第29話

 タカアキが生きているかもしれない。


 この新たな情報は、情報を得るのに奔走していない社さえも疲れさせた。

 何の理由があってか知らないが、ヒトの命を奪った可能性のある人間が数人いる。

 いっそ全部悪霊の仕業の方がどれだけよかったか。


 ひどく頭が混乱していた。皆に話して、これからのことを相談した方がいいかもしれない。実は最初に死んだと思われるタカアキが生きていて、みんなを殺しに来るかも、なんて。

 そんな、よくあるミステリみたいな展開。仮に信じてくれたとしても、いたずらに彼らを不安にするかもしれないし、あるいは他に、社たちの中に殺人鬼がいるのならば、そいつの思うつぼになってしまうかもしれない。そいつはまだ未確定のタカアキに罪を擦り付け、さらなる凶行に走るかも。


 けど、正直社はもうすでにいっぱいいっぱいだった。いつもの相談役の面々は、この小さな端末の先にしかいないのだ。更に最悪なことに、執拗な着信のおかげで(華からしたら、電話に出なかった社が悪いのだろうが)、ひどく電池が減ってしまっている。あまり、無駄話も出来そうにない。


「その、もしかしたらなんだけど……」

 この場で唯一新事実を話して問題なさそうなのはアズサくらいだった。森だって玲夏だって害などなさそうに見えるけれど、もはや何を信じたらいいのかわからない社は一番無難な牌を選んだ。

 社長が雇った、まだ高校生の女の子。無茶苦茶なことを言ってくるけれど、亀井社長の目に誤りはないだろうと、なぜだかそう思えてしまうのだ。

 それに、彼女が一連の犯人だなんて考えたくもなかった。万一そんな結末が待っていたら、僕はもう誰も信じられなくなってしまう!


「そう、遺体はタカアキの物じゃなくて、ムラカミケイという人のものだった」

 華からの話を聞いて、彼女は金のまつげを落とし深く考え込む。それは草刈のいかにもな探偵気取りのふるまいなんかより、よっぽどそれらしくも見えた。

 なるほど高校のcurriculumは向こうで終わってるから、と言い切るわけだ。彼女はきっと秀才なのだろう、と思わず納得してしまう。


「Is that true?」

 疑うように彼女は社を睨む。いや、そう言っていたのは警察で。

「指紋とかDNAとかの鑑定をしたって言うから、本当だと思うけど」

 そう返すしか社は出来なかった。

「指紋?あの状況で確認できたの?」

「うまい具合に指だけ吹き飛んだみたいで」

「……そう。でも……」

 再び考え込むアズサを尻目に、社は大きく息を吐く。なんだかひどく疲れてしまった。これ以上うろうろしたって、どうにもならないのではないか。


「とりあえず」

 結局結論は出なかったらしい。やはり疲れたように――いくら若いと言っても、立て続けにこんなことに巻き込まれたら疲れるのも当然だ――、アズサが諦めたように言い放つ。

「身の安全を確保した方がいいのかもしれない」

 アズサの言うことは、今時点での最適解に思えた。


 腕時計は四時を指していて、日は傾き始めている。鈍い西日に照らされた木々が陰を落とし、薄闇が足元から呑み込もうと迫ってくる。これ以上は危険だ。本能がそう告げている。暗くなったらもう、何も探しようもない。ただ、闇に飲み込まれるだけだ。

