第37話
幾分か雷鳴はなりを潜めてきて、上機嫌な猫のようにゴロゴロと喉を鳴らすくらいになっていた。だが雨脚は依然として強く、容赦なく社らの全身を濡らしていく。
「今、聞こえたわ」
視界が悪い中、彼らを導く唯一の頼みは鳴き声くらいのものだった。
ワオーン……。
まるでこっちにおいでと誘うかのように、つかず離れず、犬の鳴き声が聞こえていた。
「でも、もしあの犬こそが恐ろしい魔犬でさ」
社は前をゆくアズサに話しかける。
「こうやって僕らを誘い出して、殺そうとしてるんじゃ」
そうだ、この犬の鳴き声が玲夏のもとにつながる確証など何もないのだ。まんまと僕らはおびき出されているんじゃ。
「そうかもしれない。けれど、他にどうしたら?」
心底困ったようにアズサに返されてしまった。彼女も、とにかく何かをしてないと不安なのかもしれない。とはいえ、今僕たちはどこにいるのやら。
もはやそれすらもわからなかった。方角的には、城跡の方に向かっている気はする。けれど今歩いている道が、さっき歩いた道と同じかもわからない。ぐるぐると回って、気づいたら崖から滑落してしまう可能性だってある。
「やみくもに動かない方が良かったんじゃないっスかね」
口を挟んだのは神成だった。重そうな腹を抱え、けれど体格に見合わず息も上げずに彼は言う。
「あの女が何に気づいたか知りませんけど、勝手に出てったんでしょう?いや、わからないぞ。あいつは逃げたのかも」
そう言って、意味深にアズサに目線を寄越した。
「それは、アタシに殺されると思ったから。ってこと?」
険しい顔つきでアズサが睨み返す。その間に挟まれて、社はおろおろと口を開いた。
「そ、そんなわけないじゃないですか」
神成に向かって社は精いっぱい声を張り上げる。彼女は一応、部下というか後輩なのだし、ちゃんとフォローしてあげないと。
「彼女はまだ高校生になったばかりの子供ですよ?」
そう言ったところでそのアズサから睨まれた気がしたが、社は平静を装って続ける。
「それが何で、こんな連続殺人みたいなことするっていうんです」
「子供だからって人殺しじゃないって、あんま論理的な考えじゃないっスよね」
社の反論を覆し、さらに神成は言い募る。
「だいたいこういうのは、いかにも一番怪しくない奴が実はとんでもない奴なんスよね。まあそれを言ったら、アンタも怪しいっスけど。宮守さんアンタ、実はこの女の子よりすごい力があって、彼女を笠に好き放題殺しまわってるんじゃないっスよね」
「まさか、僕がそんなことするわけ」
というか、悲しいかな。そんな力などないのは自分が一番よく知っている。
「わかんないっスよ、実はアンタこそがユーレイに憑りつかれてて、無意識に殺しまわってるのかも」
「そんな、適当な推論やめてくださいよ」
神成のトンデモ推理に社は辟易する。やっぱり、霊が視えるだの祓えるだのは、普通の人からしたら胡散臭くて仕方がないらしい。前だって、それを理由に疑われて。
「でも、今のところ一番可能性が高いのはそこの女の子っスよね。少なくとも、銭谷に関しては。だって超能力っすスよ?そんなの、なんでもアリじゃないっスか。別に、殺そうとしたわけじゃないのかもしれない。ほらあるでしょ、力が強大すぎて、近づく人間を傷つける、とか」
そんな少年漫画の主人公みたいな。
「でも。五味が悪霊で、みんなを殺しまわってる、っていう方がこの状況じゃあり得そうな気はしますけど」
今のところ、その説が一番濃厚だ。とはいえ、諸手を挙げてそう言いきれるわけでもない。
「あの死神みたいなやつっスよね。けど、さっきの建物の中にアイツはいなかったっスよ」
「そ、それは」
神成に言い返され、社は言葉に詰まる。その発言に嘘はないだろう。あの時森も玲夏も、五味を見たなどと言ってなかったし、一様にアズサに対して怯えていた。
その状況では、確かに。
「……ねえ」
悪路の中、新しい袴の裾をさっそく汚しながら社は口を開いた。こんなこと聞くの、彼女に悪い気はするけれど。
「PKって、どんなことができるの?その、さすがにヒト一人消すのは無理だよね?」
社の問いに、アズサが静かに口を開く。その顔が青ざめて見えたのは、多分気のせいではないだろう。
