第1話

「だから、僕はやってませんってば」


 宮守社みやもりやしろは抗議の意を込めて両腕を机に降ろす。トン。けれど元来の気弱な性格も相まって、その振動は机上のペンを少し揺らしただけだった。

「けれど、あんたの傍には血まみれの凶器が落ちていたじゃないか」

 社の向かい側で、いかつい中年男性が睨みをきかせる。歌舞伎役者だって逃げ出しそうなくらいの睨み。少なくとも、社にはそう思えた。


「凶器と被害者のすぐそばにアンタがいたんだ。誰だって、アンタが怪しいって考えるだろ?」

 そう鼻で笑って、市川海老蔵(に比べたら断然見劣りはする)がピアノを弾くかのようにデスクを叩いた。意外と神経質なのかもしれない。などと関係ないことばかり考えてしまうのは多分、現実逃避なのだろう。


「もともとあそこはそういう場所なんだ。大方アンタもそれを知っていて、遺体と凶器を遺棄しに来た。そういうところだろ?」

「だから、違いますって」

 必死に社は無実を訴える。それどころか僕は。


 アイツに殺されかけたんだ!

 喉元までせりあがった言葉を、慌てて社は飲み込んだ。

 こんなことを言って、「正当防衛だとシラを切るつもりか?」などと凄まれても面倒だ。

 しかし本当のことを説明したところで、そもそもこの男にはわかるまい。

 社は大きく鼻を膨らませる。諦めと苛立ちを込めて。

 ああなんだって、僕ばっかりこんな目に。


 なぜ社はこんなところにいるのか。それは、あの時とんでもない幻を見たからだ。

 いや、あれは幻なんかじゃなくて、恐らくあの被害者の霊が見せたもので。


 社は思わず身震いをした。怖い。ヒトがいずれ死ぬのは誰だって分かってる。けれど、知っているのと体験するのとじゃ大違い。


 激しい衝撃。いきなり襲ってきたのはそれだった。暗闇の中、頭に受けた猛烈な痛み。

 その勢いで身体が倒れた。受け身を取ることも出来ず、容赦なく皮膚が地面に擦りつけられる。

 けれどそれを痛いと思う間もなかった。


 視界はあっという間に真っ赤に染まり、割れた額から、生ぬるい血が流れてくる。鼻や口、喉元とそれは流れていき、そしてだんだんと身体に力が入らなくなって。

 助けを呼ぼうと、声を上げる間もなく。

 死んだ。ひどく、あっけなく。


 その人間の記憶を、まざまざと見せつけられたのだ。死を受け止めきれない、怨みを持つ霊の記憶を。


 なぜだかはわからない。親に聞いても困った顔をされるばかりだった。

 けれど、社は生まれつきそういうものが視える体質だ。小さな頃は人と霊の区別がつかなくて、周りから不審な目で見られたっけ。思い出して、社は思わず顔をしかめる。

 ヒトだと思って仲良くなった子と手をつなごうとしたら、その子が凄まじい形相で苦しみだして、そして消えてしまって――。

 そう、さらにはそういうのを祓う力を持っているのだった。まことに、不本意ながら。


 それからというものの、社はめっきりそういうものが駄目になってしまった。だから今回だって、あっけなく気を失った。

 そして再び目を覚ませば、あれよあれよと言う間に遺体の側にいた不審者として、まっさきに警察署に連行されてしまった、というのが事の顛末。


「そんなわけないだろ、じゃなきゃあんなところにノコノコ来るもんか。こんなとこに来るのはせいぜい怪談好きの若者だとか、不法投棄しに来る業者ぐらいなもんだ」

 けれど刑事は、もちろん社の言い分になど聞く耳を持たない。さもすべてを見通したかの表情で言い放つ。

「どっちもあんたは当てはまらないと思うがなぁ」

 遠巻きにもう若くないと言われたことに傷つきつつ、社はふてくされる。

「ここに来たのは、仕事で」

「仕事?何の仕事だ?」

 少し馬鹿にしたように、刑事が顔をゆがめる。

「それは、その」


 シャツの下で、汗が背中を伝うのを感じた。こんなところに生真面目にスーツで来たのがいけなかったのかもしれない。伸ばしっぱなしの前髪の下で、不安げに自分の瞳が動いているのがガラス越しに見えた。

 ああ、こんな風におどおどしてるから舐められるんじゃないか。社は必死に自分を鼓舞する。なに、本当のことを言えばいいだけだ。けれど果たして信じてもらえるか。

「霊を――」

「はあ?霊ぃ?」 

 刑事が唇の端を持ち上げた。その時だった。


「ああ、こんなところにおったのか、宮守君」

 開かれた扉の方から、のんびりとした声が響いた。

「おい、今は取り調べ中だ、誰も入ってくるなと」

 刑事が苛立ったように立ち上がる。海老蔵もどきの先にいたのは、和服に身を包んだ小柄な老人と、スーツ姿の年齢不明の美女だった。誰もが、およそ警察署にはふさわしくない組み合わせと思うような二人組。


「か、亀井社長」

 社の口から声が漏れた。その声は多少怨みがましかったかもしれない。なにしろこのご老人こそが社の雇用主で、彼をこんな目に遭わせた張本人なのだから。


「ぼ、僕本当に何もやってないんです」

「当り前じゃろ。しかしまあ、いきなり見つけるとは、君もすごいんだか運が悪いんだか」

 たぶん、悪い方だと思います。

 口を開きかけた社を遮るように、今まで静かだった女が唇を開いた。

「そもそも亡くなられた方は誰なんですの?その方と宮守さんの関係がそちらにはお分かりになられたのですか?」


 そう問うのは、社長秘書の鶴野だった。ずいと美人に詰め寄られ、海老蔵もどきが上ずった声で答える。

「いや、まだだが」

「宮守さん、あの方と面識がありましたか?」

 その圧のまま鶴野がこちらを振り返る。社は慌てて首を横に振った。こんなところ来るのも初めてだし、残念ながら社は顔が広い方ではなかった。

 ましてや、若い女の子となんて面識なんて。そんなの、全くと言っていいほどない!

