第30話

 それは、突然現れた。ボロボロの長い外套に、同じく長い髪。浮浪者とも、あるいは空想の世界の魔術師や、死神にすら見えるその姿。

 同じくそれを認めたのだろう、先まで騒いでいた草刈が、ひっ、と短く悲鳴を上げた。

「あ、あんた」


 いったいいつの間に?そう誰もが思うほどに、彼は突然姿を現した。観音堂の裏手側。さっきまで社が華と電話していた場所だ。そこから彼は現れたように見えた。

 さっきまで、誰もいなかったはずだ。いや、ここは山の中だ、姿などいくらでも隠せるのかもしれないが。でも。

 その不気味な姿も相まって、この世のヒトとも思えない雰囲気を放っている。


「まだ、見つかラない」

 一同の視線を受けて、彼はそうぽつりとつぶやいた。見つからない?

「や、やっぱりあんたも、金を探してるんだろ!」

 草刈が、そら見たことかと言わんばかりに社らに視線を向けた。「ほらそうだ、やっぱりこいつが金をほかの奴らに盗られるのを嫌がって、それで」

「ほ、本当に、あなたが水谷さんや光さんを、こ、殺したのですか?」

 震えた声の銭谷の問いに、けれど五味は無反応。その代わり、何故だか一心に、こちらを――社のことを見ている気がする。


 え、なんで、僕を?

 社の疑問に五味は答えてくれなかった。こちらに向けていた視線をふと降ろし、今度は下を凝視する。その表情は長い髪に遮られて窺えない。けれど、その視線の先には、あって欲しくなかったものがあった。

 さっきまでは、あんなものはなかったのに、なんで。


 草葉に紛れ、初めなんだかわからなかった。ピンク色のなにか。秋づく山の中ではあまり見ないだろう色味。

 ピンク色の、……髪の毛?

「テツヤ、なのか?」 

 思わず社はうめいた。最初は認識できなかったそれが、徐々に人の形として捉えられていく。人気スポーツブランドのTシャツに、黒のハーフパンツ。真っピンクの頭。それがうつぶせに倒れている。

 誰かが息をのんだ。ピンク頭の人物は、万歳するかのように両腕をあげていた。けれど、その先にあるべきものがない。

 両方の、手がなかった。手首から先が切り取られ(あるいは噛みちぎられたのか?)、壊れたマネキンみたいに、無造作に地面に横たわっている。


「まさか、あんたが」

 誰かが誰何の声を上げた。やはり、五味が一連の犯人なのか?こんなむごいことを、なぜ?

「金を奪われるのを恐れて、こんなことを?」

 後じさりながら草刈が呻いた。

「やっぱり、ここには本当に金がある、そうなんだろ?」

 恐怖と喜びをないまぜにして、草刈が震える声で言う。本当に、それが目的なのか?


「こレじゃない……」

 けれどようやく口を開いた五味は、そう呟くだけだった。

「こレは、チガう……」

「違うって、何が」

 社の問いに、五味が目線を上げた。そして何か口を開いたが、再び踵を返し背を向けてしまった。

「Wait,逃げるな!」

 鋭くアズサが叫んだ。けれど聞く耳を持たないのか、五味はそのまま暗い森の中へと去ろうとする。

「ちっ」

 アズサが舌打ちした。一瞬ポケットに手を入れて、それから諦めたように再び手を出すと腕を伸ばした。そんな、手を伸ばしたところで五味には届かないのに。

 そうは思うが、金縛りにあったみたいに社は動けない。ああ、また逃げられる。そう歯がゆく思ったところで、大きく風が吹いた。


 空砲。そう呼ぶのがふさわしい気がした。圧縮された空気が押し出され、遠くへと飛んでいく。バサバサと、周りの草木の葉が舞い散る。社の髪をかき乱し、それは五味めがけて進んでいく。森の闇に消えてしまいそうなその男に風弾が肉薄する。五味の長い髪が舞い上がる。

 パアン。それがはじけた。驚いた鳥たちが羽音を立てて逃げていく。


「い、今のは!?」

 玲夏が驚きに目を見張った。社は声も出なかった。なんだ、今のは。

「おい、五味はどうなった?」

 呪縛が解けたかのように、森が声を上げた。

「そこにいるのか?おい」

 五味のいた方へ、彼は駆けていく。思い出したかのように、慌てて社もその後を追った。

 今のは何なんだ?まさかあれで、五味は。


 けれどついさきほどまで五味がいた場所には誰の姿もなかった。ではさっきの風圧で、バラバラに四肢が千切れたのか?

