第14話

 とはいえ、すでに姿の消えたものを探すのは困難だ。

 勢いよく小屋を飛び出したものの、社らはどこへ向かうものか決めかねて、すぐに歩を止めてしまった。


「確か、あっちの方に行ったと思うんですが……」

 そう言いつつも、自信なさげに銭谷が向こうを指した。小屋の前には小さな公園くらいの広さがあって、一本は先ほど社らが登って来た道、もう一つは茂みに向かって伸びる道へと続いている。

 銭谷が示したのは、トンネルとは反対側。かろうじてけもの道のような、細い道が傾斜をともない奥へ奥へと向かっている。四十年前、村に人が住んでいた時から、車で来られるのはここまでだったのだろう。


「このまま進むと、廃村が広がっているエリアになるんですが」

 つまり、ほとんどヒトの手が入っていない場所、と言うことになりそうだ。さすがに今日到着したばかりで、草刈氏一人で生い茂る草木をどうにかするのは無理だった。恐る恐る社はそちらへ足を踏み入れる。雑草を踏みつけると、かさかさと何かが逃げていった。


「うわっ」

「大丈夫、ただの虫だっぺ」

 何ともないように草刈は歯を出して笑うが、どうやっても好き好んでスーツで足を踏み入れたいような場所でもなかった。

 ああやっぱり、僕も草刈さんみたいにラフな格好で来ればよかった。社は後悔する。ポロシャツにチノパン、スニーカーだなんていかにもおじさんの格好を羨ましいと思う日が来るだなんて。


 それは恐らく銭谷も同じだったのだろう、彼は大きくため息をつくと、

「これじゃあ、探しようがないじゃないか」

 と早くも諦めた様子で首を横に振った。

「とりあえずトンネルをどうこうしに行ったんじゃなければ、放っておいても構わないのでは?」

「でも、今時の若者なんて、何をしでかすか分かったもんじゃねえっぺ」

 その格好も相まって、まるで老練の教師かのように草刈は言う。

「俺の若い頃なんて、イタズラなんてまあ限度があったけどね。友達の服ン中に虫入れるとか、まあ可愛いもんだった」

 それは可愛いと言えるのだろうか。虫も嫌いな社は露骨に顔をしかめたが、それに気づかない様子で彼は続けた。


「けど今の奴らはちがうだろ。ネットだか何だかで、とにかく目立ちたいんだろ?なんでも面白ければいいって、自分のしたことが悪いかどうかもわからないんだっぺ」

 それで後先考えなくて、面白半分にトンネルを壊したんだろ。そう決めつけて、彼はどんどん進んでいってしまう。一瞬困ったような表情を浮かべて、銭谷がやれやれと草刈の後に続いた。

「ああ、こんなことなら革靴でなんて来るんじゃなかったな」

 日の光を受けて渋く光る銭谷の靴は、くたびれた社のビジネスシューズの何倍も高そうに見えた。それだけじゃない。高級そうなスーツに洒落たネクタイ。そして、時々メガネを持ち上げる左手の薬指には金の指輪。きっと美人の奥さんと、かわいい子供がいるのだろう。

 ディベロッパーって儲かるのかな。あと、モテるのかな。

 そんなことを思いながら、社らもその後を付いて行く。


「でも、本当にショックを受けてたように見えましたけど」

 山道を登りながら、息を上げて社は言う。

「いくらなんでも、自分をこんなとこに閉じ込めたりなんかしないでしょ、普通」

 それに、と社が続けようとしたところで後ろのアズサが口を開いた。

「その事故に、友達を巻き込むようなバカなこと、するかしら」

 普通はしないはずだ。多少は意見の違いもあるようだったが、仲のよさそうな二人だった。ように思う。


「さあな。もちろん殺すつもりなんてなかっただろうがね」

 意外にもこの山中を一番元気に歩いていた草刈が、すべてを見通したかのように言い放つ。

「けど、そもそもはこんなとこに来なけりゃ良かったんだ。こんなところに友達を連れだしたのはあのピンク頭なんだろう?」

 またバカみたいな色に染めちゃってねえ。そうぼやいてみせて、さらに言葉を続けた。

「それに思い当たって、居ても立ってもいられなくなって逃げ出したんじゃないかね」

 まだ自戒の念があるだけましかもなあ、と草むらに唾を吐き捨てて、今度はその矛先を社へと向けてきた。


「アンタも、無責任にこんなとこに女の子なんて連れ込んじゃあ、だめじゃないかね」

 草刈の次の標的にされてしまった。はあ、思ったより面倒なおじさんだな。社は心の中で盛大にため息をついてから、へらりと笑った。

「そうですね、すみません」

 多分、相手にするだけ無駄だ。きっとこの人だって悪気はないのだろう、単に、こんな場所に来る羽目になったアズサを憐れんでるだけで。

「お嬢ちゃんもお嬢ちゃんだ。アンタ、騙されてないか?霊を祓うだなんて、そんなバカなこと」

 草刈の善意の名を借りた余計なおせっかいが、アズサにも伸びた時だった。


 ワンッ!

