第40話

 まさか、神成も餌食となったのか?

 社とアズサに緊張が走る。一連の犯人が神成でないのなら、では彼に悲鳴を上げさせたのは何者か?

 それはやはり悪霊なのか?それとも、実はタカアキなのか?


「や、やめろっ!」

 神成が声を荒げる。慌てて社とアズサは駆けていく。風呂敷から、べちゃべちゃになった玉串を取り出した。同じくアズサも、オモチャのピストルを取り出した。

 果たしてこれらが効くような相手ならいいけれど。

 社の、玉串を握る手が冷たい。緊張で心臓がどきどきする。

「うわっ」

 神成が悲痛の声を上げる。彼は今何をされているんだ?誰に?殺されようと――。


 ようやく、神成に追いついた時だった。ヒトではない生き物の声が聞こえた。それは、恐ろしい――恐ろしい?いや、これは。

「ワンっ!」

「へ?」

 ようやく追いついた先で目にしたのは、神成にじゃれつく小型犬の姿だった。あまりに場違いな状況に、社もアズサもフリーズしてしまった。

 だって、どう見たってかわいい犬だった。雨で濡れそぼってしまってはいるが、きっと良く乾かせばふわふわだろう毛並みの犬。あれくらいなら社にだって種類はわかる。確か、ポメラニアンと言うやつだ。

 そいつが、キャンキャンと吠えたてて、執拗に神成にまとわりついている。


「え、あなたの犬なんですか?」

 呆然として社は聞いた。そうだ、彼は犬を飼っていると言っていた。その犬に噛まれて病院に寄ったのだと。確かに彼の薬指と小指は切断などされていなくて、血がにじんでいた。

 けれどこの小型犬は、飼い主の指を噛むような凶暴な奴なのだろうか。それが、わざわざ飼い主を追いかけて、こんな山の中までやってきた?


「いや、そうじゃ」

 ポメラニアンにうなられて、辟易しながら神成が返した。なるほどそれもそうだろう。いまこの山中に犬がいるならば、それはきっと。

 そこで、思い出したかのように社は慌てて風呂敷の中をあさった。首輪!

 犬尾唯の霊が残して行った、ピンクの小さな首輪。あの犬は、いかにもあれが似合いそうじゃないか。


 するとまさか首輪を認識したからでもないだろうが、今まで神成にうなっていたポメラニアンが、その矛先を社へと変えてとびかかってきた。

「うわっ」

 いきなり足元に抱き着かれて社は狼狽える。

「大丈夫、抱っこしてほしいみたい」

 アズサが犬を抱きかかえた。それまでキャンキャンうるさかったずぶ濡れの犬が静かになる。社は恐る恐る手を伸ばし、その頭を撫でた。


 かわいい犬なの。私の、大切な。

 ふと、犬尾唯の声が頭に浮かんだ。

 これが、見つけないとみんな死んじゃう犬?

 人々を襲う恐ろしい魔犬?

 とてもそんな風には見えなかった。


「君が、犬尾唯……さんと一緒に散歩に行った犬なのかい?」

 まさか聞いて答えてくれるはずもなかろうが、社は犬の目を覗いて問いかける。すると彼(彼女?)はワン、と鳴いた。

「この犬は幽霊……幽犬、じゃないよね?」

 恐る恐る社はアズサに聞いた。もはやこの山の中では、誰が生者で誰が死者なのかがいまいち自信が持てなかった。けれどこの犬は濡れてはいるが、確かに温かくて、小さな鼓動が感じられて。

「違うと思うわ」

 アズサもそう答えた。


「君が、この首輪の持ち主なのかな」

 恐る恐る、社は首輪を小さな犬の首に掛ける。それはあつらえたかのように、この犬にぴったりだった。

 つまり、この犬こそが、社が探さなければならなかった犬だった。プティと言う名の、かわいい犬。

 見つけなければみんな死んじゃう。でも、もうすでに。


「もう、みんな死んでたんだ。それも、一年前に」

 いったい、犬尾唯は何を社に伝えたかったのだろう。無垢な瞳を覗き込みながら社は考える。だって、すでにみんな死んでたじゃないか。だってのに、この犬を見つけないとみんな死んじゃうだなんて。そこでふと思いつく。

 まさか彼女も一年前に死んでいた?

