第39話

 気づけば口から祝詞がこぼれていた。彼らは自分の死を認識して、すでにこの世から去ったのかもしれない。けれど唱えられずにはいられなかった。彼らが、多宗教ゆえに無宗教の大半の日本人に当てはまるかはわからない。けれどそんなことはどうでも良かった。


 これは、むしろ残された側の人間のためだ。

 これから先彼らは、高天原で穏やかに過ごせるだろうという希望のために。


「なんだ、最初からみんな死んでたってオチなんすね」

 そこで、今までずっと黙っていた神成がようやく口を開いた。

「だから、あり得ないトリックが生まれたんだ。公民館で見かけたやつがそこにはいなくて、違う場所で死んでる。もともと死んでたならなんだってアリだろうし」


 そもそもトリックなどなかったのだ。霊に物理法則など関係ない。もともと霊が視える社とアズサが、死者を生者と見間違えていただけなのかも。

 そう思えば、確かに違和感は幾つもあった。あまり疲れを覚えない彼ら。空腹も忘れたようだった。そして、雨に降られようが、まるで最初から濡れてなどいなかったみたいで。

 でも、ならなぜ神成もそう見えたんだ?彼は、本当に生きている人間なのか?


「神成さん、あなたは」

 言いかけた社の言葉を遮って、さらに神成が言い募る。

「死者を生きてるみたいに操る、恐ろしい悪霊が居るってことっスよね」

 いやに大仰に怯えた様子で彼は言った。

「そいつのせいで、俺までユーレイが生きてる人間に見えちまった。ほんと、ビックリっすよ」


「……そう、そういう理由、なら」

 同じようなことを彼女も思ったのかもしれない。だが、神成の言い分だってあり得そうな気がする。五味たち全員を死に至らしめたのは、あるかもわからないイサミの金ではなくて、袋田の宝の呪いだったのかもしれない。

 本当にそうなのか?


「その悪霊が、死んだ人間を操ってたんだ。いやー怖いっすね」

 確かに、ここには何かが居る。そんな気は最初からしてはいる。そいつがすべての犯人、いや、悪霊——なのか?

「早くそいつを祓ってくださいよ、そのために来たんでしょ?」

 けれど、その悪霊の正体は何なんだ?それに、なんだか納得が行かなかった。胸の奥がもやもやする、まだ何か、大切なことを見落としているような。

 ふいに神成の、痛ましく包帯で包まれた指が目に入った。犬に噛まれたと言っていた。左手の小指と薬指。どこかで、それを。どこで?


「てか、本来来るはずだった奴らは来なかったんスね」

 思い出そうとしたところを神成に話しかけられ、社はふと顔を上げた。そうだ、鶴野さんが言っていた。先に業者の方々が現地入りしているようです、と。

 だから僕らは、いや華も亀井社長もてっきりここにいるのはその人たちだと。

 業者を手配したのはイサミ。その彼女はまだ捕まらず、警察は結局ここにどこの誰がいるのかを把握できてない。なぜ、彼女は身内の不幸などあからさまな嘘をついて姿をくらましたのか?


「手配ミスだったんスかね。俺んとこに連絡が来なかったのは病院に行ってたからかな」

 ったくツイてないよなあ、と呟いて、神成が包帯に巻かれた左手を軽く持ち上げる。

「あのワンコロ、何が気に入らなかったんだか」

 そう言って、彼は社らに背を向けた。

「とりあえず、雨を凌げるとこに行きましょうよ。そうそう、ここには悪霊の他にも、自分が死んだと見せかけて凶行を行ってる殺人鬼が居るかもしれないんスから」

 悪霊なんかより、そっちの方が怖いかも。冗談めかして怖がって見せてから、神成は歩き始める。


その背を眺めながら、社は考える。なぜ、神成はそのことを知っている?タカアキと村上啓のことは、いたずらに不安を煽るだけだろうとアズサにしか話していないはずだ。

 飼い犬に噛まれたという、神成の痛々しい小指と薬指。ふいに、社の頭に華の声が響いた。

『小指と薬指がきれいに飛んでて』

 そうだ、あのひとも。指が。

『その指紋が村上啓の指紋と一致したの』 

 その切断された指が決め手で、あの遺体はタカアキではなく村上啓だと。


 社の中で、ある推測がむくむくと膨れ上がる。

 この、目の前の男は本当に、『神成』なのか? 

 トンネルの遺体が実は犬尾唯の兄、村上啓のものだった。タカアキが姿をくらますために、村上啓は殺されたのだと思っていた。

 だが、今までのは悪霊の仕業でタカアキが一連の犯人ではないとなるなら、彼にそんなことをする理由はないはずだ。

 ――いや、むしろ逆なのでは。社はある結論を導き出した。

 こいつが村上啓で、自身の存在を消そうと画策したのではないか。


 社は、どんどん離れていく神成の背を睨んだ。

 犬尾唯の兄。啓が、唯を手に掛けていたとしたならば、その理由は十分にあるはずだ。

 指紋がわざと見つかるように。きれいに残された小指と薬指。

 僕の推理が正しければ、あの不自然な指の怪我は。


「ちょっと待ってくれ」

 社は声を張り上げる。雨音をぬって、それは神成のもとへと届けられる。

 男が歩みを止めた。社は小走りで、彼のもとへと駆け寄った。

「待ってください、神成さん」

「あんたも物好きっスね、こんな雨に濡れて、何が楽しいっていうんです」

 うんざりした様子で神成が口を開いた。それに構わず、社は声を上げた。

「神成さん。その指の包帯、取ってもらえませんか?」

「はあ?」


 社の推理が正しければ。

 目の前の男は、タカアキを身代わりに自分の存在をこの世から消そうとしていた。そのために、遺体の身元を村上啓のものだと思わせる必要がある。

 その、顔も潰れ、ぐちゃぐちゃになった遺体の唯一の手掛かりは指紋とDNA。え、DNA?