「一度、小屋に戻りませんか?」

 観音堂の脇でうなだれる彼らに、社はそう提案した。最悪このまま、ここで夜を越さなければならないかもしれない。

 夜になったら、幽霊が現れるかもしれない。何故だか知らないが、ああいうのは決まって暗くなってから現れる。

 それと、人間が殺人鬼だった場合。これだって、夜の闇に乗じて、寝首を掻きに来るとも限らない。


 けれどしごく真っ当な社の意見を大半が認める中、草刈だけが否定した。

「休んでる暇なんかないんだね、誰かに先に金を見つけられたらお終いだ」

「そんなこと言って、金の在処の検討は付いてるんスか?」

 薄く笑いを浮かべながら神成が茶化す。

「アンタの夢物語についてけるほど、俺たち暇じゃないんスよね」

「夢なんかじゃない、確たる証拠があるんだ。なあ、銭谷さん」

「え、ええ……」

 だが同意を求められた銭谷もこのありさま。最初の方こそ彼も意気揚々と金を探すのに血眼になっていたが、一連の遺体発見でどうにも気落ちしてしまったようだった。


「確かに金が手に入れば、とは思いました」

 不安げに、彼は自分の腕を抱きしめながら口を開く。

「けれど、自分の命を天秤にかけるつもりなどないんです。私はそれよりここから無事に戻って」

 そう彼が言うのはしごく自然な気がした。彼の、自分を抱く指には指輪が光っている。

 この人にも大切な人がいるのだ。あんまり勝ち組な恰好なせいで妬ましさが脳裏を駆けるが、彼には幸せな家族がいる。そりゃあ、帰りたいと思うのが普通だろう。


「そうですよ。少なくとも銭谷さんには、帰りを待っているご家族がいるんでしょうし」

 思わず社は口を挟んだ。少なくとも僕は、幸福な人間を怨むほど荒んじゃいない。はず。人を呪わば穴二つ。冥界への道は、すぐ近くに潜んでいる。そう父は言っていた。

「とにかく、ここを無事に出られることを考えないと。ねえ」


 意気込む社に話しかけられ、銭谷が困惑気にうなずいた。

「え、ええ。……そうですね、とりあえず、命あっての物種ですからね」

 けれど金イコール幸せと信じて疑わない草刈は不満げに口を開いた。

「そのためにも、イサミに対抗するには先にこっちが金を見つければいいって言ったのは銭谷さんじゃないかね」

「言いました、けれどもう、手遅れなのでは」

 銭谷の眼差しに、草刈が不満げに鼻を鳴らした。

「あんた、何を言って」

「何も手掛かり無く闇雲に探す私たちが、隠した本人より宝を先に見つけるなんてこと、あるんでしょうか」


 銭谷の言うことは尤もだった。現に草刈も動揺した様子で、

「それは」

 と言葉を濁した。

「建部さんが見つけたインゴットは、すでに犯人が回収したものの一部が誤って落ちてしまったものだと考える方が自然じゃないですか」

「けれど、よっぽどの大金だ、一度で回収できる量なんかじゃ」

 それまで両者の諍いを静かに聞いていたアズサが、自身のスマホをいじりながら冷静に口を開いた。

「イサミサンが隠したのは、一億くらいって言ってたわよね?」

「正確なところはわからないが、わかってる被害総額がそのくらいだ」

 眉をぎゅっと寄せて、草刈が答えた。


「そもそも何で、わざわざgoldに変えたのかしら」

 そう問いつつもすでにアズサには答えがわかっているようだったが、律義に草刈が答える。

「それは、金の方が普遍的価値が高いからなんじゃないのかね?」

 紙幣なんて、その国の経済状況によって価値がいくらでも変わってしまう。その点金は世界どこでも共通だ。貯金を金にしませんか、なんて勧誘のチラシが入っていたけれど、あいにくとわざわざ金にするほどの財産のない社は、すぐにそれをゴミ箱に放り込んでしまったが。


「そうかもしれないけれど、もっと他の利点があったのかもしれない」

「どんな?」

「本当に、こんな山の中にお金を隠すとしたら、紙幣は劣化してしまう可能性がある。万一山火事でも起これば燃えてなくなる。goldならそれはないし、なにより」

 一息ついて彼女は続けた。あんまり長く日本語で話すのは疲れるのかもしれない。

「goldって一億で大体二十キロくらいの重さになるのね。けどその分、moneyよりはかさばらない。何度も往復して移動させるほどのものかしら」

「それは」


 二十キロ。社は想像する。確かすくすくと育った兄の子供がそのくらいの重さだった気がする。

 三十六キロの石は持ち上げられないけれど、それくらいなら社だって何とか持てる。それを、何度も分けて持って行く必要性は確かになさそうだ。下手に往復して誰かに見つかる方がリスクに思えた。


