第16話
「ああ、無事でしたか」
置いて行ったくせに何を言う。小屋へと戻ると銭谷がニコニコと社らを迎えた。
「霊能者の方が倒れたくらいですから、我々みたいな一般人は危ないと思って」
まったく悪気のない声で言われてしまっては、文句の一つも返せなかった。というか、ついさっきまで僕のことを疑っていたくせに、この変わり身の早さときたら。
「お嬢さんも無事でよかった。すみませんね、つい、ビックリしてしまって。こんな子を置いて行くなんて、情けない」
アズサにだけペコペコと謝って、銭谷は彼女を小屋へ入るよう促した。社を置いて行った事は悪いと思っていないらしい。
「で、あのホトケさんは誰にやられたんだね?幽霊なのか?」
銭谷と同じく、倒れた社を一切心配していない草刈が窺う目つきで言った。
「それとも、五味なのか?」
「それはまだわかりません」
そうとしか答えられないのと放置された憤りもあって、社はぞんざいに返す。
「それより、テツヤは見つかりましたか?」
小屋の隅の方で、森と玲夏が気難しそうな顔をして壁に寄り掛かっていた。あたりを見回しても、いるのはその四人だけ。
どうやら、聞くだけ無駄だったようだった。
「いったい、どこに行っちまったんだか」
苛立ったように、森が大きな音を立てて舌を打つ。
「明るいうちに見つけないと。そもそもなんでアイツ、あんな慌てたようにどっかいっちまったんだ?」
「トンネルを面白半分に壊したことに、今更にビビったんだっぺ」
草刈がしつこく主張するが、その線はどうにも考えにくい。それよりも。
「犬の鳴き声を聞いて、それで怯えて逃げたようでしたけど」
社はそう指摘した。
「犬が嫌いな気持ちは良くわかります」
もしかしたら昔噛まれたことでもあるのか、不安げに腕をさすりながら銭谷が言った。
「けれど、遠吠えが聞こえたのに、森の中に逃げるのは却って危ないような気がしますけどね」
「それに、テツヤは僕が犬を探すのを手伝ってくれるって言ってたんだ」
その動機を今になっても忠実に守る義理はないだろうが、そもそも嫌いだったらどんな理由であれ犬など探したくないはずだ。
「なんで、犬なんか」
そこで玲夏が怪訝そうな声を上げた。
「あんたの飼い犬?」
「違うんだ、その」
疑うような草刈と銭谷の視線に負けそうになりつつも、社はトンネルの前で死んだ霊に犬を探すよう言われたことを伝えた。見つけなければ、みんな死んじゃうの。そう言われたことは黙っておくことにした。いたずらに不安を煽るだけだ。なにせ。
「それって」
その話を聞いて、険しく眉を寄せて森が呟いた。まあ、そう思いますよね。社は内心冷や汗をかく。
「まさか、その犬が」
「あの死体を作った犯人だって言うのかね」
草刈がありえない、とばかりに叫んだ。
「わかりません、けれど、まるで……獣に食いちぎられたようだった」
「死体……」
不安半分、興味半分と言った様子で玲夏がおずおずと口を開いた。
「誰だったの?」
「それが、僕たちにはわからないんです。来たばっかりですから。水色っぽい作業着を着ていました。誰か覚えがありませんか?」
社の問いかけに一同は一度考えるように黙り込み、そしてふと誰かが声を上げた。
「水道の人かもな」
声の主は森だった。思い出すように彼は言う。
「水道局の、水色の服を着た、……そうだ、水谷とかいったな。そんなに水が好きなのかって思った覚えがある」
その声に賛同するように、銭谷が口を開いた。
「ああ、いましたね。ちょっとボソボソと喋る人だったから、あまり話した覚えはありませんが」
「そうだ、いたなあ。仕事熱心なやつだったなあ」
やれやれと肩をすくめながら――恐らくはこの重くなった雰囲気を払うがごとくに、玲夏はおどけるように言った。
「着くなりろくに自己紹介もしないで、さっさと仕事があるんでって廃村の方に行っちまった。配管を確認するんだって」
