第23話
最初は他愛のない、住民同士の噂話だったそうだ。やれ、どこそこの誰が結婚しただの、子供が生まれただの。そんな話に混じって、最近妙に羽振りの良い奴がいる、と言う話が誰かの口に上ったという。
「公務員てそんなに儲かるもんなのか?」
ある時、そいつを見かけた誰かは思ったらしい。マイナンバーカードとかいうやつの、面倒な手続きをしに役所に行った時のことだ。
もともと犬好きだったとは知っていた。こちらが聞いてもいないのに、愛犬の話をよくされる。あるいは殺風景な役所の手続きに華を添えようとしてくれたのかもしれないが、別に動物好きでない人間にとってはそんなことより早く手続きを終わらせてくれ、でしかなかったが。
その犬だ。血統書付きの、珍しいのを買ったという。
こんな田舎の公務員が、六本木だのを闊歩している、妙に細い犬を連れている。
「……もしかして、イサミサン?」
草刈の話の合間に、アズサが呟いた。
「市の職員で、犬を飼ってる」
「そう、そのイサミってやつだっぺ」
良く知ってるな、とばかりに草刈は目を軽く開いて続けた。
「まあ、俺も茨城の人間だけどね、ここに住んでるわけじゃない。たまたまこのあたりのお客さんから聞いただけでね、まあそんな犬好きなら、他に回す金を費やしただけだと思ってたんだ。それがだね」
そう言って、彼は意味ありげに銭谷に目をやった。
やっぱり、二人はグルだった。少しためらうようなそぶりを見せてから、一度やけに落ち着いた手つきでポケットチーフでメガネを拭いて、銭谷が後を引き継いだ。
「私も、同僚から聞いた話ではあるのですが」
こんな偶然、あるんですね。そう呟きながら彼は話す。
「同僚にプログラマがいて、ええ、ゼネコンだってそういう部署はあるものです。あなた方のイメージとは違うかもしれません、対顧客や、プロジェクトのマネジメントをしているんです。もちろん、データだって取り扱う。重要な、顧客情報なども」
そこで一息つき、少し窺うように社に目をやってから彼は続けた。
「そのデータが、盗まれたっていうんです」
「え、それって結構ヤバいやつなんじゃ」
思わず社は口を挟んだ。情報の流出は、その会社の信用を失う。というか、ことぶき不動産のデータも出てたらどうしよう。なんて、企業のデータの流出がどれだけの損失を生むか社には上手く想像できなかったが。
「もちろん私だって驚きました。呑気に私にぼやいている場合じゃない、大事ではと詰めたんですが、公表するほどの数ではないと」
どうだろう。重要なのは数ではなくて、内容だと思うけれど。
「私もそう思いました。けれど、そういう小規模のデータ盗難はいろんなところで起こっているそうです。対企業というよりは、最終消費者、つまり一般の人の情報です」
なるほど確かに、登録した覚えのない店からメールは来るし、DMだっていらないのにポストに入っている。それってそういうことなのかな。社は想像した。
でも、その情報流出と、彼らが金を探していることになんの関係があるのか。
「そんな話が出たのが一年程前です。で、今度はその……知人からの話なんですが」
少し言いにくそうに銭谷は続けた。
「その知人は、そういうデータを買い集めておりまして」
そうしてやはり、勧誘のメールなどを送り付けるらしい。
「けれど、そのデータが不正なものだったとは知らなかったと主張しています。むしろ自分も被害者だ、と騒ぐ始末で」
そこで勢い余って、購入先の会社住所まで乗り込んだのだという。
「そこまでするってことは、本当に不正なものだと思ってなかった、と言うことですか?」
「アンケートに答える形でお金がもらえるアプリなんかもあるでしょう、そういう風にして得た情報だと思っていたそうです」
けれど、その会社住所は架空だった。知人とやらは、確かに営業の人間にも会ったのに、と言っている。名刺もあったがもちろん偽名。
その被害総額は、一億以上とも言われている。
「い、一億円?」
「推測らしいですがね。けれど、ちりも積もればなんとやら。大事にならない、あるいは気づかれないように少しずつデータを盗んでいった。もちろん、何か他の不正もおこなっていたのでしょうが」
そりゃそうだよな、一億なんて。社は考える。普通の人間じゃ、一生かかっても手もとに残らない。もとがお金持ちか、よほど才能があるか、あるいは悪いことでもしなければ手に入らない額だ。
