第18話

 それは黒髪の男に見えた。少なくともピンク頭のテツヤではなさそうだったが、まだ見つからない誰かの内の一人だろう。黄色っぽい、作業着みたいな服装の男。

 社は慌ててその建物へと駆けていく。高さのない、平たい建物だった。壁は崩れていなかったが、恐らく劣化して建物全体が歪んでいるのだろう、引き戸は開け放たれたまま。試しに引いてみてもビクともしなかった。かろうじて人一人が通れるその隙間を通って、確かに誰かが中へと入っていった。


「え、人なんていたっぺか?」

 そちらの方向を真っ先に指さした草刈が首を傾げる。

「あんたの見間違いなんじゃないかね」

「言い合いに夢中になってたから気が付かなかったんじゃないですか?」

 社の言葉を信じない草刈を軽くいなして、社はその中へ入っていく。その後に玲夏が続いた。草刈は今までの勢いはどこへやら。中に入ろうともせずに、家の周りをうろうろとするばかりだった。


「おおい、誰かいますか?」

 思っていたよりも広い建物のようだった。民家ではないのかもしれない。例えば、集会所みたいな。けれど村のみんなで使う場所なら、こんな端に建てるだろうか。もっと、中心部に置くのが普通じゃないのか。


 そんな風に思いながら社は進んでいく。もちろん電気などつかなくて、昼とはいえ建物の内部はひどく暗い。社はスマホのライトをかざした。

 うう、電池。大丈夫かな。前に古いスマホで電池が切れて大変な思いをしたから、本体自体は最新機種だ。とはいえ何にだって限度はあるわけで。モバイルバッテリーなんて持ってこなかったし、心配だな。


 家具と呼べるようなもののない、広い空間。そこに、段ボールの切れ端や、布切れ、ビニールシートなどが散乱している。

 まさか誰か、ここで寝泊まりでもしたのか?

 高架下の、ホームレスが寝ている場所みたいだ。そんな印象を受けた。 


「ほんとに誰か入っていったの?」

 社の後ろから、こわごわと玲夏が声を上げた。

「誰かいるなら、すぐ返事してくれそうじゃない?だって、別にあたしたちから逃げてるわけでもないのに」

 それは、そうだ。社も静かにうなずいた。仕事熱心に、現場を調べに行った彼らにやましいことなどあるはずがない。誰かから呼ばれたら、同じくここに来ている誰かが自分を呼んだと思うのが普通ではないのか。


「……単に、聞こえてないだけって可能性も……」

 けれどそう呟く社の声でさえ、コンクリートの壁に反響して奥へと跳ねて行く。上げた声に気づかないとも考えにくい。

「耳がすごい遠い、とか?」

「どうだろ。でも、そんなお年寄りには見えなかったけどな。黒髪の、僕と同じか上くらいの男の人」

「通信関係の人か、電気の人のどっちか?」

「だと、思うんだけど」

 とはいえ社にだって見えたのは一瞬で、その人物がどんな職業かまではさすがにわからない。


 ゆっくりと、社たちは中へと進んでいく。くたびれたビジネスシューズが、床に散らばる布を踏んで滑りそうになる。思わずそちらにライトを向ければ、床には大量の埃が積もっていた。

 どうやら、誰かが住んでいる、と言う可能性はなさそうで安心する。しばらく床を照らしてみると、自分たちの者とは違う、奥に向かっていく人の足跡をひとつ見つけた。


「ほら、やっぱり。僕たちのほかに、誰かが中に入ってる」

 その発見に目を輝かせて、社は玲夏とともにその足跡をたどっていく。少し迷うように進んでいったその足跡は、ふとある所で途切れてしまった。

「階段?」

 それは、下へと続く階段だった。

「なんで、地下なんかに……」

 地下。地獄。黄泉。そんな単語が社の頭に浮かぶ。こんな山の中の村に、地下?

「だ、誰か……」

 思わず囁くような声になってしまった。果たして僕が見たのは、本当に人だったのか。そんな気すらしてきてしまう。実はアレは、幽霊だったら。

「見て、階段に足あとが続いてる」

 首を伸ばして下を覗きこむ玲夏が言った。

「やっぱり電気とかネットの配線ってのは、地下にあるもんなのかな」


 そうだ、そうなのかもしれない。思わず怯えてしまった気持ちを立て直す。だってこんな、クッキリ足跡を残す幽霊なんかいるもんか。

「誰か、いませんかあ?」

 再び社は口を開いた。さっきよりは大きい、けれどいまいち気弱な声。それは闇に吸い込まれるかのように下へと落ちていく。コンクリートの、味気のない階段。隅の方にはやはりゴミがたまっていて、立ち込める匂いは湿っぽくかび臭い。

