第6話

 想像していたより小さなトンネルだった。正直昨日来た時は、トンネルを眺めるどころではなかったのだ。到着が遅れるから先に見てこいと言われ、渋々レンタカーを借りて苦手な運転をして。


 疲れてようやくたどり着いたその場所には、頭から血を流し、その赤い池の中に女性が倒れていて。

 慌てて助けようとしたら、その彼女の死の間際の記憶を見せつけられて気絶した。


 そういやレンタカー誰が返してくれたんだろ、などと思いながら眺めるトンネルは、昨日と打って変わって穏やかだった。


 入り口には、高さ制限を示す標識。汚れているが、かろうじて数字が見て取れる。それを補強するかのように、黄色と黒縞の制限バーが入り口を囲んでいた。

 そして、通せんぼをするみたいに、古びた『落石注意』の看板がバーに寄り掛かるようにして立っている。


 なんだ、普通のトンネルじゃないか。社はトンネルを眺めながら思った。高架下などでよく見るような造りの入り口に安堵を覚える。

 大丈夫、映画じゃあるまいし、この国の法律が通用しない場所なんて存在するわけないのだから。


 秋の陽が木々を照らした。やはり山の方が紅葉が早いのだろう。緑の中に一部、黄色や赤に染まりかけの葉が混じっていた。入り口の上は地肌が覗いていて、そこにかろうじて根を張る木や、雨風で削れて現れたのだろうか、大きな岩まで覗いている。


 なるほど、あれなら落石があっても不思議ではない。けれどその割にあたりに石が転がっていないのは、誰かが片してくれているのだろうか。たとえば、市の職員や、この辺りを管理する人とかが。

 なにせ数年前まではこの先にはハイキングコースが続いていたのだ。そういう人がいてもおかしくない。

 昔は、自然を楽しむ観光客らがたくさんいたのだろう。それがあっという間にホラースポットに変わってしまって、怪しい噂が飛び交う場所になってしまった。


「秘密の旅行地としてはとっておきのトンネルじゃが、しかしこれだと大型車両が入れんの。それと、補強もしないとならんなあ」

 車から降りた亀井はしげしげとトンネルの入り口を眺めると、思案気に呟いた。

「じゃが、このままの方が雰囲気もあるし……」

「自家用車や送迎のバンくらいなら大丈夫でしょう」

 同じく鶴野が、品定めするように口を開く。

「いずれにせよ、国道側のがけ崩れも片さなければならないのですし。そちらからなら工事車両も入れますわ」


「そうじゃの、とりあえず村の方は社君と新人に任せるとして、わしらはそちらを早急に片付けんとの」

 そううなずいて、亀井はくるりと社の方へと向き直る。そして、一言。

「というわけで、我々はここまでじゃ」


「え、一緒に来てくれるんじゃないんですか?」

「わしらが付いて行ったところで役には立たん。それに、他にも仕事がわんさかあるからの」

 そう言われれば、まあそれは確かにそうなのですが。

 いや、亀井社長の楽天さと、なぜか強い(彼女は平気でドア蹴破るような女性だ)鶴野が居てくれれば心強いには心強い。でも今の社には、新人とやらと、それに何より華が付いてきてくれるわけで。


「じゃあ、任せてください。僕と華ちゃんで、ぱぱっと幽霊を追い払ってきますから」

「それなんだけど」

 ドン、と頼もしく胸を叩いたところで、華が心外そうに言った。

「私は付いて行かないよ?」

「へ?」

 寝耳に水。社は思わず自分の耳を引っ張った。うん、痛いから夢じゃない、それとあと濡れてもいなかった。えっどういうこと?


「私は外で、地元警察と連携していろいろ調べることがあるから。だって私、幽霊が出ても何もできないし。それより、本当に昔に死体遺棄や事故があったのか調べた方がいいでしょ?」

 確かに、それはそうなんですが。尤もな言葉に社はあからさまに肩を落とす。


「そんなにがっかりしないでよ。だってさ、幽霊が全員社くんの祝詞を聞いて大人しく成仏してくれるとは限らないでしょう?」

 前に華と協力して天に還した霊は、あいにく神道の道理が効かない相手ではあった。まあ、今の大半の日本人は多宗教ゆえに無宗教で、幸い社の祝詞が効くのがほとんどではあるのだけれど。


「そういう場合、霊の心残りとか、引き留めているものを解決してあげればいいみたいだし。その力になれればって思って」

 華なりに、社の役に立ちたいのだという。そうしおらしく言われてしまっては、無理に一緒に付いてきてくれとは到底言えなかった。それに、トンネルの先で何が起こるかもわからない。そんな危ない場所に、女性を連れて行くわけにも。

 いや、男だからって大丈夫だとも思えないんだけど。社は人知れずため息をつく。


「大丈夫だよ、社くんなら。でも何かあったらすぐに連絡してね。こっちも、わかったことがあったら電話するから」

 そう言って、彼女は自分のスマホを軽く振った。いつでも彼女の声が聞こえるのはありがたい。けど。

「電話、ちゃんと通じるんですよね?」


 なぜだかは知らないが、霊とかそういうものはやたらと電波を妨害したがる。というのは多分たまたまで、きっと霊は電波の悪い場所(まさにこんな山の奥の方だ)、を好むだけなのだろう。

