第25話

 そう言えば、こんなものが遠目に見えた気もする。

 近くに見えた気がして意外に遠いそれを目指しながら社は思い出していた。二つの瘤が連なるような山の中腹。なにやら人工物があるなあとは思っていた。てっきり、それは廃村にある建物なのかと思っていたのだけれど。


 それは、こんな山の中にあるにしては、立派な建物だった。

「まるで寺みたいだな」

 そう森が言う矢先、ゴーンと錆びた鐘の音が響いた。

「こらお嬢、何を」

「ごめんごめん」

 悪びれる様子がない玲夏が掴んでいたのは、鐘を突く鍾木。本当にお寺の境内のように、鐘突き堂まである。

「あそこにお地蔵さんとか墓石みたいなのもあるし、やっぱり寺なんだな、ここ」

 彼女の指さす先には、半ば崩れた石の塊たち。確かにそれらは墓碑にも見えて、なんだか薄気味悪い気もした。


「しかし、この中に隠すなんて……」

 罰当たりにもほどがあるんじゃ。そう怯える社を差し置いて、銭谷と草刈はなんのためらいもなくお堂の脇の階段を登っていく。木製のそれはところどころ腐りかけていて、踏み抜きやしないか心配しながら社はついていく。


 観音堂。その名の通り、般若心経でもおなじみの観世音菩薩の像を安置している堂のことだ。山と言うのは、一般的に信仰とつながりやすい。厳しく険しい道を進むことで、修験者たちは悟りを開く。というのは、とかく勤勉でマゾっ気のある日本人にはさぞかしハマったことだろう。


「確かに、この中じゃあんまりにバレバレですね」

 意気込んでいる割には、あまり期待していないのだろう。銭谷がそう言いながらも、神をも恐れず、無造作に扉を開く。簡単な閂が掛けられているだけ。それも、すでに風化して久しいのか、もはや鍵として機能していない。その、開けた中に。

「観音様が――」

 呑気に内部を説明しようとした、銭谷のセリフが途中で凍った。


「どうしたんだっぺ?」

 そう言って同じく覗き込んだ草刈りが絶句して、真っ青な顔で階段を下りて来た。

「な、中で」

 そう言う顔は、いつもの飄々としたものではなくて。

 見てはいけないものを見たような顔だった。禍々しく、忌むべきもの。この世で一番恐ろしいもの。それを見てしまったかの表情。


「死んで、死体が」 

 その言葉にアズサと、意外にも神成が動いた。そこに死体があるのなら、できれば社だって見たくはなかった。けれど、アズサが動いた以上、彼女なんかより全然年上の自分が動かないのも気が引ける。へっぴり腰でようやく這い上がった階段の先には、黒髪の男が倒れていた。


「こ、この人は」

 それが、うつ伏せだったのがまだよかった。けれど、わざわざひっくり返して生死を確認するほどでもないことは、その後ろ姿だけで十分見て取れた。ボロボロの衣類。腐ったような匂い。後頭部には土がこびりつき、片方の脚が膝から下で千切れて落ちている。両の手はふやけ、どす黒い色をしていた。

 とても血の通った人間には見えない。けれど、社には確かに見覚えがあった。


「この人だ」

 乾いた口で、社は続きの言葉を絞り出す。

「公民館に……入ってくのを見たのは、この人だ」

「本当にそうだと言い切れる?」

 遺体から目を背けることなくアズサが聞いた。言い切れる?正直、そこまでの根拠はない。社が見たのは黒髪と、何となくの服装だけ。黄色っぽい作業着を着ていた気がする。


「顔は見てない?」

「僕は、見てない。けど、この人がもし、まだ見つかっていない光さんなら」

 光の速さで仕事します。そう、銭谷たちに自己紹介していたらしい光という人物。黄色い作業着で、通信業者かと言われたら納得出来そうな恰好をしている。

 他の人たちなら、この人が誰かわかるのだろうか。


「まさか、あの建物から瞬間移動してこの中で死んだって言うんスか?」

 こんな状況だというのに薄く笑みを浮かべて――いや、きっと彼も怯えているのだろう、それを誤魔化すようにして神成が言う。

「こいつが世紀の大マジシャンだとしても、こんなこと」

 そして、そう言いながら神成は遺体をつま先で蹴り上げた。

「ちょっと、何してるんですか」

 死人に対してなんてことを!憤る社だが、「じゃあアンタ、これを素手で触れるんスか?」と問われて閉口する。

「一応、顔は確認した方がいいっすよね」


 ぐちょり。嫌な音を立てて死体がひっくり返る。胴体部分しかうまくひっくり返らなくて、手足がいびつに捻じれてしまった。人間ではなくて、趣味の悪い人形じみて見える。

 足の千切れた壊れたオモチャ。身体の全面も全体的に泥で汚れてはいたが、身体には目立った外傷はなかった。だが。


「ひどい、こんな……」

 さすがのアズサも顔をそむけた。もちろん、社だって。

 顔の半分が、ぐちゃぐちゃにつぶれていた。思わずえづくが、胃の中にはもう大したものが入っていない。さっき食べたわずかなイチイの実と胃酸とがせりあがり、社の食道を痛めつける。

「やっぱり、これも」

 言いかけて、そこで社は硬直した。


 ワオーン……

 犬。鳴き声。遠くの方から、社らをあざ笑うかのように。

 やっぱり、この人もやられたのか?あの、犬に。

 身体が震えるのがわかった。きっと、僕があの犬を見つけられてないから。

 だから、みんな死んでいっているのか?

 ——見つけてくれないと、みんな死んじゃうの。


「……犬に食い殺されたのだとしても」

 アズサの振り絞った声に、社は我に返った。

「けれど、犬があの建物からこのTowerに遺体を運べるとは思わない。しかも、あの建物からこの人は出ていないなら尚更」

「尚更……じゃあ、人間の仕業だっていうんスか?」

 浅く呼吸を繰り返しながら、神成が喘ぐように言った。

「そんなこと、出来るわけないっしょ、それとも、これは」

 その言葉を引き継ぐように、アズサがぽつりと呟いた。

「霊の、仕業?」

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