第7話
すぐ近くに見えて、なかなかたどりつけない光。中は車一台通れるほどの広さしかなく、思っていたより距離がある。てか、トンネルの出口まで車で連れてってくれたっていいじゃないか、と不平たらたらに社は歩を進める。
閉鎖され、ホラースポットとして有名なくらいだ。中には明かりがなく、日中でも真っ暗だ。ひたひたと、水の流れるような音がする。足元は湿っていて、壁は苔生している。
こつ、こつ、こつ。
社の足音が反響する。不穏にそれはトンネル内に響き渡って、まるで何人もがそこを歩いているような錯覚に陥る。遠くでエンジン音がした気がして振り返るが車などいなかった。
ここで事故死したライダーの霊が、今だ彷徨っている。
そんな話があるそうだ。さらに、背後に何者かの気配を感じた人もいるとか。
……やっぱり車で連れてきてもらえばよかった。
何度目かのため息が、冷たいトンネルに響く。思わず仰いだトンネルの天井は鉄板張りになっていて、そこに赤いものを認めて社は悲鳴を上げる。
血?
「……なんだ、誰かスプレーで落書きしたんだな」
幽霊の正体見たり、ではないが、それがただの朱書きされたイタズラだと気づき、気まずそうに社は独り言ちた。てか、わざわざあんなところに落書きなんて、ご苦労なことだ。自分を驚かせた誰かをこき下ろし、再び社は歩き出す。
とはいえ、まだ午前中だ。社は思い直す。いくら幽霊がほんとにいたとしたって、なぜか夜行性の彼らは姿を現すまい。そのはずだったが。
気づけば早足になっていた。ほとんど駆けるように社は進んでいく。あと少し、あとちょっとでここを抜けられる。口の中でぼそぼそと祝詞を唱える。大丈夫、みんなただの噂だ。
暗い場所から明るいところに出たせいで、社の目は一瞬何も見えなくなった。暗くても、明るすぎてもヒトの目は見えなくなる。懸命に視界を戻そうと瞼をパチパチと瞬いたところで、
「オソイジャナイ」
不意に声が聞こえた。
誰だ?思う間もなく、社の身体が驚きに反応して飛び跳ねた。
「う、うわあああっ」
その勢いのまま荒れたアスファルトに腰を打ち付ける。痛さと恐怖で混乱する。い、いまどこから声が?まさか、もう幽霊とエンカウントしちゃったのか?
「た、高天原に神留り坐す、皇親神漏岐、神漏美の命以て、ひゃおよろず……」
慌てて社は祝詞を唱える。神主である親が唱えてたのをなんとなくで覚えた祝詞。神にすべての災厄を祓ってもらうための祈り。穢れである霊をなだめて、黄泉に還す言葉。
けれどあまりに動揺していたものだから、噛むことと言ったら!なんでもっと簡単な日本語にしてくれなかったのだろう。動揺と焦りで、やみくもに社は玉串を振り回した。バサバサとそれが、声の主に当たる。
「It`s hurts to stop!」
それが、そう叫んだ。今なんて?そもそも今のは……英語?どういうこと?こんなとこに、外国人の霊が出るっていうのか?そんな噂、聞いてない!
ようやくまともに見えてきた目が、人影を捉えた。逆光でまだよく見えない。けれど、少なくともあの幽霊ではなさそうだ。
「そんなにビックリする?」
困惑したような声が社に向かって放たれる。それはトンネルの奥へと反響して消えていく。しりもちをついたまま、呆けたように社はその人物を眺めた。
大丈夫、足はある。いや幽霊にだって足はあるんだけど。ショートパンツからすらりと覗く脚はいかにも健康的で、生きている人間にしか見えなかった。
そう、人間の脚。しかも、女の子の脚だ。
けれどなんで、こんなところに?
