第5話
「元々ここには、袋田氏の月居城というのがあったそうじゃ」
駅の近くはまだちらほらと店などもあったのが、国道沿いに進むとあっという間にあたりは山の雰囲気となる。
車窓の外には早くも色づき始めた木々。そればかりが続いて、変わり映えのない景色が流れていく。
「袋田って、このあたりの地名にもなってますよね?」
亀井社長の声に、さすがは刑事か、事前に辺りを調べてきた華が口を開いた。
「確か、そのお城も元々とは袋田城って呼ばれてたとか」
「ふむ、さすがは華君。調査も捜査もお手の物じゃの」
その二つは似て非なるものでは。社はそう言いかけて口を閉じる。代わりに助手席にちょこんと座る亀井が口を開いた。
「質素ながらに小さな集落があったようなんじゃが、後に袋田氏が他の場所を相続することになり、主を失った月居城は廃城」
「お城、手放しちゃったんですね」
もったいない!華の言葉に同意するように、社は心の中で叫んだ。なぜ声に出して言わないかというと、ひとえに鶴野の運転技術のせいだった。
彼女の運転は、一言で言うと荒いのだ。というか、無茶苦茶だ。
確かに速いには速い――こんなに急いでいるのは、結局社がモタモタしたせいで予定より出発がだいぶ遅れてしまったから――けれど、戦々恐々と後部座席から覗くメーターは80キロをゆうに超えているように見えるのは気のせいだろうか。
こんな山道、そんな速度で走るのは法令違反ではないのか。それを現職の刑事が見過ごしていていいのか、などといろいろ気になってしまって口を開けない。
いや、単に口を開いたら最後、うっかり舌を噛んでしまいそうで怖かったのもある。よく亀井と華は平気な顔で話していられると驚きながら、社はただ玉串を握りしめるしか出来なかった。
「らしいがの。じゃが詳しいことはわからないんじゃ。あまり資料も残ってないようでの、それゆえかいろいろな憶測が飛び交っていてな」
にやり、と亀井社長は笑った。
「廃城の後も、この場所をめぐって争いなんかも起こったらしい。天然の要塞だというのもそうじゃが、この山は昔、金も採れた。そんな場所を手放すのは、いくら他を継がなくてはならなかったとしても、袋田氏はさぞ悔しかったじゃろうなあ」
「その金って、今はもう採れないんですか?」
光物に目のない華が身を乗り出した。
「もし今も採れるなら、ことぶき不動産はぼろ儲けじゃないですか」
「どうじゃろうなあ、袋田氏が隠した金が、どこかにあるなんて伝説もあるようじゃがの」
「へえ、袋田のお宝伝説。ロマンがあるなあ」
そういう彼女は、けれどさほど本気でもないようだ。それもそうだろう、伝説が本当なら、市は破格値であのあたりを譲ったりしないはずだ。
「じゃが、昔から金は富の象徴でもあり、呪いを象るものでもある」
急に低い声で亀井が言った。
「それを巡って人々が血を流す。その血と欲をすすって、さらに金は血を求める。……なんての」
今この辺りに良からぬ噂がわんさかしているのはそのせいかもしれんのお、と今度は呑気に笑って見せてから、
「けれどまあ、今も川の方では砂金なんぞも採れるらしい。集客によさそうな条件じゃろ」
とニコニコとご機嫌だ。
確かに、宝探しイベントでもやろうか、なんて社長は言っていた。口から矢継ぎ早に飛び出た亀井の構想のなかに、そんなものも含まれていた気がする。
けれど本当に金など採れたのだろうか。そんな夢のような場所は、いまや一大ホラースポットだ。ここに眠るのはロマンあふれる宝なんかじゃなくて、案外亀井社長が嘯いたように、何か良くない物なのではなかろうか。
社は思ったが、黙ったまま流れる景色をただ眺めていた。
「でも集落は細々と続いていたんですね」
華が再び資料に目を落とし、口を開いた。
「主に林業で生計を立てていたそうです。それが明治時代の旧月居トンネルの開通にともない、少しずつ人口が増えていった、と。けれど昭和の終わりころに新月居トンネルが開通して、この村は急激に廃れていったそうです。それが四十年前」