 そこでふと決め手のうちのもう一つを思い出し、社の推理がぐらついた。そんなの、どうやってごまかしたっていうんだ?

 けれど、言い切ってしまった手前、後にも引けない。社は唇を引き締める。そんなの、どうとだって誤魔化せる、はずだ、多分。確か同じDNAの人間がこの世に存在するとか聞いたことがあるし。でも指紋は唯一無二のはずだ。それを誤魔化すなんて到底できない。

 そう、大きな代償でも払わない限り。


「嫌っスよ、せっかく手当してもらったのに」

 当然、社の提案に神成は渋い顔をした。

「下手にほどいても直せないし。ばい菌入ったらどうするんスか」

 まあ、本当に怪我をしてるならそう思うだろう。それに社の想像通りなら、あの包帯の下は犬に噛まれたなんてものじゃなくて、指そのものが切断されているはずなのだから。

「神成さん、あなたにやましいことがなければほどけるはずですよ」

 社はさっきまでの動揺を飲み込んで、堂々と言い切った。なんだ、僕だって出来るじゃないか。そのことに内心自信を覚える。そうだ、まだ確たる証拠はないけれど、海老名刑事みたいに堂々としていればいいんだ。いつもみたいにおどおどなんてしてたら、本当のことだって信じてもらえない。


「指が、どうしたの?」

 今までとずいぶん態度の違う社を不思議に思ったのか、アズサが口を挟んだ。

「Mr.カミナリの指は犬に噛まれたものなんでしょう?」

「そう言ってるのは彼だけだ。多分だけど、あの下に小指と薬指は、ないんじゃないかな」

 草刈ではないが、まるで良い生徒を得たとばかりに社は滔々と語る。気分は何もわからないワトソンに種明かしをするホームズだ。


「トンネルの遺体の入れ替え。タカアキが死んだと思ってたのが、村上啓のものだと判明した。それは、本物の村上啓が、自分の指を切断してタカアキの遺体の傍に置いたんだ」

「ということは」

 そう呟いて、アズサが神成に視線を向けた。

「Mr.カミナリは、Mr.ムラカミだった?」

「そういうこと」

 鼻高々に社はうなずいた。その隣でアズサが唇を開こうとしたところで、

「なにバカな事言ってるんスか」

 と、重い腹を揺らして神成が眉を寄せた。


「俺がその村上ってやつだって?わざわざ自分の指を切り離して、別人を身代わりにした?」

「そうです。なぜならそうするだけの理由があった。恐らくですが村上さん、あなたは妹をトンネルの入り口で殺害していますね?」

 そう言って、社は鋭く神成、いや村上を指さした。

 決まった。社は内心ほくそ笑む。あとは目の前の男が、ちきしょうなんで分かったんだ、とか言いながら、悔し気にあの包帯をほどくのだ。

「……ったく、変に疑われるのも不愉快だし」

 そう呟いて、男はきつく巻かれた包帯に手をやった。そんな小芝居など今更不要なのに、さも渋々と言った様子でほどいて行く。

 こいつの化けの皮がはがれるのもあと少しだ。幾重にも巻かれた白い布。その中に隠された秘密が暴かれる。そうだ、そこには本来あるはずのものが無くなっていて――。


「え?」

「自分で自分の指を切るとか、ぞっとする」

 ひらひらと、彼は左手を振ってみせた。そこには、しっかりと五本の指が生えている。

「な、なんで」

「もし万一俺がその妹を殺したとかいうやつだったとして」

 細かい切り傷で血のにじむ指を、再び包帯で巻こうと苦心しながら神成は言う。

「そんな殺人犯が自分の存在を消してまで生きていくつもりなら、指のない人間なんて目立って仕方がないっスよね?」

 じとり、と睨まれて、社は身をすくめる。それは確かに、そうですね。


「ほんと、あの小さいおっさんと言い、アンタと言い、当てずっぽうでこんな目に遭わすの勘弁してくださいよ」

 苛立ったように神成が再び背を向けた。

「そんな恰好にわざわざ着替えたくらいだしてっきり悪霊祓ってくれるのかと思ったら、探偵気取りっスか。バカみたいっスね」

 嘲りの色を乗せて神成が言った。そのセリフに返す言葉もなく社はうなだれる。

 違うのか?僕の考えは。頭の中で、今までの出来事がぐるぐると回っている。近づいている気は確かにしたのに。


 僕は何を間違えた?それとも、最初から全部見当違いだったのか? 

「ヤシロ」

 うなだれ雨に打たれるままの社に声が掛けられる。アズサが、険しく眉を寄せてた。

 ああ、そうだよな。あんな大見得を張ったのに違ってて。情けないったらありゃしない。

「ヤシロの考えは――」

 どうせめちゃくちゃだ、とかとでも言うのだろう。そう内心ふてくされた矢先だった。


「うわっ、な、なんだっ!」

 先を行く神成の、悲鳴が聞こえた。

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