第28話
『ちょっともう、全然出ないから心配したじゃない!』
コール音を待つ間もなく、いきなりそう怒鳴られた。
『何かあったんじゃないかって』
『ごめんごめん、いつの間にかマナーモードになってたみたいで』
どこか変なボタン押しちゃったみたい、と弁明しながら社は続けた。
『まあ、あったと言えばあったんだけど』
草刈らの目を避けて、社は観音堂の裏へと回り込む。つい大きくなりがちな声を押さえ、なるべく静かに話しだす。
『もう一人、遺体で見つかった』
『嘘でしょ!?』
悲鳴に近い声が聞こえ、社は思わずスマホを耳から離す。華の気持ちは良くわかる。社だってまさか、こんな場所で連続して、人の死に遭遇するなんて思ってもみなかった。
『ほんと、どうなってるのよ!』
それはこっちが聞きたいよ、と泣き言を漏らしながら社はこちらの状況を説明する。
『ええと、聞いたところだと、最初に森の中で死んでいたのが水谷さん。水道局の人らしい。それから奥の方まで僕たちは移動してきたんだけど、その先の観音堂にも遺体があった』
『その、もう一人の方は誰?』
『恐らくだけど、光って人。通信業者の職員みたい』
今のところわかるのはこれだけだ。これだって、森のぼんやりとした証言しか得られていないが、仮にあの死体がふらりとここに遊びに来た人だったとしても、普通作業着など着てこないだろう。何かしら仕事でここに来た人間と考えるのが妥当だ。
『で、死因は?』
『わからない。観音堂の奥に血の付いたナイフとそれを拭きとった布が隠されてた。脚が片方切断されてたけど、あのナイフでそこまで出来るかなあ。それ以外身体には目立った外傷はなくて、やっぱり顔が……』
『最初の遺体と同じ感じ、ってことね』
多分だけど、目からナイフを入れて脳を損傷させたのかも。素人推理も一応伝えておく。
『顔の半分がえぐれてるのは、それを誤魔化すため、かもしれないと』
電話の向こうでフムフムと華がうなずくのに気を良くして、社は続けた。
『それと、この人には不可解な点があって』
光に似た男が建物から消えた話を聞かせてやる。するとやはり、
『その神成って人が怪しいんじゃない?』と返って来た。
『僕だってそう思ったんだけど』
なんて、まさか神成本人に聞かれてもまずいので、社はあたりを気にしてさらに声を潜める。
『けど、彼が光に成りすました証拠は一つもないんだ。それに、もしかしたらそれは違う男の幽霊なんじゃないかっていう人もいて』
ほら、トンネルにライダーの霊が出るって噂あっただろ、と社が言えば、
『どうもそのあたりの噂話、かなり脚色されたものみたいなんだよね』
と返って来た。
『確かにトンネルでバイクの事故はあったみたい。けど、その人は亡くなってない。大怪我はしたみたいだけど、今は元気みたいよ。あ、それと赤ちゃんの死体もウソみたいね。大元をたどったら、肝試しに来た近所の子供が、猫の鳴き声を赤ちゃんの泣き声と聞き間違えたみたいで』
『なんだ、やっぱりほとんどただの噂話だったんだ』
所詮この世の怪談話の大半は、人間の勘違いだったり、間違った情報だったりする。それは無意識に、あるいは意図的に拡散され、元の形から姿を変えて独り歩きしていく。では、一連のトンネルの噂話もそうなのか。
『調べたらそういう噂話が流れるようになったの、ほんとここ数年の話みたい。もちろん、映画とかの影響もあるんだろうけど』
そういやあの映画、面白かったよね。電話の向こうで華は笑うが、社は笑ってなどいられなかった。噂話が流れるようになったのは、ここ数年。
『……誰かが故意に流したのか?』
ここに近づけさせないように。噂話をイサミが流した。
まさか、銭谷の指摘したとおりなのか?
