第47話

「この金は、俺のものだ……」

 ぽろぽろと、その身体を覆っていた金が剥がれ落ちた。メッキのように。あの金の獣は力を失って、再びヒトの姿を取り戻していた。


「お前の執念が、あの悪霊すらも巻き込んで」

 再び現れた村上の姿に、社は戦慄を覚える。そいつはヒトの姿をしていながらも、先の獣より、さらにおぞましい顔をしていたからだ。


「よくも、俺の金を」

 足元に転がる金の粒を這いつくばってかき集め、こちらを憎悪の眼差しで睨みながら村上が叫んだ。

「渡すものか、悪霊だろうが、神だろうが、もちろんお前たちにもだ」


 彼は金に固執をしていた。やっぱりそうだ。もはや憐みの眼差しで、男を見下ろしながら社は考える。なぜ、今まで噂にも上らなかった佐竹氏の悪霊などが出て来たのか。

 それはきっと、村上の怨念が霊を呼び覚ましてしまったからなのだ。そして、村上を使役しようとした悪霊さえ取り込んで、村上は金を奪うものを排除しようとした。


「嘘でしょ、なんでそこまで……」

 闇が晴れ、あたりの景色が露わとなった。陽は傾き、オレンジと藍とが空の領域を奪い合っている。けれど闇から覚めてもなお、まだ悪夢だった。

 みな力尽きていた。村上を睨みつけながら、社は肩で息を吐く。社だって、まあただ祝詞を唱えただけではあるものの、あれはあれでちゃんとやると疲れるのだ。

 アズサのピストルを持つ手もだらりと垂れさがっている。佐竹の祟神が消えたためか、唯に至っては姿を保つことも難しくなっているようだった。彼女は哀れな殺人の被害者の姿へと戻り、その姿さえ透けて見える。

 唯一プティだけが、村上を威嚇するように唸っていた。

 けれどその威嚇も通じない。這いつくばる村上が、獲物を狙う爬虫類のように、じりじりと社らを追い詰めていく。


「まだ、僕らを……殺そうっていうのか?」

「あなたのgoldなんて狙ってない!」

 社とアズサが叫ぶが、その声は村上には届かない。疲れた身体を持ち上げて、社とアズサは逃れるように後退する。

「殺してやる、そうすれば、金はすべて俺のものだ」

 殺してやる、と呪詛のように呟いて、村上がこちらへと向かってくる。その目は確かに人間の物で、けれど今まで見たどの目よりも狂っていた。

 アイツは、まだ諦めていない。僕たちを殺すまでは。


 けれど生きた人間には、アズサの力も、社の祝詞も効かないのだ。それとも、二人がかりで飛び掛かる?だがそれで、何とかなるような相手だろうか。

 あの、常軌を逸した顔。命を何とも思っていない悪魔。こちらも、相手を殺すつもりでかからないと。社は奥歯を噛み締める。けれどそんなこと出来るのか?僕らに、人を傷つけるようなことが。ましてアズサにそんなことをさせるだなんて。


 少なくとも、彼女は逃がさなければ。

 気づけば城跡の石碑まで近づいていた。空は藍が優勢で、どんどんと濃く塗りつぶされようとしている際で、社の背が何かに当たった。思わず彼は振り向いた。

 そこにあったのは、イチイの木だった。つい数時間前に、その実を食べた場所。

 うう、これが最後の晩餐になるなんてあんまりだ。イチイの枝を掴みながら、心の中で社は叫ぶ。ああ神様仏様、誰でもいいからどうか僕らを助けてください!


『あの人を、ユルしてはイケない』

 ついに宗教の垣根を越えてやみくもに神頼みを始めた社の脇で、唯がむくりと身体を起こした。あの、額から血を流す、血みどろの被害者。もはや存在すら希薄で、今にも風に吹かれて消えてしまいそうだった彼女から、再びポトリポトリと血が垂れ流れ、足元に黒い池を作っていく。

「唯ちゃん?」

 その彼女は、まるで最後の力を振り絞るかのように声を上げ、その身体からぶよぶよとした黒い塊がこぼれ始めた。それはひどい悪臭を放っていて、社は思わずえづく。

 まるでこれじゃあ。


『ユルサナイ、アイツを、コロさないト』

 口から洩れるのは、呪いの声。金に狂った村上と同じように、ユルサナイ、コロスと連呼する。その姿は先の龍のような姿とは打って変わって、ドロドロと溶けた汚物の塊のような、この世のものとは思えぬおぞましい姿となっていた。


「まさか、怨みだけで存在を保とうとしてるのか?」

 自分が殺されたことを知っている彼女。そういう存在を、怨霊と言うのだと彼女自身が言っていた。けれど彼女は力を失って、あとはただ消えゆくだけの死者の霊に戻ったのではなかったのか。

「ユイサンは、ムラカミを倒すために、悪魔に魂を渡そうとしている」

 アズサが悲しそうに叫んだ。

「でもそんなことしたら、今度こそ彼女は」

「クウーン」

 恐らく理解したのだろう、プティも悲しそうに声を上げる。

 本物の怨霊と成り下がって、その魂は永遠に救われない。恐らく村上を害したところで、血に飢えた悪霊となるだけだ。


『ワタシ、コロス、あいつヲ』

「駄目だ、たとえ今はそれで良くったって」

 結局この場所に、佐竹氏とは別の祟り神が生まれるだけだ。そしてそいつは、やはりヒトをどんどん殺して。


 みんな死んじゃうの。

 彼女が言っていたのは、そう言うことだったのか。


「待ってくれ、唯ちゃん!」

 社は必死に引き留める。けれど、それはでろでろと溶けだした呪いの血肉をあたりに巻き散らかしながら、ゆっくりと、だが確実に村上の方へと向かっている。さしもの村上もこの状況に動きを止めたが、変わらず明確な殺意を持って、その塊を滅ぼそうと睨みつけている。