 もちろん、そんなことはなさそうだった。

 そこにあったのは、一人分の死体だけ。

 両手を切り取られ、絶命しているテツヤだけ。それだけだった。

「アイツがやったのか?」

 うつぶせの遺体を見下ろして、森が呻く。

「なんで、こんな……」


 トレードマークのピンクの頭は、頭頂部が汚れていた。何かに殴られたのだろうか、よく見ればそこには血がこびりついている。今までの遺体の死因は今までよくわからなかった――犬に顔を食いちぎられたみたいではあった。が、どうにも今回は頭を殴られて殺されたように見える。

 つまりは、誰かが、ヒトが手を下した、ということだろうか。やっぱり、五味が?

 けれどなぜ?


「五味が、こいつに金を盗られると思ったからに違いないっぺ」

 草刈がそう口を挟むが、果たしてそうなのだろうか。だとしたら、僕たちに姿を見られるのは得策ではないはずだ。社は考える。

 だというのに、五味はわざわざ社らの前に姿を現した。これじゃない、と呟いて。

 まさか、遺体を金と見間違えるなどないだろう。では、彼は何を探していた?

 何か、この遺体に手掛かりがあるのだろうか。ごくり、と社は唾を飲み込んだ。

 五味が探している何か。


 そして、躊躇した後に、思い切って社は力を込めて遺体をひっくり返した。もちろん、触りたくなどなかった。けれど、靴先で転がすのも気が引ける。

 死人の姿が露わとなった。本当にこれが、つい数時間前に話したテツヤなのだろうか。

 ピンク色の頭の下。額から下の顔面が、ぐちゃぐちゃにつぶれて肉が見えている。やみくもに、打ち付ければああなるのだろうか。皮膚が剥げ、まだ乾かぬ血に、土や草がくっついて、早くも蛆が――。


「う、うわあああっ」

 慌てて社は遺体を手放した。どさり、と力なく遺体が地面に倒れる。

 それが、あのテツヤだとも思いたくなかった。顔面が潰されていて、確実に彼だとは言い切れない。けれどそれ以上に、元気に生きていた人間が、こんな風になってしまうことのショックが上回った。

「あの浮浪者みたいなおっさんが殺したんスか?」

 かつてテツヤだったものを見下ろしながら、神成がおどおどと目を泳がせて言った。

「いかにも殺人鬼って感じじゃないっすか」

 その言葉に、草刈が大きくうなずいた。

「そうだ、アイツがやったにちがいないね」

 そう決めつけて、彼はこうも続ける。

「ああ、恐ろしい、あんなやつに金は絶対に取られちゃならん。きっとろくでもないことに使うに決まってる」

 悪行の資金にされたらたまったもんじゃないね、と人の金を奪おうともくろむ男がのたまったのに対し、

「いや、それよりもあれは、本当に生きた人間なんでしょうか」

 と不安げに銭谷が口を開いた。

「あれこそまるで、悪霊じゃないですか」


 そう呟く銭谷の顔色はあまり良くなかった。いかにも幽霊なんて信じなさそうなくせに、その実誰よりも怯えているように見えた。確かにこんな所業、ヒトの仕業とも思いたくなかったが。

「そうだ、そこのお嬢さんが祓おうとしてくれましたよね?やっぱりそういうことなんでしょう?」

「あれは」

 あれが、彼女の力なのだろうか。社みたいに神様にお祈りをする、と言う感じでもなかった。彼女が伸ばした手の先から、風が吹き出たようだった。あれは、どういう力なのだろう。そうだ、今更だけど……彼女は何者なのだろう。

 そのアズサが困惑した様子で口を開いた。

「ghostかはわからない、けど」

 アズサに見られて、社も困ったように首を傾げるしかできなかった。確かに、いかにも悪霊にも見える。けれどそうなら、いつ五味は霊になったのか。

 つまりいつ死んだんだ?