 あまり降りる気がしないけど、仕方ない。案外地下は広くって、声が届いてないのかもしれないし。そう思い、そろそろと足を降ろした時だった。


 ぬっと、進もうとしたその闇の中から人が現れた。

「うわああああっ!」

 片足を降ろしかけたその体勢のまま、社は驚いてひっくり返る。埃まみれのコンクリに。幸いに頭は打たなかったが、今日何度目かのしりもちのせいで、お尻がジンジン痛くて堪らない。きっとこれ、痣になってるぞ。

 ああ、こんなんばっかりだ!嘆く社だったが、なにも驚いたのは社だけではなかったようで、

「うわあっ!」

 闇の中から現れたその人物も悲鳴を上げた。

「なんすか、びっくりするじゃないっスか!」

「こっちのセリフだっての、こんな暗いとこで何してたんだよ」

 恐らく彼女も驚いたのだろう。それを誤魔化すように、怒ったように玲夏は男を睨む。


 現れたのは、茶髪の男だった。怯えたような目つきで男が社らを見回した。まだ若いだろうにビール腹だろうか、デニムジャケットの腹は少し膨らんでいる。それと、やっぱりデニムのジーンズにスニーカー。少しやぼったい恰好で、彼はきょろきょろと目を動かしている。

 茶髪?慌てて社は目を凝らす。スマホのライトを向ければ、男が眩しそうに目を細めた。その姿は、似ているような、そうでもないような。


「まさか、タカアキ……じゃないよな?」

 思わず漏れた社の言葉に男が眉を寄せた。

「誰?ってか、眩しいからそれやめてくんないスか?」 

 言われて、社はライトを降ろした。そして、一人だけ転んだのに気恥ずかしさを覚えて慌てて立ち上がる。

 正直、トンネルに潰されたタカアキとは少し話しただけで、それほど特徴を覚えているわけでもなかった。タカアキは、もっと細身だった気もする。でも、明らかに違うのは声だった。こんなに鼻にかかった声じゃなかった、と思う。


「で、ここで何してたんだよ。そんなでっかい懐中電灯持ってんのに点けないで?」

 スラックスに付いた埃を払う社の隣で、訝しむように玲夏が問う。

「なあ、あんたがここに入ってくのを見たのは、この人なのか?」

 その問いに、社は首を傾げざるを得ない。確か僕が見たのは、黒髪だ。歳だって、もっと上だった気がする。


「ええと……ここには一人で?」

 もしかしたら、もう一人もここにいるのかもしれない。そう思って社は聞いた。

「電気とか通信施設の点検に来たんですよね?一緒に?」

「いや、俺は……」

 少し困窮した様子で彼は社たちを交互に見ると、思い直したように口を開いた。


「一人っスよ。そうそう、地下なら設備があるかと思って降りたのに、途中でこいつが壊れちまって」

 そう言って、男は忌々しそうに懐中電灯を睨んだ。それはひどく古びていて、むしろ良く使えたなと感心するような代物だった。

「残念だけどこの下には何もなかったっスよ」

 配電盤もなんも。もちろん、他に人だって。そう彼は肩をすくめてみせた。

「じゃあやっぱり、あなたは電力会社の人なんですよね?」

 そうだとしたら、とりあえずは一人見つけられたことになる。

「そう、そうっス」

 男は軽く頷いて見せた。「で、アンタたちは?」


「僕たちも、ここの再開発の下見で来たんですけど」

 宮守と建部です。そう軽く名乗りながら、社は意外に思った。先発隊はアズサ以外、てっきりみんな一緒に来たのだと思っていたけれど。

「でもあたし、あんたに見覚えないんだけど」

 玲夏が疑いの眼差しを男に向けた。

「確かにみんな、ロクに自己紹介もしないで我先に散っていったけど。ジーンズの人なんていたかな」

「ああ、それなんスけど俺。多分アンタたちよりちょっと遅れて来たんスよね」

 少し申し訳なさそうに男は言った。

「その、そう、ちょっと指をケガしちまって、それで」

 早口でそう言って、彼は左手を挙げて見せた。社はスマホのライトでそれを照らす。白い包帯で、薬指と小指のあたりがぐるぐるにされている。

「飼ってた犬に噛みつかれちまって。その、病院寄ってから来たから、それで」

「犬?」

「そう。ちっこい犬だからって油断してたらガブリ、って」

 そうして痛そうに彼は手を振ってみせた。


 犬。まさか、さすがにこの人の飼い犬と、あの犬尾唯の霊が言っている犬は関係ないだろうけど。

 けれど、この奇妙な偶然と言い、入っていくのを見かけた黒髪の男とは別の、茶髪の男が現れたことと言い。社は疑いを禁じ得ない。

 しかもこいつは、後から遅れて来たなんて言っている。先発隊が来たのが多分九時前、アズサと社が合流したのが十時頃。その後トンネルが崩れたから、こいつはアズサの前に一人で来たってことになる。