「急激に、のお」
ぽつりと亀井が呟いた。
「インフラが廃れると、あっけないものなんじゃの」
「けど、こんな噂もあるみたいです」
ぺらり、と紙をめくって華は言う。
「もちろんそれも原因だけど、その頃に突然村の人たちが、どんどん亡くなっていったったって」
「ふむ」
考えるように顎を指に乗せ、亀井が口を開いた。
「それも、袋田の呪いとか言うんじゃなかろうの」
「ご名答」
含み笑いを浮かべて華が言った。
「旧月居トンネルがホラースポットとして有名になったのも、実はその時村で死んだ人たちが災いを呼び寄せてるんだ、とか。そんな噂もあるみたいです」
その話に社は身震いする。呪いによって死んだ人々が、さらなる呪いを呼び起こす。まさに負の連鎖。そんな忌まわしい地に、これから向かわなきゃならないなんて。
「そんなの」
一人震える社をちらとバックミラーで一瞥してから、ハンドルを握る鶴野が事も無げに言い放った。
「ただ、高齢化で皆さんご寿命を迎えたんじゃありませんの?昭和の末なんて、バブルのさなかじゃありませんか。若い人たちは、そりゃあ都市部に行くでしょうし」
「まあ、そんなところでしょうね」
再び資料に目を落としながら華が補足した。
「亡くなられたのは軒並みお年寄りばかり。山の中の村で、急病でもすぐに病院に運べない。廃村になったのは、時代の流れだったんでしょうね」
なんだ、そういうことか。社は肩の力を抜いて、隣の華に目をやった。
こんな揺れる車内で、よく細かい文字が読めるものだ。僕だったら確実に酔う。隣の華を眺めていたい気持ちに抗いながら、外の景色に集中する。
じゃないと、多分吐く。こんなことなら無理に朝食など摂るんじゃなかった。後悔が胃の中でぐるぐるしている。
うう、昨日に続いて今日もこんな目に遭うなんて。
うつむいたところで、あたりが急に暗くなった。
思わず社は身構える。玉串を握りしめる手が白くなる。別に、これがあれば何でもやっつけられるわけでもないのだけれど。
「今通ってるのが、新月居トンネルですわ」
落ち着いた鶴野の声が車内に響いた。どうやら車はトンネルに入ったらしい。等間隔に付けられた照明が、ずっと奥まで続いていた。
「ちょうどこの上を、旧月居トンネルが通っているみたいです。幸い、新しいトンネルにはいわくはないようですが」
涼し気に語る鶴野の顔を、オレンジ色の光がフラッシュみたいに照らしている。つまり、それだけスピードが出ているということだ。幸いに、すれ違う車はいなかった。
「で、こうしてお役御免になった旧トンネルは、しばらくはハイキングコースとして一応通れるようになっていたみたい」
この真上なのかあ、と呑気に車の天井を仰いで華は続けた。
「でも数年前の台風でハイキングコースに土砂崩れが起きて、トンネルを抜けて国道に出ることも出来なくなってしまった。そのあたりからね、変な事が起こり始めたのは」
「ああ、昨日の資料じゃの」
「そ。赤ん坊の遺体が捨てられてて、夜になると泣き声が聞こえるとか、あそこで事故死したライダーの霊が、道連れを探して彷徨ってるとか」
華の声に社は眉をしかめる。確かにこれらが本当ならば、太子警察署の所長が匙を投げた気持ちもよくわかる。
「最近だと、一年前に姿を消した人たちね」
ようやくトンネルを抜け、突如現れた日差しに社は目を細めた。そのまま車は右折して、さらに右折。先ほど来たのと同じ方に走り出す。
「ここの市長、あそこの開発に躍起になってるみたいで。前にも業者を呼んでたみたい」
今回も、早々と手配がされていた。それほど金のなる木があるのだろうか。社は疑問をぬぐえない。
「可哀そうに前回は社君がおらんかったからの。そのまま行方知れずになってしまったようじゃ」
だが今回は大丈夫じゃろう、と気楽に亀井は笑っているけれど、そんなにハードルを上げられても困る。社は抗議の声を上げたかったが、さらに車が加速したのを感じて口を閉ざした。
