第34話

「ここなら多分大丈夫です、中へ」

 哀れな遺体をそのままに、一同は雨を避けるため近くの建物へと避難した。行方不明者を探した際に、銭谷たちのチームが確認をした建物だった。

「部屋数が多かったので苦労しました。結局、誰もいなかったんですがね」


 彼の言う通り建物の状態は上々だった。隅の方で雨漏りはしているが、廃村となって四十年だ。朽ちた他の建物に比べれば、今の社たちにとっては新築の豪邸にすら思える。

 今彼らがいるのは、玄関からすぐの部屋だった。時代を考えれば畳が一般的だったろうに、この家はハイカラにもフローリングを敷いていた。そこを土足で歩いて行き、正面にあった応接間のような場所に彼らは立っていた。かつては優雅な場所だったのだろうが、室内にはほとんど物がなく、あるのはやけに大きなソファだけ。

 ゆっくりと腰を落ち着かせることが出来ればありがたいが、とにかく疲れたと騒ぐ神成がその上に座ると、あっけなく座面が破けてしまって使い物にもならなかった。


「広い家かあ。村長の家とかだったのかな」 

 幸いに窓ガラスも健在だが、天候が崩れて中はひどく薄暗い。電気が点くはずもなく、応接間内をそろそろと物色しながら玲夏が言った。

「あ、懐中電灯。使えるかな」

 部屋の隅にそれはあった。いやに大きな懐中電灯。公民館で見かけたものと同じような作りだった。土地柄、これはどこの家にもあったのかもしれない。外にはさほど灯があるようにも見えなかった。夜間の移動には必須だったのだろう。けれど彼らはここを捨て、都心部へと移動していった。重い明かりは不要となったのだ。

 カチ。硬そうなスイッチをひねって、一筋の光が生まれた。その光に一同は安堵する。やっぱり、暗いのは不安だ。明るくなったからと言って、なにも問題は解決してはいないのだけど。


「そうなのかもしれませんね」

 もはやびちょびちょになってしまった地図を取り出しながら銭谷が言った。

「確か草刈さんが言っていました。最終的にこの辺りを治めることになった竹内氏の血縁の方が、代々村を治めてたみたいですよ」

「ああ、それがMr.クサカリのオバアサン?」

「そんなこと言ってたな」

 言ってたっけ?社は良く思い出せなかったが、どうやら草刈の祖母がこの家の人間だったらしい。その近くで、偶然にも草刈は殺されてしまった。

「しかし、廃村になっちまった故郷で、こんな目に遭って」

 あいつも、うるさい奴ではあったけど可哀そうだったな。軽く頭を払い、犬みたいに水けを飛ばしながら玲夏が呟いた。

「あのおっさんがしきりに跡継ぎがどうとか喚いてたのは、あたしにじゃなくて自分自身に言い聞かせてたんだな」


 俺が最初から跡を継げば良かったんだ。そう彼は声高に叫んでいた。その執念から単独で幻の金を探しに行ってしまって、それで。

「そんなこと言ってたのか?」

 ずい、と森が身を乗り出した。

「ああ、アタシが女だから跡を継がせてもらえないんだろとか、長男が家業を継ぐべきだとか。別にアタシが跡を継げないのは、女だからって理由じゃないのに」

 継げない。そう彼女は言った。けれどあの時、継ぎたくないと言っていたはずだ。社はあのうんざりする会話を思い出す。でも本当は、彼女も家業を継ぎたかった?


「お嬢、お前」

 不安そうに森が口を開く。厳つい顔の大きな目が、威厳を失い泳いでいる。何か、彼は知っているのだろうか。そりゃあ、知ってるに決まってる。森は建部組の親父の腹心なのだから。

「あの親父はそりゃあ、あたしに跡なんか継がせたくないだろうね」

 ちらと森の方を見て、そして玲夏はうつむいた。

「けどまあ、あたしは草刈のおっさんほど、家業のことを熱心に思ってるわけでもないから」

 そう呟いて、彼女は軽く笑った。


「草刈のおっさんも可哀そうに。自分を見放したのに、それにずっと縋ってて。結局報われないまま死んじまった。一体、誰に殺されちまったんだか」

「玲夏……」

 立ちすくむ森を置いて、話題を変えたいとばかりに彼女は家の奥の方へと歩んでいく。

「何か身体を拭くもん探してくるよ」 

「アタシも行くわ」

 濡れた金の髪を絞りながらアズサもそれに付いて行く。女性二人で行くことに不安を覚えたが、かといって自分が付いて行ったところで、アズサの役にも立たないだろう。


 ああ、僕は何しにこんなところに来たんだか。

 自嘲気味に二人の背中を見送っていると、 

「しかし、どこからどう見たって五味が殺したんでしょうに」

 と銭谷が口を開いた。

「最初から怪しいと思ってたんです。アイツはまるで亡霊だ。アイツが悪霊と化して、人々を殺して回ってるんですよ」

 彼は語気も荒く主張する。が。 

「五味さんが幽霊になったのだとしたら、前提として亡くなっているはずです」

 思わず社は口を挟んだ。一番わからない点。五味はいつ誰に殺された? 

