第24話
「だけど、トンネルが崩れたってのに、どうやって」
イサミがここにいるかもしれない。
もし一連の話が本当なら、イサミさんは気が気じゃないだろう。大切なものを隠した場所を他人らが闊歩するのだ。出来れば自分もそこにいたいと思うだろう。けれど彼女はアズサを降ろして役所に戻ったはずだ。
「あいつなら案外抜け道だって知ってるかもしれないぞ。なにしろ一番この辺りにくわしいだろうからな」
抜け道……確かに山を登っていけば、国道に出られるかもしれない。けれど。
「は、くだらね」
かったるそうに神成が息を吐いた。
「あんたたち、頭がおかしいんじゃないっスか?そんな、いるかもわからない亡霊に怯えるなんて」
確かにすべては憶測だ。ただでさえ光と五味、それとテツヤがまだ見つからないというのに、さらにイサミがこの森の中にいるだなんて。考えたくなかった。
「まあ、イサミがいる、っているのは憶測だがね」
神成の指摘を受け入れるようにうなずいてから、けれど草刈は玲夏の方を見て言った。
「でも、犬が確かにいるんだろう、ここには」
「別に、あたしにでたらめ言う理由もないし」
てか金を自慢するんじゃなかった、と恨めし気に睨む玲夏を無視し、
「けど、イサミの犬ならワンチャンある」
犬だけにな、とくだらない冗談をぶち込んで草刈は続けた。
「もしそうなら、金が無事かを確認するのに、一緒に連れてこられた可能性が高い。その犬が、金の場所を知っているかもしれない」
「霊能力者の方が言うように、本当にその幽霊が探すよう依頼した犬なのかもしれませんが」
たしなめるように銭谷は言うが、やはり彼も諦めていないらしい。こうも続けた。
「つまり、我々は人探しと並行して、犬も探さないといけないわけですね。ちょうど宮守さんだって犬を探していたんだし、我々の利害は一致したというわけだ」
利害。別に犬を探すことで僕にはなんの利益もないのだけど。そう思った社に声が掛けられた。
「アンタは胡散臭いやつだが……、とはいえアンタもここに閉じ込められた仲間だからね」
草刈がそう言って、意味深に社に目をやる。そして、まだ見ぬ金の、さも当然の所有者とばかりに許可を与えた。
「金を見つけたら、アンタにも少し分けてやろう。そこの、建部組の二人も、神成さん、アンタもだ」
少し、と言う言葉を強調して彼は言う。
「けれどこのことは他言無用だ。外にいるアンタの仲間にも」
つまり、分け前を与えるからこの話は内密にしてほしい、というのだ。だがそもそも、その金とやらが不正に得られたものならば、それを横取りする彼らだって罪に問われるのではないだろうか。
うーん、華ちゃんに報告すべきだとは思うけど。
「金、か」
悩む社をよそに、玲夏が空を仰いだ。
「そんなの見つけられたら、一生楽してけるじゃん」
「ああ、何だってできるし、何にだってなれるっぺ」
ハムスターのような顔で、草刈が目を輝かせている。どうだろう、金だけですべてがどうにかなるものだろうか。
けれどまあ、少なくとも欲しいけど我慢してた物だって買えるだろうし。例えば、好きなアーティストのブルーレイ全部とか、ドラマとかアニメのコレクションボックス。いや、そんなのわざわざ、出自の不明なお金をもらってまで欲しいだろうか。
ああ、所詮は庶民だ。社には、大金なんてどう使ったらいいかわからない。いっそ働かなくてもいいくらいもらえれば考えるけれど、そんなわけもないだろう。
まさか社と似たようなことを思ったわけでもなかろうが、
「見つけられたら……?」
夢見るような目つきだった玲夏が、ふと顔を曇らせた。
「けれど、先にそれを見つけておけば、殺人鬼と交渉できるかもしれません」
玲夏の独り言を半ば引き継ぐ形で銭谷が言った。
「イサミから先に金を奪えば、もうイサミが私たちを殺す理由だってなくなります」
そうかもしれない。けれど。
「逆上して襲い掛かってくるんじゃないですか?」
とはいえ、おばさん一人で全員をどうこうできるだろうか。
「だとしても相手は一人です。全員で、返り討ちに」
まさか、殺すだなんて言わないよな?背筋に冷たいものが走った気がして、思わず社は銭谷を鋭く睨んだ。その視線から逃れるように、銭谷は慌てて言う。
「それで、その犬とやらはどこに行ったんです、建部さん?」
急に呼ばれて、びっくりしたように玲夏が目を見開いた。大方、社と同じように大金の使い道に困っていたのかもしれない。なにしろ彼女はお嬢、なのだし。建設業がどれだけ儲かるかはよく知らないが、草刈や銭谷ほど金に困ってはいないのだろう。
そのぼんやりとした顔つきのまま、彼女は奥の方を指さした。
「ええと、多分そっちの方」
「ってことは、城跡のほうだな」
地理に明るい草刈がうなずいた。
「しかし、そんなわかりやすいところに隠すもんかね?」
「けれど、隠す方だって何か目印がないと見つけられないでしょう。それに、灯台元暗し、という言葉もある」
