第4話

「ってことがあったんです!絶対嫌ですからね、僕は行きませんから!」


 炊き立てご飯に味噌汁、焼き魚に温泉卵。テーブルの上には、〈ことぶき不動産様ご一行様〉の札。そこにはすでに先客がいて、社は彼らの顔を見るなり開口一番駄々を捏ねた。いや、これは単なるわがままじゃない。社はボサボサの頭をかきむしる。やっぱりこんなの、危険すぎるに決まってる!


「一緒に廃村の怪事件、解決してくれるんでしょ?」

 けれど残念ながらこの恐怖は、体験したものにしかつわからないらしい。のんびり納豆をかき混ぜながら華が言った。

「だって、昨日はあんなに張り切ってたじゃない」

「でも、廃村どころかその入り口にとんでもないのがいたんだ!」


 その後、気づけば朝を迎えていた社の部屋は、何事もなかったかのように清潔なたたずまいを保っていた。むろん布団も真っ赤に染まってなどいなかったし、社の顔だって血に濡れてなどいなかった。


 じゃああれは夢だったのだろう。そう思えたらよかったけれど、まことに不本意ながら、社はそういうものが視えるのだ。理由を聞かれたって自分にもわからない。

 強いて言えば実家が神社ではある。だからと言って、こんな力がある説明にも特にはならない。なぜなら跡を継いだ兄は全く何も視えないのだから。


 その次男坊の部屋には血の跡こそ残っていなかったが、明らかに社には心当たりのないものが一つ残されていた。

 首輪。

 直径十五センチくらいのものだった。ピンク色の小さな首輪。もちろん、犬用のだろう。まるでこれを手がかりに探せとばかりに、それは枕元にちょこんと置かれていて。


「昨日視た幽霊が、いなくなった犬を探せって夜中にまた現れたんだよ!」

 そう言って、社は小さな首輪を振り回した。

「いいじゃない、犬くらいついでに探してあげれば」

 それより社くんも早く食べちゃいな、そう急かして彼女は味噌汁をすすりだす。同じように、何事もないように亀井と鶴野はすでに食事を始めていた。


「そうじゃ、その哀れな落石の被害者を助けてあげると思えばいいじゃろ?」

 味付けのりで器用にご飯を巻きながら亀井は言う。

「そうか、可哀そうに。それであんなところで亡くなっていたんじゃなあ」

「いや、明らかにおかしいでしょう。犬を探しに来たって、あそこまでどうやって来たって言うんです?近くに車なんて停まってましたっけ?」

 社の記憶が確かならば、そんなものはなかったはず。だというのに彼女は、なぜあんなところにいたのだろう。


「まだ身元は分かってないみたい」

 頬をご飯で膨らませながら、華が器用に喋る。

「あそこまでどうやって来たのかも。犬を飼ってたかもわからないけど」

 でも本人がそう言ってるんだからきっと飼ってたんでしょ、と彼女はごくんと食べ物を飲み込んだ。


「手掛かりにはなるかもね。遺体を調べれば、犬の毛くらいついてそうだし。犬を飼ってたってことは、この辺りに住んでるか、あるいは車でこっちに遊びに来たのか」

「そうですわね、その逃げた犬を見つけられれば、多少は身元の特定につながるかもしれませんし」

 華の言葉にうなずきながら、鶴野がお新香に箸を伸ばした。

「探してあげればいいじゃないですか。べつに支障はありませんでしょう?まだその犬が見つかっていないというなら、トンネルの先に迷い込んだ可能性は高い。別に探そうとしなくても、見つかるんじゃありません?」


「でも」

 言いかけて、社は思い出す。そうだ、僕はいつも嫌な事ばかりしっかり覚えている。昨日聞いたばかりの、トンネルの先にまつわる不吉な事件。確か、あの資料には。

「だって、犬にかみ殺されたような遺体だって見つかってるんだろ、そのトンネルの中で」


 その被害者は、五海老といったか。たぶんゴエビと読むのだろう。海老名刑事の顔を思い浮かべながら、このあたりの人は海老が好きなのかと社は思った。その哀れなゴエビさんは、犬にがぶりとやられてしまって。