 本当なのか?だって、車などあのあたりには停まっていなかった。あったのはタカアキの白い軽だけ。


「ああ、そうだ、俺は神成っス」

 社の疑心に気づかないのか、はたまた単に社が疑いすぎなだけか。男が右手を差し出してきたので、仕方なしに社はその手を軽く握った。いやに湿った手に、気味の悪ささえ覚える。その社の表情を見たからだろうか。玲夏は同じく差し出された手を握ろうともせずに、不躾に神成をじろじろと眺めただけ。その視線から逃れるように手を降ろし、神成が眉を寄せた。


「で、なんでまた俺を探しに?」

 そう言う彼は、まるで通せんぼをするかのごとくに階段の前に立ちふさがっている。

 地下に行かれたくないのか?そんな疑問がふと浮かぶ。やっぱりあれは僕の見間違いなんかじゃなくて、黒髪の男が、この下で。

 例えば、この神成という男に殺されていたとかしたら。


 けれど、積極的に降りたい場所でもなかった。そうだ、だって足跡はひとつしかなかったじゃないか。神成が黒髪の男を抱えていた可能性だってなくはないが、僕だったら大の大人の身体なんて多分引きずってしまう。もちろん、そんな跡などはなかった。

 それに、もしこれで本当に地下に遺体でも見つけようものなら、今度は社たちが殺人鬼――それは目の前の男かもしれない、の刃にかかってしまうかもしれない。


 僕たちは戻ってきていない人が、被害に遭うかもしれないから呼びに来た。けれど、その戻ってきていないうちの誰かが、水谷を殺した犯人ではないと限らないじゃないか。あの、獣に噛みちぎられたような遺体。例えば、こいつが飼い犬を使って――。


 あるいはこれはただの社の妄想だったかもしれない。けれど彼はとにかく無謀なことはしたくなかった。とにかくは、一人発見したことをアズサのチームにも伝えるべきだろう。地下の捜索は、合流した後でだって。とにかく一緒に行動してと、華は言っていたではないか。


 そこまでぐるぐると考えて、ようやく社は神成に向かって口を開いた。

「その、ここに来る道にトンネルがあったでしょう?」

「ああ、変な噂ばっかりの」

 無意識にか、神成がトンネルのある方向に目を向けた。

「ユーレイ、出るんすよね」

「それが崩れて一人巻き込まれて亡くなって」

「崩れたあ?」

 神成が驚いたように声を上げた。

「それとは別に、山の中で一人が亡くなってて」

「マジっスか?」

 放たれた声が大きく反響する。そりゃあ、それだけ驚くのも無理はない。けれどどこか白々しく聞こえたのは社の思い込みか。


「で、犯人――実は熊とかなのかもだけど、一人でいたら危ないからって、あたしたちあんたみたいな一人でうろうろしてるやつを探しに来たの」

 とにかく一人見つけたんだし、ここ埃っぽくて嫌だから外に出ない?そう外に向かって歩き出した玲夏に続き、神成も出るように促して一同は建物の外へ出た。埃くさい匂いから一転、むせそうなほどの濃い緑の香りに包まれる。

 ほっと一息をつく半面、社は気がかりそうに建物に目をやった。

 地下。そこには何があるのだろう。


「なんだ、本当に人がいたのかね」

 出た先には、まるで現場監督ばりに偉そうに腕を組み、仁王立ちで立つ草刈の姿があった。彼は社らのほうに寄ってくると開口一番、

「で、アンタ。なんか見つけたのか?」と神成に向かって口を開いた。

「は?」

 神成と玲夏の話が本当なら、恐らく初対面であろう神成に何を。そう思ったのは本人もそうだったようで、

「なんかって……配電盤はなかったっすけど」

 と神成が困ったように答えた。

「配電盤?」

「え?そう、だってほら俺、電力会社の人間っスから」

「ああ、そうか……まあ、そうだな」

 腑に落ちない様子で渋々草刈がうなずいた。一体何だって言うんだ。探してるのはまだ見つかっていない人たちだ。それと犬(これは社だけかもしれないが)。


 だというのに草刈は、他にも何かを探しているのか?

 疑問に思う社の隣で、玲夏が何か考えるようにうつむき、ぽつりと呟いた。

「やっぱり、みんな……なんかおかしい」

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