初日なんてせいぜい簡単な下見だろ、と玲夏はありえないとばかりに首を振っている。
「ああ、あの五味といい、水谷と言い、自分たちばかり先に」
草刈がぼやいたが、別に先に仕事に励むのは悪いことではないのでは。社には意外に思えた。何が自分たちばかり、なのだろう。業種だって違うし、彼らが争って我先に仕事を奪い合うようなこともないだろうに。
「けど、本当にその犬にやられたのか?」
玲夏が半信半疑の様子で口を開いた。そして、もの言いたげな草刈の方を盗み見て、
「それとも誰かの仕業なのか?」と呟いた。
「あの、廃棄業者が犯人なんじゃないでしょうか」
そう、言い切ったのは銭谷だった。
「だって、あの遺体のすぐ近くにいた。そう考えるのが一番自然です。それにあの人は」
言いかけて、彼は口を噤む。あいつは?なんだっていうんだ。
銭谷の言葉に引っかかったのは社だけではなかったらしい。アズサが彼のもとへと歩みよると、
「あなたは死体を見てないからそう思うのかもだけど、とてもヒトの仕業とも思えない状態だった。まだ、犬に食い殺された方が妥当だわ。それでも、Mr.ゴミがハンニンだと思う?」
と彼の目をしかと見上げた。
「いや、しかし。幽霊だの、その飼い犬だのが犯人だって考えるより、ずっと現実的じゃないですか」
問い詰められ、彼は目線を彷徨わす。その視線の先には、身を縮こまらせる小動物。
「草刈さんもそう思うんですか?」
いかにも怪しい。社が名探偵でなくてもすぐにわかるだろう。
そもそも、ゼネコンが造園業者と懇意に話したりするものだろうか。社は、初めて二人に会ったときの違和感を思い出す。まだほとんどが青写真の計画段階だ。自然の景観を残す予定ではあるかもしれないが、現段階で具体的にどこそこの木を切るだなんて話までは至らないはずだ。
この二人、何かを隠してるんじゃ。きっとそれは、姿をくらました五味に関することで。
「いや、だっていかにも怪しいっぺ。あんなみすぼらしい恰好で、人の話も聞かないで。あいつ、頭がいかれてるんじゃないのかね」
慌てた様子で草刈が喚く。確かに彼は怪しい。が。
それだけじゃないのでは。そう口を開こうとしたところで、
「でもさ」
と声が響いた。玲夏だった。
「もし犯人が犬とか幽霊じゃなくて五味ならさ。このまま野放しにしてるのは危ないんじゃない?」
例えば。そう前置いて彼女は続けた。
「こっちがいくら集まってても防げないことってあるだろ?例えば今、あたしたちがいるこの小屋の扉や窓を開かないようにして火を放つ」
「馬鹿な。これはプレハブ小屋だ、そう簡単に燃えなど」
「燃えなくても、周りの木とかが燃えて、煙がこのなかに充満したら?」
狼狽える銭谷を、いかにもヤンキーくずれの玲夏が諭すその姿はなんだかちぐはぐだった。
「ってのは悪い冗談だとしてもだ」
玲夏の言葉を引き取って森が続けた。
「それに行方不明なのはテツヤと五味だけじゃない。まだ森の奥を彷徨ってるやつがいるはずだ。確か、ええと……」
「通信業者と電気の人?」
アズサが口を挟んだ。
「名前はわかる?」
「どうだったかな」
アズサの問いに、森は顔をしかめた。
「確か……光、ってのが一人いたな。光の速さで仕事をします、って自己紹介されたんだが、どっちだったか」
自分でそんなハードルを上げて大変なんじゃなかろうか。社は思った。ただ何となく自己紹介の仕方から、通信業者の方の気がしなくもない。
「で、その通りにさっさと行っちまった。アイツらも廃村の方で作業してるはずだ」
この状況も、何も知らないだろう。あるいは知らない方が幸せかもしれないが。そう呟いて森は扉の方へと目をやった。
「まだ明るいうちはいいだろう。けれど、暗くなったらどうしようもない。早く合流しないと」
「でも、あんまり動かない方がいいんじゃ」
社は華に言われた忠告を思い出す。
「とにかくみんなで集まってた方が安全かと」