「あなたがコトブキフドーサンの人?」
そう問うセリフは少し英語訛り。声の主が軽く首を傾げた。社の正面から差す光の位置が変わり、きらりと何かが光る。
明るい茶色の瞳。金に近いような。
見た目はどうにも外国人だった。淡い金色の髪を両側で無造作にしばり、その白くて小さな顔には二の光る目。猫の目の様だった。その彼女の細めた目が、地面にへたり込む社へと向けられる。
不思議とその目に魅入られて、社は恐る恐る口を開いた。
「イ、イエス。アイムコトブキフドーサンズシャイン」
この状況に狼狽えた社が片言の英語?で答えると、
「やだ、アタシ日本語喋ってるつもりだったんだけど」
と呆れ顔で返された。
「てかシャインって何?ヒカリの方?それとも、カイシャインのこと?」
「……会社員の方です」
「だとしたら、office workerじゃない?」
「ええと、はい。それです」
矢継ぎ早に駄目出しされて、社はすっかりうなだれてしまった。なんとなく、彼にもわかってきてしまったのだ。つまり、そう。
「その、君が『期待の新人』?」
亀井社長は言っていた。日本語は喋れるらしい、と。確かに喋れるし、それ以上に英語はぺらぺらだ。だから恐らくこの子がそうだというわけで。
「キタイのシンジン?……そちらのボスがアタシのことを何て言ってるかは知らないけれど、コトブキフドーサンで働く契約はしたわ」
こっちに来てもすることがなかったから、と呟いて、彼女は社へと一歩近いた。
「アズサでいいわ。あなたがMr.ミヤモリ?」
そう言って、彼女が手を差し出した。どうやら立ち上がるよう促しているようだった。若い女の子の前で、派手に転んでしまったことに恥ずかしさを覚えつつ、社はスーツの端で自分の手をぬぐうと差し出された白い手を軽く握った。
「あ、ありがとう。僕は宮守社です」
「ヤシロサン、ね。ねえ、ヤシロって呼んでもいい?」
「か、構わないけれど」
大丈夫、温かくて柔らかい。血の通った人間の手だ。そのことに、社はなんだか安堵する。と同時に不安にもなった。なんでまた亀井社長は、こんな女の子を寄越したのだろう。
その女の子は、社の胸ぐらいしまでしか背丈がなかった。百四十センチ前後くらいだろうか。さらには、どう見たってずいぶん若い。こないだ正月に親族が集まった時に会った、いとこの千陽ちゃんと同じくらいの子に見える。確か来年は高校受験があるから大変だと叔母さんはぼやいていた。
そんな子供が、期待の新人?この子に仕事を押し付けて、ことぶき不動産を辞めてやる?
そんなこと、出来そうにもなかった!
「アズサ……ちゃん。その、亀井社長からは『お祓い課』に配属されたって、聞いてるんだけど」
お祓い課、というワードに恥じらいを感じながらも社は彼女に聞いた。照れている場合などではない。この状況を、把握しておかなければ。焦りが社の口を開かせる。
「その、君も本当に霊が見えるのかい?」
というか、単に遊びに来たノリの子だったらどうしよう。そんな不安も浮かんできた。だって、小さなビニール袋を腕に掛けただけの格好で、まるでコンビニ帰りみたいじゃないか。こんな、ふらっと来たような子が、昨日社の枕元に立ったような血みどろの幽霊の相手なんかできるのか?
いやそれより。
「それに、学校とかは?もう夏休みは終わっただろう?義務教育中なんだし、学校さぼっちゃ」
言い終わる前に思い切り足を踏みつけられた。
「もう、子供扱いしないでくれる?」
腰に腕を当て、彼女は精一杯に胸を張る。けれど身を包むぶかぶかのブルゾンが少し伸びただけだった。
「アタシはhigh school studentよ」
「高校生?」
言われれば、そう見えるような、そうでもないような。
「もうseventeenよ。子供じゃないの」
いや、高校生は立派な子供だと思うけど。齢二十七の社はそう思う。自分が高校生の時なんて、今思うと本当にくだらないことしかしてなかったクソガキだ。
それに、学校をさぼっていることに変わりはないのでは。そう社が指摘するも、
「別に授業なんて受けなくてもいいの」
彼女は涼しい顔だ。
「日本のコーコーのcurriculumはもう向こうで終わってるから」
やたらと良い発音でカリキュラムと言った彼女は、背丈に似合わず大人びた仕草で息を吐いた。
「それでも行けとか、時間の無駄じゃない?」
そう言い残し、くるりと彼女は踵を返す。
「ヒトはいつか死ぬのよ。No time to waste. だからほら、早く行きましょう」
そう颯爽と歩いていく彼女はひどく身軽で、玉串やら風呂敷やらを抱えている社とは大違いだった。そんな身一つで、本当に危ない何かが出たらどうするのだろう。