 なるほどこのままいけば、あの呪いの塊となった唯が村上を取り込んで、彼の息の根をじわじわと止めてくれるだろう。


 けれどその後は?あまり想像などしたくなかった。呪いが呪いを取り込んで、さらに恐ろしい悪意が残るだけだ。

 かといって、あの状態の唯を止められるだけの力もなかった。アズサが必死に腕を伸ばす。蛍の光のような、儚いわずかな光が塊へと当たったが、彼女は歩を止めない。

 どうしたら。けれど呑気に考えている場合でもない。破れかぶれになって、社は片手の玉串を塊に向かって放り投げた。よれよれになった榊の葉。それが背に当たり、唯が動きを止めた。


「効いてる、のか?」

 確かにアレは、神聖なアイテムだ。まさか悪霊にぶん投げて使うつもりなど社にだってなかったが、なにせ伊邪那岐だって黄泉から逃げるときに、死者となった伊邪那美に櫛を投げている。

「櫛違いだけど、でも」

 社は、もう片方の手で握りしめていたイチイの枝を手折る。乾いた音を立てて折れた枝を、再び塊へと投げつけた。


 神道では、イチイは玉串にも用いられる。それと、なんだっけ。社は思いだす。そうだ、遠い外の国では、復讐の女神が持つ松明としても描かれる植物だ。

 復讐の女神ならともかく、しかし彼女を醜い怨霊にしてはいけない。

「怨みに憑りつかれちゃダメだ、罪人を追い詰めるのに、君まで罪人になっちゃダメなんだ!」

 社は叫んだ。その叫びとともに、イチイが彼女のもとへと届けられた。赤い実の生る、可愛い枝木。塊の中から白い腕が伸び、それを確かに掴んだ。


 ずるずると、呪いの塊が流れていく。唯の足元でプティが、邪魔なものを追い払うかのごとくに、唯から流れる黒い塊を蹴散らかしていく。

『デも、これじゃア、アイツを』

 塊の中から、白い顔が見えた。それが、悲しそうに涙を流し必死に言う。

『アナタたちだッテ、アイツにコロさレテしまう』


 そうだ、このままでは結局、皆村上に殺されるだろう。かといって唯の暴走を止めなければ、結局怨霊と成り下がった彼女に殺される。たとえ彼女にその気がなくとも、負の力は強大だ。いずれ取り込まれ、彼女は彼女でなくなってしまう。

 どちらも御免こうむりたかったが、唯の手をいたずらに穢させるのも嫌だった。

 こうなっては、もう。


「アズサちゃん」

 静かに社は口を開いた。いつもはうるさい心臓の音が、嫌に静かだった。その凪いだ気持ちで社は決意する。せめて、彼女だけでも逃がさなければ。ちらと、金の瞳に目を向けた。

 こんな変な仕事に巻き込まれた、まだ高校生の女の子。とてもじゃないが、この子にすべてを押し付けて、仕事を辞めるわけにもいかない。


「村上が僕に気を取られてる間に、君は逃げるんだ」

 それで亀井社長にめちゃくちゃ文句を言ってくれ。そう付け加え、社は彼女に背を向ける。

「ヤシロ、そんなの」

 悲痛な声でアズサが叫ぶのに、

「いいから早く!」

 普段出したことのないような怒鳴り声で言いつける。こんな声、僕も出せたんだなあ、なんて、今更に自分の一面を新たに知るなんて。

 背後では、アズサが少し迷ったようにした後に、パタパタと足音が遠ざかるのが聞こえた。正しい判断だ。社は一人うなずいた。まだ若いのに、怨霊と職場のアラサー男と心中なんてあんまりだ。


「殺す、コロス」

 じりじりと村上が近付いてくる。恐怖で身体が固まる。嫌だ、本当は死にたくないのに。

 結局、仕事も辞め損ねちゃったし。諦めたように、社の口元にひきつった笑みが浮かんだ。目の前では狂気に溺れた村上が、もはや泣くばかりの唯を押しのけて、こちらへと歩いてくる。まるで身体の一部かのように、どこぞに隠し持っていたのか血に飢えたナイフまで携えて。

 これ、労災認定してもらえるよな。禍々しく光る刃を、どこか遠くで見るような気持で社は考える。ってまあ、お金を残す必要のあるような家族は結局、できないままだったけれど。


 人生は短いの。ああ、アズサ。君の言っていた通りだ。まさか昨日の僕は、今日の僕が死ぬだなんて思っていなかった。

 こんなことになるなら、華ちゃんに――。

『ごめんなさい、アナタまで巻き込んでしまって』

 身を切るような、唯の言葉が聞こえた。


『お願い、カミサマ。どうか、あの人を――』 

 泣きそうな唯の願いが言い終わる前に、刃が振り上げられた。反射的に、社の両腕が自分の頭を守る。その腕の肉を、骨を、ナイフが。

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