「大丈夫じゃ。大手キャリアの電波は届くはずじゃ」

 そう言って、亀井は年季の入ったガラケーを開いて見せる。アンテナが三本。

「私のも大丈夫」

 そう言って、華がスマホの画面を見せた。かわいい顔立ちに似合わない、なぜかマッチョなプロレスラーの待ち受け画面。


「えっ、華ちゃんプロレス好きだったっけ?」

 幼馴染を自負しているだけあって、彼女の嗜好はそれなりに把握しているつもりだった。自分と違ってホラー好きで、意外にも読書家。運動も出来るしオールマイティーに見えるけど、実は負けず嫌いで努力家。


 いつの間にプロレス好きになったんだろう。警察学校で格闘技は一通り習ってはいるはずだ。そこから格闘技に目が醒めた?いや、もしかしたら実は彼氏がいて、その影響とかだったりしたら。

 思わず社がたじろぐと、

「うーん、魔除け的なものかな」

 と彼女はすっとスマホの画面を消してしまった。そのまま車に向かう彼女の背を眺め、社はぼんやり考える。


 魔除け?どういうことだろう。まさか彼氏がプロレスラーなのか。それを待ち受けにしている?だとしたらこれ以上の魔除けはないだろう。って、そんなまさか。

 しかしあり得なくもないぞ。社は心の中でうなだれる。なにせ彼女は刑事だし、周りはあんな厳ついのばっかりだろうし。あるいは同僚にガタイのいいのがいて、そいつにピンチを救ってもらって何かが芽生えてしまったとか。そんな。 


「そうそう、頼もしい新人じゃがの」

 いの一番に車に乗り込んだ亀井が、急に何かを思い出したのか窓から身をのぞかせた。

「名前すら伝えておらんかったの」

 そういえば。すっかり華と行動するつもりだったから忘れていた。仕事を押し付けて、会社を辞めるために必要な新人。そんな言い方をしたら悪いけど、そのつもりなのだから仕方ない。

「アズサ・コーノ君じゃ」

「は?」

 日本名のような、そうでないような。


「外国の人なんですか?」

 しかも多分女の人だ。そんな気がした。しかしアズサとは、和風な名前ではあるけれど。

 九月半ばだし、まさか新卒が来るとは思ってはいなかった。だが中途で外国人を雇うほど、ことぶき不動産はグローバルな企業だったろうか。


「さあのお。けれど日本語は上手だったから問題ないじゃろ」

 とりあえず、意思の疎通は出来そうだ。そのことに社は安堵する。何しろ大学の学部が日本神道科だ。一応英語のコマもあったけれど、高校どころか中学の復習みたいな内容だったし、当然喋れるはずがない。


「そうじゃ、これも渡さんとの」

 そう言って、窓越しに風呂敷に包まれた塊を押しつけられた。

「またそんなスーツでなんか来おって、動きづらいだろうに」

「でも、仕事ですし」

 だからスーツ。それの何が悪い。

「君の仕事は霊を祓うことじゃろ、それならこちらの方がふさわしいだろうに」

 包みを開くよう指示されて、嫌な予感がしつつ開けた風呂敷の中には。


「げっ」

「これこそが君の正装じゃろう?」

 その中には、袴が入っていた。あの、神社でよく見るあの格好。ご丁寧に足袋と草履までついていて。

「嫌ですよ、山の中でこんな格好するなんて!」

 スーツなんかより動きづらいじゃないか!社は心の中で叫んだ。なんだって昔の日本人が、あんな面倒な恰好をしていたのか社にはわからない。


「まあ、この先どんなことがあるかわからんからの。先入りしている業者ともども、日が暮れるまでには引き上げるんじゃぞ。あ、昼食はアズサ君が持ってきてくれてるそうじゃから心配いらん。遅くても夕方六時には迎えを寄越すから、この辺りで待っておるように」


 そう言い残し、亀井は窓を閉めてしまった。エンジンが再びかかり、狭い道を無理やり車は切り返す。車体が木々をかすって、その衝撃でギャアギャアと何かの鳥が逃げる。

「じゃあ社くん、気を付けて。また後でね!」

 華が去り際に窓から声を掛けた。けれどそれはほとんどエンジン音にかき消されてしまって、社にはよく聞こえなかった。


 後には一人、呆然と立ち尽くす社だけ。彼はちらりと腕の時計に目をやった。十時手前。

 迎えが来るまで八時間。その間に、ここのいわくは本物なのか確認しなければならない。もし本物の幽霊が悪さでもしてるのなら、なるべく早めに祓わないといけないし。

 はあ。大変なことになったな。あ、犬も探さなきゃいけないんだっけ。じゃないとみんな死んじゃうだなんて。


 ため息を漏らしながら、社はトンネルの方へ向き直った。遠くに、出口の光が見える。ここから見える分には、なにもいなさそうではあるけれど。

 それでも、なんだか嫌な予感はぬぐえなかった。そして、社のそういう予感は、得てして当たってしまうのだった。

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