第36話
こんな間が悪いってことあるのか?
社は思わず膝をついた。あまりにも、狙ったかのようなタイミングで。まさか霊が意図的になにかをしたのか?慌てて社はあたりを見回した。けれど、何かが居る気配はない。
そうだ。電池が切れたのは、僕が無計画に使ってしまったからだ。次からは、必ず充電器を持つようにしよう。
って、次なんかあってたまったもんじゃないのだが。
とはいえだ。社は思い直す。まだ、外部との連絡手段が絶えたわけではない。アズサのスマホが生きているはずだ。
そうだ、彼女は身体を拭き終わっただろうか。事情を説明して、亀井社長に連絡を取ってもらおう。華は社長と一緒に居るはずだ。あるいは、すでにアズサの方に社長から連絡が来てるかも。
そう考えて、社は部屋を飛び出した。ええい、今は僕のこのコスプレまがいの格好についてどうこう言っている場合でもないはずだ。電話の先で、この状況を打破する情報を得られるかもしれない。華は何かに気づいたのだ。
「アズサちゃん、いる?」
再び居間に駆け戻る。そうは言っても誰か笑うかな、という社の危惧はあっという間にかすんでしまった。
「ヤ、ヤシロ。その、アタシは何も」
そこには、なぜか狼狽えた様子のアズサが立っていた。その姿はいつものふてぶてしい態度と大きく違って、更に一回り小さくなったように見えた。
「どうしたんですか?」
そのアズサの周りを、険しい顔つきで森と玲夏、それに神成が囲んでいる。どう見たって、ただならぬ雰囲気の様だった。
「あのメガネのエリート気取りが消えたんスよ」
口を開いたのは神成だった。
「銭谷さんが?なんで?」
こんな雨の中、一人で出て行ったというのだろうか。やっぱり金を諦めたなんて言うのは嘘で、一人で探しに行ったのか?
「まさか、あの古地図をもとに、まだ宝探しを続けようってんじゃ」
そう早合点して社は言った。いかにも興味がなさそうにしていたけれど、実はあの地図こそが彼らの探していた金の手掛かりで。
けれど、どうにもそうではなさそうだ。だって、それでなんでアズサを、まるで睨むようにして囲う必要があるっていうんだ。彼女は、何をした?
「それが、その」
言いにくそうにアズサが口を開いた。
「あの人が、アタシに」
アズサが何かして、銭谷が出て行ったというのか。けれど、銭谷は僕にはともかく、彼女に対しては猫っ可愛がりだったじゃないか。お人形みたいでかわいいと、にこにこと見つめてて。そのアズサが、銭谷が出ていくきっかけを作ったとでも?
「どうしたっていうんだい?」
けれど返ってきた答えは意外なものだった。
「触ろうとしたから、それで」
「触る?」
善意で雨に濡れた身体を拭こうとしたのか?まるで本物の猫みたいに?
けれど小さくても彼女は高校生だ。いや、仮に小学生だろうが中学生だろうが女の子は女の子。下手に触って、セクハラと訴えられて困るのが銭谷や社みたいな男性なのでは。
「それで?」
「……わからないの、そのまま、消えちゃって」
「消えた?」
わけがわからなかった。触っただけで人間が消えるものか。いや、もしかしたら、彼女のあの不思議な力で?
「さっき五味に風を飛ばした時みたいに、何かした、とかじゃねえよな?」
恐ろしいものを見るかの目つきで、おずおずと森が問う。
「うっかり、超能力で消した、なんてことねえよな?」
なわけねえよな、といいながらも、じりじりと森はアズサから距離を取っている。
「あんたがそんなことするなんて思えないけど」
そう言いながらも、やはり玲夏もアズサを怯えたような目つきで見ていた。
「だって、生きてる人間を消すなんてこと。ああ、そうだ。まさか銭谷がユーレイだった、なんて」
冗談交じりに彼女は言う。
「いや、それは」
どうなんだ?念力で生きた人間一人、消すことなんて可能なのか?
そんな恐ろしい力が彼女にあるのか。霊は肉体を持たない分容易いだろう。けれど物理的にヒト一人の肉や骨を、きれいさっぱり消し去るのは大変なはずだ。
「ありえないよな、だってあいつだって、最初からずっとあたしたちと一緒に居て、ちゃんと生きた人間で――」
そこまで言いかけて、ふと玲夏が口を噤んだ。そして、不思議そうに自分の手を見やった。
「あれ、あたしたち、なんで」
「おい、お嬢。どうしたんだ」
動きを止めた玲夏を心配して、森が彼女に駆け寄る。草刈の言葉じゃないが、確かに騎士さながらだ。姫の身を守るナイト。職場の上司の娘にそこまでするものなのか。
「ねえ、おかしいよ。だってあたしたち、銭谷と草刈と、いつから?」
呼吸を乱し、玲夏が叫んだ。
「いつから一緒だった?」
「いつからって、今日の朝からに決まってるだろ?」
森が顔をしかめるが、玲夏は取り合わない。
「今日?今日って、いつ?」
「おい、どうしちまったんだ。とりあえず落ち着け」
森が玲夏の手を握りしめた時だった。
ワオーン……ワン、ワンッ。
その鳴き声は雷雨をかき分けてひどく明瞭に聞こえた。すぐ近く、この建物のすぐ外に居るかのように。
「そうだ、あたしたち」
ふらふらと、玲夏が森の手を離して歩き出す。まるであの犬に呼ばれたように、出口を目指して歩いて行く。
「おい、どうしたっていうんだ、玲夏!」
するりと手を離した玲夏を、森が慌てて追いかける。そして、その肩を掴もうとしたところで、
「ごめんね」
そう儚く笑って、森の手から逃れるように駆けだしてしまった。天が怒り狂う外へ。雨が容赦なく地面を打ち付けて、白くけぶって視界が悪い。その中に、あっという間に彼女は溶けて行ってしまった。
「おい、玲夏!」
森が続いて建物から飛び出した。
「玲夏!」
叫んで、彼も雨の中へ消えていく。
「ちょ、ちょっと!」
追いかけようとして、社は逡巡する。ああもう、せっかく着替えたのに、またびしょ濡れになるのか?
とはいえ濡れるから嫌だと、彼らを追わない選択肢はなかった。
「I`ll chase them.」
アズサが言って、悪天の中に躍り出た。仕方なく、社もそろそろと外に出る。ああ義姉さん、一張羅を汚してすみません。けれど、人命がかかっているもので。
「ええ、俺イヤっスよ、外に行くの」
神成が玄関先で口をとがらせる。わかってるよ、僕だって嫌だけど。
「けど、一人じゃ危ない。一緒に来てくれないと」
雷鳴に負けないよう社は声を張り上げる。ワオーン。例の犬の声が、遠のいていく。きっと玲夏はあれを追いかけている。そんな気がした。これ以上遠くに行かれたら、追いかけられない。
「早く、あなただって危ないんだ」
「別に、俺は一人でも」
だるそうにそう言いかけて、けれど何か思い直したのか、結局神成は渋々と建物から外に出ると薄く笑って言った。
「そうだった、一人だと危ないでしたっスね。こわーい悪霊がいるんスから」
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