開いた。そして、怒り狂ったように叫ぶ。更に憎しみを募らせて、ソイツがギロリとこちらを睨んだ。

「Fall into hell! Fire!」

 再びアズサの銃が火を噴いた。パアン。鋭い光が闇を裂いていく。唯も力を振り絞り、その腕と尾とで影たちを薙ぎ払っていく。けなげにも、プティさえ悪霊を相手に吠えたてている。


 皆が必死に抗う中、怯えるだけの社は絶望に襲われる。頑張ってはいる。あんなのを相手に、良く戦ってると思う。けれど、状況は一向に変わらない。

 これじゃあ、キリがない。このまま、アズサと唯が力尽きてしまったら、僕たちは。


 ——本当にここで、死んでしまうのか?

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