第48話
その衝撃を予測して、社は歯を食いしばる。多分これで左腕が駄目になるだろう、けれど、まだ利き手が残っている。反撃を――。
「う、ううっ」
呻き声を上げて、どさりと身体が地に落ちる。だがひれ伏したのは、社ではなく村上の方だった。
「どういうことだ?」
慌ててうつむいていた顔を上げ、社は足もとに這いつくばる村上に目をやった。獰猛な瞳をぎらつかせ、手には凶器を持ったまま、けれど苦悶の表情を浮かべてそいつはうずくまっていた。ナイフを持つ手とは反対の手で、自身の腹を押さえながら。
「お前、何を」
息も絶え絶えに村上が言った。その視線の先には、イチイの枝を握りしめ、涙を流す唯の姿があるだけ。とても、何か彼女が危害を与えたとも思えなかったが。
「は、腹が」
悪魔のような顔を、今度は青く染めている。唇がわなわなと震え、額には脂汗。ゴロゴロと、雷の鳴るような音がする。だが空では星が瞬き始めていて、雷雲などどこにも見当たらない。
「お前、この」
村上が呻くが、静かに身体を震わすばかりで動く気配もない。どうやらあの悪魔めは、突然の腹痛に見舞われた様だった。
こんな都合のいい偶然があるのか?社は疑いを禁じ得ない。もしや、これが神の裁き?
あの、復讐の女神が持つイチイの枝。唯が静かに掲げるその枝の、赤い実。
「まさか、あの時食べた種の毒が効いてるのか?」
そんな馬鹿な。だってあれはずいぶん前のことで、しかもあんな一粒で。
けれど現実に、今目の前で村上は腹痛に目を白黒させている。それでもなお、力をふりしぼり、刃をこちらへと向けてくる。とにかく今は原因をあれこれ考えている場合じゃない。社は我に返った。ただの偶然にしろ、神が与えてくれた幸運にしろ、今がチャンスだ。
「この、いい加減に、しろっ!」
社はイチイの枝を振りかぶった。それが村上のナイフを弾く。それを回収しようと村上が身を起こした先で、プティがナイフを咥えて遠くへと逃げていく。
「ちきしょうっ!」
地を震わすような怒号が響いて、逆上した村上が近くの木に拳を叩きつける。その振動で木々が揺れ、ざわざわと葉擦れの音が響く。その隙を縫って、もう一突き。
社の持つ、先の尖ったイチイの枝が村上の顔を狙う。そのまま、アイツの目を突けば。
けれどそこで、社の中に躊躇が生まれた。僕が、目を?あいつの目を抉りだすっていうのか?
そんな残酷なこと。でも、他にどこを狙えばアイツの動きを止められる?
その一瞬の逡巡を、村上は見逃さなかった。速度の落ちた、自分に向かってくる木の枝を片手で払い、あっけなくそれを奪った。
「うわっ!」
急に手の内にあったものを取られ、社はバランスを崩す。形成逆転とばかりに、村上が今度はその鋭い先を、社めがけて振り下ろす。その時だった。
「Your game is up!」
狂った目つきの村上の、背に誰かが現れた。キラキラと、金の光をあたりに巻き散らかしながら。その髪を、瞳を光らせて。
「アズサ?逃げたんじゃ」
「ヤシロを置いて逃げるほどchickenじゃないわっ!」
彼女は手にした黒い塊を、村上の頭に力いっぱい振り下ろす。
ガッ!鈍い音が響いて、それから目の前の男が白目を剥いた。どうやらアズサが背後から、村上の後頭部を銃のグリップでしこたま殴りつけたらしい。うっ、と男は短く呻くと、あの獰猛な悪魔はあっけなく、地に伸びてしまったのだった。
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