第19話

 その後アズサに連絡をして、村の北側で合流して。廃村から逃れるように、社らは森の中で小休止することにした。朝方盛況だった鳥たちの大合唱も、さすがの彼らも疲れたのか姿を潜めている。


 疲れたな。鳥の代わりにぎゃあぎゃあと騒いでいる草刈らから距離を置いて、社もどっかりと腰を落ち着かせる。どうせもう土だの埃まみれだ。更に汚れようが、もう今更。

 もういっそ、スーツ一式経費で新しいの買ってもらえないかな。なんて。


「しかし、あんたも災難だったなあ」

 これまでのいきさつを話したのだろう、森が神成に向かって大仰に口を開いた。

「いっそ来ない方がマシだったな」

「ええ。もっと病院が混んでたらトンネルがもう通れなくなって、ここに来る羽目にならなくて済んだかもしれませんね」

 銭谷は社らのように地べたに座ったりなどせず(なにせ高そうなスーツだ)、汚れたのかメガネをポケットチーフで拭きながら口を挟んだ。


「しかしこんな場所、本当に再開発して利益が出るのか甚だ怪しくなってきましたね」

 あんなに熱心に地図を眺めて、恐らく開発に乗り気だっただろう大日建設のエースは言う。

「本当に、また死体とご対面だったらどうしようって思ってましたよ」

「それに、何かあったらなんて。この距離じゃちょっと遠いよ」

 玲夏が不満げに口を挟む。

「結局合流するのに二十分くらいかかったじゃん」


 確かに、銭谷の提案はいまいちだった。だから最初から全員で行こうって僕は言ったのに。思わず文句が出かかったが社は大人しく口を閉じた。やめよう、もう過ぎたことだし。

「でも、一人見つかったならよかったわね」

 木に寄り掛かるアズサが、ふてくされる社を労うように言った。

「あともう二人、ね」

 もう二人。先発隊には通信事業者の職員がいる。電気の方が神成だったから、そちらが森の言っていた〈光さん〉で間違いないだろう。それとピンク頭のテツヤ。


 けれど。

「でも僕が見たのは、確かに黒髪の男だったんだ」

 それが、まだ見つからない職員なのではないか。

「見間違いじゃなくて?」

 そう言われては、なんだか自信がなくなってくる。でも、あれは確かに。

「じゃない、と思う」

 神成に聞こえないよう声を押さえ、隣に立つアズサに社は言った。

「確かに黒髪で、僕と同じかちょっと上ぐらいの男が入って行ったんだ」

「でも、その建物にいたのは茶髪の男」

 アズサが遠目ながらに、銭谷たちと話す神成に目をやった。

「本当に一人だったの?」

「神成さんはそう言ってる。けど」

 僕はそう信じきれない。その言葉を飲み込んで、代わりに社は言った。

「あの人、地下から上がって来たんだ。でも僕たちはその地下に降りてない。その、こんなこと言ったらあの人に悪いけど」


 なにも、彼が犯人じゃないとは言い切れないし。そう前おいて社は続けた。

「何か、気味が悪いんだ、あの人。急に握手なんか求めてきちゃってさ。あの湿った手ったら!あれも善人ぶるための演技なんじゃないかな、なんて」

「It`s wise judgment」

 アズサはそう彼を評して、軽く息を吐く。

「まあ、Mr.ミズタニはヒトの仕業とも思いにくいけど」

 恐らくあの遺体のありさまを思い出したのだろう。元から白い顔をさらに白くして彼女は呟く。

「だからって、ghostのせいとも思えない。ここには――」

「気配、感じる?」

「……わからない」

 ゆるゆるとアズサは首を横に振った。


「確かに、何かが居る気はするの」

 そう言って、困ったように社の顔を見つめた。視線が合って、社は狼狽える。いや、これは多分、僕にも霊が視えるか聞いてきてるだけであって。

「ぼ、僕もまだ……わからない」

 そう答えて、慌てて視線をそらした。

「Something is wrong.」