違う、疑ってるわけじゃないんだけど。
「念じることで、モノを動かしたり、対象に力を加えることが出来る」
社らに背を向けたまま、淡々と彼女は説明する。
多分、何度もいろんな人から聞かれたのだろう。社は思った。僕だって、毎度なんで霊が視えるのとか聞かれてうんざりする。まあ僕の場合はうまく説明できないんだけど。
「けれど手で持ち上げた方がLow cost. 質量があればあるほど力が必要になる。だから、質量の小さいghostのほうが力を加えやすい」
ええと、とにかく実体より霊体の方が消しやすいってことだから。
「それってつまり、やっぱり人を消すのは無理ってことだよね」
社は明るくうなずいた。前に読んだ超能力ものの漫画だって、人を消滅させるなんてシーンはなかったぞ。いや、まてよ。もし彼女が瞬間移動まで使えたとしたら。それなら、光が消えて違う場所で遺体になっていた説明がついてしまう。
恐る恐る社は口を開いた。
「念のため聞くけど、超能力で人を他の場所に飛ばしたりは出来ないよね?」
「Teleportation?」
怪訝そうにアズサが返した。
「そんなの出来るわけないじゃない」
まあそうだよな。そう思いつつも社は安堵する。
「生きた人間を別の場所に移動なんて不可能。物理法則が適用されないものなら可能かもしれないけれど」
「フーン、そんなもんなんスね。案外つまんないの」
神成が気のない様子で言った。
「別に、見世物じゃないもの」
そう言い放つアズサの声は冷たい。
「超能力だからってなんでもできるわけじゃないの」
なのにいつも周りが騒いで嫌になる、と肩をすくめた。
「積極的に使いたいわけじゃない。けど……Mr.カメイにはお世話になったし」
なるほど、亀井社長が彼女になにか恩を着せて、こんな目に遭わせているらしい。無事戻れたらそこんところ問い詰めてやらないと。
などと思いながら社は考える。
今の話を聞くに、彼女が一連の事件を起こしたとは考えにくい。
だが、ならばなぜ銭谷は消えたのだろう?そして、玲夏は何に気が付いた?
彼女は言っていた。まさか銭谷がすでにユーレイで。
でもそんなこと、あり得るわけないじゃないか。だって普通に見えてたし、喋って会話もしていた。
万一そうだったとして、僕とアズサが彼のことが視えていたのはまだわかる。枕元に立った犬尾唯の霊みたいに、おどろおどろしくしてくれないと、霊と見えない場合だってある。子供の頃に仲良くなった女の子が幽霊だった時みたいに。
けれど、銭谷の姿は皆見えていたはずだ。玲夏だって森だって、神成だって。
でも、それでも玲夏は何かに気が付いた。
何に?
はあ、と社はため息をついた。みんな、僕を置いて何かに気が付く。けれど、その発見は知らされぬままだ。さっきの華ちゃんの話だって。
そこで、ようやく思い出した。電話!すぐに確認しようと思ってたのに、いろんなことが起こっちゃって。
「アズサちゃん、スマホに着信なかった?僕の電池が切れちゃって」
急に社がそんなことを言うものだから、
「外に連絡したって、こんな天気じゃ誰も助けに来てくれないっスよね」
と呆れた様子で神成に言われてしまう。
「そうじゃなくて、手掛かりがあるかもしれないんだ」
「手掛かり?犯人のっスか?」
「そう。直接関係あるかわからないけど。でも僕らは、何か掛け間違えてるのかもしれない」
なんだかひどくもどかしかった。すぐそこに、正解があるのに手が届かない。そんな気がしてならなかった。
「スマホ。Mr.カメイから電話来てたみたい」
アズサが足を止めた。そして、例のブルゾンのポケットからスマホを取り出すと、画面を確認する。それは早くも雨に打たれ始めていて。
「気を付けて、濡れないようにしないと」
雨の中無造作に出すものだから、慌てて社はそれを受け取る。気を付けて、濡れたら壊れてしまう。気を付けて――。
ボチャン。
それは社から逃れるように、まさしく水を得た魚のように、するりと社の手から抜け出てしまった。そして、足元のぬかるみにダイブ。陸より水中がふさわしい生物みたいに。
そんな馬鹿な。
一瞬社には理解が出来なかった、え、なんで?