「もしかして、その犬がこの首輪の持ち主で……」

 これに触れてはいけないとばかりに、社は首輪をテーブルへと置いた。それを無造作に手に取りまじまじと見つめながら、

「落石の被害者がけしかけた、とでもいうのかの?」

 と亀井が社の言葉を継いだ。

「運悪く死んだ後も悪霊になってあのあたりをうろついて、恐ろしい魔犬を操っている、とでも?」

「その可能性は高いでしょう?」


「けれどのお」

 首輪に何かを見つけたのか、それを凝視しながら亀井は言う。

「しかしこんな小さな首輪じゃろう?しかもほれ、ここに名前が」

 どうやら首輪には、小さく文字が描かれていたらしい。筆記体のアルファベットで瀟洒に書かれていたのは、『Petit』という綴り。


「プティ……フランス語で、小さい、の意味ですわ」 

 同じくその字を眺めながら鶴野が言った。

「どう見たって小型犬ですわね」

 ピンクの首輪に名前がプティ。確かに、とても恐ろしい魔犬の名とも思えない。いや、でもそう油断させて、こうガブリと。


「例えばチワワやトイプードル。ポメラニアンやダックスフント。そんなかわいい犬たちが、人間をかみ殺すとでも?」

 鶴野がさらに言い立てる。社の頭の中で、キャンキャンと小型犬らが戯れ始める。いや、でも小さくても犬は犬だ、あの鋭い牙で噛みつかれたら。

 痛いには痛そうだけど、死ぬほど噛んでくるのだろうか。あんな小さな顎で、ヒトの肉など噛み千切れるのだろうか。


「じゃあなんで、見つけないとみんな死ぬだなんて言ってきたんです」

 返答に窮して、社は違う方に矛先を向けた。確かあの霊は、そんなことを言っていた。

「そんなこと言われたの?」

「そうだよ華ちゃん。犬を見つけてくれないと、みんな死んじゃうって。それってつまり、それだけ凶暴な犬が逃げたってことだろ?」

「そうねえ。犬を見つけてくれなくて飼い主が怒るだけなら、なにもみんな殺すんじゃなくて、一生懸命探さなかった社くんだけ殺せばいいんだもんねえ」

「え、なんで僕が殺されるんだよ」

「だって幽霊のお願い聞かなかったら、一番恨まれるのは社くんでしょ?」


 華に見つめられ、社はたじろぐ。そういや前に、自分がなんで死んだのか調べないと殺すって脅されたことがある。あの時もかわいい女の子の霊だった。今回も……。


「つまりは犬を探せばいいわけじゃろ」

 あっけなく解決策を提案したのは亀井だった。

「そのためにもやはり、トンネルの先には行ってもらわんと」

「ええーっ」

 社の口から素っ頓狂な声が漏れる。亀井社長の言うことも尤もだけど、自ら危険な場所になど行きたくない彼は精いっぱいの抵抗を見せる。


「でも、中は幽霊がうじゃうじゃしてるんじゃないですか?いや、わからないぞ、だって何人もいなくなってるんでしょう?そんなとこ、僕だけじゃ」

 祓いきれませんよ。そう続けようとしたところを亀井に遮られた。

「大丈夫じゃ。昨日も言ったじゃろう?強力な助っ人がお祓い課に入ったんだからの」

「そう言いますけど、そんな人来てないじゃないですか。大方適当なことを言って社長に取り入って、やっぱり怖くなって来なかったんじゃ」

「いや、もう来とるんじゃ」

 箸を置くと亀井は隣の秘書に声を掛けた。

「のお、鶴野君」

「ええ。市役所の方が先に案内してくださったみたいですわ」


 同じくいつの間にか食事を終えた鶴野が、ちらりと腕の時計に目をやると答えた。

「もうトンネルの先にいらっしゃるはずですわね」

「やる気も十分じゃろう?先輩として、君も頑張ってくれたまえよ」


 先輩。僕にもようやく後輩が出来るのだろうか。嬉しいと思う反面、どうしようという思いが交錯する。そんなやる気満々な後輩も、ちょっと面倒と言えば面倒だ。かといって、まるっきり手伝ってくれないのも困るし。


「ほれ、ぼんやりしてる暇はないぞ、九時にはここを出るからの」

 そう言われ、壁に掛けられた時計を見上げる。九時まであと十分

「えっ、ちょっと、まだ僕朝ごはん食べてない」

「呑気に寝坊してるからでしょ。ほら、まだ寝癖ついてる」

 ふふ、と笑いながら華が社の頭を撫でた。いや寝坊したのは霊のせいだし、でもちょっとラッキー、なんて思ってる場合ではなくて。


「まだ寝間着のままなのは君だけじゃぞ。いいから早く準備せい」

 亀井にせかされて、社は慌ててご飯を掻きこんだ。

 くそう、やっぱりこんな会社辞めてやる!その後輩とやらに、仕事を全部押し付けて。絶対そうしてやるんだから!

 社は不満とともに米粒を飲み込むと、急いで出る準備に取り掛かった。  

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