「ねえ、ちょっと。危ないよ、ここには何かがいるみたいだし」
社は慌てて彼女を追いかける。かろうじて舗装されていた地面のコンクリートが、奥に向かうにつれどんどん自然に浸食されている。かつては手入れされていたのだろうが、放置された道の両側からも緑の手が伸びていた。
ひび割れたアスファルトを踏みつけてアズサは言った。
「でも先にギョーシャが入ってるんでしょ?アタシをここに連れてきたイサミサンが言ってたわ。一般人が入れる場所だもの、怖くなんてないでしょ?」
朽ちた看板を認め、彼女は足を止めた。道が二手に分かれている。一つはトンネルから国道へと向かう道。もう一つは、すでにもうない月居村へと向かう道。
「だって」
そうだ、彼女は知らないのだ。トンネルの入り口で死んだ女が、怨みを込めていることなんて。
「大丈夫、少なくとも自分の身くらい自分で守れるわ。アタシのことは気にしないで、ヤシロは仕事して」
そんなこと、言われても。まだ彼女が何者かもわからない。正社員ってことはないだろうけど、アルバイトなんだろうか。そんな子に、仕事してと言われても。
そもそも別に、サボってるわけじゃないのだ。社は不満げに頬を膨らませる。まだ何が出るかもわからないのに、どうしろって言うんだ。
一方アズサはそんな社などお構いなしに、迷うことなく村へと続く道を進んでいく。仕方なしに社はそれに付いて行く。山の中の村だっただけあって、道はそれなりの傾度があった。
やはりここもかつては舗装されていたのだろうが、塗り固められたアスファルトはもう見る影もなく、粉々になったそれと草があるだけのボコボコとした道だった。かろうじて車が一台通れるくらいだろうか。その坂道に軽く息を切らせながら口を開く。
「そんなこと言われたって、君。ここは危ないんだよ、遊びに来たつもりなら早く」
言い返す間もなかった。
「Noisy Shut up!」
ひと足先に坂を上り切ったアズサにようやく追いついたところで、彼女が鋭く叫んだ。アズサは両手を大きめのブルゾンのポケットに突っ込む。そして。
カチャリ、と音がした。アズサが懐から黒く光るものを取り出したのだ。そして、それを彼女は高く掲げる。秋のやわらかな日差しが、それを照らした。こんな場所には、いささか不相応なもの。
「け、拳銃!?」
鈍く光る凶器。なぜこんなものを、この子は?社は混乱しつつもじりじりと後退する。伸び放題の草が社の足を絡めとる。あっという間にそれに引っ掛かり、ヤシロは再びしりもちをついてしまった。
その無防備な姿に、アズサが銃を向けてくる。
「そ、そんなの持ち込んじゃ駄目だよ、ええと、銃刀法違反!」
小さな銃口が、ひたとこちらを狙っている。かちゃり、と音がした。
ああ、なんと言うんだっけ。社はぼんやりと考える。小説でしか見ないような字面。そうだ、撃鉄だっけ。そういうのを上げる音。聞いたことなんてないけれど、多分この音がそうなんだろう。
でも、なんでこんな目に?初対面の女の子に、こんなことを?
幽霊どころか、僕は子供に殺されるのか?アズサの白い指が、引き金にかかる。社は思わず両目を固く瞑る。一体、僕が何をしたっていうんだ!
ガサガサと、草が風に揺れる音が響く。永遠にも思える一瞬。強く風が……いや、風なんて吹いていない。じっとり汗に濡れた社の額はベタベタしたままだ。
なら、今の音は?
恐る恐る社は目を開ける。そこには、依然として銃を構えたままのアズサ。その金の目が、社を……いや、違う。社より奥の、何かを見据えている。
「Is someone there? 出てきなさい!」
叫ぶアズサの声に、草が動いた。アズサが引き金を引く、その寸前で。
「ちょ、ちょっとタンマ!」
「あ、怪しいもんじゃねえっ!」
大きな声が響いた。びっくりして、社は首を後ろに回す。社がしりもちをついたそのすぐ後ろに、頭に葉っぱをひっかけた若い男が二人立っていた。ご丁寧に両手を挙げて。
「つーかマジ何なんだよ、ユーレイどころかヤバイ人間じゃん」
二人のうちの茶髪がうなった。
「なあ、やっぱこんなとこ来んじゃなかったんじゃね」
その言葉に、もう一人、ピンクの頭の方が口を引きつらせながら無理やり笑った。
「これはこれでウケるんじゃね……っと」
カチャリ、とアズサがピンクの頭に銃口を定める。その穴を見つめて、ピンクの方が慌てて口を噤んだ。
「アンタたち、何者?」
警戒の態度を崩さぬままアズサが問う。茶髪とピンク頭は困ったように顔を見合わせると、おずおずとピンクの方が口を開いた。
「お、俺はテツヤだ。こいつはタカアキ」
「名前はどうでもいい、何をしに来たの?」
「ええー、何者かって聞かれたから名乗ったのに……」
