第35話
とはいえ、これはちょっとなあ。
着込んだ装束を見下ろして、社はため息をついた。
アズサとは反対側の、薄暗い部屋だった。広い平屋造りのこの建物は、応接間を挟んでいくつかの部屋があった。住人の個室だったのか、あるいは来客用の部屋だったのか。どのような使われ方をしていたかはもうわからない。部屋の中はがらんどうで、ヒトが住んでいた形跡を感じない。
その部屋の中央で、社は渡された風呂敷を開いた。中には草履や足袋に飽き足らず、まさかの下着と靴下まで入っていた。
まるで、全身ずぶ濡れになることを予見してたみたいに。
不本意ではあるが、とはいえ実にありがたかった。全部着替えて、ようやく身体が温かさを取り戻してきているのを感じて社は一息つく。そして、冷静にもなった。
これからこの格好で、こんな神社以外で着たらただのコスプレみたいな恰好で過ごさなければならないのか。社は気が重かった。
玲夏や銭谷らは何と言うだろう。神成なんて、きっと馬鹿にするに決まってる。
とはいえ、もうあんなびちょびちょの服を着る気にもなれない。
なかなか部屋から出れずに社がうなっていると、同調するかのようにスマホがうなりだした。華からの着信だ。
そういえば、草刈の遺体を見つけたことをまだ報告していなかった。こうも立て続けに遺体を見つけてしまっては、あまり逐一報告する気にもなれなかったのだ。
なにより、スマホの電池がもう風前の灯火だ。まあアズサも持ってるはずだから、何とかなるとは思うけど。
その油断から、社は通話ボタンを押してしまった。
『もしもし、社くん?雨すごいけど大丈夫?』
第一声は、社を心配する声だった。その声にほっとしながら社は軽く返す。
『あまり大丈夫じゃないかな』
正直に言えば、あまりどころか全然大丈夫じゃないのだが。
『装束、渡しといて正解じゃったろう?』
電話の向こうで得意げに亀井社長が騒ぐ声が聞こえた。それがなんだか腹立たしい。社は騒音を遮るように言った。
『雨もなんだけど、また被害者が出ちゃって』
『もう、いい加減にして!』
電話の向こうで、華が崩れ落ちる姿が目に浮かんだ。気持ちはわかる。もう五人目だ。連続殺人事件だとしても、同じ日のうちにこうも人を殺すものか。夏休みの宿題じゃないのだから、もっと計画的にやるべきなのでは。
『亡くなったのは、草刈さん。下の名前は小次郎、って言ってたかな。草刈造園の人らしい。社長、ではないみたいだけど。そうそう、この村に昔おばあさんが住んでたって言ってた』
『草刈さんね。草刈造園に問い合わせてみる。まあ、本人に間違いないだろうけど』
光や水谷は、結局どこの人だかまだわかっていないらしい。それもこれも、彼らの所属を把握しているイサミが姿を消してしまったためだ。けれど、草刈に関しては自身でそう名乗っているのを社は聞いている。まず身元は間違いないだろう。
とはいえ身元が分かったところで、すべてが万事解決するとも限らない。遺体の猟奇的な様から社は怨恨の線を一度は疑ったものの、そう都合よく恨みを持つ人間を集められるものか。
唯一可能なのは業者の手配をしたイサミだろうが、彼女は金を狙われることを危惧することはあれ、わざわざ隠した場所に呼び寄せて、殺す必然性がわからない。
それとも実は彼らはイサミとグルだった?そうも考えてみるものの、そうなると草刈の行動に説明がつかない。草刈がイサミの仲間だったとしたら、わざわざ声高に金を探していると言わないだろう。まして、銭谷を引き入れたりしない。
考えることを諦めて、社は口を開いた。
『草刈さんは、腕から先が千切れてた』
鮮明にその姿を思い出さぬよう気を付けて、状況を説明する。
『やっぱり近くには五味がいて、そいつはすぅって消えてしまって』
『じゃあつまり、その人が悪霊で、すべての事件の犯人、というか犯霊なの?』
『わからないんだ。そうなると、今度はいつ五味が死んだのかって問題が生まれちゃって』
まるで、卵が先か、鶏が先かみたいに堂々巡りしてしまう。
『五味も、誰かに殺された?』
『わからない。それに、五味以外にも怪しいのがこの山にはたくさんいるんだ。死んだと見せかけたタカアキとか、行方不明のイサミとかが』