銭谷が歩を進めた。もう、スーツや靴が汚れるのは構わないらしい。
きょろきょろと、一同はあたりを見回して歩いていく。代り映えのしない森の中。等間隔に生える杉の木は、おそらくこの村が廃村になるまえに林業を営んでいた名残なのだろう。その合間を縫って、犬やらヒトやら、あるいは金のありかを窺いながら進んでいく。
思いのほか本格的に山道だった。亀井社長が住宅地も作ろかと言っていたくらいだから、もっと平地が多いのかと思っていた。ところがどうだ、これじゃただの山登りだ。
以前にここを通った誰かが設置したのだろう、垂れ下がったロープを掴み、傾斜の激しい山道——というかもう登山だ――をよじ登っていく。
こんな場所、ほんとに開発したところで人など来るのだろうか。社には理解が出来なかった。せいぜい登山客が来るくらいなのではないか。キャンプ場に住宅地、はたまた美術館。廃村のあるあたりだけでは収まり切りそうにない。それほど、このあたりのほとんどは山だった。
険しい登山を終えて、スラックスは更に砂土にまみれている。はあ、なんでこんな目に。それに。
リンリンと鳴く虫の声に混じって、ぐう、と社の腹の虫が泣いた。
結局、お昼を食べ損ねてしまった。列のしんがりで、社はひもじい腹をさする。
みんな、お腹空かないのかなあ。
腕の時計は気づけば三時を指していた。そういや見つけた死体の身元が水道局の水谷さんだっていうことをまだ報告してなかったな。ドタバタしていたから忘れていた。
連絡しておくか。そう思った矢先で、一同は歩を止めた。
跡、というから何かしらは残っているのだと思ってた。前にどこかで見たのは、城の土台だけ残っていた。けれど開けた先には、『月居城跡』と記された石碑と、行く先を示す看板があるだけ。
「何も残ってないのね」
シロっていうから、どんなものかと思ってたのに。そう呟くアズサは、意外にも城に興味があったらしい。少し残念そうに呟いた。
「日本のシロは、ちゃんと見たことがなかったから」
名前からしてハーフのようだが、どうやらほとんど海外で過ごしていたようだ。そう思えば逆に日本語もぺらぺらで感心する。両親のどちらかかが日本人なのだろう。
「なら俺がその城の説明をしてあげようかね」
ニコニコと、草刈が石碑の前に立った。まるで教壇に立つ教師のようでもある。まさか意外にも教職を目指していたなんてことはないだろうが、朗々と彼は口を開いた。
「月居城は袋田氏の城だったってのが一番有名だがね、出来たのが応永の頃——ああ、室町時代だっぺ。けど案外その居た期間は短くてね。奴らが他に移動したもんで、佐竹氏と、山入氏ってのがここを所有するのを争ったらしいんだ。けどそうこうしてる間に、白川結城氏ってやつに占拠されちまったんだね。漁夫の利ってやつだ。で、結構な間白川なんちゃらがここに居座ってたんだが、最終的に竹内氏が奪還した。それが、永正元年。え、これも室町時代。足利氏の時代だ、それくらい知ってるだっぺ?で、俺のばあちゃんは、その竹内氏の血を引いてるっていうんだ、いいだろ?だが結局、そいつらも他に移っちまって城は廃城。残された一部の人間——俺のご先祖様だね、が残って、細々とこの辺りに住んでいたらしい」
「ふうん」
一見興味なさそうだが、意外に彼女はちゃんと話を聞いている。
一方話を聞いているようで聞いていない社は、ぼんやりとあたりを見回した。佐竹だの白川だの、もう無い城にまつわる昔の話をされてもピンと来なかった。
それよりも問題は、今を生きている僕の空腹だ。
城の周りに堀がない代わりに、生け垣があったのかもしれない。その頃の名残なのか、あるいはせめて城跡を目立たせようと後から植えられたものなのか。ぽつぽつと赤や青の実がついた木が、背の高い木に混じって生えていた。
ふらふらと、吸い寄せられるように社はそれに向かっていく。あれは、確か。
「イチイだ」
街中でも意外と目にする木だ。こんなところにも生えているのか。
神道ではおなじみの木でもある。杓に使われたり、北海道の方では玉串に使われることもあるそうだ。他の国の神話では、復讐の女神が持つ松明として描かれてもいる。と詳しいのは、社が曲がりなりにも大学で神道科を専攻した(正確に言うならさせられた、だ)から。
だがあの実は食べられるはずだ。実だけなら。
社は赤い実をもぎとって、そっと口に入れる。そりゃあ、果物として一般的に売っている実の方がおいしいに決まっている。けれどそのわずかな甘みさえ、乾いた喉と飢えた腹には心地いい。お腹いっぱいにはどうやってもならないけれど。
「え、それ食えるんスか?」
同じく城になど興味がなかったのか、神成が目ざとく社を見つけて近寄って来た。あの腹だ、やはり彼も城より団子、らしい。
「へえ、ちょうどいいや、腹が減って」
言うなり、見よう見まねで彼も赤い実を手に取る。そして、口へ放り込んだ。
