第13話

 どこか遠くで、犬の鳴き声が聞こえた気がした。


「今のは……」

 スマホを降ろし、銭谷があたりを見回した。

「まさか野犬なんていませんよね?」

 もしそうなら保健所に連絡しないと、と銭谷が呟く前に悲鳴が響いた。

「う、うわああああっ!」


 突如、テツヤが叫んだのだ。気が触れたかのように彼は飛び上がった。そして、大きく目を見開き、ブルブルと大きく震えながら右手で左手を握りしめた。その姿はまるで何かを祈るようでもいて――そして再び獣のような恐ろしい咆哮を上げると、入り口で怪訝そうに佇む銭谷を乱暴に押しのけ、外へと飛び出してしまった。


「ちょっと、テツヤ君!?」

「おい、追いかけるぞ!」

「わかった」

 突然の出来事に狼狽する社らを残して、素早く行動に出たのは森と玲夏だった。二人は飛び出したテツヤの後を追って、同じく小屋を飛び出した。

「いったい、何が?」

 銭谷と草刈が困ったように顔を見合わせる。今までのいきさつを知らない二人には、わけがわからなかっただろう。果たして今から追いかけたところで、僕が追い付く気がしない。


 早々に後を追うのを諦めた社は、二人に向かって口を開いた。

「その、彼はもしかしたら友人を、事故――で亡くしたかもしれなくて」

 まだ死んだとはわからない。今頃華たちが調べてくれているはずだ。もう現場にはついただろうか。一番嫌な予想が当たってなければいいのだけど。

 けれど社の説明に異を唱えたのは草刈だった。


「事故?肝試しに来たんじゃないのかね?」

 彼は威嚇するかのように大きく口を開いた。社は昔飼っていたハムスターを思い出す。よくこうやって噛みつかれたな、じゃなくて。

「それで、何の事故に遭ったっていうんだっぺ」

「ええ、それで、その……トンネルの崩落に、巻き込まれたかもしれなくて」

「トンネルって……旧月居の?」

 恐る恐ると言った様子で銭谷が口を開いた。

「ここに来るときに通った?」

「ええ、それです」

 この様子だと、銭谷の方が話が早そうだ。社は彼にむかってコクコクと首を縦に振った。

「ということは……」

 銭谷が無意識にだろうか、両腕を組んだ。そして、ぽつりと一言。

「我々は……ああ」


 そりゃあ、そこで言葉に詰まるのも無理はない。ここから外部へと通じる、現時点での唯一の道。それが寸断されてしまったのだ。銭谷が絶句したのに対し、草刈はどうやらトンネル崩落の原因をテツヤと決めつけたようで、

「そんで、なんであの男が逃げ出したんだね。やましいことがあったってことだろう?」

 と大声で騒ぎ始めた。

「それは、さあ」

 なにしろ、さっきまで死んだようにぐったりしていたのだ。それが何だって、あんな急に逃げ出したりしたのか。


「犬の鳴き声」

 ぽつり、とアズサが呟いた。

「聞こえなかった?さっき」

「え、ああ。……聞こえた気もするけども」

 草刈が怪訝そうにうなずいた。犬。まさか。


 ワオーーン……。

 今度は、はっきりと聞こえた、ように思う。

 遠吠えのような、誰かを呼んでいるような。

 あの幽霊が探してる犬なのか?ざわり、と社は鳥肌が立つのを感じた。


 本当に、ここにいるのか?

 でも、口実とはいえテツヤは一緒に犬を探すと言ってくれたのだ。少なくとも嫌いじゃないのでは。だというのに、あの怯えっぷり。

 いったい何があった?やっぱりあの犬は、人を襲う魔犬で――。


「とりあえず、またいたずらされても困る。我々も探しに行きましょう。ねえ?」

 社の想像は、銭谷に噛みつく草刈の声によってかき消された。

「それは……そうですね。崩落の原因が何であれ、探した方がいい」

 同じく銭谷がうなずいた。

「ハイキングコースを外れると危ない。廃村エリアは朽ちたままの建物も残されているようだし、万一崩壊でもしたら」

 そう言って、テーブルの上の地図を指さした。少し印刷の掠れた、このあたり一帯の地図。四十年前には確かに人が住んでいた村。その名はもう、今の地図には記されていない。


「それに、もしあれを――」

 言いかけて、それを誤魔化すように銭谷がテーブルを指ではじく。こつん。

「あれ、って何のこと?」

 言葉尻を捉え、アズサが銭谷に目をやった。

「いえ、なんでもありません」

 まるでその視線から逃れるかのように、銭谷は扉を開いた。

「さあ、早く探しに行きましょう」

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