その言葉に、怪訝そうに華が言った。
『イサミさん、そっちにいるの?』
『あくまで推測だけど。トンネルの外にイサミがいない以上、ここに隠した金を僕らから守るために、トンネルが崩れる前にここに来てたっておかしくない。ほら、アズサを送って帰るふりをして、実はこっちに侵入したのかもしれないし』
『うーん、イサミさんがねえ』
けれど納得が行かないのか、華の返事はひどく間延びしていた。
『そういや、イサミが不正を働いて利益を得ていたって情報、何か掴めた?』
『無茶言わないでよ。そんな簡単に不正を暴けてたら、そもそもイサミさんはすぐに捕まってたわよ。しょせん地方の警察署に、そんな巨悪を追えるほどの機動力なんてあるわけない……いえ、みんな一生懸命やってるんですけど、物理的に無理と言うか』
話の途中で急に口調が変わったのは、もしや彼女は今太子警察署にいるのだろうか。だがしかし、彼女の言うことも尤もだ。アズサがうるさいオバサンと称した彼女が本当に悪事を働いていたとして、ちっともそれと気づかれなかったのは、相当にうまく手を回したに違いがないのだから。
『とにかく、金の方はあまり期待しないで。それより、早くそこから社くんたちが出られるようにしないと』
彼女はそう言ってくれるが、けれど状況は絶望的だ。こんな雷雨の中、ヘリなど飛ばせるはずがない。早く止んでくれることを祈るしかないが。
そう思わず天を仰いだところで、ピシャリ、と雷が落ちる音がした。
『……これじゃあ、どうやったって』
諦めの声を漏らしたところで、雨が建物を打ち付ける音とは別に、何かが聞こえた。
これは、雷の音じゃない。なにか、生き物が鳴くような――。
ワオーン……
『い、犬だ』
怯えたように社はあたりを見回した。玲夏が見たという犬。今のはそいつの鳴き声なのか?そいつは気配だけは感じるのに、いつも姿を見つけられない。少なくとも、社は一度も見ていない。まるでこの辺りを漂う違和感のように、正体を暴けそうで暴けない。
その犬は、本当にただの犬なのか?やっぱり、僕が最初予測したように、そいつは人を襲う魔犬で――。
『やっぱり、犬の呪いなのかな』
ぽそり、と社は電話口に呟いた。犬。草刈だってテツヤだって、いや、今まで見て来た遺体全部、まるで犬に噛みちぎられたようだったじゃないか。
なにも、哀れな被害者はそれだけではない。少し前にも、同じように亡くなった人がいる。トンネルでタカアキとすり替えられていた、村上啓。その友人で、犬尾唯の霊が探している犬の飼い主だった人物。
『ゴエビさんも、犬に噛み殺されたって言うし、やっぱり』
怯える社の声に、華がこの場にふさわしくない、少し間の抜けた声を上げた。
『ゴエビさんって、誰?』
それがあまりに拍子抜けした様子だったので、社は唇を尖らせる。誰、って。そもそも彼女が調べてくれたんじゃなかったのか。
『華ちゃんの資料に載ってただろ?トンネルで飼い犬に噛み殺されたっていう――』
そこまで言われて、ようやく彼女も思い出したらしい。
『ああ、市の職員だった人ね、違うよ社くん、海老じゃないよ。確かに似てるけど』
そう言って軽く笑って、
「その人は、ゴエビって読むんじゃなくて――あ』
華が何かに気づいたのか、電話の向こうで鋭い声を上げた。
『そうだ、このひとも、』
彼女が何かを言いかける。けれど間が悪く、急にスマホがビービー鳴り出した。
『え、何?華ちゃん?』
ったく、なんだよもう!どうしたんだ僕のスマホは!
二秒ほどけたたましく喚いたと思えば、すっと音が鳴り止んだ。これ幸いに社はスマホを再び耳に当てる。彼女は何かに気が付いたのだ。何を?
『華ちゃん、聞こえる?ねえ』
けれど、華が口を開くことはなかった。いや違う、沈黙したのはスマホだ。
すべての力を出し切って、彼(彼女?)は必死に今までの記録をとどめようと、ぐるぐると画面で弧を描いている。そして、それはあっという間に真っ黒になってしまった。
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