「一応捜索隊が入ったけれど見つけられなかった。でもこれ、実はトンネルの先で消えたふりをしただけなんじゃないかって考えてる人もいるみたい」
目的地が近いのだろうか。車のスピードが多少緩んだ気もした。おかげで、ようやく社は口を開くことが出来た。あまり、長く開けてはいられなかったが。
「なんで?」
「それがね、消えた人たちはそれぞれ、例えば借金があったりとか、会社のお金を着服したりだとか、不倫してたのがバレたとか、いろいろと後ろめたいことがあった人達みたいで」
「なるほど、噂を利用して体よく逃げた、というわけじゃの」
「そう、太子警察署は片付けたみたい」
と華は言うが、その表情はあまり腑に落ちていない様子だった。社は彼女の言葉を促した。
「けど?」
「そう……でもね、それじゃああまりにこっちに都合のいい解釈じゃない?行方不明者を見つけられなかった言い訳をしてるんだって叩かれちゃって」
車はさっきまでに比べればゆっくりと細い道を進んでいく。人や車が通らなくなったからだろう、左右の木々がこちらに押し寄せてきているようにも感じた。
「なるほど。じゃあ、できれば華君の立場としては、行方不明者の遺体を見つけられればいいんじゃの」
「うーん、どっちの方がいいんだろ」
迫る緑をぼんやり眺めながら、迷うように華は言う。
「見つからなければ、まだその人たちはどこかで生きてるかもしれないってことでしょ?残された家族としては……どうなんだろうね」
そう曖昧に濁して、華は困ったように笑って見せた。それから再び資料に目を落とす。
「あ、あと直近でもう一人。トンネル内で遺体が見つかってる」
「ああ、犬にかみ殺されたっていう」
思い出して、社は顔をしかめる。しぶしぶ持ってきた小さな首輪は、山には不釣り合いのビジネスバックの底の方に押し込んでしまった。
「まあ正直なところ、本当にかみ殺されたかはわかってないの」
資料を眺めながら華が言った。
「確かに遺体には無数の噛み跡があった。遺体の隣に、口を真っ赤に染めた大きな犬が一匹死んでたの。それも、その人の飼い犬で」
ダルメシアンだったかなあ、と呟いてから彼女は続けた。
「でもその人、犬好きで有名だったらしいのよね。何匹も飼っててさ。犬ばっか構ってるからお嫁さんが来ないんだって、地元の人は揶揄してたみたい」
「その飼い犬が牙をむいたってこと?」
いくらお犬様に手を尽くしても、裏切られてしまうものだろうか。報われぬ愛。そんな言葉が頭に浮かぶ。いくら注いでも、伝わらない愛もある。
「でも、誰かがこうグサリとやった傷口を、その後で犬にがガブリと噛ませた可能性だってある。そう警察は考えたんだけど」
けれど、では他殺かと調べても、それらしい証拠が出てこない。結局未解決のまま、その異様な状況だけが噂話として広まってしまったらしい。
「その人、他にも犬を飼ってたんだよね?」
華の話だと、哀れな被害者はダルメシアンとは別に他にも犬がいるような口ぶりだった。それは、もしかして。社はバックの中の首輪を頭に浮かべる。こいつも、その獰猛な犬の仲間かも。
「うん。その子たちは保護されて、故人の幼馴染が引き取ったって」
「その幼馴染って、もしかして?」
小さな犬。プティを探していた、あの。
「トンネルの入り口で亡くなってた女の子?」
もとい、社を脅かす悪霊。実はそいつも、その犬の毒牙にかかって?
「残念。その幼馴染は男性みたい」
そもそもその子はかみ殺されてなんかないしね、と華は事も無げに返す。
「あの女の子は多分、犬と一緒に遊びに来て、はぐれたワンちゃんを探してて落石に巻き込まれた。可哀そうだけど、ツイてなかった。人生なんてそんなもんよね」
そこで、車が停まった。
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