 今のは……?社が声を上げようとしたところで、

「Be quiet!」

 アズサに鋭く注意されてしまった。

 ワオーーン……。

 建部と銭谷が顔を見合わせた。彼らにも聞こえたらしい。もちろん、社にだって。

「あっちの方……」

 アズサが白い顔を音の方へと向けた。その先で、がさりと茂みが動いた気がした。

「う、うわああ」

 顏をしかめ、銭谷が慌ててこちらに戻ってくる。「き、気を付けてくださいよ、もし野犬でもいて噛まれたら、死ぬかも知れない!」

 そして必死な形相で社らの後ろに回り込んだ。

「私はね、犬が大嫌いなんですよ!」

「え、ちょ、ちょっと」

 急に慌てた銭谷に驚いたのか、ついさきほどまで意気揚々だった草刈もそれについてくる。二人はあっという間にアズサと社の後ろ側に回ると、

「幽霊を祓えんなら、犬だっておっとばせるっぺ」

「ほら、お願いしますよ。あなたの会社の土地でしょ」

 二人がかりで懇願されてしまった。


 いや、はらうの意味が違うんですけど。てかさっきまで散々馬鹿にしてたじゃないか!

 気づけば社は一団の先頭へと立っていた。威勢の良かったハムスター、じゃない、草刈もこれ幸いとばかりに社の背中に隠れている。この中で、唯一頼りになりそうなのはアズサくらいか。とはいえ彼女の持っている銃は所詮オモチャ。

 うう、せめてあの犬が幽霊犬か、それか社長たちが言ってたように、かわいい小型犬ならなんとかなるかもだけど。社はあわてて玉串を握りしめる。

 そもそも犬に祝詞って効くのか?そんなの、無理な気がする!

 けれどその想像とはどれも違って、その茂みに見えたのは犬の姿ではなかった。


「ん、あいつは」

 草刈が眉を寄せる。木が影になって、夜にすら思える闇のよどんだその場所に、黒っぽい姿があった。そいつは、長いマントのようなものを羽織っていて。

 マント?いや、違う。あれはカーディガン。ボロボロの。けれどまるで死神のマントに見える。


「五味……さんじゃないかね?」

 草刈が誰何の声を上げた。けれど男は、その問いに答えずさらに奥の方へと姿を消してしまった。

「待ってくれよ。ピンク色の頭のやつを見なかったかね!?」

 相手が人と知る否や(本当に人なのだろうか?社は自信がなかった)、草刈が強気に声を荒げる。けれど、それに答える声はなかった。

「ったく、人の話くらい聞けっての!」

 彼は悪態をつくと、先頭で呆然と立っている社に向かって、

「ほら、さっさと先に進むぞ」と偉そうに言った。


「え、ええ?」

「そもそもアンタたちが馬鹿な若者から目を離したのがいけないんだろう」

 いや、別に僕たちは彼らの保護者でも何でもないんですけど。そうは思ったものの、言い返すのも面倒だった。これから仕事で関わる人たちだ、余計な荒波を立てたくない。社のなかの社会人としての常識が彼にそうさせた。

 そうやっていつものように何かを諦めて、社は無言のまま進んでいく。そしてちょうど、さっきの男が消えたあたりで社は何かにつまずいた。


「ん?今、何か……」

 彼は恐る恐る足元へと目をやった。道とも呼べぬ、雑草まみれのその場所に。

 あれは……手、か?

 茂みの中から、何かが出ていた。そんなところにあるべきではないもの。

 ヒトの手。

 まさかここでサバイバルゲームをしているなんてこと、ないだろう。でもそうでもなければ、この手の持ち主は身体を草の中に伏せていることになる。

 そして、手を蹴られても無反応。普通は痛がったりするはずなのに。


「ま、マネキン……かな」

 しかし、作り物にしてはいやにぶよぶよとしていた。ふやけた湿布みたいな、白っぽくて気味の悪い物。

 社は恐る恐る、茂みをかき分ける。緑のにおいに混じって、酸っぱい匂いがした。

 ああ、これは。その刺激臭に、身体がそれを見るなと言っている。恐らくきっと。


 嫌だな、まさか。

 ああ、神様。もしいるのならば。社は願わずにいられなかった。

 そもそも、こういうことを未然に防いではもらえないのでしょうか。何のためにあなたはいるのでしょう。

 けれど今更の願いなど聞き入れてもらえるはずもなく。

 ああ、やっぱり、それは。


「ひ、ひとが」

 まるで肺に穴が開いたかのように、ひゅうと息を吐いた。社は生唾を飲み込む。でも、なんでこんなところで?本当に、……霊の仕業なのか?

 そして、震える声で言った。

「死んでる」


 その顔はえぐれていた。獣に食いちぎられたかのように、顔を構成するパーツが消えて、肉……とも判別し難い、ぐちゃぐちゃの何かになっていた。身体は水色の汚れた作業着に包まれていて、そのおかげで人の形を保っているようにも見えた。

「こんな、う、嘘だろ……」

 本当に、ここには何かがいるのか?そいつが。


 後半は言葉にならなかった。慌てて口を塞ぐしか出来なかった。まだ胃に居座っていた、無理やり収めた朝食だったものがぐるぐるとうずき、外に出せと騒いでいる。

 おえ、こんなの、

 頭が動くより、身体が先に反応した。熱いものが喉元をせりあがってくる。びちゃびちゃと出てきたそれは、社の足元を汚した。


 ああ、だめだ、

 なんで、僕ばっかりこんな目に。

 犬の鳴き声も、騒然とする人々の声も何も。社には聞こえなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る