 それなら、一年前、ここにやって来た草刈や玲夏らの死を防ごうと、そのために社をけしかけようとしたのかもしれない。

 けれど、そんなことは絶対にありえなかった。社は一人、ゆるゆると頭を横に振る。なにせ犬尾唯の遺体は警察が検分したのだ。さすがにそんな間違いを起こすはずがない。

 では、なぜあんなことを?


「誰のペットか知らないっスけど」

 露骨に嫌そうな顔をして、神成が呻いた。

「飼えなくなって捨てたんすかね?どっちにしろ、保健所行きっスよね」

 連れて帰ったって面倒なだけっスよ、と再び彼は歩き出す。まるで、この犬から逃げるように。

 おかしい。その態度に社は違和感を拭えない。彼は犬を飼っているんじゃないのか?だってのに、そんなひどいことを平然と言えるものだろうか。

 アズサに抱かれたポメラニアンが、去り行く神成の背に向かって唸った。

「この子、怒ってる?……あの人に」

 アズサがぽつりと呟いた。


「まさか、動物の気持ちがわかるのか?それも、超能力的な?」

「まさか。わからないわ、動物の気持ちは」

 ひたと社の目を見つめてアズサは言う。

「でも、この犬がユイサンが探してた犬なら、それはもともとはMr.ムラカミの飼い犬だったんでしょう?」

 そう聞かれ、社はうなずいた。

「そうだ、確か友人がトンネルで亡くなって、その飼い犬を引き取ったって」

 その元飼い主の故人は、ゴエビ。


 ……いや、そうなのか?

 社の頭が再びぐるぐると回りだす。思い出せ。華ちゃんとの会話。ちょうど彼について話していた時だったではないか。

 違うよ社くん、海老じゃないよ。

 けらけらと、こんな状況だと言うのに彼女は笑った。そして、こうも続けた。

 その人は、ゴエビって読むんじゃなくって――あ、その人も。

 そこで彼女との通話は切れてしまった。


 五海老。資料には、そう記されていた気がした。だから、ゴエビさんなのだとずっと思っていた。

 でもそれが、僕の読み違いだったとしたら?すっかり海老名刑事の名前につられて、五海老って読んだけど。それは確かなのか?

 海老じゃない。彼女はそう言った。なら、僕は何を空目した?海老じゃない。もしかしたら、文字を入れ替えて脳が認識してしまったのか。だとしても、五老海。ゴロウカイさん?

 他に、なんて読むんだ。それ以外に――。


 このひとも。彼女は最後にそう言っていた。この人も?他に、誰が?

 あの時僕が話していたのは、イサミとゴエビのことで。

 そこで、ふと思いつく。もしかして、そう言うことなのか?ああもう、スマホがあれば一発で調べられるのに!でもきっと、そうに違いない。

 村上啓の友人は、ゴエビでもゴロウカイでもなくって、きっと。


「イサミだ」

 社の口からその名が漏れ出た。アズサが、怪訝そうに聞き返す。

「イサミサン?あの良く喋るオバサン?悪いことをしてお金を集めて、goldをここに隠したかもしれない?」

「違う。僕たちは、最初からとんでもない勘違いをしていたんだ」

 イサミは、市の職員で、犬を飼っていて。それは、社がゴエビと思っていた人物も同じだった。いや、そして、同じなのはそれだけじゃなかった、恐らくだけど、彼の名は。


「この犬の元飼い主も、イサミなんだ」

 そこで、社の中ですべてがつながった。五老海と書いて、イサミと読む。

 ああ、そう言うことだったのか。

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