 生霊、というパターンもなくはない。が、さも生霊を生きた自分と見せかけるのは難しいように思われる。姿を見せるくらいならともかく、近くで話したりなどできっこない。


「で、自分を殺した奴を探して彷徨ってる、と」

 さすがの森も疲れてきたのか、どっかりと床に腰を下ろすとそう呟いた。

「光や草刈があいつを殺したのか?んなわけねえだろ」

「あなた方がみんな一緒にここに来たなら、そんな時間はなかったはずです」

 ここに来てからのことを思い出しながら社は言った。

「僕たちが小屋に行った時に会った五味さんは、少なくとも生きているように見えた。その後、草刈さんはほとんど僕たちと一緒だった。離れて五味さんを殺すのは難しい」

「アンタたちだって、俺たちだってまあ似たような状況だしなあ」

 そう言って森はにやりと笑った。

「あるいは、途中から合流した奴が……」

 そう言って、ちらりと視線を神成に投げた。


 確かに彼なら。後から合流したと言い訳して、実は先にここに来ていて。

 五味や光、水谷を手に掛けることは可能だったはずだ。

「ちょ、勘弁して下さいよ」

 神成がジャケットの裾を絞りながら、迷惑そうにうめいた。

「仮にそうだったとしてもっスよ?」

 びちゃびちゃと、服が吸った水が床を流れていく。それを踏みつけて神成は続けた。

「数時間早めに着いて山ん中に隠れて、誰が来るかもわからなのにそれを待ち構えて殺す?しかも、顔を削いだり、手足をちぎったりなんかして。そんなの、時間が掛って仕方がない。それにあの死体の状態。どう考えたって不自然っしょ。今日殺された割には鮮度が低いっつーか」

「鮮度って、魚や肉じゃないんだから」

 げんなりしながら社は返す。けれど、確かに神成の言うことも尤もでもある。どの遺体も、人間が手を下したと思いたくなかった。強いて言えば、テツヤの遺体だけはいやに生々しかった気がする。


 けれどわざわざ遺体を入れ替えたり、一度姿を消させて違う場所に出現させたりと、よくわからない手が込んでいて、そこが理解できなかった。それに、凶器だって見つかっている。霊がナイフを使い、それをわざわざ隠すだろうか。

「さっきの宮守さんの話じゃないですけど」

 まずは身体を拭くべきだろうに、やはりメガネを執拗に拭きながら銭谷が言った。

「五味さんに、何か悪霊が憑りついているという可能性は?」

「無くはないですけど、あの様子じゃ」

 あの姿は幻視なのか。そう見えるように霊がしているなら、その可能性はある。けれど、生きた人間を効率よく使いたいならば、生きているように見せかけた方が得策だ。


 よく、あからさまに憑りつかれている人間は、大概人間以外のものに憑かれていることが多い。だから生きた人間が普通はしないようなことをしてしまう。

 だが五味は、そうには見えなかった。ただあの朽ちた肉体。見た目は死者そのものだった。

 五味が死んで霊になって、それで一連の殺人を行ったのだろうか。あるいは、姿の見えないイサミやタカアキ。実は彼らは皆グルで、残りの人々を殺そうとーー。


 そんなことまで考えたところで、雨がザア、と建物を打ち鳴らした。さらに雨脚は強くなったようで、遠くでゴロゴロと雷が鳴っている。

 一瞬窓の外が明るくなって、すぐに消えた。ピシャン、と空にヒビが入る音が響く。いよいよもって状況は芳しくなかった。これじゃあ、いくら茨城県警がその気になったとしても、ヘリを飛ばすのは不可能だろう。

「まいったな、こりゃ」

 森がぼんやりと窓の外に目をやった。廃墟の曇りガラスは雨に打たれてビリビリと震えている。よくもまあ、今まで割れなかったものだ。その頑丈さに感謝する。


「とりあえず、丈夫そうなところに逃げ込めて良かったですね」

 銭谷がため息をついた。不幸中の幸いではある。とはいえ、この先僕らはどうなってしまうのだろう。

 社は濡れた身体を両腕で抱え込んだ。こんな天気の中で、人々を殺した犯人はどうしているのだろう。幽霊なら雨でも晴れでも関係ないだろうけど、もしイサミやタカアキが実は殺人鬼だったとしたら、彼らもどこかで雨を凌いでいるのだろうか。


 しかし、それにしたって寒い。もともと涼しかったけれど、雨が降り始めて気温が下がっているようだった。いや、単に日没が近いのか?早くなんとかしないと――。

「へ、っくしゅん!」

 そこで盛大に鼻水が出てきてしまって、慌ててシャツの袖で鼻を拭う。やばいぞ、そもそもこのままじゃ風邪をひいてしまう!