「あーあ。これも悪霊のせいなんスかね」
神成に茶化して言われて、社は思わず頭を抱えてしまった。
ああだから、なんで僕はこんな!
急いで救い上げるも後の祭り。ずぶ濡れのスマホはうんともすんとも言わなかった。
なんだってこう、僕はいつもこうなんだ。うなだれながら、社は泥水に汚れたスマホを裾で拭いた。
「ごめん、水没させちゃったみたいで……」
「Oh, my God…….」
唖然とした様子でアズサが呟く。
「戻ったら、ちゃんと弁償するから」
慌てて言うが、これデータとか大丈夫なんだろうか。嫌な汗が止まらない。悪意がなかったとはいえ、スマホを壊されたら普通は怒る。
「……別に、構わないわ」
静かにアズサは言った。怒りを微塵も感じさせない口調。ゆえに怖い。
「あの、本当にごめん、すみません、その、もちろんわざとじゃないんだ。雨で手が滑ったみたいで」
などと言っても、どれも言い訳に聞こえるだろう。でもわざとじゃないのは本当だ。外部との連絡手段をみすみす失う馬鹿がいるものか。いや、ここにいるけどさ!
「まあ、今はそれどころじゃないっスし」
狼狽する社を横目に、神成がびしょ濡れの髪を撫でながら口を挟んだ。
「戻れたら買ってもらえばいい。戻れたら、ですけど」
そう言って、軽く唇の端を持ち上げる。ニヒルな笑みのつもりかもしれないが、社としてはたまったものじゃなかった。
「ちょっと、嫌なこと言わないで下さいよ」
思わず社は返した。戻れるに決まってる。このまま万年片思い中の幼馴染の彼女に、自分の気持ちも伝えずに死んでなるものか。
彼は拳を握りしめた。そうだ、ちゃんと彼女に告白して。付き合えるかはわからない。今の関係のままの方がいいのかもしれない。
でも、ヒトはいつか死ぬんだ。言わないで後悔するくらいなら。無事にここを抜け出して、たとえ戻ったらアズサのスマホの修理費やら、汚した袴のクリーニング代やらで予想外の出費がかさむとしてもだ。
「大丈夫ですよ、きっと出られます。外ではみんな、僕たちのことを待っててくれてるんですから」
きっと今頃音信不通になった社とアズサを案じて、華と社長らが妙案を考えてくれているはずだ。とはいえどんなに知恵を寄せ合わせても、荒ぶる天候に敵うかはわからない。
……たぶん大丈夫、だよな?
強気になったり弱気になったりの感情の荒波に酔いそうになりながら、それでも社は一歩を踏み出した。外部との連絡が取れなくなったのは痛い(原因は自分だが)。けれどこうなってしまった以上、今はとにかく玲夏たちを探さないと。社は思い直す。犯人捜しはそれからだ。一人でも無事にここから出られるようにしなければ――。
ワンッ、ワン……
そこで、再び犬の鳴き声が響いた。思っていたよりそれは近くて、社は思わず息をのむ。
「い、いま、近くで」
身をかがめ、社はアズサに耳打ちする。
「ずっと聞こえてるのと同じ鳴き声。ここには、一匹しか犬はいないみたい」
それは間違いなさそうだった。とはいえ愛犬家でもない社に犬種による鳴き声の違いなどはよくわからない。けれどどうにも高い声で、小さな犬を髣髴とさせる。
あの、ピンクの首輪が良く似合いそうな。
「こっちだ」
鳴き声のする方に、そろそろと社らは向かっていく。いつの間にか道を外れていて、びしょびしょの茂みの中をかき分けて進んでいく。こんな状況じゃなかったら、気分は探検家だ。道なき道を、未知なるものとの遭遇を期待して邁進する。
果たして彼らがたどり着いた先にあったのは、確かに未知なるものではあった。普通はそんなに見つけない物。だが今この場所においては、さんざん見飽きたものでもある。
そんなものを見つけたかったわけじゃなかったのに。
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