「じゃあ、残りのやつらを見殺しにするっていうのか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
何も社だって、わが身可愛さだけで言っているのではないのだ。自ら行方をくらました五味とテツヤはともかく、仕事で奥へ乗り込んでいった人々は、放っておいても昼時になればここに帰ってくるのではないのか。
そう社が言えば、
「そうやって放っておいて、もし五味に殺されたりでもしたらねえ。アンタ、どう責任取るのかね?」
と草刈に責められる。
「いや、まだあの五味って人が犯人ともわからないですし……」
「じゃあ、むしろ幽霊だったらどうする?アンタたちが祓いに来た悪霊だっぺ。そいつが犬を手先に使って、生きてる人間を殺して回ってるとしたら?そんなの、アンタたちくらいしか何とか出来ないじゃないかね」
と草刈にやはり責められる。
いやそう言われても。必ずしもどうにか出来るとは限らないのだけど。
けれど、草刈の言うことにもまあ一理あって。社は小鼻を膨らました。
僕だって。これでみすみすまた誰かが死んでしまったら、いくらなんでも目覚めが悪すぎる。
しぶしぶ社は口を開いた。
「じゃあ、みんなで集まって、それで探しに行けば」
それぐらいしか思いつかなかった。華ちゃんの言いつけを守るには、とにかく集まって、それで。
「ここにいる6人全員で……」
「それじゃあまり効率が悪い。どうです、二手に分かれるのは」
名案を思い付いたとばかりに銭谷が口を挟んだ。
「こんなところに宮守さんと一緒に来たってことは、その女の子も霊能者なんでしょう?なら、二手に分かれるのは」
その言葉に、良案とばかりに草刈がうなずいた。
「そうだなあ、その方が」
「ちょっと待ってくださいよ、まだ相手がどんな奴かもわからないのに。もしかしたら獣――熊や犬の可能性だってあるのに、それは」
思わず社は声を上げた。そんなの無謀だ。まだアズサの力量もよくわからない。彼女が果たして本当に、人を殺すような何かに立ち向かえるのか。
なんて偉そうに思う以前にそもそも。
僕だってそんなのに敵うか全然自信がないんだけど!
「では、あまり距離を離れず二手に分かれれば」
目を白黒させている社に、埒が明かないとばかりに銭谷が口を挟んだ。
「とりあえずは一番いる可能性の高い、廃村の方に行きましょう。村は楕円形に広がってます、ほら」
そう言って彼はテーブルの上の地図を掲げて見せた。
「この円を、外周にそって左右から回る。反対側で一度合流して、そこから少しずつ円の中心へと向かって往復する。そうすれば定期的に合流できます。それに、いざとなれば電話でもしてくれればこの距離だ、すぐに向かえる」
不安げに目を彷徨わす社を放って、一同はその地図を覗き見る。
「さほど広くない村だったと聞いています。残された建物は数十軒。この山の中でも比較的平地で、木も伐採してあるから見通しも良い」
「だとしても……」
なおも渋る社に対し、
「それとも霊を祓いに来たってのは――いやそもそも、不動産の人間だっていうのも、全部嘘なんじゃないだろうね?」
と疑いの眼差しを向けたのは草刈だった。
「あんなふざけた名刺まで作ってこんなとこに来て、何を企んでる?」
「ふざけたって……あれを作ったのは僕じゃなくて社長だし、何も企んでなんか」
必死に抗議する社にずいと草刈が詰め寄ると、
「まさかお前も、アレを狙って来たんじゃないんだろうね?」
とぼそりと呟いた。
アレ?何のことだ?社は眉を寄せる。
理由はわからないが、どうやら草刈と銭谷はアレとやらを探しているように見える。まさか社長が面白半分に話していた、この山に眠る宝だとかだったらどうしよう。そんな、夢物語みたいなこと。
「ふん、まあいい」
反応の鈍い社を置いて、さらに草刈は畳みかけるように言った。