 そう弁明しかけて、社は口を噤んだ。やめよう、そんなの言っても空しくなるだけだ。


「それに、凶器凶器と騒がれているのは、あれはただの落石なのではありませんか?現にあのあたりには落石注意の看板が至る所にありましたし、トンネルから続く道は数年前の土砂崩れで埋もれて以来不通になっているほどですもの」

「いや、しかし、岩を振り上げ殴りかかった可能性だって」

 刑事が食い下がるが、鶴野は取り合わない。それどころかさらに流暢に艶やかな唇を開いた。


「結構な大きさの岩でしたね、だいぶ重いんじゃありません?そんなものを、彼が持ち上げて振り下ろせるとお思いですか?」

 彼女の言葉に、刑事がまじまじと社の全身を眺め見る。そして、悔しそうに彼は頭を横に振った。

「……持ち上げるだけならまだしも、振りかぶるのは無理そうだな、こんなひょろりとした身体じゃあなあ」

 直接的に貧相と言われ、社は傷ついた。まったくツイていない。殺人犯に間違われるわ、若くないだの貧相だの。


 結局、不幸な事故だったというわけだ。それは、もうご愁傷さまとしか言いようがない。下手をしたら被害者の代わりに、社が巻き込まれていたかもしれなかったわけだ。

 その可能性に、社は思わず身震いする。もし、自分が同じような目に遭ったら。


 自分がなぜ死んだかもわからずに、ただ突然命を奪われたことに対して怨みを募らせて。この悔しさを、誰かに理解してほしいと思ってしまうのかも。その結果、この世に残されてしまって。


「けれど、こいつを署に連れて行けって指示があったから、俺はここに連行したんだ!」

 ドン!諦めがなかなかに悪いのか、海老蔵もどきがデスクを力づくに叩いた。その音に、死者に思いを馳せていた社の意識が現実に戻される。

 いけない、幽霊に肩入れなどしたってろくなことにならないのに。


「それがの、どうやらちょっと手違いがあったようで」

 肩を怒らせる刑事に向かい、なだめるように亀井が声を掛けた。その後ろから急に、ぬっと大柄で強面の男が現れたものだから、社は思わず叫んでしまうところだった。

 まだ何かあるのか?思わず身構える社より先に反応したのは、目の前の刑事の方だった。


「鬼塚署長?」

「こら海老名!お前はまた勝手に勘違いして」

 銅鑼を叩くような大声が室内に響き、刑事と社は思わず身をすくめる。

「この人は容疑者なんかじゃない」

「でも、署に連れて行けって」

「お連れしろ、と俺は言っただけだろう」

 ギロリ、と署長に睨まれて、関係ないのに社まで首を縮こまらせる。


「しかし、こいつは凶器のすぐそばにいたって」

「仮に彼が殺人犯だとして、自分の殺した人間を見て気絶すると思うか?」

「それは」

 所長の言葉に、海老名刑事(まさかの海老かぶりの名前だった)が絶句する。

「倒れてたのって、被害者ともみ合って、とかじゃなくて」

「ああ、気絶してただけだ」

 なんだか気の毒そうな視線を刑事から向けられて、社は少しいたたまれなくなった。更に痛いのは、署長からの不審感あらわな視線。


「けれどその、本当に彼がどうにかしてくれるんですか?」

 疑いの色を目に浮かべ、署長が亀井社長に声を掛ける。

「あの場所を、どうにかしてくれるって言いますが……」

 その声に、か弱い胸を叩いて亀井がのたまった。

「もちろんじゃ。我がことぶき不動産は、他のディベロッパーとはわけが違う。土地や建物にお困りの皆様と、我々が無事ウィンーウィンの関係になるよう、様々な工夫を凝らしてだな」

「あの呪われた地を、破格値で譲ったと市長は申しておりましたが」


 言いにくそうに署長は言ったが、もちろん社はその言葉を聞き逃しなどしなかった。

 呪われてる?ほらやっぱり、破格どころか事実タダ同然の裏には、そういうワケがあったんだ。じゃなきゃ普通、いきなり死体とご対面なんてありえないじゃないか!

 内心憤る社をよそに、亀井社長は立て板に水とばかりにまくし立てる。


「ああ、あのまま放置しておけば、ますます事態は悪化するばかりじゃ。それをわが社が買い取って、整備し、やがて人が来るような場所へと変える。キャンプ場なんかどうじゃ?温泉も掘って、自然を満喫できるようにしようかの。そうすれば袋田に来る観光客もさらに増えるじゃろうし。そうだ、宝探しイベントなんかどうじゃ?あのあたりは昔金も採れたようだしの、そういうのもウケるじゃろうし。いや、何なら有り余るあの土地の一部を住宅地するのもいいかもの。移住してくる人も増えるじゃろう、そうすれば市の収入も増える。いいことづくめじゃろ」

「そうは簡単に言ってくれますけどね、あそこは」


 ドン、と本職の刑事がテーブルを叩いた。それは先ほど社が立てた音の何十倍も大きくて、何もしていないにも関わらず、うっかり社は自分がやりましたなどと口走りそうになる。

 さすがにその音で、亀井が口を閉じた。


「本当にどうにかしてくれるなら助かります。けれどあそこは」

 諦めたようにタバコ臭い息を吐き、署長が続けた。

「うかつに近づかない方がいい。――それほど、不吉な事件がたくさん起こっているんです」

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