『でもさあ、もし光さんの死因が、社くんが想像するようなものだったら』
一人考える社をよそに、華が思案気に呟いた。
『怨みも何もない人間に、そんなこと出来るのかなあ。やっぱり、何か因縁があってじゃなきゃしなくない?』
華の言葉に、社は大きくうなずいた。僕だって、あんなこと出来る気がしない。目玉に刃を突き立てるだなんて。
もし万一、万一だ。例えば華ちゃんが誰かに殺されたら。僕は絶対犯人を許さないだろう。その犯人に復讐するためになら、それくらいのことだってするかもしれない。
ということは、少なくとも光を殺した犯人は、彼に恨みがあったのではなかろうか。
『もしかして、ここにいる人達の間で、以前に何かあったとか?』
とはいえ、再開発の話が出たのはここ最近。仮にそういう因縁が彼らの内の誰かにあったとしても、その誰かと誰かがこの場で再開する確率は低そうだ。
『うーん、どうだろ。そもそもそっちに誰がいるのかがわからないのよね。わかってるのは苗字だけでしょう?勤め先とかは』
『そこまではみんな覚えてないみたいで』
玲夏の話では、ひどくせわしない自己紹介しかしていないようだった。一回で人の名前と顔を覚えられない社は、それも仕方ないと納得してしまう。
『遺体の近くに身元を特定できる物ってなかった?名刺とか、スマホとか、連絡先が載ってるようなの』
『それは、えっと』
水谷も、光も遺体の近くには何も落ちていなかった。ならばポケットでも検めれば何か出てきたのかもしれないが。
『その、あまり遺体を触るのは、どうかなって』
つまり、誰もが皆嫌がったのだ。ただの遺体ならともかく、あの有様を見ては、積極的にそんなことはしたくなかった。
『まあ、普通はそうだよね。そうだ、控えてるかはわからないけど、市役所に聞いてみるよ』
電話越しの華が、頼もしくも引き受けてくれた。業者の手配は市役所の人がしてくれたと鶴野さんは言っていた。そうするのが一番いいだろう。
『そうだ、その市役所なんだけど』
そこでようやく社は思い至った。最近やたらと羽振りのいい市の職員。
イサミさんが、金をここに隠してないか調べてくれ。なんて言ったら、彼女はどんな反応を示すだろう。けれど、ぜひ確認しておきたい点だった。
『職員のイサミって人が――』
そう言いかけたところでいつの間に社を探し出したのか、妙に目ざとい草刈が社を見つけてしまった。彼は顔をブルドックみたいに渋面させ、口パクで『金のことは誰にも言うなよ』と念を押してくる。
うう、そんなこと言ったって、どうせ信じてもらえないと思うけど。
そうは思ったけれど、これ以上草刈らに変に目を付けられても困る。彼らだって、あれで恐ろしい殺人鬼ではないと言い切れない。口封じでもされたら。
大人しく社はこう言った。
『たぶん、イサミさんがここに誰がいるかを知ってると思う。アズサちゃんを連れてきたのは彼女みたいだし』
そして、目線で草刈に、金のことは言ってませんと必死に訴える。やたらと瞬きを繰り返しただけではあったが、最初訝しがるだけの様子の草刈も、しばらくして納得してくれたのか渋々と去っていく。
そう言われて、とりあえず華はイサミとコンタクトを取ろうとするだろう。社は考える。それでイサミと会えたなら、イサミはこの山にいないということになる。これで、怪しい容疑者を一人減らせるかもしれない。
だが社の淡い期待は、華からの報告によってかき消されてしまった。
『イサミさんね、聞いてみるわ。それよりなんだけど』
それより。こちらには新たに死体が増えたというのに、それより重大な事などあるのだろうか。
『しつこく電話かけてたのは心配だったのと、もう一つ理由があって』
あの執拗な着信履歴の半分は、その新事実を社に教えたいが為だったという。ただ他心配してくれてただけのほうが、どれだけ社にはありがたかっただろう。
『トンネルの遺体。身元が判明したんだけど』
彼女は言うが、そんなの改めて言われるほどのことではない。あの状況だ、タカアキ以外の誰がいるというのか。
華がもたらしたのは、ちっとも嬉しくない情報だった。
『村上啓』
聞き慣れぬ名を彼女は言い放った。え、誰だって?
『タカアキとテツヤのほかに、犬尾唯の身辺も並行して洗っていたんだけど』
急に登場人物が増えて呆ける社を置いて、彼女はすらすらと説明する。
『どうにも彼女、ここにはお兄さんに会いに来たみたいで』
『兄がいた?』
そりゃあ、別にいたっておかしくはない。社にだって、歳の近い兄がいる。それが何だって言うんだ?なんだか嫌な予感がした。
『そう。それで、わざわざレンタカーを借りてここまでやって来た。これで、なんで彼女がこんなところに来たかの説明は確かにつく』
『呼んだ妹が姿を消したんだ、その兄貴はさぞかし騒いだんじゃないのか?』
もしかしたらそのおかげで、警察は犬尾唯の身元を迅速に調べることが出来たのかもしれない。そう思って問えば、
『それが、そのお兄さんとやらも、行方が分からなくて』
『え?』
これが、嫌な予感の正体だったのか。
『兄の名が、村上啓。名字が違うのは、両親が離婚して、それぞれ父母に引き取られたから。村上——お父さんの方ね、はもう亡くなったみたいなんだけど、先日母親の方も早くに亡くなってしまった。その報告に彼女は来たみたい』
それぞれに引き取られた兄妹。もともと仲が良かったなら、そんな状況でもやり取りは続いていたかもしれない。
でも、親の不仲を映すかのように険悪だったとしたら?