ぶちぶちと文句を垂れながら、ピンク頭が舌打ち交じりに言った。
「こんなとこに来る理由なんて決まってるだろ?ホラースポットに来てみたって映像を取りに来たわけ」
「映像?」
怪訝そうにアズサは首を傾げるが、社には何となくわかって来た。つまり。
「そ、俺たち〈マジテツヤバ〉ってチャンネルでバズってるユーチューバーなんで」
「ああ、肝試しに来た若者ってことか」
スラックスに付いた泥を払いながら社は立ち上がる。海老名刑事が言ってた。こんなところに来るのは、そういう若者くらいだと。
どうやら幽霊ではなかったようだ。そのことに社は胸を撫でおろす。まあそうだよな、こんな時間に出てくるわけないし。
「キモダメシ、って何?」
けれどどうにも理解が出来なかったのか、アズサは依然と銃を構えたままだ。
「ええと、何て言ったらいいんだろ。霊を見学しにきたというか、チキンレースと言うか」
「So, I got you.」
ようやく納得したらしい。彼女は静かに銃を降ろした。そして。
「でも、こんな明るい時間に来るものなの?」
と二人組を軽くねめつける。
そうだ、それが確かにおかしかった。それには社も同意せざるを得なかった。とにかく刺激的な画を狙うのがユーチューバーのイメージだ。本当に霊がいようといなかろうと、それらしく騒ぐのが彼らの役目なのではないのか。
だというのに、こんな明るい時間に。それとも、まさか。
「いや、夜にタカアキと一緒に車で来て……」
そう言って、ピンクの方(こいつがテツヤバことテツヤだ)は下の方へ目をやった。木々に隠れて見えづらいが、先ほど通った道の先——国道へ向かう方面の草陰に、突っ込むような、半ば隠れるような形で白い車が停まっていた。
「ってことは、ここで夜を明かしたの?」
驚きも露わに社は聞き返す。僕だったら、到底そんなことできるはずがない。
「So,crazy!」
アズサがやれやれと頭を振った。その様子に茶髪――ええと、こいつがタカアキらしい――が食って掛かった。
「ってかよ、どっちかっていうと俺らよりアンタたちの方がクレイジーだろうがよ」
こっちの方が大人しそうだとタカをくくっていた社は、その剣幕に押されそうになる。
「ヒトの声がしたから来てみたら、銃を持った女と変な葉っぱを持った男がいてよお。怪しい奴らだって思って身を隠すのも当然だろうがよ!」
それは確かに、おっしゃる通りで。気まずくなって、社はこっそり玉串をビジネスバックにねじ込んだ。
「悪かったわ」
ちっとも悪気がなさそうにアズサは詫びる。ふん、と顔をそらし、彼女は言う。
「何か、変な気配がしたから」
「変とは失礼だな、てかアンタ、外国人なのか?」
まるで品定めするかのように、タカアキはアズサの全身を眺め見る。
「中学生か?子供じゃねえか。なんで拳銃なんか」
「Not a child!」
声を荒げて、彼女は腕を上に振り上げる。その手には拳銃が握られたまま。そのままの勢いで、アズサが引き金を引いてしまった。
パァン!鋭い音が響き、鳥や虫がざわざわと逃げていく。
「うわっ」「危ない!」
銃口から弾が放たれる。それは真上に向かって発射され、緩やかに地面へと落ちてきた。乾いた薬莢かと思いきや、そこにあったのは鮮やかな緑の小さな玉。
「まさか、BB弾?」
社の口から、気の抜けた声が漏れた。なんだ、本物じゃなかったのか。てか、彼女はこんなおもちゃで悪霊に立ち向かうつもりなのか。
心配だ。社は人知れずため息をつく。そもそも本当に彼女は期待の新人、なのか?
「ふん、当り前じゃない。日本にgunなんて持ち込めるはずないでしょ」
何事もなかったかのように、アズサは拳銃、もといおもちゃをポケットへと仕舞い込む。
「なんだ、怯えちまって損した」
同じようにテツヤが肩を落とす。「子供のおもちゃにビビっちまうなんて、ダセェ」
アズサが不満げに声を上げた。
「だから、子供じゃないの。コーコーセイ」
「高校生?その割には小せえな」
「うるさい!」
振り上げたアズサの腕を軽くよけ、タカアキは鼻で笑った。
「つうか、アンタたちこそ何者なんだ?こんなところで、おもちゃなんか振り回して」
俺がサツだったら即職質レベルですけど、と剣呑な目つきで彼は二人をじろじろと眺めている。
「ええと、その」
こんな場所に、スーツ姿に玉串の男と、金髪猫眼の女の子。そりゃあ、怪しまれても仕方がない。けれど大人しく名乗ったところで、怪しさが払拭できるとも思えないけれど。
口ごもりながら、社はようやく答えた。
「ことぶき不動産の者です。その、ここにいる悪い霊を、追い払いに来ました」
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