「でも、皆さんと五味さんはいっしょにここに来たんでしょう?」

 社の問いに、そういえば、といった顔で一同——別行動だった神成を除いて一同がうなずいた。

「それならあの人は、生きた人間のはずだ。それか、あるいは彼も何かによってすでに殺されて、その怨みで霊になったとか」

「五味も、被害者だって言うのか?」 

「だってそうでしょう、いくらなんでも霊が生きたふりをして、ずっと皆さんについてくるのは無理がありますよ」

 よほど特殊な事例ならそれもあり得るかもしれない。例えば、特殊な磁場があるとかそういう場合。けれど、全員が、それが生きた人間に見える、というのはなかなか難しいのではないか。


「でももし五味を殺した奴がいるなら、五味はソイツを狙うんじゃないのか?たとえば、テツヤが五味を殺したのかも。それで、報復に」

「でも、これじゃない、って言ってましたよ」

 強いて言えば、やたらと僕の方を見ていた気もするけれど。でも、僕はヒトゴロシなんてするもんか。自分が無実なのは自分が一番良くわかっている。

 が、そう思わないのが他人というもので。


「そういやあいつ、やたらとアンタのことを見てなかったか?」

 じとり、と草刈に睨まれた。

「まさか、あんたが」

「そんなわけないでしょう、僕、ここに来たのは初めてなんですから」

 なんならアリバイだってありますから、と社はスマホを握りしめた。

 一度彼らより先には来たものの、トンネルの入り口で犬尾唯の霊と遭遇して気絶してしまった。そして結局ここに来たのは先発隊、つまり五味や草刈らが入った後だ。その社に、人々を手に掛けることなど不可能だ。それは、華や亀井社長らが証明してくれるだろう。


「とりあえず、外に連絡します。かの……友人が、刑事なもので」

「刑事だあ?その電話の先の人間が、警察だっていう証拠はあるのかね」

 疑り深い草刈がネチネチと言ってくる。そんなこと言われても。警察手帳を持って自撮りしてもらったのを送ってもらえばいいのだろうか。そんな写真データ、貰えるなら嬉しいけれど、などという邪な思惑は置いておいて。

「不安でしたらご自分で、警察に電話でもなんでもしてくださいよ」


 面倒になってつっけんどんに返すと、草刈はつまらなさそうに黙ってしまった。今のご時世、ケータイを持ってないなんてありえないだろうけれど。そういや銭谷だってスマホを持っていたのに。

「残念ながら、私のスマホは使えないようで」

 困ったように銭谷が口を開いた。

「電池、切れたのかな。そんなに使った覚えはないのですが」

「俺のは古いガラケーだからな、すぐに電池切れしちまうんだ」

 不服そうに言うのは草刈だ。なら買い替えればいいのに。

 聞けば皆、似たような状況らしい。同じく電池切れの森に、電波が通じないみたい、と言うのは玲夏。落として壊したみたいで、と落ち込んでいるのは神成だ。


「これも悪霊のしわざなのか?」

 首を傾げながら玲夏が言うが、だとしたら全員の外部との連絡手段を断とうとするのがセオリーなのではないか。だというのに、確かに電池は減ってるけれど社のスマホは使えるし、アズサも大丈夫だと言っている。

「さあ、単なる偶然……なんですかね?」

 とりあえずは外と連絡が取れるのだ。それならば深く考える理由もなかろうと社は通話ボタンをタップする。

 再三にわたる死体発見の報告などしたくなかったが仕方がない。これ以上何も起こらなければと話したのはほんの数十分前。


 ああ華ちゃん、あっという間にまた何かが起こってしまったよ。

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