「……もう、金を探すのはやめましょう。今はそれどころじゃなんです」

 少し苛立ったように息を吐き、銭谷が言った。

「水谷さんや光さんを、何を理由に犯人が害したのかはわかりません。金を巡ってなのかもしれない。何か他の理由があるのかもしれない。けれど、とにかく今は、ここを安全に出ることが一番です。金も……申し訳ないけれど、行方不明者を探すのも、もう諦めた方が」


 それは、テツヤを探すのを打ち切りにするということだった。だが、最初の頃と状況は変わってきてしまっている。華からの情報が確かなら、テツヤだって殺人鬼かもしれないのだ。それも致し方ないと社には思えた。


「けど、金があれば、俺だって……アンタだって、借金をチャラに出来るじゃないか」

「草刈さん!」

 慌てたように銭谷が非難の声を上げた。

「なにを、そんな」

「アンタのことを見てりゃ、なんとなくわかるっぺ。やたら高そうな恰好のくせに、金の話に食らいついた。別にのぞき見したつもりじゃない、アンタが電話する時にたまたま見ただけだがね、アンタの電話帳、ずいぶんとオンナの名前が多そうじゃないか。大方嫁に隠れて女遊びをして、金が足りなくなった。そんなとこなんだろ」


 確かにこれは、草刈の勝手な推測だ。だが、いかにもあり得そうに聞こえてしまったのは、

「し、失礼な!そんな憶測、でたらめだ!」

 と銭谷が今までの紳士的な態度もどこへやら、髪をふりみだして草刈へと殴り掛かったからだ。

「ほら、この反応だ、図星だったんじゃないかね」

 ポロシャツの胸倉をつかまれながらも、草刈が唇の端を持ち上げて笑った。

「アンタも大方、俺のことを下に見て馬鹿にしてたんだろう。けど俺は、お前たちが思うような人間じゃない、よっぽど俺の方が頭がいいんだよ」

「嘘だ!適当な事言いやがって。俺はそんなんじゃない、見ればわかるだろ!」


「おいおい、いい大人がやめろよ、みっともない」

「今はそれどころじゃないんだろ」

 取っ組み合いを始めた二人の間に、慌てて森と玲夏が仲裁に入った。神成はそんな一連の騒動を、醒めた目つきで眺めている。気持ちはわからなくもない。本当に、今はそれどころじゃないってのに。

「なんだ、常識人ぶりやがって」

 あっけなく銭谷と草刈は引っぺがされて、それぞれ無造作に地面に放られる。地面に這いつくばりながら、草刈が憎悪の目を森と玲夏に向けた。

「アンタたちんとこだって、金があれば大体のことは片が付くだろ?なあ、金があればどうにかなるんだよ」

「草刈さん、あんた頭がおかしいんじゃねえのか、なんでそんな金に執着するんだ」


 様子のおかしい草刈に森は声をかける。が、彼は何かにとりつかれたように、まくし立てる。

「俺んとこだってそうだ、あいつに……見掛け倒しの妹なんかに継がせたもんだから、草刈造園は火の車だ。最初から、俺に継がせておけば良かったんだ。仕方なしに、俺が赤字分を埋めてやる。そうしたら、最初からあるべき姿に戻るんだ、俺が会社を立て直して、俺が跡を継ぐ。それがいちばん正しいに決まってるのに」

 彼がここまで金に固執する理由があった。

 やはり、草刈造園の経営は厳しいようだった。小屋の脇に置かれた草刈り機。ひどく年代物で、経営難なのかと思ったのは間違っていなかった。


「俺が正しい使い道をしてやろうっていうんだ、俺が見つけてやらなきゃならないんだ」

 熱に浮かされたように草刈が呟く。

「お前たちが探さないって言うんだったら、俺は一人でも」

 誰の言うことも聞かないと、草刈が足を踏み出した時だった。


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