 そう思った矢先、

「古いけど、タオルがあったわ。あまり使う気にはなれないけれど」

 と、帰ってきたアズサに、埃っぽくて何やら臭う布を渡された。どうやら二人は首尾よく目当ての物を探し出したらしい。

「少なくとも濡れたままよりいいだろ」

「と言っても、これしかなかったんだけど」

 申し訳なさそうにアズサがタオルを広げた。フェイスタオルが三枚。そこからひらり、と何かが舞い落ちた。古い紙の様だった。

「なんだ、これ」

 それを拾い上げ、社は懐中電灯の光を照らす。茶色くくすんだ和紙が蛇腹織りにされていた。恐る恐る、破らないように広げてみる。まるで地図みたいな。


「廃村になる前の地図ですかね」

 興味深そうに銭谷がそれを覗いた。

「にしても、ずいぶんと古そうではありますが」

 銭谷とともに、社も良く目を凝らしてみる。どうやらこの山全体の簡易的な地図のようで、その中に薄くなった墨で何かが描かれている。ひどく達筆で、つまり達筆すぎてなんと書かれているのかが読めない。

「袋……宝?」

「誰かの部屋の、タンスの底の方に入ってたんだけど」

 それを眺めながら玲夏が言った。

「他には古い着物が入ってたけど、あんまり水を吸いそうにもなかったし」

 着物に着替えたって仕方ないしなあ、と玲夏は残念そうだった。 

 どうりで嗅いだことのあるような匂いがするわけだ。果たしてこのタオルは、何年タンスで熟成されたのだろう。虫とかついてそうな気がする。

 とはいえ、この状況で贅沢は言っていられないのだが。


「宝、ねえ」

 変わらず胡散臭いものを見るような目つきで神成が言った。

「これが、草刈さんと銭谷さんが探してる宝の地図なんスか?」

「まさか」

 興味深げに古地図を眺めていた銭谷ではあったが、けれどあり得ないとばかりに首を鷹揚に横に振った。

「そんな昔話より、残念ながら不正に得た金が眠ってる方が現実味がある。とはいえ、それだって夢物語だったのかもしれませんが」

 乾いた笑い声を立てて、銭谷は和紙から目を離した。

「誰かが面白がって仕込んだイタズラでしょう。それより、一枚お借りしても?」

 そして、アズサの手にあるタオルに手を伸ばす。そうだ、呑気に話してる場合じゃない。このままじゃ風邪をひいてしまう。古地図をとりあえず風呂敷の中に突っ込むと、社はタンスの匂いも芳ばしいその布で思い切って頭を拭いた。


 あまり水を吸わなかったが、それでも幾分かはマシになる。けれど、身体はまだびちょびちょのままだ。服の上から拭くだけじゃなあ。

 先に貸してもらったのに不満げな社を置いて、アズサは最後の一枚を玲夏に手渡した。

「レイカサン、先に使って」

「え、いいよ。あんたが先に使いなよ」

「いいの、ちょっと、アタシは時間が掛ると思うから」

 もじもじとアズサが言う。確かにこれは、一度服を脱いだ方がいいかもしれない。タオルを受け取った玲夏は、豪快に頭をごしごしと拭いていた。もわっと、酸っぱいような匂いがあたりに舞う。


 うーん。タオルを神成に渡しながら社は考える。

 誠に不本意ではあるが。

 濡れたシャツを肌に張り付かせ、社は恨めし気に風呂敷を睨んだ。この中に着替えが入ってはいるけれど。一人だけあんな格好なんて、浮くに決まってる。とはいえびしょ濡れで寒いのは事実だし、こんなところで見た目を気にしている場合でもないし。

 いやいや、けれどこんな山の中だ、神聖な装束を汚すわけにも。


 逡巡している間に、早くも玲夏が自分のタオルをアズサに手渡した。

「もういいの?」

 渡されたタオルをにぎって、困惑したようにアズサが言う。

「ちゃんと、拭けてないんじゃ」

「そうかな?アタシは大丈夫だと思うけど」

 キョロキョロと自分の身体に目をやって、玲夏がくるりと一回りした。ふわり、と明るい色の髪が空に浮かんだ。

「ほら。髪も短いしさ、それに比べてアンタは大変でしょう。早く拭いてきな」

「So, Thank you.ちょっと服を脱ぐから、奥に行ってくる」

「着替えでも持って来たの?」

 まさか僕みたいに、除霊するのに正装でもあるのだろうか。期待を込めて社は聞いた。もしそうだとしたら、僕だけ浮かなくて済むけれど。

「そうじゃないけど」

 けれど返ってきた答えは、社の期待していたものではなかった。

「服の下にいろいろ入ってるから」

 いろいろ。何が入っているのだろう。確かに身体に対してぶかぶかだとは思った。まさかあのオモチャの銃はフェイクで、実はちゃんと本物を持ってたりして。


 なんて思ったところで再び盛大なくしゃみ。へっくしゅん!

 ああ、こりゃだめだ。社は観念した。濡れたシャツが肌にまとわりついて気持ち悪い。拭いただけじゃちっとも変わらない。よくもまあみんな、平気そうな顔をしているものだ。

「ちょっと僕も、着替えてきます」

 風呂敷を抱きかかえ、社はちらと人々に目をやった。

「その、着替えた姿を見ても、笑わないでくださいね」


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