「ま、待って!」
ぺっ、と慌てて種を吐き出してから社は叫んだ。
「それ、種は食べないで」
「へ?」ごくん。
「毒があるんだ。……齧ってなければ、多分大丈夫と思うけど」
「ちょ、早く言えよそういうの。あれか?梅干しの種みたいな。あれも毒があるんスよね」
「ま、まあ、そんなものかな」
正直、具体的に何の毒があるのか社は知らない。種は必ず噛まないで捨てろと、境内にあるイチイの実を食べながら父親が言っていた。
「ふうん、噛んだら死ぬのか」
そろそろと腹をさすりながら神成が言う。さすがに彼も不安だったらしい。いかにも平気そうに笑う彼の顔には、脂汗が浮いている。
けれどその後何ともないらしく、
「大丈夫なのは驚いて飲み込んじまったからなんすかね。俺、昔から悪運は強くて」
と歯を出して笑って見せた。
どうだろう、神成は朝には飼い犬に手を噛まれ、仕事に来たらトンネルが塞がって。悪運が強いというか、単に不運な気がしなくもなかったが。
騒ぐ彼らに気づいたのだろう、朗々と城の説明をしていた草刈が、不満げにこちらにやって来た。
「ヒトの話も聞かないで、何油を売ってるんだね」
「す、すみません。お腹が空いて」
「ふん、呑気な奴だな」
そして社のすぐそばの赤い実を一瞥して、
「そんな得体の知れない物、良く食えるね」と吐き捨てた。
「それ、ほんとに大丈夫なのか?」
同じく草刈の長話に辟易していたのだろう、玲夏が興味深げに赤い実に目をやる。
「甘いのかな」
伸ばしかけた手を、
「やめとけ、腹でも壊したらどうする」
と森に下げられる。実だけなら、大丈夫なんだけどな。いまいち僕は信用されていないのか、それとも森に嫌われてしまったか。
「これ、アタシ知ってる」
アズサが金の目で赤い実を見つめた。
「イギリスにもあったわ。よくママが実をジャムにしてくれた」
そう言って、懐かしそうに手を伸ばす。が、どうにも届かないようだったので、そっと社は何粒か実を取って彼女に手渡した。
「……So, thank you」
小声で呟いて、彼女は少し恥ずかしそうに実を口にした。てっきり怒るかとも思ったが、実はアズサもお腹が空いていたのかもしれない。そりゃそうだろう、きっとまだ育ちざかりなんだろうし。
「タネにはTaxineというドクがある。I read in a mystery novel before. よかったわね、アナタもここで死人にならなくて」
種を吐き出し、彼女は神成に細めた目を向ける。確かに、ここで死者が増えなくて本当によかった。下手したら、僕が殺人犯になる所だった。社は安堵する。
「余計なことして、余計なことが起こらなくてよかったな」
草刈にも釘を刺されてしまった。
「とりあえず、一応この辺りを探してみましょう」
一方それどころでないのは銭谷だ。彼は空腹などそっちのけで、金を探すのに必死だった。
「開けた場所ですし、人影も犬の姿もありませんが。不自然に何かが埋められたような跡がないか、調べてください」
そう言われて、一同は地面に目を凝らす。木陰がなくて陽が直接当たるからだろう、ここの土は乾いていた。
「足跡とかでもかまわない、なにか、不自然な点があれば」
そんなこと言われても、そうそう簡単に手掛かりなど出てくるもんか。
一応は、言われたとおりに足元をよく見てみる。が、犬の足跡なんて見つからない。下ばかり見ていたら、すぐに首が痛くなってしまった。ここまで来るのだって、思ってたよりしっかり山道でひどく疲れてしまったし。
疲労から、社は石碑の足元に座り込む。ベンチほどの高さがあって、座るのにちょうどよかった。もしかしたら、ハイキングコースがまだ健在だったころは、こうやって城跡まで足を伸ばす人がいたのかもしれない。きっとここで、お弁当とかを食べて。
はあ、とため息をついて遠くに目をやった。木々の合間。ここから先は下りなのだろう、遠くにうっすら市街地が見える。そして、その手前に、何か屋根のようなものが見えた。
日本風の、灯篭のような形の屋根。
「あれは?」
社の声に、草刈が顔を上げた。何かあったのか、と顔色を変えて、社の方へと駆けてくる。
「何か見つけたのか?」
「いえ、あの。あの建物は?」
目を細め、社はそれを指さした。京都とか、浅草とかで見るようなもの。
「確か……五重塔みたいなのがあったな」
さすがに草刈もここまで奥地に来たことはないのか、考えるように言った。
「Tower?」
アズサの問いに草刈がうなずいた。どうにも、彼女は草刈にとって良い生徒のようだ。
「いかにも怪しいですね」
銭谷が内ポケットから地図を取り出して確認する。
「観音堂、というらしいです」
「行ってみるかね」
草刈の言葉に、彼らはうなずいた。
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