驚く社を放置して、銭谷が続けた。
「ただ幸いにか、その営業の顔が、喫茶店のカメラに写っていて」
それを執念のごとく知人は持ち歩いているのだという。見つけたら問い詰めてやる、お前も探してくれ、と。その勢いに負けて、銭谷はその人物の写真をスマホで撮っておいたらしい。
「で、その写真の人物が、こちらの市役所の職員に似てるんです」
「それって、まさか」
「どうだ、なんとなく想像がついたんじゃないかね?」
得意げに草刈が笑うが、しかしいくらなんでも話が飛躍しすぎなのではないか。
「草刈さんと打ち合わせしているときに袋田の金の伝説の話になって、そこから草刈さんが本当に金があるかもしれない、と」
そう話してくれた内容に、まさかと思いつつ銭谷は知人の話をした。大金を手にしたはずの人間が雲隠れしてしまった。こんな人らしいんですが、と。
「それがまあ、イサミにそっくりだったんだ!」
鼻息荒く草刈が叫んだ。
「まさかイサミさんが顧客情報を盗んで売ったお金が純金に姿を変えて、ここに隠されてるって?」
そんな都合のいい偶然、あるものだろうか。唯一の共通項は、写真の人物が似ている、と言うくらいだ。
「そんなことするような人には見えなかったわ」
アズサが顔を曇らせた。社だって会ったことはないが、にわかに信じがたい。アズサはイサミのことを良く喋るおばさん、と評している。
それが、ハッキングしてデータを盗んで大金を得る?どうにもうまく結びつかない。いや、それはおばさんと称されるものに対しての、ただの思い込みもあるのかもしれないが。
「でも、人は見かけによりませんからね」
そう言って、銭谷が胡散臭い笑みを浮かべた。
「得てして、害のなさそうな人間こそがとんでもないことをしたりしますから」
なるほど、目の前の男も堅実そうな見かけによらず、こんな与太話を信じたのか。それとも、信じたいほどお金に困っていたのか?
けれどそうとも考えにくい。いかにも勝ち組のその風貌。だというのにそれでもまだ、金が欲しい理由は何だろう。
仮に何かしら重大な秘密が銭谷や草刈にあったとしても、安易にその噂話を信じるだろうか。それに、もし本当に市の職員が金をこの山に隠しているのだとしたら、ここの再開発は何としてでも阻止したいはずだ。けれど、安々と亀井社長はここを買い取ってしまった。
そう思ったのは社だけではなかった。
「役所の人間がそんなこと?ありえないっスよ」
神成があざけるように笑った。
「ああいうやつらは、お堅く生きたくて公務員になるんスよ、そんな馬鹿なこと。それに、あいつは」
言いかけた神成の言葉を遮って、興奮した様子で草刈が言った。
「けど、イサミのやつ、やたらとこの辺りにそのお高い犬を連れて散歩してるらしいんだっぺ」
それもお客さんから聞いた話だけどもね、と草刈が補足する。
「それはつまり、お宝が盗まれてないか心配で、確認しに来てたんじゃないのかね」
「……心配だったら、こんなとこに隠さない方がいいんじゃないっスか?」
眉を寄せて神成がうなった。
「大金なんスよね。普通は、手元に置いときたいんじゃないスか?」
しかも、この辺りはとんでもホラースポットだ。そんなところに、いくら頼もしい犬がいるからって一人で来たりするものだろうか。
「そのうわさ話を、イサミが故意に流したとしたら?」
呆れる神成の口を塞ぐように、銭谷がまくし立てる。
「トンネルに霊が出る、廃村に行った業者らが姿を消す。そう吹聴して、さらにここに何かがあるよう印象付けるために、その業者らを買収して姿を消すよう依頼したのかもしれない」
「そこまでするかあ?」
異を唱えたのは森だった。
「買収って。金をもらって一度は消えたやつらが、その金とやらを求めて戻ってきちまう可能性だってあるだろ」
そうだ、所詮は金に目がくらむ奴らだ。逆襲に遭ってもおかしくない。その意見に便乗するように社も口を挟んだ。
「それに、そこまでするんだったら、僕たちをすんなりここに入れますかね?」
「もちろん、入れたくはなかっただろうがね」
けれど変に止める方が疑われると思ったのかもしれないね。そう言って草刈が続けた。
「もちろん、慌てて金を掘り起こして、持ち帰ったのかもしれない。姉ちゃんが拾ったのは、その時に落ちたものかもしれないな」