 アズサが、両手をブルゾンのポケットに突っ込みながら言った。あの中には、オモチャのピストルが入っている。偽物とはいえ、知らない人間には威嚇にはなる。


 あるいは、社の玉串と同じようなものなのかもしれない。お守りと言うか、依り代と言うか。それに触れながら、ちらと彼女は視線を人々の方へと向けた。いまだ騒いでいる草刈と、困ったように笑う銭谷。合流できた安堵からか、笑みを浮かべている玲夏と森。それと、けだるそうな神成。彼らを見るアズサの視線は、ひどく不安そうで。


「あの人たちが、どうかしたの?」

 やっぱり、神成が怪しいと思うよね。こそっと社が耳打ちすると、

「アタシの勘違いなのかもしれないけれど」

 ぽつり、とアズサが声を漏らした。

「Mr.モリとMr.ゼニヤと村を回った時なんだけど」

 言いにくいのか、いつものはきはきとした口調と違って、ひどくゆっくりと唇を開く。

「何か、変だなって……」

「変?それは、どういう?」


 何かがいたのか?社たちが見つけられなかった、トンネルの先に巣くう悪霊だとか、そういうものか。あるいは、彼らのうちのどちらかが、水谷氏を害した犯人で、その手掛かりでも見つけたのか。意気込む社に対し、眉を寄せ彼女は言う。

「なんだか、ずっと見られている気がして」

「見られてるって、それが何か、の正体?」

「It is not like that, その」

 不安そうに動く金の目を伏せて、彼女は呟いた。

「あの人、アタシのことを」

 あの人?誰が?

 そう聞き返すことは叶わなかった。


「おい、そろそろ行くぞ」

 ふいに森の大きな声が響き、アズサと社の口を閉ざさせた。

「休憩は終わりだ、暗くなっちまったらなにもできないからな」

 アズサの声を遮って、それは朗々と響いた。さすがは屈強な体つきをしているだけあって、疲労を感じさせない。こんな場に不釣り合いな銭谷や、草刈さえも元気そうだ。

「おしゃべりしてるとこ悪いが、まあ歩きながらでも続きはやってくれ」

 わざわざ森がこちらにやってきて、社とアズサに声を掛ける。彼が来たことで、何かを言いかけていたアズサは口を閉じてしまった。


「アズサちゃん、さっきの何か、っていうのは」

「大丈夫。たぶん気のせい、だから」

 そして、考えるように森の背中を見つめている。何かあったのだろうか。口ぶりからすると、霊がどうこうという感じでもなさそうだ。

 それにしても、みんな元気だな。仕方なく社も腰をあげた。真っ黒になってしまったスラックスの尻を払う気も起きなかった。着替え、あるにはあるけど。あれじゃあなあ。


 アズサも踵を返し、一同に付いて行く。彼女、ずっと見られてる気がする、と言っていたけれど。とぼとぼと後を追いながら社は考える。あの人に、見られている?

 まさか森のおやっさんが、実は少女好きだとか?いや、どちらかというと玲夏を見る限り、彼は単に未成年の女の子を心配してるだけだろう。それで、つい目追ってしまうのかも。


 あるいは銭谷?あんな、いかにもエリートで、既婚者で。いやわからないぞ、人畜無害なこの僕でさえ人から疑われるんだ。人間、どんな裏があるか分かったものじゃない。

 いやいやそれとも。社は考え直す。まさか、やっぱり知らないうちに二人のうちのどちらかに、何かが憑りついていて――。

「おい、たらたら歩くんじゃないよ!」

 そんなことを考えていたからか、気づけば一同から少し離れてしまっていた。先頭を歩く草刈に怒鳴られて、へえ、と気のない返事を返して急ぎ足。


 ああ、なんだってこんな目に。

 何度目かわからないため息をついて、社はネクタイをほどいた。無造作にそれをポケットに突っ込んで、息を切らしながら進んでいく。

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