「俺だってねえ、まさか本当にユーレイがいるだなんて思ってないんだ。けど万一って場合もある。霊能力者を語ってここに侵入して、水谷をアンタたちが殺したってことだって考えられなくもない。だっぺ?」
「そんな、僕たちはさっき来たばっかりなんです、どうやって水谷さんを殺したって言うんです」
そんな無茶な、と脱力する社に、
「まあ、さすがにあなた方がやったとは思えないが、けれどあなた達が怪しいのも確かです」と銭谷がうなずいた。
「私が聞かされていたコンセプトとずいぶん違うことばかりおっしゃる。本当にディベロッパーの方なのか?しかも、霊能力者を騙るだなんて。偽物だと思われたくないなら、協力いただきたいものですな」
「そういうことだね。アンタたちの身の潔白を示すためにも、大人しく従ったほうがいいと思うんだけどなあ」
一緒に探さなければ偽物だと脅されて、社は渋々頷くを得なかった。というか、何も霊能力者になったつもりはないのだけれど。ただ僕は、霊が視えて祓えるだけ。それだけだ。だってのに、そんな仰々しく言われたって困る。
「どうだ、そこのお嬢ちゃんも大丈夫か?」
ふいに、ずっと黙っていたアズサに対し森が声を掛けた。
「まさかあんたたちが霊能力者だなんて仰々しい奴らだとは思わなかったが」
そう前おいて彼は続けた。
「けどまあ、俺はあんたらが何者だろうがなんだっていい。けれど人を探すには人手が必要なんだ。一緒に来てくれるか?」
そう言って彼はアズサに向かって手を伸ばした。
「Nothing happens if you don`t act.……まあ、いい方向に変わるとは限らないけれど」
彼女は伸ばされた手から逃げるように、寄り掛かった壁から身を離すと扉の方へと歩いていく。
「案外、そっちのお嬢ちゃんの方が肝が据わってるみたいだな」
そう言って、森は伸ばした手を引っ込めると快活に笑った。
「度胸があるのか、それともうちのお嬢みたいに向こう見ずなだけなのか」
「うるさいな、あたしはそんなんじゃない」
急に巻き添えを食って玲夏が騒ぐ。「別にビビッてなんかないんだからな、早く行こうぜ」
そしてアズサに負けじと扉の外へと躍り出る。もはや決定事項かのように、人々はそれに付いて行く。仕方なく、社も外へと向かった。気持ちが良いはずの秋の山。それが、暗雲のように立ちふさがる。
ああ、少なくとも僕は、ここが嫌いだ。聞こえてくる草木のざわめきに、思わず耳を塞ぎたくなる。なんで、こんな――。
けれど、動き出さなければ始まらない。エイとばかりに小走りで飛び出して、社はアズサに追いついた。そして、小声で彼女に聞いた。
「君。本当に大丈夫なのかい?」
こんないきなり、山の中で。とんでもない目に巻き込まれてしまって。
ここは、良くない。そんなところに、この子は。
「大丈夫よ」
社の心配をよそに、アズサは強気にも笑って見せた。普段無表情な分、その笑顔は眩しくさえ見えた。そして、
「それより、ヤシロの方こそ大丈夫なの?」
と呆れた色を含む声で聞き返されてしまった。
うう、そうなるよな。さっき思いっきりカッコ悪いとこ見せちゃったし。
「ええと……でも、相手が幽霊とも限らないし、もし本当に凶暴な殺人鬼だったり、野犬とか熊だったとしたら」
そもそも僕たちじゃ相手にならないんじゃ。そう社が畳みかけるも、
「それでもまあ、なんとかなるわ」
と軽く受け流されてしまった。
「な、なんとかって。そんなの」
「大丈夫。別に強がってるわけじゃない」
そう言って、彼女は目線を正面へと戻した。その金の瞳に強い輝きを浮かべて。何か彼女には策があるのだろうか。こんな状況だってのに。
ああ、なんだってみんな、そんな強気なんだろう。大人しくしてればよかったのに。
ごめんよ華ちゃん。そう呟いて、渋々社もこれからの行く先を見つめたのだった。
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