そう言われ、社は想像する。一度開発が立ち消えたと思って安心していたら、また再開発の話が出た。しかも今度は前回のものと比べて、すでにこの土地の所有権が市からことぶき不動産へと移ってしまっている。一介の職員ではすでにどうしようもない。ならば仕方がないが、見つかる前に金を移すしか。
「けれど、あまり頻繁に行き来するのは目立ってしょうがない。下手に人目に付かない夜に行って、そこでやっぱり肝試しに来たような奴らに見つかるのもよろしくない。仕方なく少しずつ持って行くしかなかった。例えば俺たちがいたとしても、進捗具合の確認だとか、差し入れだとか適当な理由を付けてやってきて、まだ残っている金を回収できると踏んだかもしれない。けれど」
そこで、トンネルが崩れてしまった。
「最初こそ驚いたが、むしろこれはチャンスなんじゃないかとも思ったんだ」
これでイサミは来られなくなる。その隙に、と考えたのだが。
「けど」
そこで二人は顔を曇らせた。
「きっと五味や水谷もどこかで似たような情報を知って、廃棄物を探すふりして金を探してるんじゃないかと思ってたんだ」
どうだろう、みんながここにイサミの金があると知っているとは思えない。だとしたらイサミの計画は大失敗だ。
恐らく、金に目がくらんだ二人の被害妄想ではないかと社は推測した。欲しい物——例えばそれが限定品とかだったりしたら、みんなそれを狙っていると思うものだ。現に社は百名限定のグッズを誰かれもが狙ってると思って店の開店二時間前に行ったけれど、その後列は十人くらいしか伸びなくて、結局それはまだ売れ残っている。
あれ、なんでそんなに欲しいと思ったんだろうな、と結局袋から出してもいない物に思いを馳せたところで、
「でも、そこで水谷の死だ」
と深刻そうに草刈が呟いた。
「アイツらが俺たちみたいに組んでいて、仲たがいをしたのか。最初はそう考えた」
再び名探偵?が彼に降臨したのか、草刈はぐるぐると歩き始める。
「けれど、その可能性は低いだろう。あの気味の悪い五味と組むなんてぞっとする」
そう呟く声は、推理と言うよりは個人的な見解だ。
「そうなると考えられるのは、五味が俺たちを皆殺しにして、宝を独り占めする」
「まさか」
このトンデモ推理に社は抗議の声を上げた。確かに五味は怪しい。でも、まだ確実にあるかもわからない金の為にミナゴロシとは、あまりにリスクが高すぎる。
「最初はそう考えた。金が俺たち以外の誰かの手に渡ったら、と思ったら気が気じゃなかったからな。けど、それよりも」
そこまでする動機があるのは、金を隠した本人なのではないか。
「イサミさんが、僕たちに金を見つけられるのを恐れて、ここにいる人間をみんな殺そうとしている?」
「……考えすぎですね」
そこまで思い詰めたような顔をしていた銭谷がふと表情を緩めた。
「でも、ここには犬がいるんだろ?確かに鳴き声が聞こえたし、姿だって」
そこで不意に爆弾発言をしたのは、いままで珍しく大人しかった玲夏だった。
「お嬢、見たのか?その、犬を」
「え、うん、見たっていうか、草むらでハアハアしてるのは聞こえたよ。あとちょっとで捕まえられそうだったのに、アタシが木の根っこにつまづいちまって」
その間に逃げられてしまったらしい。
「でも、金持ちが飼ってるような犬なんだろ?けっこうでかいんじゃないか?」
それが草むらに隠れている。なんだかひどく場違いな気がした。
「なにも一匹とは限らないんじゃないかしら」
アズサが口を挟んだ。
「三匹飼ってるって聞いたわ。ガルシアちゃんと、マリーちゃんと、カサブランカ」
「カサブランカが高い犬だな、きっと」
勝手に名前から決めつけて、「マリーちゃんはきっとあれだ、毛の長い、パピヨンとかだな」と草刈はうなずいている。意外に彼も犬は好きなのかもしれない。
いや、そうじゃなくて。
「その、イサミさんが飼ってる犬のどれかがここにいるかも、ってことですか?」
「ああ、ガルシアとマリーとカサブランカのどれかがな」
わけがわからなくなってきた。じゃあ、僕は今までどの犬の鳴き声を聞いたんだ?それに。
「じゃあここにいるのは、僕が幽霊に頼まれた犬とは別の犬ってこと?」
「そんな、いるんだかいないんだかわからないユーレイの犬なんかより、よっぽどあり得るだろ」
「ええ、でも」
社の悲鳴は草刈の声にかき消された。
「それに、その犬がいるってことは、イサミ本人もいるってことだ」
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