『もしかして、その兄が妹を殺して、姿をくらました?』
あれは本当は落石なんかじゃなくて、やっぱり岩を振り上げて、それで頭を殴打して――。
『まあ、普通そう考えるよね』
電話越しに華も賛同した。兄妹に限らず、血縁関係者のうち一人が死体になって、一人が行方不明。その場合、行方不明の人間が犯人か、そいつも事件に巻き込まれているかの二択と相場が決まっている。警察は落石による事故(社が犯人でないとしたら、まあ事故だろうと結論づけたらしい)と彼女の死を一度は片したが、身内が行方不明とあらば、捜査方法を変更せざるを得ないだろう。つまり、村上啓は妹を殺して、それで姿をくらまして。
『そのお兄さんの自宅に残された指紋と髪の毛から採取したDNAが、トンネルの中で潰れた茶髪の男のものと一致したの』
『……ん?』
想像していたセリフから百八十度離れたセリフを言われ、社の頭が一時停止した。
『え、それは、どういう?』
まさかタカアキが犬尾唯の兄だったのか?その問いは声に漏れていたらしい。華が説明してくれた。
『そうなるのが一番自然だと思う。けど、そうじゃなかった。行方不明になった犬尾唯の兄は、村上啓。その彼の指紋と、社君がタカアキだって言ってる人の指紋が一致したの』
説明してくれたが、いまいちよくわからない。
『ええと、それはやっぱりつまり、タカアキが犬尾唯のお兄さんだった、ってことじゃないの?』
『違うの、タカアキはタカアキでちゃんと別に存在していて、こっちもやっぱり、テツヤと一緒に行方不明になっているみたいなの』
わけがわからない。どういうことだ?
『この二人、ユーチューバーだって言ってたでしょう?それで二人のチャンネルを確認したんだけど、配信予定だったのがされていないの。ちょうど、犬尾唯が死んだ日がそうだったみたい。ホラースポットに来てみた、ってやつ。少ないけどファンもいたみたいで、何かあったんじゃないかって噂になってるみたい』
つまり、いつの間にかタカアキと村上啓が入れ替わって、村上啓が爆発に巻き込まれて死んだということになる。
『そんな馬鹿なことあるか!』
思わず社は叫んだ。
『指紋、取り間違えたんじゃないのか?』
『幸か不幸かわからないけれど』
深く息をついてから、彼女は言った。
『あの爆発で身体が飛び散って、薬指と小指がきれいに遠くに飛んでたの。延焼に巻き込まれなかったから指の状態は良かった。間違えるなんてことないわ』
じゃあタカアキは生きていて、この森のどこかにいるのか?もしかしなくてもすでに、タカアキは村上啓を殺していて、その死体をあらかじめ車の中に仕込んでおいて。
それで、自分がさも死んだかと見せかけた?
得体の知れない恐怖が押し寄せて来た。
タカアキは、自分が死んだと見せかけるために、犬尾唯の兄、村上を身代わりに殺したのか?トンネル内で車を爆発させ、遺体をぐちゃぐちゃにして身元が分からなくなるように。
けれど運悪く、指先が残ってしまった。身代わりにされた犬尾唯の兄の執念がそうさせたのかもしれない。
では、タカアキはどこへ?そして、テツヤは?まさかテツヤもグルだったのか?だから彼は恐慌をきたしたふりをして逃げ出した?
今時の若者なんて、何をしでかすか分かったもんじゃねえっぺ。ふと、草刈のセリフが頭に浮かんだ。あの二人が、面白半分に犬尾唯とその兄を殺した?
『とりあえず、タカアキとテツヤの身辺も洗わないとなんだけど』
疲れたように華が言う。
『ちょっと、いっぺんにいろいろ起こりすぎて――。もうこれ以上、なにも起こらないといいんだけど』
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